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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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7.「黒の聖樹士」


「久しぶりだな、サガラ・クロヒコ」

「お……お久しぶりです、ソギュート団長」


 今朝学園に来た騎士団の面々の中にソギュート団長の姿はなかった。

 イザベラ教官の様子からしても、聖樹騎士団の団長が特別教官として来る話は知らなかったようだ。


「ま、まさかソギュート団長が自らおいでになるとは」


 腰の低い態度で、イザベラ教官が言った。


「野暮用があって到着が遅くなった。一応、おれがこの特例組の特別教官になる話は、学園長が知っていたはずなんだが……伝わってなかったか?」


 尋ねられ、俺は首を横に振る。


「いえ、聞いていませんでした」


 マキナさんのことだから忙しくて忘れていた、ってのもありそうだ。

 案外あえて驚かせようと思って伝えていなかったのかもしれないが……。

 ソギュート団長が、腰の剣をイザベラ教官に渡す。


「先日学園長から、特別教官を頼めないかと打診を受けてな」

「マキナさんが……」


 ――私なりにヒビガミとの戦いに向けたあなたの訓練は補助するつもりよ。


 こうしてすぐに手配してしまうのだから、さすがと言わざるをえない。

 イザベラ教官に何か耳打ちした後、ソギュート団長が言う。


「だが、いずれにせよサガラ・クロヒコとは剣を交える予定だった。おまえがあの男――ヒビガミと、戦う前に」

「何?」


 反応したキュリエさんが、質問する。


「どういう意味ですか?」

「砦の奪還から戻って来たおれたちが王都に現れた巨人と戦った後――つまり、おまえたちが話に聞くノイズ・ディースという女と戦った後だ――おれはヒビガミと剣を交えた」


 キュリエさんの顔に驚きの色が浮かぶ。

 俺も驚いた。

 知らないところで、ヒビガミとソギュート団長が戦っていたとは。


「その時にサガラ・クロヒコを鍛えろ、と言われた。少なくともおれはあの男の言葉を、そう解釈した」

「ったく、あいつめ」


 キュリエさんが忌々しそうに舌打ちする。


「あの、ソギュート団長」

「なんだ?」

「戦いの結果は、どうだったんですか?」


 ふっ、とソギュート団長がニヒルに微笑む。


「そうだな、おれがあの男に見逃してもらったみたいなものだ。今までも腕に覚えのある者には多く会ってきたが、あの男は格が違うな。四凶災と同等……あるいは、それ以上だろう」


 イザベラ教官が訓練用の剣を持ってきてソギュート団長に渡した。

 ソギュート団長は短く礼を述べると、感覚を確かめるように、右手に握った剣をひと振りした。


「とまあ、そういうわけで……立場上毎日は難しいが、特別教官としてしばらくおまえたちの訓練を担当する。改めてよろしく頼む」

「その……もしかしてですけど、この特別教官の件って――」

「ふっ、気づいたか。そうだ。元々はおれが発案者だ。その後、学園側とのすり合わせを経て実現した。リリあたりは最初人員不足を理由に反対していたんだがな。それでも最後は、ディアレスのやつが得意の弁舌で押し通してくれた。副団長の口が達者だと、団長としては助かるところだ」


 あれ?


「でもソギュート団長はさっき、マキナさんから打診があったと――」

「学園長がおれに打診をしてきたのは、おれが来るとは思っていなかったからだろう。特別教官として赴く者の名はまとめて渡してあったんだが、おれだけは直前まで予定の調整がつくかどうか不明で、名が入っていなかったはずだ」


 今の言葉はつまり、ソギュート団長は多忙の合間を縫ってわざわざ俺を鍛えるために来てくれということだ。


「ありがとうございます、ソギュート団長」

「ふっ、礼には及ばんさ。おまえがあの男に勝ってくれなければ、次はおれが相手をしなくてはならなくなりそうだからな。だからおまえには、是非ともあの男に勝ってもらわねばならない」


 そう冗談っぽく言った後、ソギュート団長は修練場の中心に移動した。


「では、そろそろ始めようか」

「は、はいっ」


 訓練用の剣を手にし、俺も中心に駆け寄る。

 どうあれ俺にとっては、願ってもない機会。

 この人から稽古をつけてもらえれば、きっと今よりも強くなれる。


「よろしく、お願いします」


 剣を構える。


「いい面構えになってきたな。剣を構えるとより一層、雰囲気が変わる」


 キュリエさんはイザベラ教官と並び、腕を組んでじっとこちらを見ている。


「とりあえず術式や禁呪はなしの、剣のみの稽古ということでいいか?」

「はい。おれが鍛えたいのも、剣の方なので」

「わかった。では、最初は軽く剣を交えてみようか」


 こくっ、と俺は頷く。


「…………」


 すごい威圧感だ。

 隙がない。

 先日戦ったクーデルカ会長も凄かったけど、この人は別格だ。

 強者だけが持つ、独特の空気。


 どう打ち込めばいい?

 どう動くのが正解なんだ?

 どう戦いを、組み立てれば――


「――っ!」


 思考によってできたほんの僅かな隙を衝き、ソギュート団長が飛び込んで来た。

 攻撃を受けとめようと、防御の姿勢をとる。

 ソギュート団長の一撃目は――軽かった。

 フェイント。

 手の動き出し、目の動きから、次の手を見極めようとする。

 だが予備動作が驚くほど小さい。

 剣撃の速度も、目で追うのがやっと。

 ソギュート団長が、側へ深く沈み込みながら回り込み、二撃、叩き込んでくる。

 すんでのところでその攻撃をギリギリ捌く。

 次の瞬間、ソギュート団長が俺の刃に自分の剣の刃を滑らせた。

 なんだ?

 ……そうか。

 これは刃を交差させ、弾き飛ばそうと――いや、違う!

 そう見せかけつつわき腹への、突――


 がきんっ、と剣音が響く。


 紙一重で、どうにか俺はわき腹への突きを防いだ。


「いい反応速度だ」


 感心した調子で言い、距離を取るソギュート団長。


「……ふぅ」


 顎に垂れてきた汗を拭う。

 すごい。

 精緻さと荒々しさが混在した攻撃。

 無駄な動作がまるでない。

 ソギュート団長が構えを緩める。


「その、左目」

「左、目?」


 ……あ、そうか。


「気づいたようだな。先ほど、おれは深く沈み込みながら、おまえから見て左側に回り込んだ。言いたいことはわかるな?」


 これは、キュリエさんとの訓練でも感じていたことだ。


「死角、ですね」

「そうだ。右目だけではどうしても、左側に死角ができてしまう」


 両目の時と比べると左側が視覚しづらくなっている。

 だから戦いの時は、自分の立ち位置にもある程度気を配る必要が出てくる。

 バトル漫画なんかで良く話題になる遠近感の問題は、感覚的な慣れで把握できるようになってきた気はする……まあ、ソギュート団長のような凄腕相手ではさすがに厳しいが。

 やはり片目を失ったのは、少し痛手となっている。

 ……だけど大切な人たちを守るために左目を引き換えにしたことは、微塵も後悔していない。

 たとえ、戦いで不利な要素となろうと――


「だが、問題はない」

「え?」


 ソギュート団長が、自身の左肩を剣で叩く。


「しばらくは違和感があっても、数年もすれば意外と慣れるものだ。たまに、奇妙な痛みを覚えるみたいなことはあるがな」


 前の世界でファントムペイン――幻肢痛と呼ばれていたもののことだろう。

 身体の失った部位が失っているにも拘わらず、痛みを覚える現象。

 俺は今のところ左目に痛みを感じたことはないが……。

 しかしさっきの問題ないというのは、どういう意味なのだろうか?

 ソギュート団長が尋ねる。


「おれの攻撃を受けてみて、どうだった?」

「すごかったです。ただ……キュリエさんやヒビガミと比べて、剣を受けた時の感覚が少し、違ったというか――」

「違和感の正体は、おそらくおれの剣技が、この片腕に最適化された独自の剣技だからだろう」


 ソギュート団長が構えを取る。

 ただし、再開の合図ではないようだ。


「左腕があった頃と比べ、おれの剣技は体重移動や重心の置き方が変わっている。だからおれと戦う相手はそれによる戦っている時の微細な違和感の正体に慣れることができず、ぎくしゃくとした動きになることが多い。そして見方を変えれば、これは強みでもある」


 ソギュート団長は続ける。


「確かに片腕では不便な面も多々ある。しかしそれでも気づけば慣れていた。だから今はそれほど不便に感じない。むしろ……今では隻腕であることを、おれは一つの個性だと思っている。この腕だからこそ、辿り着けた剣技もある」


 左目の眼帯に触れる。


「個性……」

「例えばおまえが戦う場合、適度に戦いに通じている相手なら、左側の死角を衝こうとしてくるだろう。しかし逆に考えれば、それは相手の行動を限定できる確率が上がるということでもある」


 戦いでの弱点を逆に強みに変える、か。


「目で追えない分は気配を察する癖をつけていくといい。何、そう難しいことではない。相手の呼吸音や地面の擦れる音、空気の動き……それらが作り上げるものの気を見極めればいいだけだ。聞けば、視力のない者は、その分他の感覚が格段に発達すると聞いたことがある。それも当然一つの個性であり、強みというわけだ」


 団長の言葉には同情や励ましが籠っていない。

 彼は心からそう信じている。

 この人の言葉には、重みがあった。


「…………」


 それにしてもすごい人だと思う。

 先ほど少し剣を交えた中に、団長は俺の死角を強く自覚させるための動作を自然と混ぜていた。

 同時に団長の剣が独自の体重移動と重心によるものであると、俺に身体で実感させた。


 そして何よりこの人は――もっと自分は強くなれるという確信を、与えてくれた。


 一度手を開き、再び剣の柄を力強く握り直す。

 ソギュート団長と剣を交える度、神経が鋭く研ぎ澄まされていくような感覚があった。

 一段上に引っ張り上げられる、というか。

 調子のいい時のキュリエさんと打ち合っている時と似た感覚。

 通称《黒の聖樹士》――ソギュート・シグムソス。

 この人から得られるものは、きっと大きい。

 俺は剣を構え直す。


「よろしくお願いします、ソギュート団長」


 ひゅんっ、と一度剣を振ってから、ソギュート団長も戦いの構えを取る。


「ああ……来い、サガラ・クロヒコ」





「はぁっ、はぁっ……!」


 全身が汗に塗れている。

 だけど、心地良い疲労感。


「ふぅ……」


 ソギュート団長が上着を脱ぐ。

 あの黒い制服も、今は風通しの良い夏用のものらしいが、それでもさすがに長袖は暑いのだろう。


「さすがだな、サガラ・クロヒコ」

「いえ……ソギュート団長の剣に比べれば、まだまだですよ」

「まあ、剣技だけで言えばそうかもしれん。ただ、おまえの剣には言うなれば《余白》の部分がある」

「余白?」

「自分では気づいていないようだな。おまえはおそらく、本気で戦う時は禁呪の力と剣を織り交ぜながら戦う……違うか?」

「は、はい…………あ――」

「さっきから思っていたが、察しが早い男だ。そう、おまえの剣には――無意識に作っているのだろうが――禁呪を放つための《余白》がある。その部分に禁呪が挟まれると思うと、ぞっとする。言うなればおまえの剣は、禁呪に最適化された剣だ」


 俺は左腕を眺める。


「そう、か」


 思い返せば、以前ブルーゴブリンの群れと戦った時あたりから、もはや当然のようになっていた。

 禁呪と剣を交ぜながらの戦い。


「矯正する必要もあるまい。それこそが、おまえの《剣》だ。そして剣技を磨けば、より禁呪も活きるだろう」


 はぁぁ、と俺は息を吐いた。


 すごいや。

 剣を合わせただけで、俺すら気づいていなかったことを見抜くなんて。


「ありがとうございます、ソギュート団長」

「何を言う。おまえはこの王都の民を救った恩人とも言える男だ。それに……四凶災は本来おれが殺さなくてはならない相手だった。それを、結果的には王都に残っていた者たちに、押しつけてしまったわけだからな」


 悔いが残ったという調子ではあったが、重く引きずっているわけでもなさそうだった。

 団長は団長なりに、様々な葛藤の果て、結果を受け入れることにしたのだろう。


「さて――」


 吸い取り布で汗を拭ってから、ソギュート団長が身体の向きを変えた。


「キュリエ・ヴェルステイン」

「ん? 私、ですか?」

「おまえは、どうする?」

「……お疲れでは?」

「何を言う。まだおれは年寄りではない」

「…………」


 キュリエ・ヴェルステイン、対、ソギュート・シグムソス。


 これは……見てみたい気がする。


「わかりました」


 キュリエさんが腕組みを解き、訓練用の剣を取る。


「では私も、稽古をお願いします」

「悪いな、キュリエ・ヴェルステイン」

「?」


 ソギュート団長が首を鳴らし、構えを取る。


「実は一度、おまえとは少し剣を交えてみたいと思っていた」


 フン、とキュリエさんが鼻を鳴らす。


「期待に応えられれば、いいですがね」





 二人が刃音を最初に鳴らしてから、十分ほどが経過。


「ふぅ……思った通り、恐ろしい腕だ」


 ソギュート団長が、剣を降ろす。

 それを終わりの合図と見たキュリエさんが、頬にへばりついた銀髪を払いのける。


「それはこっちの台詞ですよ、ソギュート団長……なるほど、ヒビガミがクロヒコを預けたがった理由が、これで分かった」

「な、なんなの、今の……?」


 ふるふると震える指先を、対面する二人の剣士へ向けるイザベラ教官。


「とんでもない、ですよね」


 すごいものを見てしまった。

 ほんの十分ほどの攻防だったが、その内容の質は圧倒的。

 最初はややキュリエさんの分が悪く見えたが、後半は巻き返した風にも見えた。

 ただ……どちらも一瞬本気を出そうとしかけたところで、ソギュート団長が終了の合図を送った気もしたが。

 とにもかくにも、見ているこっちも息を呑む剣戟だった。


「なるほど……戦いながら、相手に自分の戦い方を最適化させていく、か。末恐ろしい才能の持ち主だな」

「それをこの短い時間で見抜いている時点で、あなたの観察眼だって相当でしょう」

「…………」


 いや、両方すごいです。





 それから俺たちは少し休憩を取った。

 そして濃厚だった戦闘授業も、終わろうかという時間になった。


「ソギュート団長……実は、相談がありまして」


 思い切って俺は、相談を持ちかけてみた。


「どうした?」

「ソギュート団長は……技とかって、持ってますか?」

「技? それはつまり聖魔剣の能力ではなく、ということか?」

「はい。実は、基礎はもちろん続けていくんですが……ヒビガミと戦うために、禁呪の他に何か強力な一撃必殺の技みたいなものがあるといいな、と」


 ふむ、と髭を撫でて考え込むソギュート団長。


「おまえは聖素が扱えない。学園長からそう聞いている」

「はい」


 いわゆる《必殺技》にあたるものというと、この世界だと固有術式とか詠唱呪文、聖魔剣の能力といったイメージがある。

 だけどそれらは聖素を扱えない俺では無理だ。

 もちろん禁呪は《必殺技》に相当するのだろうが、それとは別にもう一つ、この身体に寄った技が何か欲しいと前から思っていた。


 万が一禁呪が使えなくなった時の、切り札として。


 そう、前の世界で言えば、例えばあの佐々木小次郎の《秘剣燕返し》みたいな――


「主に刀士と呼ばれる東国の剣士は、己の肉体に寄った、必殺に値する技を持つ者が多いらしい」

「東国の刀士が使う技……ソギュート団長は、お詳しいんですか?」

「東国の刀士の使う刀技には、個人的な興味があってな。一時期文献を漁って調べたりしながら、自分なりに会得しようとしたことがある。例えば――」


 ソギュート団長が刃を上げ、剣を振った。

 そこからいくつか、会得したという技を披露した。


 陣心流《落石流し》。

 理弦一刀流《重ね紙墜》。

 逢魔流暗殺秘剣《首狩り一座》。

 刃蝉流奥義《乱刃紅時雨》。


「……すごい」


 どれも自分用に弄ってはあるがな、と言ってから、ソギュート団長が腕を引く。


「そして、これが――」


 二度の突き。


 だけどその二度の突きは、ほぼ同時に二つの突きが行われたように見えた。


「これをおれは《二突き》と呼んでいる。威力は落ちるが、これを応用して《五突き》までは撃てるようになった」


 二本の剣を相手にしているような感じになるのだろうか?


「技を自分で編み出すのもいいが、まず他の技がどんなものかを知り、可能なら自分で使ってみるといい。それが新たな技を閃くきっかけになったりもする。実際この《二突き》にしても、元となった技が存在する。つまりこの《二突き》はその突きに特化させ、隻腕のおれにとって使いやすい形にした技だ。だが突きに特化した分、攻撃の多様性は奪われてしまったがな」


 ソギュート団長が、がっ、と剣の先で地面を突き、続ける。


「その技は、使う者の能力が高くなれば高くなるほど威力が増す技……単純な原理ではあるが、それゆえに隙らしい隙もない。もしヒビガミが言うようにおまえの伸び代が尋常ではないなら、まずはその技の会得を目指してみるのもいいかもしれん。その技を起点として、後に新たな技を編み出すこともあろう」


 キュリエさんとイザベラ教官も聞き入っている。


「その技の使い手は一部で、伝説の刀士と呼ばれていたようだ。それと、おれはあくまで原理を紐解いただけ……おれも実物を目にしたことはない」

「それって……一体、どういう技なんですか?」

「技の名は――」


 ソギュート団長が、技の名を告げた。



「《双龍》」





「《双龍》、か……」


 戦闘授業後、着替えを終えた俺はソギュート団長から教えてもらった技のことを考えながら、更衣室のドアノブを握った。

 団長の独自解釈は含んでいるらしいが、一応技の原理は教えてもらった。


 速度と威力を調整し、疑似的に同時攻撃を行う技。


 攻と攻。

 攻と防。

 防と攻。

 防と防。


 この四つを自由に使い分けながら戦いを組み立てられる技、か。

 だけど同時攻撃と錯覚させるほどまでに至るには、相当な訓練が必要になるだろう。

 一朝一夕で身につけられる技ではない。

 ただ、俺は修練をするのが大好きだ。

 日に日にできなかったことが改善されていく感覚は、心地いい。


 何より自分を鍛えれば鍛えるほど強力になる技というのが魅力的だ。

 そうだな……まずその《双龍》という技を会得して、可能ならそれを元に何か編み出す。

 それができたらヒビガミとの戦いでもきっと役に立つはず。

 暇を見つけて、とにかく教わった動作を練習してみよう。


 思考を深く巡らせながら、更衣室を出る。


「うん、やってみる価値はあ――ぶっ!?」


 ぶよん、と。


 海を分かつかのような感覚で、俺の両頬が何かをかき分けた。

 頬とこめかみのあたりにあたっているのは、布地越しでもわかる、独特の柔らかな感触……。


「あらあら、いきなり胸元に飛び込んでくるとは……見た目の印象と違い、随分大胆な人ですのね?」

「…………」


 ものすごく嫌な予感――いや、もう確定か。

 俯いて考え事をしたまま更衣室から出た途端、そのまま誰かの胸元に顔がダイブしたのだ……。

 ……桃にも似た、甘い香りがする。


「すす、すみませ――って、ちょっ――むぐぅ!?」


 急いで離れようとしたが、なんと阻止された。

 後頭部に腕を回され、なぜか逃がすまいと抱き止められている。


「ふむふむ、しっかり照れてくださっているようですわね? セシリー・アークライトやキュリエ・ヴェルステインと比べれば見劣りするかもしれませんが、わたくしもそれなりに女としては己を磨いているのですよ?」


 ……この声。


「は、放して……ください。手荒な真似は、したくないので」

「あら? せっかくの貴重な機会ですのに、もういいんですの?」

「の、望んでませんから!」

「ふふ、そうですか」


 腕の力が緩んだのを感じ、急いで距離を取る。


「こうして直接お話しするのは初めてですわね、サガラ・クロヒコ」


 平然とした顔で膝を少し折り、スカートの端を持ち上げて挨拶したのは――


「ドリストス、会長」


 ドリストス・キールシーニャ。

 この学園の生徒会長。


「なぜ生徒会長が、男子更衣室の前に?」

「貴方を待っていたのですわ」

「俺を?」


 ドリストス会長の糸目が僅かに開かれる。


「先日、クーデルカ・フェラリスと戦ったらしいですわね?」

「……はい」

「これは――」


 ドリストス会長が、すぅ、と自分の唇を指でなぞった。

 その口元は微笑んでいる。

 だが彼女の目は、挑戦的な光に満ちていた。


「わたくしとも戦っていただかないと、少々不公平だとは思いませんこと?」

「思いません」


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