6.「固有術式」
その日の朝、学園本棟へ続く道は普段の何倍も賑わっていた。
数台の馬車が正門から入って来て、停止。
馬車から降りてきたのは、十数人の男女。
最初に上がったのは、黄色い声。
そこから登校途中の生徒たちが集まり始める。
続くように、校舎の中からも生徒たちが出てきた。
こうして正門から本棟へ伸びる道は、十分後ほどで生徒たちに埋め尽くされた。
「きゃぁぁああああ、ディアレス様ぁぁああああ!」
馬車から降りてきたのは、聖樹騎士団の団員たち。
先頭を行くは、副団長のディアレス・アークライト。
彼には他の団員らがつき従う。
ディアレスさんと彼の斜め後ろを歩く女団員さんだけ、制服が違った。
他の団員は事情聴取で会った時に見たあの薄緑色の制服だったが、前を歩く二人だけ比較的華美な装いだ。
ディアレスさんはヒラヒラのついた白いスーツみたいな格好。
女の団員さんの方は白と黒のラインが入った格好で、スカートの丈は短め。
二人とも似合っているが、制服にしては見映えを重視しすぎている感じがする。
「華やかですね」
「そうだな」
短く同意するキュリエさん。
聖樹騎士団員たちの乗る馬車が正門へ滑り込んできたのは、登校途中だった俺とキュリエさんが昇降口へ向かおうとしていた時だった。
恥ずかしながら最初、俺は黄色い声を悲鳴と勘違いした。
何事かと思い、俺は正門の方へ駆けつけた。
しかし声の正体は、麗しの副団長を目にした女子生徒の歓喜の声だった。
「しかしあの女の団員さん、どこかで見たことがあるような――」
「あの黒髪の美人なお人はねー、ソギュート団長の妹のリリ・シグムソス様だよ」
ぽんっ、と背後から両肩を叩かれた。この声は、
「レイ先輩」
「やあ、クロヒコ」
によによと口元に手をやるレイ先輩。
「今日もキュリエ・ヴェルステインと一緒にご登校とは、本当に仲がおよろしいことですなぁ?」
「仲が悪いよりは、ずっといいと思いますけど」
「むぅ、余裕のある返し」
「茶化そうとしてるのが見え見えです。レイ先輩のやり口も、少しずつわかってきましたから」
「ちぇー、クロヒコも手強くなったなぁ……」
レイ先輩が額に手をかざし、人の壁の向こうを見渡す。
「しっかし、けっこうな騒ぎになったねぇ」
一人の女子生徒が握手をせがんだのを皮切りに、他の生徒がディアレスさんへ詰めかける。
まるで大人気のアイドルだ。
まあディアレスさんはあのルックスだし、地位も実力も伴っている。
しかもあの《ルノウスレッドの宝石》のお兄さん。
過剰な人気も頷ける。
で、
「あっちの人、ソギュート団長の妹さんなんですね。言われてみれば、面影があるかも」
リリさんは猛禽類みたいな鋭い目つきをしていた。
睫毛が長く、それこそ鷹が羽を広げているかのようにも見えた。
だけどそういった要素が、彼女の美しさに拍車をかけている。
顔立ちから受けるのは厳格そうな女性という印象。
ただし、今着ている制服が可憐な装飾が施された服であるため、そこに可愛らしさのテイストが加わっている。
そのおかげなのか、彼女の堅い印象は大分和らいでいた。
「ディアレス副団長がいなかったら、多分リリ様が副団長をやっていたんだろうね。団長の兄の知名度とか関係なく、普通に有能な人だから」
ノイズが避難地区へゴーレムたちを突入させようとした時、王都を離れていた聖樹騎士団が予定より早く戻って来たという一幕があった。
その時の映像を俺たちのいる場所へノイズが能力を使って中継していたのだが、その中にいた気がする。
なんとなくリリさんに見覚えがある気がしたのは、それもあったのだろう。
「ディアレス」
群がる生徒を他の団員が気を遣いつつ人払いした後、そう不満げに副団長の名を呼んだのは、リリさんだった。
「ん?」
「あなたの提案とはいえ、やはり個人的にこの格好は好きませんね」
「そうですか? 似合っていますよ?」
「そういう問題ではなく、騎士団への印象の問題です。これではまるで、見世物です」
「ははは、真面目なあなたらしい」
「ヴァンシュトスやノードたちと、本部に残って仕事が良かった」
「ヴァンシュトスはともかく、ノードあたりは私たちの分の事務作業を押しつけられて恨み言を言っていましたからねぇ。いやはや、帰ってからが怖いものです」
「私は人前でこんな格好をさせられている今の状況の方が、怖いですが」
ため息をつくリリさん。
「といってもあなたのことだから、これも考えあってのことなのでしょうけど」
うん、とディアレスさんが頷く。
「今はこういう方面から騎士団の印象を良くしておく必要もあるんです。四凶災との戦いの件を知り騎士団に入るのが怖くなったという生徒が増えた、なんて話も聞きますからね。しかし人員不足に喘ぐ我々としては、しばらくは集められる限りの人員を確保しなければならない……となると、こういう華やかな宣伝も必要となるわけです。清廉潔白な印象と崇高な意志だけで組織が維持できるのなら、それに越したことはないのですがね」
儚げな苦笑を浮かべ、苦労人の顔を覗かせるディアレスさん。
あの人が憂いを秘めたああいう表情をすると、ほんと絵になるな……。
「はっはっは、セシリーの兄上殿も策士だねぇ。クロヒコもそう思うだろ?」
「……ですね」
遠巻きにディアレスさんを眺めていた女子生徒たちが感動に身を震わせ、瞳を潤ませていた。
「あぁ、ディアレス様……あの方は騎士団のためを思われて、あえてあのような華美な格好をしていたのね……」「いつも涼しげなお顔をしているけれど、心の中では騎士団のことをあんなにも考えていらっしゃるのね……素敵」
今のディアレスさんの言葉には、男子生徒まで感銘を受けたらしい。
「そっか……あの完璧超人みたいな副団長でも、人並の苦労があるんだな」「俺、少しディアレス様に対する見方が変わったかも」
……うーむ。
先ほどのディアレスさんとリリさんの会話は、ここに集まった生徒の耳に届く声量で交わされていた。
聞かれてまずい話なら今ここでする必要はないし、声も潜めるはずで――
「人間ってさ、ある段階まで来ると、華やかな表舞台を見せられるより、人知れぬ苦労に塗れた舞台裏を見せられた方が、好感度上がるんだよね」
「さっきの会話、あえて周囲に聞こえるように話してましたもんね……」
ディアレスさんがさりげなく俺にウインクした。
……なるほど。
今のギミックを見抜いた者に対しては、それはそれで《副団長はなかなかの切れ者だな》という好印象を与えられるわけか。
三段階の好印象作戦。
「…………」
お見それしました、ディアレスさん。
「というわけで今日からしばらく、聖樹騎士団から派遣された特別教官が戦闘授業に加わります」
登時報告で、イザベラ教官がそう告げた。
朝やって来た聖樹騎士団の面々は単にイメージアップ活動で来たわけではなく、本来の目的は、今日から始まる戦闘授業での特別教官の役目を果たすためだったのだ。
セシリーさんたちの組は、リリさんが担当するという。
兄妹の組み合わせを避けたのだろうか。
ディアレスさんがどこを担当するのかは告げられていないが、やはり担当するとしたら上級生のベオザさんやドリストス会長、クーデルカ会長のいる組あたりだろう。
俺とキュリエさんの特例組は……まあ、人員不足の聖樹騎士団が、二人しかいない組のために人員は割けないか。
教養授業が終わり、戦闘授業。
俺はいつも通りキュリエさんと剣を交えていた。
担当教官もイザベラ教官のままである。
学園の授業が再開されて初めての戦闘授業の時、イザベラ教官は以前と比べて少しかしこまった雰囲気があった。四凶災を倒した人物、というのを意識しすぎていたらしい。
だけど今ではすっかり元通りの態度に戻ってくれて、俺としてはありがたかった。
ああいう変に持ち上げられるような空気は正直、苦手だ。
キュリエさんが腕で汗を拭う。
「少し、休憩にするか」
暑期が近づいてきているせいか、このところ気温が上がっている。
日本で言うと、今は七月上旬くらいの時期にあたるのだろうか。
水筒を手に取り、キュリエさんが水分を補給する。
「…………」
……あ、水筒忘れた。
しまったと項垂れる俺に、キュリエさんが水筒を差し出してきた。
「飲むか?」
「え? でも……」
「いいから」
ぐいっ、と押しつけられる。
「暑い中の訓練で水分不足は良くない。飲まないと、今日の一緒の訓練はもう終わりにする」
「……すみません」
一拍の躊躇があった後、俺は水分を補給した。
乾いた喉に広がる潤い。
術式機で作られた氷が入っているおかげで、喉を通る冷たい水が心地良い。
口元を拭い、水筒を返す。
「ありがとうございました」
「うん」
俺たちは修練場の壁に寄り掛かり、並んで座っていた。
屋根のない修練場から見える空は気持ち良く晴れている。
鳥が空中をゆったりと旋回している。
「朝も聞きましたけど、風熱の方はすっかり治ったみたいですね」
「ああ。これでセシリーに稽古をつけてやれる」
「セシリーさん、無学年級に出るんですよね」
「私が風熱の時に様子を見に来てくれたアイラやレイに、無学年級に出場する強敵の話は聞いた」
「クーデルカ・フェラリスと、ドリストス・キールシーニャですね」
「うん。私もセシリーも、その二人が最大の壁になると見ている」
キュリエさんが訓練用の剣の先で、かりりっ、と地面をなぞる。
「問題は二人の使う固有術式だな。クーデルカの未来を見通すという固有術式と、ドリストスの使うという《消失》の固有術式」
クーデルカ会長の《極空》は、正しくは未来視ではなく極限まで高めた集中状態によって相手の動きを先読みする、という能力である。詳細までは伝わっていないものの、未来を見通せるという理解で学園の生徒には広まっているようだ。
一方、
「《消失》、ですか」
「そうらしい。私も目にしたわけではないからわからないが……どうやらドリストス・キールシーニャは《消える》とか」
「消える……」
一定時間透明になる能力、とかだろうか。
「まずはその二つの固有術式を破る策を練らねばならんだろうな」
固有術式。
マキナさんの《ミストルティン》
シャナさんの《リィンプエルグ》
ノイズの《ノルンゾートガジェット》
他では、外法らしいが、ベシュガムやマッソの使った術式刻印による《スヴェグルイン》なんかも固有術式に入るか。
どれも、強力な術式だった。
「固有術式とは才能に似ている。仮に術式の才に恵まれていても、発現しない者は一生発現しない。今残っている高名な貴族の多くは、元々固有術式が発現しやすかった一族が当時戦で名を挙げたためにそこまでのし上がった、とも言われているらしい」
成り上がるための大きな要素となるほど強大な力だ、というわけだ。
「キュリエさんの術式魔装は違うんですか?」
「あれはリヴェルゲイトの能力だからな。だから私自身は固有術式を発現していない。当時の6院でも、固有術式を発現させていた者はいなかったと思う。ノイズの固有術式にしても目にしたのはこの前の戦いが初めてだった。あれは、6院の者が散った後に発現したんだろう」
あえて隠していた者もいたかもしれんがな、とキュリエさんは言い添えた。
見方を変えれば、6院の者は固有術式の力に頼らずとも問題ないほど強かった、とも言えるか。
「ただし発現には聖素を扱える器官が必要みたいだから、ヒビガミなんかは、今後も固有術式が発現することはないと思う」
「となると、俺もですね」
「まあおまえには、その代わりにとんでもない力があるがな」
「ヒビガミもですけどね」
つまりヒビガミのあの黒い罅みたいな身体の変化は、固有術式ではないのか。
「大会までにセシリーさんが固有術式を発現したりとか、ないですかね?」
「あれば強力な武器になるが、不確定要素に縋るのはまずい。固有術式は生涯発現しない者の方が多いと聞く。だから、発現した者は選ばれた者と言えるのかもしれんな」
選ばれた者。
無学年級にはその選ばれた者が、二人も参加している。
「何、固有術式だけが強さのすべてではないさ。それにセシリーには、溢れんばかりの聖素と剣の才がある」
「優秀な師匠もつきますしね」
微笑しながらキュリエさんが、ぽふっ、と俺の肩を叩いた。
「ルーヴェルアルガンにいるらしいタソガレに会うこと以外、今の私には目的らしい目的はないからな。タソガレの件も急ぐわけじゃない。だから……他の誰かが目的を果たすための手伝いができるなら、それは嬉しい話なのさ。しかし――」
キュリエさんが染み一つない腕を伸ばし、肩口に目をやる。
「やはり肌の露出は好かんな。この学園の運動服はどうも……なんというか、性的な感じがして苦手だ」
この前はまだ暑期の制服を着ていなかったキュリエさんも、もう制服は暑期のものになっている。
そして運動服も、今は暑期用を着ている。
暑期の運動服は、ヒラヒラの短いスカートこそ変わらないが、上半身がノースリーブで、襟元も冬服より開いている。
「汗ばんで透けない素材なのは当然としても、もう少し地味めでいいと思うんだよ。他の女子生徒は気にしていないようだから、私の感性が変なだけなのかもしれないが……」
暑さ対策もあるのだろうが、肌を露出していた方が聖素を取り込みやすい性質を加味してのデザインではあるのだろう。
とはいえ、けばけばしさはないものの、いささか運動用の服としてはデザインに凝りすぎている気もする。
まあ、男子には好評みたいだけど。
「ドレスなんかでも未だに疑問に感じるんだが、男ってのはこういう感じの服が好きなのか?」
「……嫌いではないと、思いますけど」
腕を伸ばしたままの姿勢のキュリエさんが、小さな珠の汗が浮く腋を覗かせながらジト目を向けてくる。
「煮え切らん答えだな」
「す、すみません」
「おまえは私が何を着ても褒める男だからな。だから、どの服がいいのかとかが、逆にわからなくなる」
「じ、事実なんだから仕方ないじゃないですかっ」
はぁ、とキュリエさんが肩を落とす。
「それが本音ではなく世辞だったら、少しは怒る気力も湧いてくるんだがなぁ……つまりおまえは、こういうことまでしないと違いを認めてくれんわけか」
ぴらっ、とスカートを捲るキュリエさん。
「ちょ――」
「いやいや……おまえ、下に股引を履いているの知ってるだろ。なぜそんなに驚いたみたいな照れ方をする?」
「そ、そうですけど」
まさか女の子がスカートを自ら捲る動作自体に、何かが宿っているのか……。
「そうやって俺をからかうなんて……らしくないです」
「なんだ、拗ねたのか?」
「拗ねてません」
「むー、困ったな。なら、抱きしめたら許してくれるか?」
「……その方法の発案者、セシリーさんのお母さんでしょう?」
「む? よく分かったな。男が拗ねた時に強く抱きしめてやったら、私なら大抵のことは許してもらえるはずだ、と助言をもらった。まあおまえだったら、抱きしめるくらい別にかまわんしな」
「…………」
やはりアークライト家の奥方には一度、直接面と向かって抗議する必要があるな。
そして最後の方、何気に嬉しい一言を口にしていた気がする。
「それにしても今朝の騒ぎ、すごかったな」
「聖樹騎士団が来た時の件ですか? まあ、確かにすごかったですね」
「セシリーもあの副団長の兄に稽古をつけてもらえていれば、もっと伸びていたと思うんだが」
あまり兄は稽古をつけてくれないと、セシリーさんからそう聞いたことがある。
思い返すと、セシリーさんとディアレスさんが会話しているところを俺は直接見たことがないような気もする。
セシリーさんの口ぶりからすると、仲が悪いってわけでもないんだろうけど。
「ディアレスさんはやっぱり、上級生の戦闘授業ですかね?」
「じゃないか? 今朝の顔ぶれの中だと、一番腕が立つのは副団長みたいだったし」
すぐに見抜いてしまうあたりは、さすがキュリエさんである。
「ん?」
修練場の入口近くの日影でまったり休んでいたイザベラ教官――どうも彼女は特例組の戦闘授業を休み時間か何かと勘違いしている節がある――が、慌てて立ち上がった。
誰か来たみたいだ。
イザベラ教官は姿勢を正し、ぺこぺこと頭を下げている。
誰だろう?
「――え?」
修練場に入って来た人物は、落ち着き払った様子で口を開いた。
「今日からしばらく、この特例組の特別教官を担当することになった――」
修練場に現れたのは、
「ソギュート・シグムソスだ。よろしく頼む」
聖樹騎士団団長、通称《黒の聖樹士》ソギュート・シグムソスだった。




