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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第16話「セシリー・アークライト」

 白のリボンで一つに結ばれた、ハニーブロンドの長い髪。

 空色の瞳に長い睫毛。

 月光に映える、白く小さな顔。

 美しく均整のとれた細身の身体。

 もし美の神に愛された人間がいるとすれば、まさに彼女のような存在のことをいうのだろう。

 否――人ではなく、彼女は女神や天使なのだと言われても、信じてしまいそうなほどだ。

 こうして女神だ天使だなどと言葉にすると陳腐極まりないが、しかし、彼女はそう思わせるに足る、圧倒的に浮世離れした雰囲気と存在感を持っていた。


「見たところ――」


 月の光を浴びる少女が、大男、ミアさん、そして俺を、順番に視線に収める。


「そこの大男が二人を困らせている、といったところでしょうか」


 一歩、美貌の少女が前に出る。

 彼女の場合、ちょっとした所作や間の取り方からすら、美しさや気品が滲み出ている。


「まあ、愉快なものではありませんね」


 美貌の少女は耳に心地よい声でそう言い、さらに数歩前に出ると、大男を見上げた。

 どうしてだろう?

 少女の方が大男よりも遥かに細く小柄なのに、なぜか大男の方が、小さく見える。


「な……なんだ、あんた?」


 大男の方も、その突然の美しき闖入者に、戸惑っているようだった。

 と、


「お、おい! あの馬車のエンブレム!」


 事態を見守っていた客の一人が、少女が降りてきた馬車を指差した。


「あれは……アークライト家の紋章? え? ってことは、あの子……いや、あのお方はまさか……アークライト家のご令嬢――セシリー様!?」

「何!? アークライト家、だと!?」


 どうやら大男も、その名に気圧されているみたいだった。

 アークライト家……もちろん俺は初耳なんだけど、すごい家柄とかなんだろうか?

 ちなみに俺はといえば、この状況を前にして、禁呪の詠唱をすることもできず、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 いや――


 もし現れたのがあの人じゃなかったら、俺は禁呪を詠唱していただろう。


 けど、あの人が現れてから――空気そのものが、変質した。

 例えば、そう――


 彼女が登場した瞬間、俺の出る幕が終わった。


 そんな感じ。


「そうです。わたしはアークライト家の長女――セシリー・アークライトです」


 美貌の少女が言った。


「学園から帰る途中ここを通りかかったのですが……いささか、目に余る光景だったもので」


 そう。

 見目麗しさにばかり気を取られていたが、彼女が身につけているのは、学園を出る時に何度も目にした、聖ルノウスレッド学園の制服だった。

 スカートの下からは、黒いタイツに包まれた細い脚が伸びている。

 その学園の制服のデザインは彼女のためだけに作られたのではないかと邪推させてしまうほど、少女の制服姿は花のような可憐さを放っていた。

 あるいは、制服の方が彼女の美しさに奉仕しているというべきだろうか。

 酒場の前のギャラリーがざわつきはじめる。


「そういえば、社交場にすら滅多に姿を現さないというアークライト家のご令嬢が今年ルノウスレッド学園に入学したって話を、どこかで聞いたような気が……」

「アークライト伯爵の娘セシリー・アークライトの噂は、俺も聞いたことがある。ごくまれにパーティーに顔を出すセシリー様を目にした者たちからその美しさについての話が広がり、いつからか『ルノウスレッドの宝石』と呼ばれる存在となったが、しかし実際にその姿を見た者はほとんどいないという……そのせいで、一部では実在するのかどうかさえ訝しがられていたとか……」

「しかし、なんとお美しい……あれが、セシリー様なのか」

「なんでもアークライト家きっての才媛で、剣の腕も超一流だって話よ」

「しかも兄上は聖樹騎士団の副団長で、祖父は現聖王様の剣術指南役……まさに、サラブレッドか……」


 モブの諸君、説明ご苦労。

 物見高い野次馬というのは、こういう時ありがたい。

 ふむ。

 おかげであの人のアウトラインは掴めた気がするな。

 名はセシリー・アークライトというらしい。

 そうか……名家のご令嬢、ね。


「……っ」


 ちなみに大男の方はというと、どうすればいいのかわからないといった顔で、ぎりっと歯を食いしばっている。

 が、ここで引き下がるのもプライドが許さないのか、大男はぎこちない笑みを浮かべ、美貌の少女を軽く睨み据えた。


「目に余るとは、なかなか言ってくれるじゃねぇか……だが、こいつはあんたにゃ関係のない話だ。短絡的な出しゃばりは思わぬしっぺ返しをくらうことになるぜ、アークライト家のお嬢さんよ?」

「それはつまり、わたしに見て見ぬふりをしろと?」

「簡単に言やぁ、そういうこった」

「わたしが、そうするとお思いですか?」


 少女と大男が互いに視線を交わす。

 と、大男が少女に背を向けた。


「……っち、アークライト家に出てこられちゃ、たまんねぇな。けっ、家の名に救われたな、アークライトのお嬢サンよ」


 やってられないとばかりに、大男が肩を竦める。


「あーあ! お家が有名だと得だよなぁ! 実力があろうがなかろうが、黙ってても周囲が祭り上げてくれるんだからよ! その顔と高いご身分だけで、今までうまいこと生きてきたんだろうなぁ!」


 と、


「待ちなさい」

「あ?」


 大男が振り返る。


「なんだ? 癇に障ったか? けど、あんたが家の名に頼ってんのは事実だろうが。だよな? お飾りの、オ、ジョ、ウ、サ、マ?」

「今の言葉、わたしへの侮辱と受け取ってもいいのでしょうか?」


 してやったり、といった顔になる大男。


「……さぁな。だがこれからおれは人に会うたんびに言ってやるぜ。アークライト家の娘は家の名に頼り切った、ただの勘違いしたお人形さんだったってな! ははははははっ! けどしょうがねぇよなぁ!? それが事実だもんなぁ!?」

「いいでしょう」

「『いいでしょう』? 何がだ?」

「わたしが家名を振りかざすだけのただのお飾りでないということを、この場で示してさしあげましょう」

「ほぉ〜?」


 …………。

 あれ?

 あのセシリーって子、意外と煽り耐性ないタイプ?


 にぃ、と大男が笑った。


「お嬢様よ、ここで引き下がらねぇと、マジに痛い目見るぜ? ……おい」


 大男が手を手下の方へ差し出した。


「アレを持ってこい」

「へ、へい!」


 慌てて手下が店内に戻り、そしてすぐに飛び出してくる。

 手下は、先端に太い鉄塊のついた長い棒状のもの――いわゆるモールってやつだろう――を抱えていた。


「アニキ……相手はアークライト家のご令嬢ですぜ? 本気ですかい?」

「てめぇは黙ってろ」


 大男はぶんどるようにしてモールを手に取った。

 そして頭上で激しく回転させ、先端をセシリーさんに向けた。


「もし謝るなら今のうちだぜ? ここで土下座の一つでもすりゃあ、許してやらんでもない。ま、いくらか『賠償金』は払ってもらうがよ」


 ふっ、とセシリーさんが微笑んだ。


「軽く見られたものですね、わたしも。ジーク、わたしの剣を!」

「『わたしの剣を!』じゃありませんよ、セシリー様! 何をしているんですか、あなたは!」


 いてもたってもいられなくなったといった風に、一人の金髪の男が馬車から飛び出してきた。

 彼も学園の制服を着ている。

 セシリーさんは大男から視線を外さぬまま、手だけを金髪の男のいる後方へと差し出した。


「ジーク、剣を」

「だから『剣を』じゃありませんってば! バントン! あなたも、なぜ黙って見ているんだ!?」


 ジークと呼ばれた金髪の男が、馬車の御者に声をかけた。


「セシリー様のなされることに、何一つ危ないことなどございませんよ。また、わたくしは常にセシリー様のご意思を尊重いたしておりますゆえ」


 バントンと呼ばれた初老の男が、淡々と答えた。


「それにお言葉ですが、ジーク様たちも、セシリー様から黙って馬車の中で待っているよう言いつけられ、今までずっと黙ったまま馬車の中にいたではありませんか」

「それは、そうだが……!」

「セシリー様、これを」

「ありがとう、ヒルギス」


 気づくと、いつの間にかもう一人馬車から女の子が出てきて、剣が収まった鞘を二つ、セシリーさんに差し出していた。


「おいヒルギス、何をしている!?」


 ジークと呼ばれた男が、セシリーさんに鞘を手渡す少女に呼びかけた。


「何?」


 ヒルギスと呼ばれた少女が、ジークという金髪の男を見る。


「『何?』って……おれたちは、セシリー様を止めるべき立場であってだな……!」

「知らない。わたしも、セシリー様の意向を尊重する立場だから」


 抑揚に乏しい調子でそう返すヒルギスという少女も、同じく学園の制服を着ていた。

 しかも彼女には、髪の色こそ薄いエメラルドグリーンだが、ミアさんと似た耳と尻尾があった――つまり、亜人種だ。

 尻尾が邪魔にならないような作りになっているあたり、あれは特製の制服なのだろうか。


「ああもう! セシリー様! なんとか言ってやってくださいよ――って、何をするおつもりですか!?」


 もう見てるだけで気苦労の多そうな雰囲気が伝わってくるジークという人が、すでに双剣を鞘から抜き、手に握って構えるセシリーさんを、驚きの顔で見た。


「手出しは無用ですからね、ジーク」

「いえ、ですからこんな場所で――むぐっ」

「黙って」


 止めに入ろうとしたジークという男の口を、ヒルギスという少女が背後から手でふさぎ、ずるずると後ろに引きずっていく。

 ふごふご言いながら、好青年っぽいジークという人は、亜人種の少女に引きずられ、舞台からフェードアウトした。


「お待たせしました」


 セシリーさんが、大男に言った。


「随分と過保護にされてるみてぇだが……怖くなったなら、従者どもに泣いて助けを求めてもいいんだぜ? どうせこれまでも、何かあったら周りがニコニコ笑っててめぇを助けてくれたんだろ?」

「それは、わたしの実力を見てから判断してはいかがでしょうか」

「まあ待てよ。しかしこの勝負、おれが勝ったら、こっちに何かメリットはあんのか? おれは、あんたがお飾りでないことを証明したいっていうから、わざわざつき合ってやってんだぜ?」

「……何か報酬がほしいのですか?」

「そうだな……おれが勝ったら、あんた、おれのオンナになるってのはどうだ?」

「……あなたの、オンナ?」

「おうよ。何、結婚しろとまでは言わねぇさ。ただ、しばらくおれの愛人になってくれりゃあ、それでいい」

「……いいでしょう。わたしが負けたら、愛人でもなんでも、なってさしあげましょう」


 セシリーさんの言葉に、ギャラリーが大きくざわつく。

 ……つーか、まだ衛兵は来ないのか。

 誰も呼びに行ってないからか?

 まあ、ここはやや中心街からは外れた場所にある店らしいから、意外と騒ぎが伝わりにくいのかもしれないけど……。

 俺は今一度、周囲の様子を確認した。


「…………」


 よし。

 体勢を低くし、俺は小走りでミアさんのところへ駆け寄った。

 そして、


「ミアさん」


 と声をかける。

 すると、事態を傍観したままぽやっとしていたミアさんが、はっとなる。


「あ――く、クロヒコ様っ」

「とりあえずあのゴロツキたちの意識はあのセシリーっていう女の子の方に向いているみたいなので、一旦、俺たちは後ろに下がりましょう」

「は、はい……っ」


 ミアさんに手を貸す。

 そして俺たちは、ギャラリーの中に紛れ込んだ。

 このままこの場を離れてもよかったのだが、さすがに助けに入ってくれた人をそのままにして去るわけにもいくまい。

 それに万が一、あのセシリーという人が窮地に立たされたら、俺の立場上、禁呪で助けなきゃいけないだろう。

 ただ、とにかく今は成り行きを見守ることにする。

 なんだか、割って入れる空気でもないし。


「はっ、今の言葉、忘れるんじゃねぇぞ? ここにいるギャラリーどもが証人だ。いや、もし今の約束を破ったりしたら、てめぇの嘘つきっぷりを言いふらして回ってやるぜ」

「どうぞ、ご自由に。ですが、それはあなたがわたしをこの場で屈服させることができたらの話ですが」

「かかっ、安心しな。その綺麗な顔へは当たらないよう、手加減してやるからよ」

「その油断が、敗因にならなければいいですがね」

「くくく……いいなぁ、その自信たっぷりの面……泣かせて、辱めて、グチャグチャにしてやりたくなる……ひひ、だからやめられねぇんだよ、勝気なやつを屈服させんのはな……特に今日のは、極上品だ」


 ごきっ、と大男が首を鳴らした。


「さ、やろうか」

「ええ」


 それから一拍の間があり、そして――


 ――対峙する二人が、同時に地面を蹴った。

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