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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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Ex1.「壊神の旅(1)」【ヒビガミ】


 山道を行く、三台の馬車があった。


 かつてはルーザン地方の要衝であったこの山道は比較的道が整備されており、ひと昔前などは交易商人たちが互いの見知った顔を幾度となくすれ違わせていたものである。

 もちろん今も商人たちの通り道として、使用されてはいる。

 使用されてはいるのだが、この山道に目をつけた野盗たちの襲撃が度々起きたため、昔と比べ商隊の使用は減っていた。

 この辺りを治めている領主も私兵や雇いの傭兵を使って定期的に盗賊の討伐を試みてはいるが、昨今各地で起こっている内紛の影響もあり今はこの山道付近の治安にまで手が回っていないという。

 それでもこの山を無事通り抜けられれば南のルノウスレッドにせよ西の帝国にせよ、移動の日数を大幅に短くできるのは事実である。ゆえに全盛期と比して減ったとはいえ、今も傭兵を護衛として雇って使用する商人も少なくない。





 三台の中で先頭を行く場所の荷台でヒビガミは腕を枕にして寝転んでいた。

 ノイズ・ディースとサガラ・クロヒコの戦いを見届けた後、ヒビガミは王都クリストフィアから去った。

 クリストフィアを去った彼がまず目指したのは、北のルーヴェルアルガンだった。

 目的は、各地に潜む実力者たちを探すためである。

 かつての6院時代の知人から渡された、各地に潜む実力者たちの情報。

 世に広く名の知られていない実力者たちの情報は、その知人が交渉材料としてヒビガミに提供したものである。

 ノイズ・ディースは邪悪の塊と呼ぶにふさわしい女だったが、筋は通す人物だった。

 そのため渡された情報の真偽は疑っていない。

 どの道サガラ・クロヒコという未来の好敵手の完成までにやることといえば、せいぜいが禁呪の呪文書を探すくらいである。

 その呪文書探しにしても時を急ぐ必要はない。

 だから今の状況は気ままな一人旅といえば、そうであった。

 まだ見ぬ実力者か、と内心ヒビガミは呟いた。


 ――あのソギュート・シグムソスくらいの者を引き当てられれば、上々か。


「その格好……あんた、東国の人間か?」


 馬車の揺れを感じながらうつらうつらとしていると、誰かが声をかけてきた。

 ちらと見やれば、声をかけたのは額当てをつけた男。

 確か、この馬車の所有者の商人から護衛の依頼を受けた傭兵団の一人だったと記憶している。


「……育ちはミドズベリアだ。生まれは、わからん」

「それ、カタナってやつだろ?」


 額当ての男がヒビガミの《無殺》の鞘を手に取り、刀身を抜き放つ。


「お? なんだこりゃあ……刃が無様に潰れてんじゃねぇか。なまくら、ってやつか?」


 ヒビガミは取り合わず、ふっ、とだけ口の端を歪める。

 サガラ・クロヒコと出会うまでの自分だったならば、男の行為を不快と感じ、腕の一本や二本を折って黙らせていたやもしれぬ。

 おそらくは最強という孤独が、かつてのヒビガミをそういう人格へ導いていた。

 他者に理解されぬその孤独が彼にもたらしたものは、あえて言うならば怒りに似た感情であった。

 あの感情は僅かでも戦いに身を置く者たちをすべて、敵としたがった。

 だが今では多少の無礼な振る舞い程度なら、無心で見過ごせるようになっていた。

 ――あの男と出会ったおかげで、やはり心に余裕ができたのかもしれんな。

 サガラ・クロヒコ。

 あの男は着実に成長していた。

 驚きに値する速度で、自分の領域へと接近してきている。

 これほど愉快なことが、他にあろうか。

 自分に迫ってくる者の存在は、いつも心を湧き立たせてくれる。

 強いと感じられる者の存在は、いつも心を奮い立たせてくれる。

 ヒビガミにとって、最強の称号など退屈の証でしかないのだ。


「あんた、旅の目的は?」


 刀身を鞘に戻した額当ての男が、気の毒に感じている顔で聞いた。


「人探し、といったところだ」

「で、追いはぎあたりを追っ払うためにその偽物の武器を携えてるってわけか。身なりからして、本物の武器が高価で買えないのは察しがつくがよ――」


 ふぅ、と息をついた男がヒビガミに非難の視線を向けた。


「少しばかりあんた、世の中舐めすぎだぜ」

「……かもしれんな」

「本物の戦場を知らねぇからこそなんだろうが、今のルーヴェルアルガンで都市から都市へ移動するなら、最低限本物の武器を用意すべきだ。今は戦闘経験豊富な俺たち《白獅子団》がいるからいいが、おれたちと別れた後はどうする? その役に立たないカタナで凶悪な追いはぎどもを追い払えるのか? おい、悪いことは言わねぇ。次の街あたりで、まっとうな仕事でも探すこった」


 男は自分の施晶剣を見せつけるように持ち、誇らしげに言った。


「そしてその仕事で稼いだ金で、俺たちみたいな優秀な傭兵団を雇うといいぜ」


 ふっ、とヒビガミは短く嗤った。


「気が向いたらな」

「んだとぉ〜? 人が親切に――」

「おい、そのへんにしておけよ、バダック。失礼だろ」


 見かねたように額当ての男に声をかけたのは、出立前に傭兵団長だと名乗っていた、ヒューイという青年だった。

 優男といった風貌だが、身体は戦士のそれである。


「そうよ、バダック。あなたは、嫌なおせっかい焼きなんだから」


 ヒューイの隣に姿勢よく座っているのは、副団長のアリサという女だ。凛々しい佇まいの中にも母性的な穏やかさを持った女、といった印象である。

 また、彼女は邪気のない人物だった。清廉な精神の持ち主なのだろう。


 見たところ、ヒューイとアリサは睦まじい仲にあるようだ。出立前の様子からすると他の団員たちからの信頼も厚く、出来た人格を持った団長と副団長といった印象である。

 先ほど馬車内で交わされていた会話から、世事に対しても鋭い洞察力を持った人物たちであると推察できた。

 何よりヒューイとアリサは、まだ若いながらもそこいらの野盗では敵わぬ手練れと言えた。先ほどヒビガミに話しかけてきたバダックという男にしても、実力的にはかつて相対した聖樹八剣に迫る実力を持っている。

 彼らが戦っている姿を目にしてはいないが、ヒビガミには彼らの実力が把握できた。

 少なくとも、発している自信に見合った実力を持った者たちではあるようだ。


「いけねぇいけねぇ、つい普段の癖が出ちまったぜ。悪ぃな、あんた。つい命のやり取りを甘く見てるような相手を見ると、説教したくなっちまう性分で――」

「こら、バダック!」

「おわっ……すみません、副団長殿っ」


 アリサの叱責に、バダックが阿諛追従の笑みで応える。


「もぅ、バダックってば。ごめんなさいね、ええっと……お名前を聞いても?」

「……ヒビガミだ」

「ごめんなさいね、ヒビガミ」

「へへへ……おい、ヒビガミとやら」


 懲りずにバダックがヒビガミに話しかけてくる。

 おそらく暇を持て余しているのだろう、とヒビガミは悟った。


「うちの団長と副団長に、感謝することだな。《白獅子団》も知らなかったあんたは耳にしたことがないかもしれねぇが《烈剣のヒューイ》と《白風のアリサ》といやぁ、ルーヴェルアルガンの傭兵界隈じゃ知らぬ者のいない有名人なんだぜ?」


 ヒビガミは後頭部に両腕を回したまま、返した。


「悪ぃが、ここいらの傭兵事情には興味がなくてな」

「ま、だろうな。けど、いいかい? あんた、実はほんとすげぇ人たちと旅を共にしてるんだぜ?」

「……なるほど、そいつはありがたいことだ」

「やれやれ」


 バダックが肩を竦める。


「目の前に宝石があってもその価値がわからなけりゃあただの石ころ、か」


 あのような言動や振る舞いであっても、バダックという男には意外にも悪気がなかった。あの出来た人格の団長たちの影響も大きいのだろうか。団員たちにも、粗野な言動はあれど、礼節は適度に備えている感じがあった。

 とかく悪意がないだけに、ヒビガミの毒気も抜けてゆくばかりである。

 それに、目の前で羽を広げてコケコケ鳴き喚く鶏に腹を立てても仕方あるまい。


 そうだ、とヒューイが何か思いついたという顔をした。


「確か、余っていた剣が何本かあったはず……その中から一本、ヒビガミ殿に差し上げましょう。切れない剣よりは、役に立つはずですよ」

「ほんとあなたは、人がいいんだから。うちの台所事情も、楽じゃないんですからね?」


 もぅ、と指先でヒューイの頬をつつくアリサ。

 悪い、とヒューイが自然にアリサの肩を抱き寄せる。

 アリサが幸福そうな笑みを浮かべ、いいの、とヒューイの肩に頭をあずける。

 バダックがヒビガミを指差した。


「気前のいいうちの団長に感謝するこったな、初心者殿!」

「バダック!」

「へいへーい」


 またもアリサから窘められたバダックは、ようやく、元の位置に戻って腰を下ろした。

 結局、ヒビガミは最後まで気持ちの入らぬ応答で通した。


「……ふん」


 ――どちらもある程度の力量はあるが……やはり《あの男》のような、狂の気が足りんか。





 ヒビガミは御者台に身を乗り出し、ミドンに話しかけた。

 ミドンはこの馬車の持ち主の商人である。

 旅の途中、道中でヒビガミの目的地を通るから一緒に乗っていくとよいと、気前よく馬車に乗せてくれた人物だった。

 そしてこの山の手前では最大の規模を誇る都市でそれまでの傭兵と別れ、ミドンは《白獅子団》を雇ったのだった。

 ヒビガミは懐に手を入れ、金貨の詰まった袋を掴んだ。


「おやじ」

「へい、どうしました?」

「やはり金を払おう。商人の感覚からすると、どの程度の金額になる?」


 ミドンは最初ヒビガミを乗せる時、金はいらないと断っていた。


「いえいえ。前にも申しましたが、お代はけっこうです」

「おれの身なりから察した懐事情を慮ってのことであれば、遠慮は無用だ。これでも一応、持ち金の額を伝えたら野盗が目の色を変えて奪いに来る程度の持ち合わせはある」

「ほっほっほ、あなたの身なりや懐具合など関係ありませんよ。いらないものは、いらないのです」

「ふむ……何かの、願掛けか?」

「おや、おわかりですか? 実は、そうなのです」


 恰幅のよい白髭を生やした初老のあきんどは、頭上の長い枝から覗く空を見上げた。


「わたしは一日に一度よい行いをすると、そう決めているのです」

「商人が益なき善行か。似合わんな」

「それは違います。普段よい行いをしていれば、きっとよい縁が舞い込んでくる。そういう考えなのでございます。こうして自ら馬車を操りますのも、自分の商売を肌で感じて感覚をいつも研ぎ澄ましておくためなのですよ」

「カカッ、なるほど。ならば、金を渡すべきではないな」

「ご理解いただけて、幸いでございます。それに――」


 ミドンがヒビガミを一瞥した。


「身なりのせいで妙な先入観を持たれてしまうのかもしれませんが……わたしの目から見ると、あなたは只者ではないと感じられるのですが」

「ほぅ? そう思う理由は?」

「これまで幾多の地で、腕に覚えのある者たちを目にしてきました。あなたからも似たようなものを感じるのです。ただ……今まで出会ってきた方たちとは、何か違う気もするのですが」

「さあ、どうだろうな。おれには、わからんが」


 満足げにそう言って一旦話題を打ち切ると、ヒビガミは周囲を見渡した。

 太陽は今、中天にさしかかっている。


「今のところ、野盗の気配はないようだ。この山道は、交易をする者たちにとっては危険な場所だと聞いているが」

「実はついこの前までここいらで猛威を振るっていた《野火の狩人》という野盗が最近姿を消したという話が広まっていまして。悪い噂が広がりすぎて獲物が寄りつかないので、狩場を変えたのかもしれません。だとすれば、今が通る好機となります」

「とはいえ、その野盗がいなくなったのを好機と見てのこのこやって来た獲物を狩る別の狩人が出んとも限らん……だから、用心して傭兵を雇ったわけだ」

「もしくは、狩場を変えたという噂も、獲物が少なくなってきた《野火の狩人》が流した嘘かもしれませんしな。用心に越したことはありません」

「なるほど、それもありうるか」





「襲撃だぁ!」


 寝転がっていたヒビガミの耳に、緊迫した大声が飛び込んできた。

 見れば、ヒューイ、アリサ、バダックが戦いの準備を始めている。

 そしてヒューイとアリサは手早く装備を確認すると、勢いよく飛び出して行った。

 バダックが出て行く前、ヒビガミを押しとどめる動作をした。


「おっと! あんたはここにいな! こいつは本物の戦場だ。戦士ごっこで務まる場じゃねぇ」


 ミドンが御者台から荷台に避難してきた。


「よ、よろしくお願いいたします、バダック殿」

「おうよ、任せな!」


 ヒビガミが急な襲撃に怯えて動けず、恐怖で言葉も発せないと見たのか、バダックは、少しばかりの優しさを滲ませて言った。


「安心しろって。あんたは俺たちが守ってやる。ま、勇気があるなら俺たちの戦い方を見て真の戦いを学ぶのもありかもな! さぁて、ではひと仕事といくかねぇ!」


 力みながら施晶剣を手にし、バダックも荷台から飛び出して行った。


 野盗程度に心を惹かれるヒビガミではない。

 彼らが倒してくれるならば、それで問題ない。

 実力もそれなりに確かな連中であるから、相手がよほどの強者でなければ手こずることもあるまい。

 そう考えたヒビガミは、幌の端から見える白き傭兵たちの戦う姿を横目で眺めながら、戦いの終わりを待つことにした。





「はははは! この程度かよ!」


 荒々しい胴間声が辺りに響いた。

 陰から外を見ると、白き獅子を名乗っていた傭兵たちの実に半数以上が物言わぬ死体と化していた。


「あの名高い《白獅子団》の《烈剣のヒューイ》と《白風のアリサ》というからどれほどのものかと思ったら……はははは! 弱ぇ弱ぇ! どうやら傭兵の界隈も人手不足みてぇだなぁ! なぁ!?」


 頭目と思しきいかつい顔の男が勝ち誇りながら、聖剣を振るった。


「我らローゲン兄弟率いる《騒乱洞穴団》に手も足も出ねぇじゃねぇのよぉ!? 笑えるぜ! ここ最近じゃ《野火の狩人》の頭目の死に様くれぇ笑えたわ! このゼッケル・ローゲンを心の底から笑わせるたぁ、大したものよ! ていうかよ? 世に聞く知名度の割に弱すぎねぇかぁ? なぁ《烈剣のヒューイ》どのぉぉおおおお!?」

「ぐっ……!」


 ヒューイは武器を奪われ、ゼッケルの靴底で頭を地面に押しつけられていた。


「ぜ、ゼッケル兄ちぁゃんっ」

「おうよ! なんだ、ブーイ!?」


 ブーイはローゲン兄弟の弟のようだ。

 でっぷりと肥え太って見えるが、身体を覆う肉はすべて筋肉だった。


「この子ぉ……おらの嫁にしたいだぁよ……っ!」


 アリサが、四凶災と等しいほどの体格をした大男に組み伏せられていた。

 べろぉ、とブーイがアリサの健康的な頬を舐める。


「い、いや……いやぁぁ!」


 ブーイが鼻息を荒げ、蕩けた笑みを浮かべる。


「おっほぉ! な、なんでぇ愛じい悲鳴……た、たまんねぇだよ……か弱ぇ小鳥みてぇだぁ……うぅ……アリザぁ、アリザぁ!」


 ほぼ身動きの取れないアリサを、ブーイの巨体が覆う。

 ブーイは執拗にアリサの唇に自分の唇を押し付けようとし、アリサは必死にブーイの唇を避けようともがいている。


「いやぁ! 助けて、ヒューイ――――っ!」

「アリサぁぁああああ――――っ!」


 ヒューイの悲鳴にも似た叫び。

 がっ、とゼッケルがヒューイの顔を蹴り飛ばす。


「ぐはっ!」

「いいねぇ……いいねぇいいねぇいいねぇ! 目の前で愛しの人がブーイのような粗雑な男に無茶苦茶にされるなんて、そう一生の中で味わえる瞬間じゃねぇよぉ!?」

「あぁぁああああ! 兄ちぁ〜ゃん! おら……あら、もう決めただぁ! この子、絶対におらの嫁するだ! アリザぁ……赤子も、おらと、たぁんとつぐろうなぁ?」


 嫌がるアリサの顔に強引に頬ずりを始めるブーイ。

 興奮気味の荒い息が、アリサの顔面に吹きつけた。


「いやっ……やめ、て! やめな、さい!」

「あぁぁ……なんて、めんごい……ほんど、めんごい娘だぁ。な? おらと、子作りしでくれな? な? たぁくさん子供さ産んで……幸せになろうなぁ?」

「ひっ……や、やだ……いや……絶対に、いやぁ!」

「おい、副団長殿!」


 妙案を思いついたとばかりに、ゼッケルがアリサに声をかけた。


「お願い……なんでもするから、この男を、な、なんとかして……っ」


 力なく弱々しく懇願するアリサに対するゼッケルの答えは、しかし、その懇願を無慈悲に踏み散らすものであった。


「もし副団長殿がブーイの妻になるってんなら、あんたらの傭兵団の連中の命は助けてやってもいいぜ?」

「――え?」

「この情けない団長殿も、殺さないでおいてやる……ただし、あんたが断ったら、あんた以外は片足を切り落として……くくく……その傷口が腐って蛆が大量に湧いていよいよ発狂した後、考えつく限りの拷問をして、さらに思いつく限りの残酷な殺し方をしてやる」

「そ、そんな――」


 震えながら落涙するアリサに突きつけられた選択は、彼女のような人間にとってはあまりに残酷なものと言えただろう。

 なまじ善性の人であるがゆえに、思い入れの強い者を合理的に切り捨てることができないのだ。

 とはいえこの状況は、選択の余地を残さぬようゼッケルによって演出されたものでもあるのだが。


「ちくしょう! 団長と副団長を離せ、この下種どもがぁ!」


 怒りに吼えたのは、右腕を負傷したバダックだった。

 だが、数と実力で上回る荒くれ者の野盗たちに取り囲まれた状況でのその憤激の叫びは、むしろひどく頼りなく、哀しいものとして響いた。

 すでに残った白獅子団の面々も、もはや敵わぬとみて戦意を喪失している。

 それを察した一部の野盗たちは、抵抗しなくなった傭兵たちを小突いたり、罵声を浴びせたりして、ついに遊び道具にし始める。


「ヒビガミ、殿」


 状況を隣で見ていたミドンが話しかけてきた。

 必死に恐怖を押し殺しているようだ。


「カカ、案ずるな。この馬車の荷と己の身くらいは守ってやるさ。ただ、戦う気すら失せているあの連中はもう駄目だな……相手の野盗も、ソギュート・シグムソスや四凶災級などとは言わんが、しかしあの程度では、この時点でおれの戦意を動かすには、やや不十分……」


 ヒビガミは、どかっ、と座り直した。


「連中も傭兵の生き方を選んだ者たちだ。当然このような状況も、いつかありうる未来として覚悟はしていたはず……まあ、連中のあの健全な様子からして、こんな最悪に近い状況にまで想像力を馳せられていたのかどうかについては、いささかの疑問は残るが……とにかく――」


 ヒビガミは緊迫した状況にそぐわぬ落ち着きをもって、顎鬚を撫でた。


「命を賭した戦いに身を置く以上、強き者に喰われても、どんな扱いを受けても、力なき者は文句を言えん。それが、戦いに身を置くということだ」


 戦いに身を投じながら想像力の足りていない者に対し、ヒビガミは慈悲も同情も持ちえない。


「ヒビガミ殿、お願いいたします」

「安心しろ。少なくとも己はおれが無事、山の向こうまで送り届けてやる」

「彼らを――」

「ん?」

「彼らを助けてやっては、くれませんか?」

「ほぅ? おれにそれが、可能だと?」


 真剣なまなざしで、ミドンが頷く。


「ええ、わたしの判断では」


 ヒビガミはミドンの顔を見て、察した。


「カカ、なるほど……己は心から、そう信じているわけだ」


 ミドンが膝に手をつき、語り出した。


「わたしは、彼らのような健全な者たちも必要だと思っております。ヒビガミ殿のおっしゃることは、ごもっともだと思います……ですが、彼らのような善き精神を持つ者たちの未来が暗黒に閉ざされるのを見るのは、やはり辛いのです。わたしは助からずともかまいません。ですからわたしの命の代わりに、どうか、彼らを」

「人がよいにも程があるな、己は。おれは基本、そのような甘い考えは好かん。連中には覚悟と想像力が足りなかった。それだけのことだ。まあ、この現実は連中の目を覚ますよい薬にもなっただろう。その現実が引き起こす悪夢的な言実を目にすれば、そのうちの一人くらいは生き残って復讐にでも目覚め、ひょっとすると修羅へと覚醒するかもしれん」

「どうか……お願いいたします、ヒビガミ殿」


 ミドンが膝をつき、深く頭を下げた。


「よくもまあ、この状況で他人の心配などできるものだ。しかも、与えられた仕事に対し力量の足りなかった者たちに対して」


 ミドンは頭を垂れたまま動かず、どうか、とだけ嘆願を続けた。

 さしものヒビガミも、これには嘆息を禁じ得なかった。

 それに、ミドンの願いをそう無下にもできない理由もあった。

 ふむ、とヒビガミは一つ唸る。


「おれは連中に借りもなければ、思い入れもない。だが――」


 ヒビガミは《無殺》と、余っているからと襲撃を受ける前に渡された《本物の剣》を手にした。


「己には少々、恩がある。それに……己には、自己陶酔ではない純粋な勇気もある。どちらかと言えば、己は好ましい部類の男だ」

「ヒビガミ殿……」


 ヒビガミは荷台の縁に足をかけると、カカッ、とミドンに嗤いかけた。



「己の願掛けはどうやら巡り巡って、益をもたらしたらしい」



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