2.「風紀会長」
「暑期服、か」
キュリエさんが教室の机に肘をつき、物思いに耽っていた。
視線の先には涼しげな暑期服姿のセシリーさんがいる。
彼女の両脇に座るジークベルト・ギルエスとヒルギス・エメラルダも、暑期服を着用していた。
ジークとヒルギスさんは四凶災との戦いで腕や指を骨折したが、戦闘授業でまだ支障が出るものの、順調に完治へと向かっているそうだ。
教室の前の方で座っているアイラさんも暑期服になっている。
ちなみにアイラさんは現在、伸びた髪をツインテールにしている。
「そろそろ俺も衣替え考えてるんですよね。キュリエさんはまだ?」
「肌の露出が増えるのは好きじゃない。厚着の方が、落ち着く」
彼女は周囲から注目を集めるのが苦手な人だ。
ましてやスタイル抜群の彼女が開放的な服装になったら、今よりずっと多くの異性の視線を集めるのは必須だろう。
その状況を彼女自身なんとなく予測できているからこそ乗り気ではない、というのもありそうだ。
「ま、暑いのは暑いので苦手なんだが」
摘まんだ胸元の生地を、風を送り込むようにパタパタと前後させるキュリエさん。
男子たちのさりげない視線が、彼女の胸元に注がれていた。
……これだったらもっと涼しい服装の方が、露出度的には逆に安全な気もするけど。
「登時報告始めるわよー」
獅子組の臨時担当教官となったイザベラ教官が、教室に入ってきた。
本来の担当教官であるヨゼフ教官は四凶災との戦いで負った傷が原因で、現在療養中。
その間、俺とキュリエさんの戦闘授業の担当をしているイザベラ教官がしばらく獅子組の担当を務めることとなったのだ。
「まずは、聖武祭についての話なんだけど」
聖武祭。
前期評価で大きな位置を占める聖遺跡攻略は現在休止状態にある。
その代替案として提案されたのが、候補生たちによるトーナメント形式の武闘大会だった。
その大会の成績が前期の評価に反映される予定だと言う。
ちなみに戦いの内容が評価に大きく関わるため、敗北するにしても全力を出し切る意味はあるようだ。
「あなたたちは一年生部門と、無学年級に登録できます。無学年級は参加するだけで学年別の部門より初期評価点が高くなるわ。ただし無学年級はその名の通り二、三年生も参加してくることが十分考えられるから、そこは心しておくように。例えば相手との力量の差がありすぎて実力の半分も出せずに『これなら、学年別の方が実力を見せられた』ってなる可能性もあるから、そこはよく考えて選ぶこと! いいわね?」
今朝の生徒会長と風紀会長の会話を思い出す。
あの会話からすると、学年最強である生徒会長ドリストス・キールシーニャと、学園無敗の風紀会長クーデルカ・フェラリスの二人は無学年級に出る予定みたいだった。
最強。
無敗。
こんな肩書きを持つ人間が出るとなると、無学年級で優勝を狙うのは困難だろう。
小聖位第一位のベオザさんは三年生部門に出ると言っていたから、彼が両会長と戦うこともなさそうだし。
とはいえ、聖武祭自体は楽しみである。
武闘大会。
男子としてはわくわくするものがある。
といっても俺とキュリエさんは聖武祭には参加しないのだが。
いや、参加できないと言うべきか。
四凶災と戦って勝つような生徒が出ると力差がありすぎて大会にならないというのが、参加できない理由らしい。
ただ、俺たちには満点の評価点が与えられる。
大会に参加しないのに満点なんていいのだろうかとも思うのだが、マキナさんによれば決定権のある人間たちが満場一致でそう決めたのだから何も問題はない、とのこと。
そのため俺とキュリエさんは、今回の聖武祭は観客側なのである。
「次は、聖遺跡について。攻略は、後期から再開予定よ」
聖遺跡。
ノイズ・ディースが残した情報によると、聖遺跡の最下層に第一禁呪の呪文書があるという。
候補生としての評価は当然だが、できることなら第一禁呪を手に入れるために聖遺跡の攻略には力を入れていきたい。
あの男に勝つために、禁呪は集められるだけ集めておきたい。
ただ普通に考えれば、第一禁呪は普段聖樹騎士団が攻略しているという、聖樹の根元に広がる難度の高い聖遺跡の方に眠っている気がする。
この学園の地下に広がる難度の低い聖遺跡が果たして最下層まで繋がっているかどうかについては……あまり期待しない方がよさそうか。
となると、聖樹騎士団が潜っている聖遺跡の攻略を認めてもらえる方法をどうにかして探さないといけないわけだが……。
「それから、明後日からいよいよ、聖樹騎士団から派遣される特別教官が戦闘授業に参加します。誰が来るかは……お楽しみに。いや、実は私も誰が来るかまだ聞いてないんだけどね?」
てへっ、とかわいこぶるイザベラ教官。
聖樹騎士団から聖樹士を招いての戦闘授業。
この件についてはすでにマキナさんから聞いている。
俺とキュリエさんの二人しかいない戦闘授業には誰が来てくれるのだろうか。
いや、案外聖武祭と同じく、俺たち特例組は実力は十分と判断されて誰も来ないのかもしれない。
多少落ち着いたとはいえ、聖樹騎士団もまだ忙しい時期だろうし。
こちらも、あまり期待せずにいた方がよさそうか。
「登時報告は、こんなところかな。それじゃあ、授業の準備をして待つように」
そして教養と戦闘の授業を普段通り終え、昼休み。
「食事中悪いんだけど、ちょっといいかな?」
食堂で昼食をとっていると、レイ先輩が話しかけてきた。
レイ先輩はアイラさんと仲の良い二年の先輩で、俺とは巨人討伐作戦の頃からのつき合いになる。
「ボクが風紀会に入っているって話は、前にしたよね?」
「ええ」
「その風紀会の会長が今日の放課後クロヒコに会いたいっていうんだけど……今日の予定って、どんな感じ?」
風紀会長。
今朝、生徒会長とやり合ってたあの人か。
「今日はいつも通り、放課後の訓練をやる予定でしたけど――」
キュリエさんを一瞥する。
彼女は口の中のものを嚥下してから、言った。
「構わん、行ってこい。素性も知らん相手ならともかく、レイを通しての話なら問題もあるまい」
「あはは。キュリエから信頼の言葉をもらえるのって、なんだか嬉しいもんだね」
「レイが信頼されるに足る行動をとった結果だろ。そうだな……今日はセシリーも用事があるそうだし、訓練は休みにしようか」
セシリーさんがフォークを静かに置く。
「すみません、最近屋敷での習い事を増やしていまして。あ、もちろん強くなるための訓練は屋敷でも欠かさず行っていますよ? ですが、他の部分も伸ばしたいんです。戦い以外の部分で、役に立てることもあるかと思って」
苦笑するレイ先輩。
「ボクからすると、これ以上セシリーに伸ばす部分なんかあるのかって感じだけどなぁ。天才に人並み以上の努力が加わったら、これはもう無敵だ」
「いえいえ、わたしなどまだまだです……謙遜ではなく、事実として。世界は……広いですから」
「そっか……なんか入学したての頃と少し空気が変わったよね、セシリーも」
レイ先輩が、背後から俺の肩に手を置く。
「じゃあ、放課後に教室まで迎えに来るよ」
「わかりました」
「ありがとね、クロヒコ」
「いえ、他ならぬレイ先輩の頼みですから」
「ふふん……とことん優しい男だね、キミは」
「相手は選びますよ」
「意外と抜け目がないところも、好感度は高いね。けど――」
「わっ!?」
背中に、柔らかい二つの感触。
布越しに絶妙な軟性の何かが、押しつけられている!?
「一方で女の子に対する免疫だけはとことん薄いんだよなぁ、キミは」
「レイ先輩……か、からかわないでください」
「キミの場合はいつも周りに魅力的な女の子がいるんだから、どーせどさくさで何度もこーゆーオイシイ目に遭ってるんでしょ? それでも慣れないもんかい?」
「こんなの、慣れるわけありませんって……」
「これは珍しい。では、ボクが慣れさせてあげようか」
「けっこうです!」
「ボクなりのお礼だよ」
「いりません!」
レイ先輩が身体を離す。
「ふぅ、まったく……うっ?」
見ると、キュリエさんとセシリーさんがちょっとむっとしていた。
「ま、そこがクロヒコの魅力でもあるんだけどね? 二人だって、クロヒコが豹変してそこいらの自信家でキザな好色貴族みたいになっても嫌でしょ?」
質問を向けられたキュリエさんとセシリーさんが、やや頬を赤くして視線を逸らす。
「ま、まぁ……」
「それは、そうですけど……」
今、彼女たちは何を想像したのだろうか。
「でもまあ、シーラス浴場のあの時みたいに我を失ったクロヒコもあれはあれで男らしくていいのかもしれないけどね?」
ぐっ。
「あの時のことは、もう勘弁してください……」
掘り起こしたくない過去だ。
セシリーさんも俯いて、触れてほしくないオーラを発している。
「ともかく今日の放課後、よろしくね!」
レイ先輩が去った後、セシリーさんがキュリエさんに言った。
「わたしたちもさっきのあれ、日常的にやりましょうか。隙を見て後ろから、こう、がばっ! と」
セシリーさんが後ろから抱きつく動きをする。
「私はやらんがな」
「好きな人が異性に慣れるきっかけが自分って、何気によくないですか?」
「…………知らん」
「あ、今ちょっと自分の場合で考えました?」
「し、知らんっ、私は別に何も考えていな――って……なぜそこでおまえが落ち込む、セシリー?」
そこには、ヒルギスさんの肩に凭れ掛かる、うらぶれたどんより空気のセシリー・アークライトの姿が。
「いえ……わたしの立ち位置って、やっぱりこういう感じなのかなって……最近、反射的に動いてこういう流れを自ら作ってしまっている気がする……」
「?」
と、ともかく……放課後を待つか。
放課後。
「ところでレイ先輩、聖武祭はどの部門に出る予定なんです?」
俺はレイ先輩と風紀会室を目指して廊下を歩いていた。
「ん? ボクかい? ボクは普通に二年生部門に出る予定だよ? そこまで小聖位を上げたいって願望もないしね。ベオザが出ないなら、無学年級は生徒会長とうちの会長との決勝でほぼ決まりだろうし。ま、クロヒコやキュリエが出るなら話は変わって来るだろうけどさ」
「そういえば、セシリーさんはどうするんだろう」
「セシリーが無学年級に出るとなると、少しわからないかもね。ただ――」
風紀会室が見えてきたところで、レイ先輩が言った。
「聖剣や魔剣に頼れない聖武祭でセシリーが二人の会長に勝てるかというと……今のままだと、まだボクは難しいと思う」
セシリーさんでも勝てないであろう相手、か。
俺も、禁呪がない状態だと実際はどれくらい戦えるんだろうか。
気になると言えば、気になる。
「着いたよ」
風紀会室に到着。
レイ先輩がドアをノックする。
「レイです」
「――どうぞ」
朝も耳にした、クーデルカ会長の声。
「失礼します」
レイ先輩に続き、部屋に入る。
「……畳?」
「私は、東国の文化が好きなのです」
縦長の畳の敷かれた室内にいるのは、クーデルカ会長だけだった。
部屋の奥で目を閉じたまま、綺麗な姿勢で正座をしている。
朝とは違い制服の上からではなく、普通に着流しを身に着けていた。
といっても、着流しの中には洋風の服を着用しているようだが……。
それでも佇まいゆえか、和の静が放つものに似た幽玄な空気を纏っている。
そして左手側の畳の上には、鞘に納まった刀が置いてあった。
「サガラ殿にとってタタミは親しみのあるものでしょうが……この国では、まだまだ希少なものです。この畳は、父上から取り寄せていただいたものなのです」
「親しみはまあ、あるにはありますが」
前の世界の自室は、フローリングだったけど。
一応、家に和室はあった。
閉じられていたクーデルカ会長の目が、すぅ、と開かれる。
「シーラス浴場は楽しんでいただけましたか?」
そういえば、シーラス浴場はフェラリス公爵家が所有しているみたいな感じだったっけ。
「はい。とてもくつろげる、素晴らしい施設でした」
「それは何よりです。それから、レイ」
「うん」
「サガラ殿を呼んできてもらい、ありがとうございます。あなたがサガラ殿と親しい仲にあったのは、僥倖でした」
「あはは、ボクが勝手に親しくさせてもらってるだけだけどね?」
「そんなことないですって。俺の方こそ、レイ先輩にはお世話になってます……少し悪戯が過ぎる時があるのが、玉にきずですが」
レイ先輩が苦笑する。
「とまあ、ボクらはこんな感じの関係かな。けど会長……会長がクロヒコになんの用事かは知らされてないけど、ボクは一応クロヒコをとても大事にしている人たちから信頼されて彼を預けられているわけで……その点は、忘れてもらったら困るよ?」
レイ先輩は笑ったままだが、発せられた声にはやや釘を刺すような響きがあった。
こくり、とクーデルカ会長が頷く。
「承知しています。私としても、アークライト家の宝石と第6院の出身者、その他諸々の実力者たちを好んで敵に回したくはありませんから」
「それで……俺を呼んだ理由を聞いても?」
「サガラ殿がこの学園にはいなかった東国の人間だと聞きまして、一度お話しをしてみたいと。見ての通り、私は父娘二代に渡り東国の文化に強く傾倒しています。その東国の人間と話せるだけでも、これは貴重な機会ですから」
「ルノウスレッドは東国と交流がないんですか?」
「人の交流もないわけではありません。ですが、近い年の東国の者は、貴重なのです」
「なるほど」
「もちろん、あなたをお呼びした理由は……それだけではないのですが」
クーデルカ会長が、脇に置いてあった刀を手に取った。
「会長?」
レイ先輩が訝しんだ声を出す。
「サガラ殿は、カタナの使い手と聞いています。しかも、あの四凶災を切ったとか」
「四凶災に勝てたのは、仲間と禁呪の力が大きいですけど」
「なるほど……禁呪よりも《仲間》が先に来るあたりは、レイから聞いていた通りの殿方のようですね。まあ、それはともかく――」
クーデルカ会長の澄んだ瞳が、玲瓏に俺を見据える。
「私も剣には多少自信がありまして……一度サガラ殿と、剣を交えてみたいと思っていたのです」
「俺と剣を、ですか?」
「修練場を一つ、借りてあります」
「……つまり会長は最初から、このつもりで?」
「断っていただいても構いません。無理を言っているのは私の方ですから。ただ、もし了承いただけた時にこれから修練場を借りにいくでは……少々、礼を失していますので」
「…………」
「もちろん、立ち合いは模擬試合の形式で行います。真剣を使うつもりはありません」
悪意は……感じ取れない。
感じ取れるのは、ただ純粋に戦ってみたいという闘争心だった。
レイ先輩が一つ息を落とし、言った。
「悪いけど会長……お喋り以上のことを望むなら、ここまでにして欲しいかな」
「……そうですか。あなたがそう言うのであれば……仕方ありませんね」
毅然と表情一つ変えなかったクーデルカ会長の顔に――本当にわずかではあるが――少しだけ、寂しそうな色がさした。
なんとなくだけど、親に習い事をしたいと頼んだが駄目と言われた子供みたいな、そんな印象。
それも物わかりが良くて、反発しないタイプの子供だ。
朝の生徒会長との言い合いを見ていて、もっと刺々しい印象の人なのかと思っていたが……早とちりだったのかもしれない。
もちろん、これが彼女なりの作戦である可能性も捨てきれないだろう。
何せ五大公爵家の娘だ。
交渉事での化かし合いに長けていても不思議ではない。
だが、
「いいですよ」
彼女が恨み言の一つもなく、あっさり引いたこと。
悪意がまるで感じられないこと。
なんとなくだが……この人は、悪い人ではないと思う。
「いいのかい、クロヒコ?」
「模擬試合形式で剣を交えるくらいなら、俺はかまいません。あとこれは俺が決めたことなので、何かあればキュリエさんたちには俺から説明します」
何かあったとしても、キュリエさんたちがレイ先輩を責めるとも思えないが。
「クロヒコがそう言うなら……まあボクとしても、会長の意向がかなうならその方がいいし……」
「それに――俺も学園無敗と呼ばれる風紀会長の剣に、興味があります」
むしろ俺にとっても剣の修行になるかもしれない。
するとクーデルカ会長が、正座をしたまま深く頭を下げた。
「恩に着ます、サガラ殿」
……れ、礼儀正しい人だな。
「それでは――」
顔を上げ、クーデルカ会長が身体を起こす。
「早速、向かいましょうか」
「ええ」
俺とレイ先輩は背を向け、風紀会室のドアを開けた。
「……待ってください」
背後から、クーデルカ会長の声が聞こえた。
見ると、クーデルカ会長が前屈みになったまま停止している。
「どうしました?」
「少し、待っていただけませんか?」
クーデルカ会長が楚々とした表情を特に変えることもなく、顔を上げる。
そして彼女は、声の調子を変えることもなく言った。
「正座の時間が少々長かったので……足が痺れました」
「…………」
なんだろう。
クーデルカ会長って意外と、天然系なんだろうか……?
前回の投稿後に更新の再開をお待ちくださっていたというご感想をたくさんいただき、嬉しかったです。ありがとうございます。
今のところ「えくすとらっ!」は基本的に週一の更新で考えているのですが、土曜日か日曜日の20:00頃あたりがいいかなと思っております(状況によって更新日時が前後する場合は、活動報告の方でお伝えいたします)。




