最終話「この風の、吹く世界で」
他に何か聞いておくべきことはないだろうか。
…………。
そうだ。
「あんたは、すべての禁呪を?」
「我が宿しているのハ、第九、第八、第六、第五、第三禁呪だけダ」
すべての禁呪を覚えているわけではないのか。
でも第六禁呪は未知の禁呪だ。
「第六禁呪ハ、黒き剣を呼び出す禁呪だナ」
一つ上の数字の禁呪も宿しているなら、まだ俺が使えない第五禁呪の第二界の情報も得られそうだ。
「第五の二界ハ、加速。誰もついて来れぬほどの加速力を得ル」
これは有用な情報だった。
他の禁呪の力は知らないらしい。
また呪文書の在り処は、自身が生み出した第九禁呪の呪文書しか感知できないという。
第一禁呪以外の記述は古い神話の文献にある……そう取れる発言を以前ノイズがしていたので、先日クラリスさんに尋ねてみた。
しかし渡された文献に記されていた内容は、信頼性云々以前に、なんとも抽象的で曖昧な表現の連続だった。
あの記述で禁呪の能力を推し量るのはさすがに厳しい。
まあ、第一禁呪に関する記述が見当たらないのは本当だったが。
禁呪の呪文書。
確かヒビガミが持ってきた呪文書以外に、帝国にもう一つあるのだったか。
それ以外だと、終末郷の三大組織のどれかも所有していると聞いた。
ロキアの『愚者の王国』以外のどちらかが所有している、ということか。
まったくロキアは呪文書の話題に触れる様子がなかったから、思い当たる節がなかったのだろう。
ただあの男の場合、仮に知っていても知らない素振りとか平気でしてそうだけど……。
「で……第一禁呪が聖遺跡の最下層、と」
禁呪王も宿すことのなかった禁呪か……って、待てよ?
そもそも神話の偽典に記された禁呪王の物語自体、元は誰が記したものなんだ?
禁呪王に聞いてみるも、誰が最初に記したものかは自分たちにもわからない、との答えが返ってきた。
「少なからず神族が関わっているとは思うのだがナ。といってモ、かなり古い神だろウ」
こればっかりは、あのクラリスさんでも知らないだろうしな。
さて、他に聞いておくことは……あ、そうだ。
「なぜあんたは禁呪の呪文書が読めたんだ?」
「片親がはぐれ禁字族だったのサ。それも親が死んだずっと後になって気づいたことなのだがナ。最初はなぜ禁呪の呪文が我にだけ読めるのカ、我にもわからなかっタ」
禁呪王の親は軍神さんが会いに行った禁字族たちとは離れて生活していたらしい。
両親が死んだ後、ふとしたことから禁呪の呪文書を手に入れて読み上げたのが、すべての始まりだったという。
その後は、語り尽くせぬほどの、半神の禁呪使いによる多くの物語があった。
「――デ、気づけバ、禁呪王と呼ばれていタ」
禁呪の呪文書は一体誰が記したものなのか。
なぜその言語で書かれていたのか。
なぜ聖呪は穢れ、禁呪と化したのか。
なぜ禁獣は――かつての神々の世界は、穢れてしまったのか。
それらは禁呪王たちですら、知らぬ謎。
「わからんと言えバ、あの男……ヒビガミといったカ?」
ヒビガミ。
「あれの強さハ、人の域を逸しているように思えル。しかシ、神族の力ともまた違う気がすル。謎ダ、あの男ハ」
もっと禁呪は揃えておきたい。
あの男に、勝つために。
だけど禁呪王のことを、考えると――
「――あァ、わかっタ、わかっていル! このくらいにしておくサ」
急に禁呪王が煩わしそうに声を上げた。
「ど、どうしたんだ?」
「女神どもガ、ちょっとナ……実はこうして精神体の貴様を引きずり出した状態を維持するのモ、会話しているのモ、我という存在が消耗する行為なのダ……ルノウのやつニ、消耗しすぎだと叱られちまっタ」
「そっ――」
俺は焦った。
「それを早く言ってくれよ! だったらもっと、時間を使わないように――」
「かまわン。今日は特別ダ」
「……禁呪王」
「といってモ、ここいらが限度みたいだナ。これで獣を押さえつける力が弱まっちまったラ、本末転倒ダ」
「あの、さ」
左手を眺める。
「これからはなるべく禁呪の使用を、控えるよ」
「控えてどうすル、禁呪使イ」
「いや、だって控えないと、禁呪王が……」
「せめてヒビガミとやるまでの三年くらイ、我に気兼ねなく使えヨ。いらん気兼ねは死に直結するシ、気兼ねなどしていてはあの男には勝てんだロ」
「でも――」
「禁呪使用のいらん躊躇はこの我が許さン。今後貴様が禁呪使用の件で我にいらん気遣いを見せたと判断したラ、我はすぐにでも獣の束縛をやめるゾ。そして禁呪を存分に使えなかった相楽黒彦はヒビガミに勝てズ、キュリエ・ヴェルステインとセシリー・アークライトを失うのダ」
「それは――」
「それが嫌ならバ、禁呪を躊躇なく使エ。よいナ?」
「わ、わかった……わかったよ」
なんだかどっちがどっちを気遣っているのか、わけがわからなくなってきた。
「けど、なるべく禁呪に頼らなくてもいいように戦闘の訓練はするつもりだ。禁呪使用の負荷までは、あんたでも消せないんだろ?」
「……そうだナ」
「第九以外の禁呪は今のところ切り札みたいなものだ。だから極力、使用は控える」
ふぅ、と俺は息をつく。
「けど、使うべきだと思ったなら迷わず使う。大切な人たちを守るために使うべきだと、俺が判断したら」
「そうダ。それでいイ」
暫し互いに黙り込む。
「なあ、禁呪王」
「ン?」
「力を消耗するって話だから……しばらくは、こうして会うのは難しいかな?」
「だろうナ」
「俺……またあんたと、話がしたい」
「もう伝えることは伝えたはずだガ」
「そうじゃない。ただ、話しをしたいんだ。雑談でもいい」
「妙な男ダ」
『嫌いじゃないんでナ、貴様のような向こう見ずなやつハ』
「俺も……嫌いじゃないんだ、あんたみたいな人」
「……そうカ。繰り返すガ、悪かったナ」
禁呪王を救おうとした女神たち。
愛ゆえに狂ってしまった女神。
狂おしいほど、禁呪王を愛した女神。
「いいんだ。大切な人のためなら手段は問わない……その気持ちは、俺にもわかるから。自分のしていることが悪い行いなんだという自覚さえあれば、それで十分だと思う。必要になるのは、すべてを背負う覚悟だけだ」
またもや沈黙が、場を支配した。
それは、穏やかな沈黙だった。
「そろそロ、カ」
禁呪王がふいに、声を発した。
「ヒビガミとの決着……勝てヨ」
「……ありがとう」
「達者でナ、後輩」
「獣の相手……しばらく頼みます、先輩」
「あア、任せておケ」
そうして景色は再び、一変する。
*
草原。
青い空。
俺は王都からちょっとだけ離れた草原に一人、座っていた。
「神様まで、優しいんだもんな……」
…………。
さて。
「戻るか」
*
「あれ?」
西門を潜って帰途につくと見慣れた人物が道の真ん中に立っていた。
物思いに耽った様子で地面を見下ろしている。
「キュリエ、さん?」
顔を上げ振り向いたのは、キュリエさんだった。
「おまえが西門から外へ散歩に出たと学園長から聞いてな。ここで待ってたんだ」
「ここって……」
「おまえが入学式の日に気を失っていた場所……私とサガラ・クロヒコが、初めて出会った場所だな」
ここで俺はキュリエさんと出会った。
異世界に飛ばされた俺が初めて出会った、異世界の人間。
「……考えていたんだ」
「何をです?」
「おまえと出会っていなかったら私はどうなっていたんだろう、って」
キュリエさんが近づいてくる。
正面に立つ彼女の髪が風に揺れ、流れる。
髪をおさえながら、彼女は言った。
「おまえに出会えてよかったよ、クロヒコ」
それは――
「俺もです」
キュリエさんは微笑む。
「そうか」
はい、と首肯する。
すぅぅ〜、とキュリエさんが息を吸い込む。
落ち着こうと、している?
「その、あれだ……手を、だな?」
「手?」
「手を繋いでも……いいか?」
「え?」
「学園まで、だから」
「あ……」
「い、嫌なら……いいよ」
「わ、わかりました」
キュリエさんは左手で俺の左腕を取ると、おっかなびっくりといった仕草で、自分の右手を、俺の左手に絡ませようとしてきた。
まるで、壊れものにでも触れるかのような動作で。
一度深呼吸してから、俺は意を決する。
そして彼女の手を自分から握った。
彼女は一瞬びくっとしたが、すぐに、優しく握り返してくれた。
「やっぱり、男の手だよな……私の手、荒れてるだろ?」
「そ、そんなことないですよ。それに、どんな手だったとしても、キュリエさんの手なら迷わず握ります」
「さっき、躊躇してたくせに」
「あれは、て、照れてたからです」
「ふーん」
そっか、とキュリエさんは微笑を浮かべる。
「なるほどな、照れてたのか」
そうして、どちらからともなく歩き始める。
キュリエさんは、と俺は切り出した。
「いつかルーヴェルアルガンに、例のタソガレって人を探しに行くんですか?」
「そうだなぁ……自分の存在価値がどうこうはもういいんだが、なぜ十三の孤児院を終末郷に作ったのかを、問い質してみたい気はするな。何が、目的だったのかを」
「じゃあルーヴェルアルガンに行く時は、俺も同行させてくださいね?」
「ああ、わかったよ。……ん? どうした?」
「いえ……いやに素直に頷いてくれたのが、少し意外で」
「断ったって、おまえはついてくるだろ?」
「……それは、そうかもですけど」
フン、とキュリエさんが鼻を鳴らす。
「おまえのことも、けっこうわかってきたからな」
そして、きゅっ、と強く指先を握られた。
少し歩くと、薄く艶めいたレモン色の髪を陽光に煌めかせた、やっぱり嘘くさいと感じるほどできすぎた美少女が姿を現した。
「あっ! ようやく、見つけまし――って!? てて、手を繋いでるっ!?」
「あ、セシリーさん」
「も〜っ! ずるいですよ!?」
ぷんすかと駆け寄ってくると、セシリーさんは、俺の右手に白い左手を絡ませた。
躊躇なく握ってくるあたりは彼女らしい。
とんっ、と肩で腕をつつかれる。
「あら? いいですねぇ? これで、両手に華ですよ?」
思わず、頬が緩んでしまう。
「セシリーさんとも、出会えてよかった」
「……へ?」
「出会えたのがセシリーさんだったから、相楽黒彦は、今の『俺』になれた気がします」
か細くなっていく、セシリーさんの声。
「あ……いや、そりゃあわたしだって、く、クロヒコとキュリエと出会えたおかげ、で色々変わることができたから、その、とっても感謝していますよ? ていうか、なんなんですか急に……調子、狂いますね……」
睫毛を伏せ、一転、しおらしくなるセシリーさん。
「んもぉ、ずるいです……冗談にはちゃんと冗談で返してくれないと……不意打ちには、弱いんですから……もぅ……どこまでわたしの中で存在を大きくさせれば気が済むんですか、この鈍感は……」
ぶつぶつと小声で文句を零す『ルノウスレッドの宝石』。
押される側に回ると意外と弱いんだよな、この人って。
三人で聖ルノウスレッド学園を目指して歩く。
「これからもずっと三人で、こんな風にいられたらいいな」
と、キュリエさん。
「三人が強くそう願っていればきっといられますよ。たとえ、もし一時的に離れ離れになったとしても」
と、セシリーさん。
空を仰ぐ。
鳥が一羽、緩やかな風に身を任せるようにして飛んでいるのが見えた。
「こんな穏やかな日が、いつまでも続いてほしいですよね……」
その時だった。
俺はふと何かを感じ、後ろを振り返った。
三人。
手を繋いだ、三人の男女。
中心に、男。
左右に、女。
そのうちの一人の顔には、見覚えがあるような気がした。
王都の広場に立つ女神の像にどこか似ている。
「クロヒコ?」
キュリエさんの声がした時、もう三人の姿はなくなっていた。
「どうしました?」
キュリエさんとセシリーさんには見えてなかったらしい。
「……いえ、なんでもないです」
白昼の幻だったのだろうか。
それとも……
風が、吹いた。
異世界の風。
両脇の二人が立ち止まり、空の鳥を指差しながら何やら楽しそうに会話を始めた。
目を閉じる。
元の世界へ戻る方法はないと、そう禁呪王は言っていた。
だけどかまわない、と俺は思った。
この世界に来たおかげで、知らなかった感情をたくさん知ることができた。
たくさんの大切なものを発見することができた。
そのおかげで少しだけ変わることができた気がするし、これからも、もっと変われるような気がする。
全身を柔らかく包み込む優しい風を感じながら、願う。
だからこの世界で生きていきたい。
大切な人たちと、歩いていきたい。
聖樹の国の禁呪使い、サガラ・クロヒコとして。
この風の、吹く世界で。
長かった第一部におつき合いくださりありがとうございました。
『聖樹の国の禁呪使い』第一部は、これにて完結となります。
た、楽しんでいただけましたでしょうか……?
ほぼプロット通りに締めることができましたが、プロットに沿って書き進めていてもやはり細かい部分は変わってくるものですね(汗
いざ書き出してみるとなかなか思うように書けない箇所もあったりして……。
それでもどうにか第一部を完結まで書き終えることができたのも、応援してくださった皆さまのおかげでございます。ありがとうございます。
この作品の今後の予定としましては、そのうち活動報告の方にも載せていた「小説家になろう版」特典SSを掲載した後、『聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!』というアフターストーリーのようなものを掲載しようかと考えております。中には前々から書きたかったエピソードも入っているので、しばらくはこちらをまったりと楽しみながら進めていけたらな、と。
第二部やその他のことにつきましては、またそのうち活動報告の方に書きたいと思います。
何はともあれ(連載期間的にも)とても長かった『聖樹の国の禁呪使い』第一部、書き終えた今は、最後までおつき合いくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいでございます。
ありがとうございました!




