第114話「目覚めて」
闇から光へ。
目を開く。
見覚えがある天井。
ここは……学園の医療室、か。
禁呪を解き意識を失った後、ここへ運ばれたのだろう。
腹のあたりに重みがある。
まだ禁呪の影響が残っているようだ。
それも仕方あるまい。
四凶災との連戦による負荷で動かなくなった身体を、ノイズの薬で強引に動くようにし、そこにさらなる禁呪使用を重ねたのだ。
問題は俺がどれくらいの時間、眠っていたかだが――
「ん?」
なんだ?
腹のあたりが、重いだけではなく、なんだか温かい気がする。
人肌に近い温もり、というか。
…………。
嫌な予感。
ぺろっ、と掛布団を捲ってみる。
こ、これは――
「に、二〇〇〇年代……」
布団に潜り込んでいたシャナさんが身体に密着し、すぅすぅと寝息を立てていた。
腹の重みは禁呪の負荷ではなく、シャナさんの体重によるものだったようだ。
なんでここで寝てるんだ?
しかも、けっこうな薄着で。
押しつけられた状態で変形している褐色の胸から懸命に意識を逃がしつつ、身体をゆすり、声をかける。
「何をやってるんですか、シャナさんっ! 起きてくださいっ」
「……む?」
薄目を開けたシャナさんが、ぱちっ、と目を開く。
「お――おぉ!? 目覚めたか、クロヒコ!」
「ま、前っ! 前っ! 服としての役割サボりすぎだろってくらいに、は、はだけてますから! ていうかなんなんですか!? その下着の上にワイシャツ一枚的な、特定の層を的確に狙い打ちしたような恰好は!?」
「扇情的じゃろう? この恰好は帝国の最新の書物から学んだのじゃ」
くねんっ、と俺に跨った状態でセクシーポーズをとるシャナさん。
帝国は四凶災にボコボコにされたのが原因で、おかしくなってしまったのだろうか。
「なかなかにそそるであろう?」
ぱちんっ、とウインクが飛んできた。
「しかもじゃ、前は大人びた外見を薬で作り勝負に出たが……よくよく考えてみれば、あのマキナとおぬしが良い仲になっておる時点で、大人びた容姿が必須でないのは明々白々だったのじゃ!」
得意顔のシャナさん。
さっきからチラチラと黒い下着が視界に入ってきて、なんというか、その……目のやり場に、とても困ってしまうのですが。
胸に至っては、シャツ一枚でかろうじて隠れている状態だし……。
「希望の光が見えてきたのじゃ」
「希望の光と一緒に見えてはならないものが見えそうですので、まずは服装をなんとかしていただけませんか」
「いやんっ」
芝居がかった仕草で前を隠すシャナさん。
が、表情が媚びすぎであった。
露骨すぎて逆効果であった。
俺はむしろ冷静になった。
「ふぅ……衣服を整えるまでシャナさんの質問には何一つ答えませんから。それに、今に至るまでの経緯とか現在の状況も、知りたいですし」
「つれないのぅ」
シャナさんからからかう気配が消える。
「ま、戯れはこのくらいにしておくとするかの」
「俺、どれくらい眠っていました?」
「聞いて驚くなよ? おぬしはあれから。一週間も眠っておったのじゃ」
「一週間、ですか」
前のボタンを嵌めながらシャナさんが苦笑する。
「マキナの侍女なぞ、このところまともに仕事に手がつかんようじゃぞ?」
シャナさんに背を向け、俺はベッドの上で胡坐をかく。
「衣服を整え終えたら、俺が眠っていたこの一週間のことについて、教えてください」
「その前に、まずはおぬしが目覚めたことをマキナに報告せねばなるまい。あれもあれで、仕事こそきっちりやってこそいるようじゃが、心ここにあらずといった感じじゃしな。それにまあ、マキナに報告が行けば、やつの侍女やキュリエ・ヴェルステイン、セシリー・アークライトあたりにもすぐに伝わるじゃろ」
衣擦れの音を聞いている最中、ふとあることが気になった。
「ところでシャナさんは、なぜ俺の布団の中にいたんですか?」
「いやの? おぬしが寝ている隙に、ちょいと子種でも採取できんかなーと思ったのじゃが……このところ睡眠不足だったせいか、つい、ウトウトしてしまってのー……失敗、失敗じゃっ」
てへっ、とうっかりポーズで舌を出すシャナさん。
「はぁ、そうですか………、――ん?」
何?
なんだって?
寝ている隙に……何?
「よし、着替え終わったわい! ほれ、もうこっちを向いてよいぞ! どうじゃ、これで文句あるまい?」
シャナさんと向かい合う。
ちゃんと軍服ミニドレスみたいな格好に戻っていた。
「…………」
うん、そうだな。
さっきのは、聞かなかったことにしよう。
……シャナトリス・トゥーエルフ、要注意だな。
*
ほどなくして。
医療室の主であるリーザさんがやって来た。
「おー、目覚めたかね? この医療室に妙な縁がある、禁呪使い殿」
「リーザさん」
「聖遺跡で死んだ連中みたいに何年も眠り続けるわけじゃなくてほっとしたよ。もしそうなるようだったら、学園長が自分の屋敷に引き取って面倒をみるつもりだったようだがね」
机の縁に寄り掛かったリーザさんが、シャナさんに尋ねた。
「サガラ・クロヒコが目覚めた以外には、特に何も?」
「うむ。訪ねて来る者も、おらんかった」
「そうですか。どうも」
「リーザさんは、どこに行っていたんです?」
「ああ……私が食事に行く間、シャナトリス殿が君の様子を見ていてくれるとのことだったから、昼食をとりに行っていたんだよ。ゆっくりしてきていいと言われたから、久々にのんびり食事ができたかな。シャナトリス殿は学園長と親しい仲みたいだし、君とも顔見知りみたいだから、まあ、任せても問題ないかと思ってね。ええっと、そのクロヒコの表情……何か、まずかったかい?」
「……いえ」
シャナさんがため息をつく。
「眠りこけてしまったせいでろくな成果は得られなかったのじゃがな……ま、採取の方はのんびり機会を狙っていくとするかの。やはり本人の同意なしというのも、少々問題がある気もするし」
少々どころじゃない気もしますが。
「採取?」
リーザさんが目を丸くする。
「血液でも採るつもりだったんですか?」
「うむ、体液という意味では似たようなものじゃ。ところでリーザよ、ルーヴェルアルガンのワシの実験室に来る話、考えてくれたか?」
シャナさんが、ナチュラルに話題を切り替えた。
「あの話ですか……この学園にマキナ・ルノウスフィアがいなければ、即荷物をまとめたのですがね」
「ふふ、マキナのやつは本当に人望があるんじゃのぅ。勧誘の最大の障害となっておるはずなのに、なぜか嬉しくなってしまうわ」
聞けば、リーザさんは俺が思っている以上に優秀な人物のようで。
先日、シャナさんから研究者としてルーヴェルアルガンに来ないかと誘いを受けたという。
さらにつけ加えるならば、シャナさんはクラリスさんも誘ったらしい。
しかしクラリスさんもリーザさん同様、マキナさんの存在を理由に誘いを丁重に断った。
あの広く深い知識量は是非手近に欲しかったんじゃがのー、と、シャナさんは肩を落としていた。
俺はその後、リーザさんから軽い診断みたいなものを受けた。
「うん、特に問題はなさそうだね。これならもう普段の生活に戻って大丈夫だろう」
後遺症めいたものもなさそうだ。
あのケモノに意識を乗っ取られるようなこともなく、どうにか無事に生還……といったところか。
暫し黙り込んだ後、リーザさんがちょっと神妙な面持ちになった。
「その左目は、勲章と思うべきなのだろうね」
少し意外な言葉だった。
これまでは、同情的な言葉ばかりかけられていたからだ。
「同情の言葉はもう聞き飽きているだろうからね……私からは、称賛を送らせてもらうよ」
左目に触れてみる。
今、気づいた。
眼帯――しかも、造りはそれなりにしっかりしたもののようだ。
「おおまかな話はマキナから聞いているよ。キミは左目と引き換えに皆を救った。ひいては、このクリストフィアを救ったのかもしれない」
「そんな、大げさですよ」
「いや、誇っていい。そして、改めて私からも礼を言わせてもらう。クリストフィアを……マキナたちを救ってくれて、ありがとう」
「けどそれも、みんなのおかげで――」
「キミの周囲の連中は優しいやつばかりであえて言わないんだろうが……そうだね、私から言っておこうか」
リーザさんが、鼻を鳴らした。
「謙虚なのもけっこうだが、過度な謙遜は相手の感謝に対して失礼となることもある。行き過ぎると、卑屈に映るからな。受け取るべき率直な感謝は、なんでも謙遜で流さず、時には素直に受け取っておいた方がいい。隅っこでいい……心のどこかに、留めておきたまえ」
「はい、わかりました」
そういえばマキナさんからも以前、似たようなことを言われた気がする。
「すまんね……別に、説教をしたかったわけじゃないんだが」
「いえ、ありがたいですよ。だって、俺のためを思って言ってくれるわけですよね?」
リーザさんが細く長い息を吐き、天井を仰いだ。
「まったく、いかんね。私も最近は睡眠不足で、少し疲れているようだ」
リーザさんは二回、掌の底でこめかみを叩いた。
「たまに表向き用の顔を忘れて、そうじゃない方の自分が出てしまう。できれば説教臭いのは抑えて、陽気な年上の女でいたいものなんだがね……」
*
「では、私は学園長にキミが目覚めたことを報告してくる。ですのでもう少しだけクロヒコの面倒を頼めますかね、シャナトリス殿?」
「うむ、任せておけ。その間に、今度はしっかり同意を取って――」
セシリーさんのあの感じを意識しながら、俺はにっこりとシャナさんに笑いかけた。
「俺の鎖の禁呪……見たことありますよね?」
「うっ……や、やはり寝ている時が最後の好機じゃったか……」
ちなみにシャナさんがルーヴェルアルガンに戻らずこの一週間ルノウスレッドに滞在していたのは、四凶災の死体を調べるためだったらしい。
リーザさんが緩く腕組みをし、微笑する。
「しかしキミ、出会った頃と比べると大分印象が変わったね。無理がなくなっただけじゃなくて……ほんと、色んな意味で変わった気がする。人ってのは、変われば変わるもんだな」
部屋を出て行く前にリーザさんが、冗談っぽく、こう言い残した。
「学園長には見る目があった、というわけだ。私ももっと早い段階から、積極的に唾をつけておくべきだったかな」
*
リーザさんが部屋を出て行った後、意識を失っていたこの一週間のことを俺はシャナさんから少し教えてもらった。
四凶災の一人の消息が未だ掴めておらず、聖樹騎士団が三日かけて王都中を捜索するも、結局、発見には至らなかった。
現在、その四凶災はすでに王都から逃げ出したのではないか、と目されているらしい。
その四凶災の切り落とされた片腕が見つかったことも、逃亡説を後押しする材料となったようである。
とはいえ、今も警戒自体は解かれていない。
建物や一般王都民への被害は想像していたよりも少なかったようだ。
四凶災の目的は建造物の破壊ではなかったし、ノイズが召喚した大量のゴーレムも、目的が避難地区の王都民の殺害だったから、石畳の街路をひたすら真っ直ぐに進んでいた。
主立った被害と言えば、四凶災に破壊された大時計塔くらいであろうか。
いくつかの建物や石畳には補修が必要なものの、頭を抱えるほどの被害がなかったことは、クリストフィアにとって幸いだったといえる。
ただ、人的被害……主に聖樹騎士団の損害は相当なものとなった。
一般王都民は現在元の生活へ戻りつつあるが、聖樹騎士団の方は、危機が去っても元通りというわけにいかなかった。
四凶災との戦闘でかなりの数の聖樹士が殺され、聖樹八剣も八人のうち五人が死亡。
聖樹騎士団は現在、引退した聖樹士の一時的な呼び戻しなども視野に入れつつ、騎士団を立て直す方策を練っているという。
騎士団による聖遺跡の攻略もしばらく行われないであろう、とのことだ。
そのくらいの情報を俺が得た頃、医療室のドアが開いた。
少し息を切らした感じのマキナさんが、立っていた。
彼女の背後にはリーザさんもいる。
「マキナさん」
「あなたが、目覚めたと聞いて」
「この通り、元気いっぱいです。リーザさんからも、お墨つきをもらいました」
「よかったわ、本当に」
安堵の息をつき、マキナさんが懐中時計を見る。
「そうね、ここではなんだし……学園長室まで来てもらっていい? 色々と、話しておきたいことがあって……あなたの都合が悪ければ、もう少し後でもいいけれど」
「いえ、俺は大丈夫――」
ぐぅ、と。
腹の虫が鳴った。
「ああ、もしお腹が空いているなら、手をつけていない私の軽食が学園長室にあるから……」
恥ずかしくなって面を伏せ、小声で言う。
「……じゃあそれ、いただきます」
それから、俺はマキナさんと医療室を出た。
シャナさんとリーザさんは医療室に残るそうである。
ノイズの薬について、もう少し意見交換をするとのことだった。
瓶の底に少量ながら薬が残っていて、シャナさんが少し調べてみたのだそうだ。
それにしてもあの二人、なんだかすっかり意気投合している感じだったな……。
「あれ?」
「え?」
医療室から出て少し歩いたところで俺たちは、医療室を目指していたらしい二人組と出くわした。
「クロ、ヒコが……起き、てる?」
赤髪の子の目が見開かれていき、
「うえぇ〜ん! よかったよぅ〜! クロヒコぉ〜っ!」
駆け寄って来てそのまま俺の胸に飛び込んできたのは、
「アイラさんも……無事でよかったです」
身体が密着しすぎない程度にアイラさんを抱きとめる。
「聞いたよ、クロヒコっ!? すごく活躍したけど、すっごく、大変だったんだよね……っ!?」
目端には涙が溜まっていた。
嬉しさと痛切さの混在した表情。
アイラさんは目に涙を滲ませたまま、俺の左目に視線を留めた。
そして何かをぐっと堪えるような表情をしてから、力強く言った。
「アタシ、決めたの」
「決めた?」
うん、と頷くアイラさん。
「今まではアークライト家との関係が理由だったせいか、いまいち聖樹士になって騎士団に入ることに対して前向きじゃなかったの。けどね? 今回の四凶災のことがあって……もっと言うと、キュリエと四凶災が戦ってる時、なんの力にもなれなかったのが、すごく歯がゆくて……ううん、違う、それだけじゃない。アタシ、誰かを守るために戦う人のことが好きなんだって、そう、自覚した……だからもっと努力して、必ず聖樹騎士団に入ってみせるんだ。そして、もっともっと、努力して、この国の人たちを守れる人間に、なってみせる。アタシ――」
アイラさんが俺の右手を、両手で取った。
ぎゅっ、と彼女が俺の手を握り込む。
「大切な人たちを守れるくらい、強い聖樹士になる……っ!」
固い決意が伝わってくる。
優しいだけじゃない。
アイラさんは強い。
今回のことで随分と怖い経験をしたはずだ。
それでも彼女は聖樹士になり、国を守る決意をした。
「ええ」
セシリーさんもそうだけど、本当に強い子たちだよな、と思う。
「アイラさんなら、きっとなれますよ」
「うん! アタシ、クロヒコのことも、聖樹士のことも、どっちも頑張るよ!」
「ん? 俺のこと?」
「あはは、出た出た。いつものやつ」
カラカラ笑いながら言ったのは、レイ先輩だった。
王都を離れていた二年生と三年生も、すでに戻ってきているようだ。
「ボクらが王都にいない間、大変だったみたいだね。お疲れさま……なんて、軽々しく言っていいのかは、わからないけど」
和らいだ表情でアイラさんを見つめてから、レイ先輩が言った。
「守ってくれてありがとうね、クロヒコ」
「俺の力は、そのためにありますから」
「ふふ、そっか。頼もしいなぁ」
「ええ、頼りにしてください」
「じゃあ」
レイ先輩が近寄ってきて、腕を絡めてきた。
「これからはおねーさんのことも、頼りにしてね?」
「あ、あの、レイ先輩……?」
「ちょ、ちょっとレイ! くっつきすぎ!」
アイラさんが逆の方の腕に絡みついてきた。
「な、なんでアイラさんまでひっついてくるんですか!?」
「両手に華で、羨ましいことね」
はっ!
そういえばここには、マキナさんもいたのだった。
「す、すみません、マキナさん!」
「いえ、別に謝らなくてもいいけれど……ただ、時と場所と場合くらいは弁えて欲しいかなー、とか、ね?」
「アイラさん、レイ先輩、俺、これから学園長室に用がありまして」
「あ、ごめんごめん。じゃあアイラ、ボクらはそろそろ行こうか?」
「うん、そうだね……ごめんなさいでした、学園長」
姿勢正しく頭を下げるアイラさんに、微笑みで返すマキナさん。
「いいのよ。クロヒコが目覚めて嬉しい気持ちは、私もわかるから」
レイ先輩が廊下の奥を見る。
「ボクらはしばらく食堂にいるから、もし用事が早く終わって暇があったら、顔を出してくれると嬉しいかな」
「わかりました。用事が早く終わったら、食堂に行きます」
「じゃあまた後でね、クロヒコ!」
そうして手を振るアイラさんたちと別れ、俺たちは再び学園長室へと足を向けた。




