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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
145/284

幕間29「壊神 VS」【ヒビガミ】


 王都の夜空はついに再び、闇を取り戻した。


 クリスタル灯が本来の役割を果たすべく、煌々と急災に見舞われた王都の石畳を照らし出している。


「――おれに、何か用か?」


 ヒビガミはひたと、その場で立ち止まった。

 少し前から何者かにつけられていた。

 すぐさま王都を離れてもよかったのだが、その尾行者に些か興味を惹かれ、ここまで『連れてきて』しまった。

 ヒビガミは王都でも比較的ひと気のない一角にいた。

 奇しくもそこは、セシリー・アークライトに傷を負わされた男を切った場所でもあった。

 暗がりから、ゆらりと、人影が姿を現した。

 クリスタル灯の光に照らされたことで、その人物の全貌が鮮明となる。


「風貌と装いは、例の殺人事件の犯人と一致しているようだが」


 ヒビガミは双眸を細めた。


「その装束、聖樹士だな? だが、その漆黒の色は……そうか、己――」


 長身に隻腕。

 口髭と、顎鬚。


「その口ぶり……おれのことを、知っているようだが」

「カカカ、何を言う。このミドズベリアで多少なりとも武に関わる者ならば、まず己の名を知らぬ者などおるまい。『黒の聖樹士』――ソギュート・シグムソス」


 夜風に黒き髪を揺らし、ソギュートは長い袖をはためかせていた。

 何かを、推し量る目。


「この王都を襲った四凶災はすべて倒されたらしいのだが、一人死体が見当たらなくてな」

「そいつはおそらく、おれが相手をした四凶災だろう」


 ソギュートの眉間に微かな皺が寄った。


「貴様が、相手を?」

「片腕を切り落としはしたが、とどめは刺さなかったからな。どっちに化けるかはわからねぇが、野に放ってみるのも面白いと思って、見逃した。伸び代を活かし化けるに越したことはねぇが、あっさり死ぬのなら、それもまたやつの運命だろう」

「数も大幅に減った王都の聖樹騎士団は人手が足りないながらも、現在その四凶災を探すため、王都近辺を捜索中でな。そこで何やら異様な威圧感を覚え、足を運んでみたところ……貴様に辿り着いた、というわけだ」

「カカカ、そいつはおれも同じだ。期待できる何かが近づいてきている感覚があったてな。ゆえに――ここへ引き込んだ」

「貴様が今何を目的として王都にいるのかについて尋ねるつもりはない。だが、貴様はこの王都では捕獲の対象となっていてな」


 ソギュートが腰の剣を片腕で鞘走らせ、抜き放つ。


「悪いが、見て見ぬふりというわけにもいかん」

「ほぅ? それが噂に聞く、レーヴァテインか」


 愛刀『無殺』を抜くと、ヒビガミは腰を落とし、刃を後ろへ流した。


「大陸に名を轟かせる『黒の聖樹士』。本物か偽物か試すものも、一興か」


 剣気に満ちた眼光が交差した瞬間、


 ソギュートの方から、仕掛けてきた。


 まずは様子見と言わんばかりの、速度の乗った突き。

 ヒビガミは下段からの振り上げでそれを弾いた。

 弾かれ上に振れた剣を即座に逆手に持ち替えると、ソギュートは、刃を突き下ろしてきた。

 速い。

 ヒビガミが回避すると、次にソギュートは斬撃を散らしてくる。

 しかしそれは、致命傷を狙っての一撃ではなかった。

 あくまで、ひとかすりだけでも刃傷をつけようとするための攻撃だ。


「そうか、レーヴァテインの黒き炎は傷をつけた相手に対し発動するものということか。なるほど、ならば浅い傷でも問題なしと……だが、しかし――」


 ヒビガミの手甲に極小の傷が走った。

 されど、発火は起こらなかった。

 ソギュートは身を後方へ引き、剣を構え直す。


「そうか、貴様」

「その炎、おそらくは切りつけた相手の魔素に感応して発現する力であろう? ならば残念だったな。おれは魔素を取り込む器官の備わっていない人間。ゆえにその剣の炎は、おれを喰らうことができん」


 ソギュートが足元を確かめるように、カツッ、と石畳を踏んだ。

 刹那、ソギュートが一足でヒビガミの方へ飛び込んできた。

 鋭い円弧が、夜闇に走った。

 風と闇を切り裂いた聖魔剣の刃は、しかし、ヒビガミの肉を抉ることはできなかった。


 ヒビガミは、くつくつと、含み笑いを漏した。


「ソギュート・シグムソスよ」

「…………」

「かつて、おれは敵として期待できる相手として己の名を挙げつつも、いまいちピンとこない……そう、評したが――」


 凶眼を煌めかせたヒビガミは大口を開き、ソギュートに笑みを飛ばした。


「伝聞ってのは、まるであてにならねぇもんだな。まさか、ソギュート・シグムソスが――」


 ソギュートの眉間から頬にかけて、一筋の汗が伝う。



「これほどの、使い手だったとは」



 ヒビガミは刀を握り直すと、打ち震えるほどの歓喜を必死に抑え込んだ。


「その剣、およそまともな鍛え方で作り上げた剣とは思えねぇ。その剣が騎士様の清廉な精神から生まれたとは、到底思えん……大方、怨恨や復讐といったあたりか? ……いや、根っこの動機なんざどうでもいい。重要なのは、よくぞそこまでの使い手になりおおせた、ということだ」


 ソギュートが半歩、下がった。

 わかっているな、とヒビガミは嬉しく思った。

 この距離でもヒビガミの斬撃が届くと、もう見極めたのだ。


 ――戦闘の才も、ずば抜けているときたか。


「己の身はすでに、剣身一体と呼んでよかろう。すべての身体の部位がその隻腕の剣を活かすために駆動している。隻腕であることを、むしろ強みに変え切った唯一無二の剣技……このおれにも、そいつは真似できねぇ」

「ヒビガミ、と言ったか?」

「カカ、すまねぇな。そういや、まだ名乗ってなかったな」

「第6院の者と聞いているが……第6院の者たちは皆、貴様やキュリエ・ヴェルステインのような怪物ばかりなのか?」

「キュリエか」


 ヒビガミは、ぐぐっ、と腕に力を込めた。

 みしっ、と腕が軋み音を発する。


「伸び代という意味じゃあ、6院の連中に軍配が上がるだろうが……現時点における己の実力は、キュリエ・ヴェルステインをすらも、上回っている……!」

「キュリエ・ヴェルステインはまだ若い。伸びるのは、これからだろう」

「だろうな!」


 ヒビガミは剛腕を振るい、刀でソギュートに切りつけた。

 ソギュートは受けた剣で巧みに力を逃がそうとしたが、ヒビガミの刀は蛇のごとく絡みつき、力を逃がすのを阻止した。

 せめぎ合う、刀と聖魔剣。


「しっかりおれの剣についてくるじゃねぇか、ソギュート・シグムソス! しかも、己はまだ伸び代も残っている……惜しむらくは、聖樹騎士団の団長としての責務に追われ、おそらく力を伸ばすことに一番の成長期を使えなかった、といったところか」

「その力……貴様、一体何者だ?」


 ソギュートの剣を打ち払うと、ヒビガミは一度、距離を取った。


「――孤独」


 ソギュートの瞳が理解の色を灯す。


「……なるほど。強すぎるゆえの孤独者、というわけか。わかってきたぞ。貴様が以前、サガラ・クロヒコを見逃したのは――」

「その通り。『あれ』の壊れ方と伸び代は、おれの将来の宿敵として、ふさわしい」


 ソギュートは手首を返すと、逆袈裟に切り上げてきた。

 身体を反らしたヒビガミの和装が一部、切り裂かれる。

 構わずヒビガミは反攻へ転じようとした。

 しかしソギュートは機先を制し、返す刀で斬撃を繰り出してきた。

 ソギュート・シグムソスという男、攻撃と攻撃の継ぎ目がないとすら思えるほど、攻撃と攻撃の間に無駄な動作がまったくない。

 続く水平切りをヒビガミは刀身で受けつつ、横っ跳びで距離を置いた。

 ヒビガミの動きを先読みしていたらしいソギュートが縦の構えから、一閃。

 刃が十字に、接触。

 ガキィンッ、と、重々しい金属音が響いた。


「なぜ貴様はそのような、殺傷能力を削いだ刀を使っている?」


 ソギュートが問うた。


「成長を促したい相手に使うための刀、というのもある。ただ――これはよくよく考えると他人に話すのは初めてだが――耐えられる武器がねぇのさ。この『無殺』以外ではおれの全力に耐えきれず、壊れちまうってわけだ」

「ふん、戦闘狂には酷な話だな」

「わかるか」

「理解ではできる。が、共感はできん」

「それでいい」


 ヒビガミは弾いた勢いで再び距離を置くと、それから腰を落とし、刀を担ぐようにして構えた。

 顔面に血液が巡り、広がっていく感覚。

 再度飛び込む機を測っているソギュートが、眉間に皺を寄せた。


「顔に……黒い、脈? 目の色も、紅く」

「この領域でやれる相手と出会えたことを――感謝するぞ!」


 遠間から一瞬で、ヒビガミは距離を詰めた。


「――っ! この、速度……っ!?」


 言いながらも、ソギュートは、この速度にもしっかり反応してみせる。

 二つの刃が、互いを削り合う。

 この速度で繰り出されたヒビガミの斬撃に反応した者は、第6院の者以外だといつ以来だろうか。

 いたとしても、記憶を懸命に手繰り寄せねばならぬほどには、遠い記憶。


 ぎりぎりと、力の比べ合いが続く。

 もし、ソギュートがこのヒビガミの膂力によって繰り出される刀撃の力を逃がそうとすれば、おそらくはそのまま切り込まれるであろう。

 ソギュートの逃げ場はない。


 かに、思われた。


 途端、がくんっ、と。

 まるで読めぬ機で、ヒビガミは力を流された。


「この技、己――」


 にぃ、と、ヒビガミが喜悦に笑んだ。


「カカカ、まさか東国の剣術を会得しているとはな……しかも隻腕と両刃剣で使用するために、己なりの改良を加えたか。今のは陣心流の、『落石流し』だな?」


 ソギュートの構えが上段に変わっている。


「貴様の知らぬ技があれば、いいがな――」


 柳の枝がしなるがごとく、ソギュートが、ゆらりと動いた。

 軌道が読めていても避けることの難しい速度と、機。

 勘か、技術か。

 なんにせよ、感嘆すべき戦才。

 上段からの重い一撃を、ソギュートが振り落としてきた。

 がんっ、とヒビガミはその一撃を刀腹で受けた。

 二撃目。

 二撃目が、来ない。


 とんっ、と。


 圧倒的な、速度の落差。

 それは肩透かしとも呼ぶべき、稚児をあやすような甘撃であった。

 殺傷能力も糞もない、赤子の肌に優しく触れるような一撃が『無殺』の腹を、撫でた。

 戦気を優しく霧散させるかのような、そんな、一撃。


 ――この、技は……。


 間断なく――打って変わって、激震の、三撃目。

 そのまま受ければヒビガミの頭蓋を砕かんばかりの、豪撃。

 しかし、ヒビガミはその一撃を打ち払う。


「今のは……理弦一刀流の『重ね紙墜』だな? 紙片を刃で切らずに墜とす修行の合間に、編み出されたという……実際に受けたのは初めてだが、なるほど、人の先読みの性質を利用した技とは、こういうものか」


 ヒビガミの言葉に応えず、ソギュートは剣を低く構えた。

 ソギュートが、地を蹴る。


 円描く斬撃の華、五閃。


 首、右手首、左手首、左足首、右足首――


 ほぼ同時と錯覚するほどの速度で、円弧の剣閃が、駆け抜ける。

 されどヒビガミはこれも、捌き切る。

 この技にも、覚えがある。


「……逢魔流暗殺秘剣、『首狩一座』」


 剣身を上げ、刺突の構えに移行するソギュート。


「恐れ入ったぜ、ソギュート・シグムソス。その技は、おれも知っているが……やれるのか、それを?」

「捌き切れるか、これを?」


 疾ッ、と。

 突貫するソギュートが放ったのは、鋭い突きの嵐。

 すべての突きの速度が、微妙に違っている。


 かつて時雨と呼ばれた東国の女刀士がいた。

 彼女が開いた刃蝉流は数々の名刀士を生み出したが、その奥義だけは、たった数人にしか伝授されなかったと言われている。


 乱れ狂った横殴りの雨がごとき無数の突きをヒビガミは、すべて、切り捌いていく。


 剣の雨が、やんだ。


「刃蝉流奥義――『乱刃、紅時雨』」


 ふぅ、と息をつくヒビガミ。

 頬の肉が薄く裂け、血が伝うのがわかった。

 さしものソギュートもあの技を使用したゆえか、呼吸に乱れが出ている。


「物知りだな、貴様」

「カカ」


 ヒビガミは構えを解き、天を仰いだ。


「カカ、カカカカッ、カカカカカカカカカカカカ……ッ!」


 ヒビガミの哄笑が、やんだ。


「終わりだ」

「何?」

「ここまでだ、ソギュート・シグムソス」

「……どういうことだ?」

「フフ……次はできれば、行軍やらで疲れのない状態の己とやってみたいもんだ」


 ヒビガミは、刀を納めた。

 顔面、腕や脚から、波が引いていくような感覚。


「ソギュートよ、己に一つ、頼みがある」

「頼みだと?」

「サガラ・クロヒコを、鍛えろ。キュリエ・ヴェルステインと共に」

「あの禁呪使いを、おれが?」

「そうだ。あいつには、禁呪の他にも剣の方でまだまだ伸びてもらう必要がある。己ならば、文句なしの適材だ」

「あえて言わせてもらうなら……おれが貴様の頼みを呑む道理は、ないはずだが?」

「サガラはどの道、いずれ己へ辿り着くさ。この王都にいる限り、聖遺跡の深い場所にいる魔物以外で力を磨くとするなら、最後は、誰もが己に行き着くだろうぜ」

「……情けない話しだが、剣を交えてみてわかったが、おれでは貴様を倒すことができそうにない。ならば、貴様が可能性を感じているサガラ・クロヒコに聖樹士として、倒してもらうべきだと?」

「そのあたりはどう解釈してもらってもけっこう。ただ、いつか己との決着をつけるとしても、その前にサガラには、是非とも己を『喰って』もらわねばならん」

「『喰う』?」

「ゆえに、ここで己を殺すわけにはいかねぇ。死合いはお預けだ。とはいえ、おかげで見事に火照りの方が鎮まりやがった。いつまで我慢が利くか、微妙なところだったが……まさか、王都にいるうちに鎮められるとはな」


 ソギュートもようやく、剣を鞘に納める。


「ここは見逃してもらえて幸運と、そう受け取るべきなのだろうな……何より、貴様はまだ全力を出しきっていない……だな?」


 ヒビガミは笑みを以って、それを回答とした。


「しかし、ソギュート・シグムソスよ? 己はおれが今まで出会ってきた人間の中じゃあ、二番目に強ぇ男といってよさそうだ。正直、己がこれほどの使い手だったとはまったくの予想外だった。まあ、といってもロキアやヴァラガのような、決して力の底を見せんような連中は除外してあるがな……にしても、伝聞が信用ならねぇとすると、ルーヴェルアルガンの『鎧戦鬼』や帝国の『武神』あたりともやはり、直接仕合ってみるべきかもな」

「……今、二番目と言ったな。興味本位で、一番の者の名を聞いても?」

「カカ……一番の男は、言っちまえば、精確な強さはわからんのだがな。あるいはレーヴァテインの力を加算できるなら、己なら勝てる可能性があったかもしれん。いや、しかしわからんな……あの男の強さはどうも、このおれにも測りかねる」

「どうにも曖昧な言い方だな。その男、まだ生きている者なのか?」

「いや、死んでいる」

「……そうか」

「名は、確か――」


 ヒビガミは刀の柄頭に、掌を置いた。


「ベシュガム・アングレン」


 そう言ってから踵を返すと、ヒビガミは、暗闇の中へと歩き出した。

 ソギュートが追ってくる気配はない。

 ここで追ってくる意味も価値もないのことを、よく理解しているようだ。

 好ましい男だ、とヒビガミは思った。

 サガラ・クロヒコがもし自分を倒してくれなかった時は是非、次の相手として選びたい男だ。


「それにしても、サガラのやつめ」


 静まり返った王都の裏路地を歩きながらヒビガミは、空を見上げた。


「四凶災に、あのノイズまでをも倒すとはな。しかし――」


 白む兆しを見せるまだ暗い空を仰ぎながら、ヒビガミは、誰にともなく呟いた。


「サガラが倒したあの男……やはり一度、死合ってみたかったものだ」


 こうしてヒビガミは夜が明けきる前に、王都から姿を消した。


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