第14話「国を持たぬ者たち」
「な、何かご用でしょうか?」
ミアさんが不安げに大男を見やる。
「あんた、なかなか可愛いじゃねぇか。それに――」
大男がミアさんの胸元へ粘つくような視線を向けた。
「随分、いいカラダをしていやがる」
ミアさんが咄嗟に自分の胸を両腕で隠す。
「ご、ご用がないのであれば、ご自分の席に、お、お戻りくださいっ」
一度、大男はにやにやと手下たちと顔を合わせた。
「ねえちゃん、今夜はおれたちにつき合えよ? なぁに、酒を注いで回って、ちょびっとサービスしてくれりゃあいいだけだ。簡単だろ?」
にやつき顔で言う大男。
ミアさんは少し怯えたような顔で大男を見上げ、
「申し訳ありませんが……お、お断り、いたします……」
と震え気味の声で返した。
それでも、拒否の意思はしっかりと篭っていた。
「『お断りいたします』だぁ? んー、困ったなぁ……こいつ、自分に拒否権があるとか思ってんのかぁ……このおれが頼んでんのになぁ……おっかしいなぁ……なぁ?」
大男が手下たちに同意を求める。
手下たちは口々に大男が正しいと主張した。
「…………」
俺はテーブルの上に視線を落とす。
どっと身体に嫌な汗が噴き出てきた。
自分は決して度胸のある方ではない。
ましてや相手は体格のいい、あんな強面だ。
でも今は――。
ぎゅっと拳を握り込む。
……よし。
俺は立ち上がった。
そして、
「すみませぇぇええん! お勘定、おねがいしまぁぁああす!」
と店中に聞こえるような大声を出した。
一瞬、店内が静まり返る。
大男と手下連中の視線も俺へと向いた。
……正直『お勘定』で通じるのかどうかはわからなかったが、とにかく今は、大声を出すことに意味がある。
店にいる人間の目を、こっちに集めさえすればいい。
ここが人の多い場所でよかったと思う。
もし店の外に出てから絡まれていたら、効果はかなり不確実だから。
俺はそのまま、ミアさんの方へ手を差し出した。
「そろそろ行きましょうか。約束の時間、近いですし」
「あ――」
ミアさんも意図をすぐに察してくれたようで、
「そ、そうですね! あの、お勘定、お、お願いしまぁす!」
と給仕さんに声をかけた。
が、
「勘定なんざ、おれがツケで払っといてやるよ」
ずいっ、とミアさんと給仕さんの間に大男の腕が割り込んだ。
「わかってんだよ。今のは逃げるための芝居だろ? ったく、小賢しい真似しやがって」
マキナさんの設定した門限――約束の時間が近いってのは、事実ではあるけれど。
…………。
今は、そんなことはどうでもいい。
どうする?
どうやって、ここを切り抜ける?
マキナさんの名前を出してみるか?
まあ、あの学園長の名がどれほどの効力を持つのかは未知数だが……。
下手をすれば、マキナさんに余計な迷惑もかかりかねない。
でも、やらないよりは――
「…………」
違う。
違うだろ。
もっと確実な方法が、あるだろ。
そう。
いざとなったら俺には奥の手がある。
禁呪。
あんなのをここで使用したら大騒ぎになるかもしれない。
最悪、衛兵あたりに捕まるかもしれない。
マキナさんからもできる限り隠すように言われている。
使わないに越したことはない。
でも、ここで使うべきだと思ったら――ミアさんを守るためになら、俺は使う。
ここで禁呪を使うリスクはもちろんある。
けど――
ミアさんを一瞥する。
彼女が傷つくよりは、何十倍もマシだ。
俺は目で大男を捉える。
そして、イメージ。
ターゲッティング……。
そう、マウスのカーソルを、合わせる感じ……。
「《我、禁呪ヲ――」
と、その時だった。
「おい、やめないか」
周囲をぐるりと囲む客の中から、髭を蓄えたおじさんが決然と一歩、前に出た。
「あ? なんだ、てめぇは?」
「ここは酒場だぞ? みんなが楽しく飲み、食事をする場所なんだ」
「んなことたぁ知ってるさ」
「そんな場所で下品な言葉を吐いて、しかも相手はか弱い女の子じゃないか。きみは恥ずかしくないのか。酔っぱらって気が大きくなっているのかもしれんが、少しは場を弁えなさい」
大男は俺たちにくるりと背を向けると、おじさんに向き直った。
そして、ガシガシと短髪を掻いた。
「……ちっ、なんだか興が削がれちまったぜ。おっさん、あんたなかなか度胸があるじゃねぇか。その度胸に免じて、ここは引いてやるよ」
「わかってくれたか。なんだ、ただの荒くれ者かと思ったが、話せば意外と――」
ごっ、という鈍い音がして、おじさんが後ろに倒れ込んだ。
周囲の客が唖然とする。
何が起きたのか。
大男の巨大な拳が、おじさんの顔面を容赦なく殴りつけたのだ。
おじさんは尻餅をついたまま、顔面に恐怖と驚愕を張りつけている。
鼻血が出ているらしく、ぽたぽたと手の隙間から血が滴っていた。
「なわけあるか、ボケが」
ドスのきいた声で、大男が嗜虐的に言い放った。
ミアさんは、口元を手で押さえて青ざめていた。
しかしすぐにはっとなって、おじさんの方へ駆け寄ろうとする。
が、横から出てきた手下に遮られてしまった。
大男がゲラゲラと高笑いした。
「ダッセェ! 最高にダセェよ、おっさん! なんだ? 正義の味方気取りか?」
「き、きみは……こ、こんなことをして……っ」
表情を歪めるおじさんが、怒りと恐怖の混じった声を出す。
「てめぇよ? おれが誰だかわかって、もの言ってんのか?」
「な、何……?」
大男が自分を指差した。
「おれはな……『終末郷』の出身だ」
「なっ……!」
大男が『終末郷』という言葉を出した瞬間、店内の空気が凍りついた。
なんだ?
続けて、大男は言った。
「しかもおれは――『第6院』にいた」
「――!」
大男が『第6院』という単語を口にした瞬間――店内の空気が、がらりとその質を変えた。
もし空気に恐怖という感情が宿るとしたら、こういうことを言うのだろう。
先ほどの『終末郷』という言葉など前座にすぎなかった――そう思わせるほどの、圧倒的な恐怖。
そんな恐怖が、一気に場を支配した。
「ここまで言えば……わかるよなぁ?」
「くっ……」
おじさんはそれっきり、何も言わなくなってしまった。
視線を伏せたおじさんは、まるで大男と目を合わせることを恐れているみたいだった。
その肩が小刻みに震えている。
「つーかよぉ」
大男が再び俺たちの方を向く。
そして、不快さを隠そうともしないその視線は、ミアさんへと注がれた。
「てめぇもよぉ、所詮は国も持たねぇ亜人種のくせに、何を平然と人間サマの『命令』を断ってんだよ? あ?」
「あ――」
ミアさんの青くなった顔から、さらに血の気が引いていく。
ん?
国を持たない?
どういうことだ?
不思議そうにする俺を見てなのか、サディスティックな感情をのぞかせた大男が俺に向かって言った。
「なんだてめぇ? 知らなかったのか? フェリル族……つまり、こいつら亜人種どもはな、国を持ってねぇんだよ。いわゆる放浪の民みてぇなもんさ。だからどの国に行っても、媚びて生きていくしかねぇわけだ。そうだよなぁ!?」
大男の恫喝めいた言葉がミアさんへと浴びせられる。
ぴくりっ、とミアさんの肩が跳ね上がった。
「聞いたところによると、亜人種の多くは帝国じゃ奴隷扱い、なんでもルーヴェルアルガンじゃ、実験動物にされてるっていうじゃねぇか! だから他の国よりはまだ人間に近い扱いをしてくれるルノウスレッドで、媚売って生活してんだろ!? なぁ!?」
ばんっ、と大男がテーブルを叩いた。
びくっ、とミアさんが震える。
「だったら亜人種は亜人種らしく、人間サマに媚を売って、黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ! 人外のメスは人間サマの男に尻尾ふってろや! わかってんのか、このメス犬!?」
もう無理。
限界。
怖さとかはもう、完全に吹き飛んだ。
「おい」
大男の目が、ぎろりと俺を捉える。
「あ? なんか言ったか?」
大男が今した話については、なんとなくわかった。
同時に、目の前にいる男のこともわかった。
クズ。
こいつは、人間のクズだ。
うん。
勉強になったよ。
異世界だろうがクズはいる。
どこにだって、こういうやつはいる。
勉強になった。
前の世界でもこういう連中を何度か目にした。
けど、その時は何もできなかった――というよりは、何かをする気にはなれなかった。
誰かのために怒ることなんて、できなかった。
なぜか?
守りたいと思う人なんて、いなかったからだ。
だからこういうクズが視界に入っても、俺はいつも冷めた目で眺めながら、そのまま通り過ぎていた。
別に自分が絡まれてもいいとも思っていた。
興味がなかったから。
だけど今は――どうしてこんなに、イライラするんだ?
俺はまっすぐ、大男を睨みつける。
そんなの決まってる。
俺を友だちだと言ってくれた人に、ひどいことを言ったからだ。
こいつには一言言ってやらないと気が済まない。
今、ここで。
「クズ野郎」
俺が言うと、大男は新しいおもちゃを見つけた顔をした。
「小僧……今の『クズ野郎』ってのはひょっとして、おれのことか?」
「ああそうだよ、おまえのことだよ――」
もう一度、俺は言ってやる。
「クズ野郎」