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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
139/284

幕間28「歓びと愛の果てへ」【ノイズ・ディース】


 ファルヴェティを振るうたび、心が満たされていくのがわかる。


「いつまで耐えられるかしらねぇ、キュリエぇぇっ――――!?」


 腕で顔を守りながら無言で攻撃に耐えるキュリエ。


 一ベウ(一秒)でも多くこの歓喜に浸っていたい。

 しかし複雑な気分といえば、複雑な気分だった。

 キュリエが仲間の死体を目にして壊れるのを見たいと願う自分と、キュリエが攻撃に耐え切り共に死にたいと願う自分が、同時に存在している。

 ただ、今のノイズは前者の方が勝っていた。


 愛とは根源的な邪悪だと、ノイズは思う。

 私悪を抱く人間という生き物がこの世にはびこるのも、愛ゆえの結果である。

 もし愛という感情さえなければ、これほどノイズはキュリエ・ヴェルステインに固執していなかったかもしれない。


 愛しいからこそ、手に入れたいのだ。

 愛しいからこそ、掌の上で踊らせたいのだ。

 愛しいからこそ、気持ちを向けさせたいのだ。


 愛しいからこそ、壊したい。



 鳥を、壊す。

 愛でていた鳥が籠から出てゆく程度ならば許そう。

 けれど飼い主以外に懐いてはならない。

 心まで許してはならない。

 もし心を許したならば、羽をもぎ取ってしまおう。

 新たな巣は、無慈悲に焼き払ってしまえばいい。

 鳥を、殺す。



 キュリエの肢体にファルヴェティで裂傷とみみず腫れを刻みながらノイズは冷や汗を流す。


 ――なんて、恐ろしいのかしら。


「愛って本当に、恐ろしい感情。だけど――」


 至上の喜びを与えてくれるのもまた、愛なのだ。


 タソガレは言った。


 愛とは破壊だよ、と。


 美しいものほど壊してみたくなるものだ。

 壊れやすい美術品は危うげな場所に置いてあればあるほど、感情を揺さぶられる。

 汚物に塗れた美しい鳥を観賞する際に催す下卑た劣情は、同時に恍惚を与えてくれる。


 そして、壊れやすい美術品は傷が走りひび割れたその瞬間こそが、美しい鳥は穢れゆく己に耐えきれなくなって悲鳴を発するその瞬間こそが――


 無上に美しく、無情に、劇的なのである。


「どう転んでもあなたはあたしの手からは逃れられないのよ、キュリエ……だけど、大丈夫! もしあなたが仲間の骸を目にして壊れたとしても、あなたの今後の人生の脚本はすべて、あたしが書いてあげる!」

「…………っ」

「あははは! 考えてる考えてる考えてるぅぅうううう! 攻撃に耐えながらどうにかしてあたしを殺す策がないかを必死に考えてる! だけど――無駄ぁっ! 残った連中に『白壁雑音』は破れない! 禁呪使いもヒビガミもロキアも封じた! あなたにもうあたしと戦う余力はない! ごめんねぇ、キュぅぅリエぇぇええええ!? 今あたし、あなたが壊れた方の幕が見たくなっちゃってる! 見たい! 見たい見たい見たい! あなたが壊れるその瞬間を、どうしてもこの瞳に……抱きたい!」


 劇的な死への渇望を狂おしいほどの愛が超えた瞬間だった。


 愛とは、破壊。


 一瞬だけ視線を放れば、禁呪使いやヒビガミが何かやっていた。

 でも、知らない。

 今この瞬間に、雑音はいらない。


 首輪型の魔導具に魔素を送る。


 召喚術式。

 対ヒビガミ用、最終兵器。

 ノイズの背後に紫紺の光を放つ召喚術式が出現。

 中型ゴーレム。

 黒い身体に走る紫の発光線。

 禍々しい角が突き出しており、黒い歯の生えそろった口からは、紫に変色した魔素が鱗粉のごとく吐き出されている。

 筋肉組織には獄の人間を合成。

 身体の大きさは四凶災とほぼ同等。

 かつてこの目で見た四凶災に覚えた脅威度を超えるべく、他のゴーレムの質を多少下げてでも注力して生成したゴーレムだ。

 単体での戦闘能力における現行最強のゴーレム。

 いや、対ヒビガミ用というだけではない。

 万が一自分が四凶災と戦うような事態が起きた場合は、対四凶災用としても使う予定でいた。

 ヒビガミが仕掛けてくるならばこいつに相手をさせればいい。

 この劇は誰も止めることはできない。

 させない。

 劇はなんとしても、このまま完遂させる。

 幕を、おろす。


 キュリエを気絶させたらこのゴーレムを仲間の殺戮に使うのも悪くないかもしれない。

 凶暴性は他のゴーレムの比ではない。

 さぞ、無残に殺してくれることだろう。

 ひょっとすると、間違って禁呪使いも殺してしまうかもしれない。


 ――禁呪使い、か。


「あの子の存在だけは何かと、心配だったけど」


 禁呪使い、という単語にキュリエが反応を示した。


「でもキュリエ、あなたちゃんと……理解してる?」

「理、解? 何を、だ?」


 攻撃の手を休めず――どころか、より一層攻撃を苛烈にしながら表情を歪曲させるノイズ。


「あなた、本当は誰でもいいんでしょ?」

「な、ん……だと?」

「あなたの突き放した言葉にも挫けることなく、めげずに優しい言葉をかけ続けてくれる……つまり最終的に自分の領域まで入ってきてくれる相手なら、どんな男でもよかったんでしょ!?」

「違う――」

「所詮あなたの本質はただの尻軽女なのよ、キュリエ!」

「……違うっ!」

「むきになればなるほどそれは認めてるってことよ!? ほらほら、つまり図星なんでしょ!? キュリエ・ヴェルステインの本質は、優しい言葉をかけてくれる相手ならば誰だっていい、獄神オディソグゼアすら呆れ果てるほどの尻軽女! あはははは! 孤独を癒してくれる相手なら、優しさを受け入れてくれる相手なら、あなたは誰でもよかった! ひどい女、ひどい女、ひっどい女!」

「違う……違、う……だって、あいつは……だって、クロヒコは……クロ、ヒコは――」


 あのキュリエが、泣いている。

 はらはらと涙を零している。

 ぞくりっ、とノイズは震えた。

 悦楽。

 愛する者であればあるほど、嗜虐する瞬間は愉悦の極みだ。




 昔、タソガレが言っていた。


『言葉は、使い方と対象次第で容易に人を壊せるんだ』


 タソガレは無表情のまま、空になった硝子杯を持つと、突然、卓の上に叩きつけた。

 杯が砕け、硝子片が飛び散った。


『こんな風に』




 言葉は時に、恐ろしいほどの暴力を孕んだ武器へと化ける。

 心さえ砕く、濁った武器。

 そして強力な武器を手にした者は、それを使いたくなるものだ。

 それが、人のサガなのだ。


「えぇぇええええ!? なぁにが違うっていうのかしらぁ!? あなたはサガラ・クロヒコを求めているわけじゃない! ただ自分を受け入れてくれる人間を求めていただけ! 認めなさいよ、キュぅぅリエぇぇええええっ!?」

「わか、らない……私には、難しいことは、わからない、けど……あいつ以外、いなかった、んだっ……」

「こんなにもあなたを理解しているあたしがいるのに!? えぇ!? 誰!? 誰が、いなかったってぇ!?」


「自分と『同じ種類』の人間だと……そう思える相手は――サガラ・クロヒコ、だけ、だったんだよっ!」


 手から、離れた。


「なぁに、それ?」


 奪われていた。


「気持ち、悪」


 もう完全に、サガラ・クロヒコに奪われた。

 この、極まった嫉妬心――なんと、心地のよいことか。

 より、愛が深まったのを感じる。


「う、うふふ……ふふふ、あははははははは! 味わった! 最上を、味わったわ! これで完全に、心置きなく、あなたを――破壊できる!」


 容赦を捨てたノイズの猛撃。

 ほどなくして、会心の一撃が決まる。

 キュリエの意識が途切れそうなのが、わかった。


「ごめ、ん……みん、な…………ごめ、ん、クロ……ヒ、コ――」

「この愛の重みで、キュリエ・ヴェルステインという存在を押し潰せる! 砕け散れ、我が愛しの『銀乙――」






「――――――――第三禁呪、解放」






 声。

 声が、した。

 今この場で聞こえるはずのない声。

 思わず、攻撃の手が止まった。

 次の、瞬間――



 稲妻めいた音を轟かせ、赤と黒の光線が、通り抜けた。



 赤を纏いしその黒き雷光は白き雑音の壁を貫き、地をえぐり――そして、ノイズの背後にいた黒紫のゴーレムを真っ二つに、断壊。

 迫殺の光はさらに風に靡いたノイズの髪先の一部を、消失させた。

 直撃していたら確実に死んでいた。

 目を見開いたノイズの唇が、ゆっくりと動く。



「禁呪、使い」



 立ち上がって、いた。



「おまえの口から出てくるその雑音――いい加減、耳障りなんだよ」



 喋っている。


「……嘘でしょ」


 四凶災にすら通用すると確信して生成したゴーレムが、一撃。

 堅牢に守られた部分に配置した核も破壊され、再生すら不可能。

 溶解を始める、最強のゴーレム。


 ――馬鹿、な。


 第三禁呪。


 ――なんだ、あの威力は。


 黒紫のゴーレムはのちに盾役としても使用すべく攻撃力を多少犠牲にしていた。

 その分、限界まで防御力を高めたのだ。

 それが、たった一撃。

 あの『白壁雑音』ですら脆い薄氷でも割るみたいに、あっさり切り裂いてみせた。

 背筋を冷たいものが撫でる。


 ――では『アレ』は一体、なんだったのだ?


 背中で、腕で、あの第三禁呪を防いだベシュガム・アングレンという男は一体、『なんだった』のか。


 どころか、あの男は体内で第三禁呪を発動させられ五発も耐えてみせた。

 ベシュガム・アングレン。

 バケモノじみたカイブツ。

 おそらくあれは、この世の存在として壊れていた。

 壊れ化けた、怪物。

 正真正銘の『壊物』だった。


「そしてその『壊物』を倒したのが、こちらもバケモノの……禁呪使い、サガラ、クロヒコ」


 ノイズは素早く思考を切り替え、走らせた。


 ――なぜサガラ・クロヒコが禁呪を詠唱し、しかも動けている?


 施した『沈黙付与』の持続時間はまだ切れていないはず。

 本来ならば、少なくとも一日は声が出せないはずなのだ。

 何をした。

 一体、何を――

 ヒビガミの表情を見て、ノイズは悟った。


「ああ、なるほど……ヒビガミが、何かしたわけね。身体が、動くようになってるのは……」


 己の懐を探るノイズ。

 舌打ち。


「盗みやがったな、あの野郎。そうよね、あなたが邪魔をしなくとも、禁呪ちゃんが邪魔をする分にはあの取り決めは有効だものね……ったく、つくづく、邪魔ガミ。腐り切ってるのは、どっちだっての」


 キュリエを一瞥。

 気を失っている。

 ならば今、キュリエに気を払う必要はない。

 禁呪使いに向き直るノイズ。


「『ノルンゾートガジェット』……『白壁、雑音』」


 眼前に砂嵐にも似た荒い塵が駆け巡る壁が出現。

 趣向を変えた『白壁雑音』だ。

 こちらからは壁の向こうがよく見通せるが、向こうからはノイズの姿は砂嵐に阻まれて見えないはず。


 ――ゴーレムの立ち位置が、幸いした。


 おかげで、あの致命傷となりえる第九禁呪をいきなり使われるような最悪の事態だけは、避けられた。

 けれど、禁呪使いがそれで不利を覚えた気配はない。

 右目と口の端から血を流す禁呪使いが、傍らに置いてあった刀を手に取った。


「――第八禁呪……第二界、解放」


 黒い粘液状のものが禁呪使いの左腕にまとわりつき、彼の左腕が禍々しい黒き腕へと変化した。

 禁呪使いが第三禁呪によって切り裂かれた雑音壁の隙間に手を入れ、壁の端を掴む。

 ビキッ、と壁に亀裂が走った。

 壁が、砕け散る。

 侵入者が二人の『世界』に、足を踏み入れた。


「――『白壁、雑音』」


 禁呪使いの背後に壁を生成。

 これで禁呪使いは『捕えた』。


 ノイズは項垂れ、一つ呆れ果てた深い息をついた。

 それから顔を上げ、両手を広げる。

 おそらく向こうにはノイズの声しか届いていない。

 しかしノイズの姿を認識できないはずの禁呪使いは、真っ直ぐにこちらを睨みつけていた。

 ゆえに、思わずとってしまった行動だった。


「許可なき飛び入り参加とは無粋ね、禁呪使い」

「黙れ、二流劇作家」


 ふふっ、とノイズは微笑む。


「尖った才能を持った一流の劇作家よりも小賢しいだけが能の二流劇作家の方が、意外と長く生き残るものよ?」

「なら、劇作家は今日で引退してもらう。その小賢しいだけが能の筆は、俺が折る」

「ふぅん、なかなかいっぱしの口を利くじゃないの。でもどうするの? これ以上あの第三禁呪を使えば、その右目も失うことになるかもよ?」

「もう今日は、第三は使わない」

「あはは、自己保身。そうよねぇ? いくらイカれてるとはいえ、そこまではできないわよねぇ?」

「もっと、見ていたいから」

「あぁ?」


「大好きなキュリエさんをもっとこの目で、見ていたいから。だから、第三禁呪はあの一発で、打ち止めだ」


「……クッサ。素人劇作家がそれっぽい台詞思いつきでこねても、サムいだけよ?」

「あんたの書いたこの劇の脚本より、よっぽどマシだ」

「んふっ、ヒビガミの言うように、こういう種類の連中ってほんっと代わり映えのしない――」

「俺は!」


 さらに一歩前に出た禁呪使いが決意を孕ませた凶眼を、向けてきた。


「もし大切な人が辛そうだったら、俺は力になりたい。元気になるような励ましの言葉をかけてあげたい。分け合える辛さならわけ合いたい。何か咎があれば許される方法や割り切る方法を探す手伝いをしたい。身体までは、か、重ねないけど……聞いてあげられる愚痴や弱音には、できるだけ耳を傾けたい。自分へ問いかけるべき問いかけもやめない。忘れるべきことは忘れるけど、忘れちゃいけないことは絶対に忘れない。そして仲間も絆も、俺にとっては命より大事なものなんだ。もし辛いことや辛い過去があるなら……一緒に乗り越えていきたい。だから俺は――」


 禁呪使いが刀を抜く。


「たとえ弱くとも、馬鹿にされようとも、自分の信じた道をこの足で、歩いて行く」


 ノイズは冷ややかに禁呪使いを見据えた。


「……なぁに? このいかにも逆転劇ですって感じの、クッサい流れ」


 ノイズは一つ口笛を吹くと、腕を組んで笑みを浮かべた。


「んふっ、とはいえ、ここでこの逆転劇っぽい流れをぶった切って絶望色に染められたら、劇作家としては一流の鬼才に脱皮できると思わない?」


 口笛で呼んだ聖樹騎士団の監視に使っていた使い魔を呼び寄せると、ノイズは自分の胸の前でそれを抱いた。

 次に『装飾光景』を発動。

 使い魔の瞳は、ノイズを見つめている。

 宙に浮かんだ『装飾光景』にノイズの顔が映し出される。


「やっぱりあたしの読み通りこの舞台の最大の雑音はあんただったわねぇ、禁呪ちゃん」

「あんたほどじゃねぇよ、雑音」

「残念だけど……これでもう禁呪ちゃんを助けるっていう約束は消滅よ、キュリエ。悪いけど、彼にはこの世界という舞台から降りてもらうわ――永遠に」


 ノイズはさらに魔素を集めた。


 本当の、

 本当に、


 これで、幕。


 サガラ・クロヒコを殺し、キュリエ・ヴェルステインを完全に破壊する。


 ノイズは顎を上げ、目一杯の憎悪を込めて禁呪使いを睨み据えた。

 禁呪使いが、刀を構える。



「あたしの大事なキュリエを奪ったこの目障りな禁呪使いは、ここであたしが――



「あんたのこの雑音だらけの耳障りな舞台は、ここで俺が――



 互いの声が、重なり合った。





「ぶっ、潰す」





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