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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
138/284

第108話「喉切る叫び、その鼓動」


「ふーん」


 やがて落ち着いたノイズは、冷めた視線をディスプレイへ投げる。


「砦にいたどっかの馬鹿が余計なことを喋ったってとこかしら? そして嫌な予感を覚えた砦奪還部隊は疲れた体に鞭打って慌てて引き返してきた、と」


 手を振って映像を消し、ノイズが蹲るキュリエさんを見下ろす。


「ま、でもいっか。気を払う必要があるのはソギュート・シグムソスくらい。聖樹騎士団がゴーレムを倒してここに来たところで『白壁雑音』は破れない。いえ……今のあたしなら消耗した『黒の聖樹士』くらい、一捻りにできるはず」


 ノイズが靴底でキュリエさんの頭を踏みつけた。


「ぐっ……」

「聖樹騎士団がこのまま避難地区へのゴーレム進行を阻んじゃいそうで残念だったわねぇ、キュリエ?」

「残念? どういう、意味だ?」

「避難地区の王都民が救われてしまったことで、この劇の脚本をもっと悲劇的な内容へ寄せる必要が出てきました」

「な、に?」

「皆殺しです」

「みな、ごろ――」


 何か察したキュリエさんが顔を上げようとした。

 だが、ノイズに踏み戻される。


「ここにいるあなたの仲間、無残に殺してあげる」


 キュリエさんは爛々と目を光らせ、頭を踏みつけられながらノイズを睨みつけた。


「ノイズ、貴様ぁっ……!」


 飛びかかろうとしたキュリエさんの手が、空を切る。

 顎へノイズに膝頭を打ち込まれるキュリエさん。


「がっ、ぁっ……っ!」


 ノイズはのけ反ったキュリエさんの髪を掴み、互いの顔を突き合わせた。


「んふ、だけど禁呪ちゃんだけは特別に助けてあげる。あたしって優しいでしょ? 慈悲、あるでしょ? ま、禁呪ちゃんを殺そうとすればヒビガミが動いちゃうからなんだけどね?」

「きさ、ま……っ」

「学園長とあの褐色眼帯幼女、それとぉ、やっぱりセシリー・アークライトあたりは役どころ的に死んでもらわないとね。このあたりはしっかり死んでもらわないと、劇も盛り上がらない」


 マキナさんとシャナさん、セシリーさんを……殺、す?


「終盤における重要人物の悲劇的な死って、劇的には、すっごく盛り上がるのよねぇ」


 ごつんっ、とノイズがキュリエさんの額に自分の額をぶつけた。


「負傷のせいでゴーレムの対処に行けなかった教官、木偶みたいに遠巻きに突っ立ってるだけの候補生。あとは、そうねぇ……ロキアの仲間あたりも、ついでに殺そっか? そうだ、到着した聖樹騎士団もせっかくだから全滅させちゃおうかしら? ヒビガミは……邪魔、しないわよね?」


 ノイズがヒビガミへ振り向く。


「おれはサガラの周囲の人間に手を出さねぇ約束こそ交わしちゃいるが、守る約束までは、してねぇからな」

「でも、年齢不詳学園長と厄石少女が死んだら、禁呪ちゃん『壊れ』ちゃうかもよ? あんたはそれでもいいの?」

「おれにもどうなるか予想はつかん。ただ、そいつらがサガラの力の源なのは事実。とはいえ、どっちか一人くらいなら案外、イイ薬になるかもしれねぇ」

「あら、意外と酷薄なのね。ちょっと見直したわ」

「ふん……一人や二人程度の死なら、そいつらは乗り越えるだろうさ。どちらかが壊れてもどちらかが直そうとする。青く甘い慰めの言葉を互いにかけ合い、互いに責任の所在を引き受けようとし、互いに罪を認め合おうとし、時には、身体を重ねてまた慰め合い……すでに答えの決まりきっている形式的な自己弁護を飽くことなく貪り、そうこうしているうちに、罪悪感など気づけば忘却の彼方……仲間だ絆だとやかましい連中は、結局のところ慰め合える相手さえいりゃあ、いつだって辛い過去を忘れることができる――ゆえに、やつらは強い」

「あんたそれ、遠回しに馬鹿にしてない?」

「馬鹿言え。おれは本気でそれも真なる強さへ到達する一つの手段だと考えている。ある種の人間は傷を舐め合うことでより強くなる。まあ、このおれには永遠に縁のない『過程』ではあるがな」

「ま、あんたが邪魔に入らないって確証が得られただけで、あたし的には十分。禁呪ちゃんは動けないし、お得意の禁呪も使えない。何よりその『白壁雑音』を破れるのはこの場ではヒビガミくらいでしょうし。『白壁雑音』はキュリエの術式魔装の光刃をもってしても、おそらくは――切り裂けない!」


 掛け声と共にノイズがキュリエさんを地面に叩きつけ、腹に蹴りを入れた。

 がふっ、と吐血するキュリエさん。


「そんなわけであなたの大切な仲間は助かりません。詰みました。んふっ、残念だったわねぇ?」

「よ、せっ……おまえの目的は、私、だろ……? 他の連中は、関係、ない……っ」

「ううん? あなたと関係があったらそれはもう関係者なのよ? なら、関係してしまったあなたが悪いわ。あ〜あ、禁呪ちゃんの誘いなんかにのらず、セシリーとも仲良くならず、せいぜいロキアとつるむ程度にしておけばこんなことにはならなかったのに……あなたの自己責任よ、キュリエ。自業、自得」

「……頼む、ノイズ……あいつら、だけ、は……っ!」

「やっぱりあなたは優しいわよね、キュリエ」


 ノイズの目元が優しげに緩んだ。


「知っているのよ? 6院時代、あなたが誰かに『優しくしたがっていた』こと」


 キュリエさんの肩が、びくっ、と反応する。

 ノイズの紅い唇が嗜虐的に吊り上がった。


「あなたは誰かに何かしてあげたかった。誰かの力になりたかった。だけど6院の児らは何も求めていなかった。他者を毛ほども頼りにしていなかった。仲間も友人も、欲していなかった。独立独歩。ただ『第6院』という呪いの鎖で繋がれているから、同じ場所に集っているだけ。あなただけだったわよ? 引っ込み思案丸出しで『何か手伝うことはあるか?』って尋ねようとして、だけど、いつもできなくて……どころか、誰にも気づいてもらえなくて……気づいた連中からは、遠巻きに馬鹿にされて。ほんと見てて心が震えたわ。美しくて、憐れで……その頃から、主役の素質があった」

「…………」

「剣や格闘術を必死に磨いていたのも、誰かに『戦い方を教えてほしい』と頼まれるのを期待していたのよね? だけどついぞそんな者は現れなかった。みんな不思議がってたわよ?『キュリエはなんであんな無意味なことしてるんだ?』って。そうよねぇ? 強さならヒビガミが圧倒的だったし、そもそも、多くの6院の人間は最初からほぼ完成していた。あなたがしていたのは無意味で、無駄で、無為な努力。ああ……いいわ! そういうの、すっごくいい!」

「私、は……」

「やっぱり見る者の涙を誘う孤独がとても似合うわ、あなたって。強がりながら心を痛めて、その心を凍りつかせていく痛々しいサマが、実によく似合う。だから、自信をもって傷ついて? 心を痛めて? 人を拒絶して、もっと孤独になって?」

「わた、しは――」

「タソガレも言っていたわよ? キュリエ・ヴェルステインはこの第6院の中でも、特に目立って――」


 ノイズが、ぐいっ、とキュリエさんの髪を引っ張り、顔を上げさせた。


「浮いてて、異物感があるって」


 ノイズが手を離すと、解放されたキュリエさんは地面に両手をつき、どうにか身体を支えた。

 垂れた前髪に隠れていて、その目元は窺えない。


「知っていたさ……わたしは、どこにいても異物、だと。だけど――」


 彼女の目元から光るものが零れ落ちた。


「だけど……どこかに、いたかった」


 心細そうな、微かに震えた声。


「一度でいいから、私の居場所だと……そう思える場所を、見て、みたかった」


 言葉の最後の方は、声が掠れていた。


「だからあなたはタソガレに問い質したいのよね? なぜ第6院を作り、なぜ、自分だったのかを。自分の唯一かもしれない存在意義を見い出すために……存在意義があったのかどうかを、確かめるために。だけどこの聖樹の国に来たことで、それが揺らいでしまった。サガラ・クロヒコと出会ったことで、自分がいていい場所があるのかもしれない、自分は人に優しくしていいのかもしれないと、あなたは大きな勘違いをし始めた。結果、関係のない人々を、こんなにも苦しめる結果となってしまった。ああ、悲劇! なんてわがままで、ひどい人! あなたのわがままで、みんなが、大迷惑!」


「そんなことない! 何もかも悪いのはあなたでしょう! 元凶はおまえだ! キュリエは、何も悪くない!」


 そう叫んだのは、セシリーさん。

 彼女は今までずっと、叫び出すのをこらえている様子だった。


「黙ってろよ、厄石少女」


 底冷えするような悪罵を、ノイズがセシリーさんに浴びせた。


「あんただってひどい女の代表格の一人でしょぉ? だって、どうやらあんたのせいで王都に四凶災が襲来したって感じらしいじゃない? ね〜ね〜ね〜? あんだけ聖樹騎士団の団員を間接的にぶっ殺しといて、今、どんな気分? わたしはなんにも悪くありません、っていう他人事な気分? あ、そっか。傷ついたふりしてれば、優しい取り巻きが『セシリーは悪くない』って慰めてくれるもんね!? あははは! ひっど! あんたもあたしに負けず劣らず、ひっどい女よねぇ!」

「わ、わたしは――」

「気にすることないわ、セシリー」


 マキナさんが、庇いに入った。


「あなたが責任を感じることなんてまったくない。わたしも自分のせいかと思ったこともあったけど、そもそも、四凶災の行動動機なんて誰にもわからない」

「あら、ほんと! ヒビガミが言った通り慰め合い始めたわ! あはははは! 律儀に演じてくれてありがとね! だけど……しばらく黙っててくれる? この舞台の雑音は、あたしだけでいいから。入って、こないで。『ノルンゾートガジェット』――『白壁、雑音』」


 ノイズがさらに『白壁雑音』を、重ねた。


「ここはあたしたち二人だけの世界。そうでしょ、キュリエ?」


 キュリエさんは面を伏せたまま応えない。

 いや、応えられないのだ。

 今、おそらく彼女は、泣いている。


 …………。

 ヒビガミは、わかっていない。

 キュリエさんが適度に聞き流すことを覚えた、だって?

 違う。

 やっぱり、わかってない。


 隠すのが上手いんだよ、あの人は。


 疲れている時も、辛い時も、いつも巧みに隠してしまう。

 俺たちに心配をかけさせないために。

 人の心配はするくせに、自分への心配はさせないようにする。

 だけど、いつものクールな大人びた感じを見ているとふと忘れそうになるけど、キュリエさんだって、本当は傷つきやすい、一人の女の子なんだ。

 キュリエさんは辛いことがあっても、笑って隠そうとするけど――


 そういう時はいつも、寂しそうに笑う。


 俺が彼女に憧れてるのを、知っているから。

 弱いところを見せまいと、頑張ってくれていたんだ。


 だから、俺は強くならなくちゃならない。


 彼女が自分の弱い部分を見せても大丈夫だと、そう思ってくれるくらいに。


 そして――ノイズは許せない言葉を、吐きすぎた。


 悔しい。


 今はただ、悔しい。

 悔しくてたまらない。

 今、動けないことが。

 今、禁呪を使えないことが。

 ノイズをぶん殴りに、いけないことが。 

 こんなにも、


 こんなにも――


「あ、いいこと思いついちゃった。あたし天才。ねぇ、キュリエ? あなたに、仲間たちを救う最後の機会をあげてもいいわよ?」


 ゆっくりと、キュリエさんが顔を上げる。


「聖樹騎士団がここへ到着するまであたしの攻撃を無抵抗で受けて、気を失わずに耐えることができたら、皆殺しを、やめてあげる」


 セシリーさんが、声を上げた。


「駄目です、キュリエ! 仮にあなたがやり遂げたとしても、その女が約束を守るはずがない!」

「それが、守っちゃうのよねぇ」


 ノイズがファルヴェティを手にする。


「キュリエがもし耐え切ったら――キュリエを殺して、あたしも死ぬ」

「……え?」


 セシリーさんが思わずといった様子で、驚きの声を短く漏らす。


「ふふ、愛しの人と一緒に劇的な心中で閉じる幕……悪くないわ。念願のキュリエの泣き顔も拝めたし、絶望する様も味わったし。あ、勘違いしないでね? あたしは、キュリエが嫌いってわけじゃないのよ? むしろ、好きすぎるのよね」


 ノイズが、ぺっ、と血の塊を地面に吐いた。


「仲間を皆殺しにしてキュリエを『壊す』か、死の瞬間を共にするか――どっちにしろ、とっても劇的。土壇場で脚本を変えるのも、息をし呼吸する、劇の妙ってもんでしょ?」


 ヒビガミが口内でくぐもった笑い声を鳴らす。


「もし耐え切ればキュリエとノイズが死ぬ代わりに、他が助かる。逆に耐えられなければ、他が皆殺しにされ、目を覚ましたキュリエ・ヴェルステインが見るは愛しき者たちの死体の山、か。カカ……どちらに転んでもノイズ・ディースの望んだ終幕、というわけだ」

「安心なさい、ヒビガミ。キュリエの仲間を殺した後で約束の情報はちゃんと全部渡してあげるわ。で、キュリエがしっかり『壊れ』たのを、この目で見届けたら――その時はあんたと、全力で死合ってあげる。死ぬほど、めんどくさいけど」


 ヒビガミは顎を下げ、ふん、と満足げに笑んだ。

 その時、


「いい、だろう」


 キュリエさんが、決然と言った。


「耐えて、みせる……さ」


 ――キュリエ、さん。


 ノイズが肩を竦める。


「ほんと健気よね、あなたって」

「今日ここで私は、おまえと、地の獄界に沈む。沈んでやる。これが……私にできる最後の、戦いだ」


 ファルヴェティを構えるノイズ。

 ノイズは鞭のごとく黒き刃しならせ、超高速で振った。

 破裂的な鋭い音が一つ、鳴る。


「キュリエが耐えてくれたら、あたしたちは今日ここで共に死ねる。劇的に、死ねる。愛する人と劇的に死を、共にできる……だけど、手加減はしないわよ? なぜならば……運命とは、どう転ぶかわからないからこそ、劇的なのだから」

「これがおまえが望んでいた『劇的な死』か、ノイズ」

「ええ、そうよ。そして、本音を言えば、あなたの心がすっかりどこぞの禁呪使いにいってしまった今は、正直……『壊れた』あなたの方が、見たいんだけどねぇ!」


 キュリエさんが一瞬だけ、俺の方を見て微笑んだ。

 すまない、と謝ったのがわかる、そんな微笑み。

 けれどその笑みは、やっぱり、寂しそうで。


 ノイズの容赦ない猛攻が始まる。

 服の生地が破け、痛々しい真っ赤な跡がキュリエさんの腕や脚に走っていく。

 次第に出血の量が、増えていく。


「駄目です、キュリエ! そんなのって……そんなのって、ないですよっ! やめろ、ノイズ! わたしが代わりになってやる! キュリエの代わりに、わたしが――」


 ドンドンッ、とセシリーさんが雑音の壁を叩く。

 マキナさんやシャナさんは悲痛な表情をしていた。

 すでも『ミストルティン』も『リィンプエルグ』も試した。

 しかし、あの雑音の壁を突破することは叶わなかった。

 残っている負傷した教官たちは、諦観の様子。

 生徒たちは逃げ惑い始めている。

 ロキアの仲間たちは覚悟を決めた顔をしていた。

 最後まで、戦うつもりなのだろう。


 俺は、


「―――――――――」


 俺は、ずっと、禁呪を詠唱していた。


 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ万ノ鎖ヨ――


 詠唱、開始。


 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ――


 声を、絞り出そうとしていた。


 禁呪を詠唱しようと、喉に、目一杯の力を入れる。

 詠唱、開始。


 我、禁呪ヲ、発ス――


 喉に、鉄。


 鉄の味のするそれは、舌、歯の隙間を通り、口端を伝う。

 口の下を伝うそれは、目の端から流れ落ちたものとまじり合い、顎から雫となって俺の膝を濡らした。


 詠唱を、継続。



 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ、万ノ鎖ヨ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ、万ノ鎖ヨ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ、万ノ鎖ヨ、


 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、

 我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、


 我、禁呪ヲ発ス、

 我、禁呪ヲ発ス、

 我、禁呪ヲ発ス、

 我、禁呪ヲ発ス、

 我、禁呪ヲ発ス、

 我、禁呪ヲ発ス、

 


 我――禁――呪――――ヲ――――――――



 歯の隙間から血が滲み出る。


 セシリーさんの、詰まった声。


「クロ、ヒコ……あな、たっ――」


 喉切る叫びは、届かず。


 軋んだ音を立てながら必死に伸ばす手も、届かない。


 届、かない。


「もう、やめてっ……クロヒコっ、やめて、ください――」


 喉から出血。

 かまわない。

 禁呪詠唱を、続行。

 詠唱を、再開。


「――――――――」


 ……詠唱を、続行。


 俺は誰のために、この力を使うと誓った?

 俺は誰のために、この力を使いたいと願った?

 今、

 今なんだ。

 ここで使えなくて、どうする?

 ここで使わなくて、


 どうする――――っ!?


「――――――――――――ッ」


 さらに口から、血が流れ出る。

 まるで、構わない。


 なぜならば、キュリエさんの感じている『痛み』に比べたら、こんな程度の痛みは、痛みのうちに、入らない――――っ!


 俺は、

 俺は、この聖樹の国でキュリエさんと、

 キュリエ・ヴェルステインと、出会えたから、

 出会うことが、できたから――



「賭けをする覚悟があるか、サガラ」



 ふと掛けられた言葉に、顔を上げる。

 問いかける不敵な笑みと共に俺を見下ろすのは、ヒビガミ。


「その身体と禁呪、もし一時的に使えるとしたら……己は不確定な代償を支払ってでも、使いたいか?」


 身体と、禁呪。


「ただし……文字通り、劇薬かもしれんぞ?」


 迷うことなど、あろうはずもない。

 俺はすぐさま頷いた。

 ニヤリ、とヒビガミが笑んだ。


「期待通りの答えだ」


 いいのか?

 俺は目でそう問いかけた。

 ヒビガミが不敵な顔で腕を組む。


「おれは舞台の邪魔に入らねぇと約束したが、他の誰かが邪魔に入るのを止める約束までは、しちゃいねぇからな」


 ロキアなどに散々言っているが、おまえこそ喰えないじゃないか、とも思う。


「ノイズが己に勝つならそれもよし。そうなりゃ終末郷の獄にでも行くか、ノイズが知るという強者とやらを探しに行くだけだ。もし己が敗北後に『壊れ』て、そこで終わるなら……仕方ねぇ、己はそこまでの男だったということ。おれの目が曇っていた。それだけの話だ」


 言って、ヒビガミが懐から黒い何かの欠片を取り出した。

 それは、折れた『魔喰らい』の刃。

 一体、どうしようというのか。


「こいつはおれがノイズにちょっかいを出した際に、拾っておいたものだ」


 刃はかつての輝きを失い、弱々しく淡い光をぼやりと放つだけだった。


「こいつは今、力を失う寸前……ノイズの化けの皮を剥いだ己が仕掛けた策の時、いよいよ死期が迫ったらしい。だが、まだ完全に力を失ったわけではない」


 ヒビガミが『魔喰らい』の刃を握り込む。

 彼の腕に力強い血管が盛り上がる。

 ヒビガミの目が赤と黒に染まったかと思うと、顔に罅割れたような黒い脈が走った。

 ベキ、と刃が折れ、刃がさらに小さくなる。

 力を失いつつある刃とはいえ、あのヒビガミでもさすがに折るのは骨のようだ。

 さらにヒビガミはその刃を握り込んだ。

 ぐぐぐ、と力が込められる。

 圧殺せんばかりの、破壊的圧縮。

 ヒビガミは握り込んだ手を何度か磨り潰すように、動かした。

 そして、彼は一つ息をついた。


「こんな、ところか」


 開かれたヒビガミの掌には、粉末状になった『魔喰らい』の刃であったものが、載っていた。


「そして――」


 ヒビガミがさらに着物の袖から取り出したのは、ノイズが飲んでいた、あの薬だった。


「こいつも先ほどやりあった時、拝借しておいた」


 大陸最強のコソ泥であった。

 けれどようやく、理解できた。


「理解したか。そうだ。この『魔喰らい』を砕いた粉末を飲み体内に吸収することで『沈黙付与』の術式の効力を奪うことができるかもしれん。古代術式といえど、術式に違いはない。その源は魔素。ならば、その魔素を『奪える』かもしれん」


 ヒビガミが小瓶の液体を揺らす。


「動かぬ身体の方は、この薬で無理矢理に活性化させる。ただし、この薬と粉末が互いの効果を相殺し合う可能性も否定できんし、そもそもどちらも効果の保証はない。当然、己の身の安全の保証もだ。それでも、試してみるか?」


 なるほど。

 確かに、劇薬。


 ありがたい。


 承諾の意思を伝えるべく、俺は頷いた。


「だ、そうだぜ? セシリー・アークライト」

「……正直、複雑です。個人的にはこれ以上クロヒコにだけは無理をさせたくない。ですが――」


 セシリーさんが痛切な顔で雑音壁の向こうを向き、ノイズの攻撃に耐えるキュリエさんを見た。


「キュリエをノイズの手から救えるのもまた、クロヒコだけのような気がするんです」


 ヒビガミが俺の掌に瓶を置こうとしたところで、憂いた表情のセシリーさんが、小瓶を横から握り込んだ。

 磨き抜かれた大理石すら凌駕するその瞳で、彼女はじっと俺を見つめた。


「キュリエのこと……頼んでもいいですか、クロヒコ?」


 俺は、頷かなかった。

 頷かなくとも、彼女には伝わったはずだから。


 セシリーさんがヒビガミに頷いてみせる。

 ヒビガミが俺の口に『魔喰らい』の粉末を含ませた。

 セシリーさんが蓋をあけ、小瓶の口を俺の唇に添える。


 ごくり、と。


 淡く光る粉末と思ったよりもすっきりとした甘みを持った液体を一息に、のみ込む。


 ……湧き上がってくるのが、わかる。


 抑えていたもの、すべて、


 その、鼓動と共に――――









        ――――――――ドク、ン――――――――



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― 新着の感想 ―
[一言] セシリー。 結局お前は何もないのカ?
2020/05/20 21:12 退会済み
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