幕間27「聖樹の国の守り人(後)」【ヴァンシュトス・トロイア】
「ヴァンシュトス殿、それは一体?」
横に立つ団員がヴァンシュトスを見上げ、尋ねた。
ヴァンシュトス・トロイアの顔と上半身には、知らぬ者が見れば面妖としか映らぬであろう紋様が施されている。
少し前までぱらついていた小雨で多少流れ落ちてはいるものの、まだ紋様はその形をしっかりと残している。
紋様を形作っているのは、赤き血の色。
否――それは、血そのもの。
「我がトロイアの一族は、遥か昔、戦の民で、あった。母は抹消したがっているが、辺境の蛮族だったとの文献も残って、いる」
ヴァンシュトスは壮絶に散った仲間の剣を両手に持ち、奇態な人型種を相手取って奮戦する仲間たちを見据える。
「トロイアの民は、戦で死した者の血で己の身体に紋様を描き、戦った。魂となった死者も共に戦うと、そう信じて、いたのだ。死者を戦で天界へ送るという、儀式的な意味合いもあったと、いうが」
「ヴァンシュトス殿……」
「おれは、生き残った。生かされた。かけがえのない仲間たちが、生かして、くれた。この国の人々を、守ってくれと、託された」
目を覚ました時、ヴァンシュトスはすぐに察した。
大切な仲間たちが命を賭して自分を生かしてくれたことを。
ヴァンシュトスは東方の国に伝わる鬼神を思わせる形相で、混戦の中から飛び出してきた人型種を睨み据える。
「おれは、共に戦う。仲間たちの魂と、共に――この国を守るために、命を振り絞ってでも、戦い抜く」
「ですが、顔色が優れません。やはりまだ、休んでいた方が……」
「心遣いには、感謝する。だが、今戦わねば、いつおれは、報いればいい? 王都に迫った異変と危機から、この国の者たちを、守る。そのためにおれは聖樹騎士団に、入った。守る、ために」
隣にいた聖樹士が、前方へ向き直った。
「同じ聖樹士として、あなたを尊敬します」
「おまえたちが、いる」
「私、たち……が?」
「おれの体調は万全では、ない。だが、こんなにも心強い仲間たちが傍にいて、共に戦ってくれる。死者たちも、生ける者たちも、皆がおれと共に戦って、くれる。だから、おれは安心して背中を任せ、ただ全力を、振り絞れる」
皆の顔に深い覚悟と決意が刻まれていく。
砦奪還作戦と往復移動で疲労しているであろうに、憔悴した様子を見せる者は一人もいない。
嬉しいと、ヴァンシュトスは感じる。
こんな時におかしな話だと自戒しつつも、この者たちと共に肩を並べてこの場で戦えるということが、嬉しい。
そう、感じる。
*
幼少の頃より口下手で、無愛想な子だと言われ続けてきた。
言葉数が少なく厳格な父。
兄の方には可愛げがないと悪態をつく母。
いつしか言葉をかけても返事をしなくなった弟。
独りで遊びながらいつも見上げていたのは、巨大な聖樹。
そんなヴァンシュトスに優しく声をかけてくれたのは、近隣に住む貴族やその子らだった。
この大きな身体を活かすのなら、聖樹士になるのがいいと思った。
いつも温かく見守ってくれていた聖樹、そして自分に優しくしてくれた人たちを守るなら、騎士になるのが一番であろう。
だから、聖樹士になった。
強くなろうと、日夜努力を続けた。
そうしてある日、聖樹八剣に選抜された。
聖位も第三位になった。
しかしヴァンシュトスはその日、ソギュートに疑問を呈した。
『じ、自分には三位も、八剣も身に余り、ます。特に八剣は部隊長として、部隊を率いることも、多い。自分には、荷が、重い』
『その巨体で「重い」だと? ふん、馬鹿を言え』
『冗談ではないの、です。自分は、口下手、ですし――』
『口下手以上におまえは誠実な男だ。実力も、申し分ない』
『です、が』
『この話は、ここで終わりだ』
椅子を引いて腰を浮かし、ソギュートは言った。
『正直なところ、人格という点一つで言えばおまえは、おれやディアレスよりも位は遥かに高い。第一位だ。おれは根の性格がひん曲がっているからな。おまえみたいな男が身近に、一人は欲しい』
騎士団は居心地のいい場所だった。
こんな自分を慕ってくれる者も多かった。
ここが自分の居場所なのだと、そう思えた。
皆が、好きだった。
しかし――
*
ヴァンシュトスの脳裏には、戦い、死んでいった者たちの顔が浮かんでいた。
「一つだけわがままを、聞いて、ほしい」
「ほぅ? ヴァンシュトス殿がわがままを言うとは、これは珍しいこともあったものですな」
隊列に微かに微笑ましい空気が流れる。
「……して、そのわがままとは?」
「必ず――生き残って、くれ」
隣の聖樹士が次の言葉を発し損ねる。
「この戦いで、死なないで、くれ」
ヴァンシュトスの声の響きは、切なる願いであり、祈りだった。
「頼む」
鼻の下を拭い、質問した聖樹士が口を開く。
「聞いたな、おまえら? ここで死ぬことは許されない。生き残るぞ、絶対に。そして――」
傍らの聖樹士が剣を上方へ掲げた。
「ここで見せよう――聖ルノウスレッド王国の誇る最強の騎士団、聖樹騎士団の、矜持を!」
高らかに声を上げた聖樹士が、前方へ剣を振るう。
続き、鬨の声。
牙を光らせた人型種との距離が狭まる。
「人を襲う、未知の魔物、か……聖遺跡の巨人騒動で、目撃された魔物と、やはり関係がある、のか……」
先陣を切るは、ヴァンシュトス・トロイア。
彼が手にしているのは厚刃の大剣。
かつて使用していた二本の剣よりも小さくはあるが、それでも迫力は十分。
ヴァンシュトスは柄を両手で握り込み、半円の軌跡で上段から剣を人型種に叩きつける。
半壊した人型種はそのまま地面にめり込み、割れた石畳から、雨雫が弾き飛んだ。
低くくぐもった唸りを発し、ヴァンシュトスは大剣を横薙ぎに振り投げる。
数体の人型種を破砕。
ヴァンシュトスは動きを止めず、地面に散らばった雨に濡れた剣を手にし、その刃を次々と人型種に突き刺していく。
彼が使うと、並みの大きさの剣が短剣と同程度に見える。
共に、戦う。
死者たちの剣。
血の跡が残る剣。
剣の一本を拾い上げようとした小型種を、ヴァンシュトスは岩の塊のような拳で殴りつけた。
頭部に拳がめり込み罅が走る。
ボロリ、と頭部が崩落する。
続いて飛び出してきた聖樹士たちはすでに、戦闘状態に入っている。
「―――――――――――――――――ッッッ!!!!!!!」
凄絶なる豪の姿で咆哮を上げながら、不気味に光を放つ人型種を、ヴァンシュトスは次々と蹴散らしていく。
その姿は見る者が見れば、あるいは、啼いているように映ったかもしれない。
*
「ヴァンシュトス殿!」
仲間の声に振り向くヴァンシュトス。
二体ほど、討ち漏らしがあったようだ。
聖樹士の一人が声を上げた。
「ベール、シエ、ガモス! 追え!」
三名の聖樹士が二体の人型種を追う。
と、その時――
通りの横から飛び出した人影の剣閃が、一撃で人型種の首を跳ねた。
続く二撃目も一閃で、人型種の息の根を止める。
「あ、あなたは――」
大通りにぶらりと現れた人物は、
「ふぅむ、今度は何事じゃ? というより、儂の孫は無事なのかのぅ? まあ、四凶災を倒したという例の禁呪使いとやらがついとるなら、大丈夫か……いや、でも心配じゃのぅ……」
「が、ガイデン、殿……!? なぜ、このようなところに!?」
「ん? 気絶して城の方に運ばれたらしいんじゃが、目を覚ました途端、城の連中が『よかった、ガイデン殿! よかった、ガイデン殿!』と、やかましくてのぅ……喜んでくれるのは嬉しいんじゃが、ああ大挙して押しかけられるとなぁ……おとなしく部屋で休んでいろだの、歩き回るのは医師に診せてからだの……ったく、あんな騒がしいところにいたら、余計弱った老体に響くわい」
ガイデンが遥か前方へ視線を投げる。
「まあ城の方は近衛隊に、あの似非善人宮廷魔術師のワグナスもいるから大丈夫じゃろ。しかし、この時間にこの明るさ……というより、王都だけが明るくて王都の外だけが夜のままとは一体、何事じゃ? この世の終わりでもくるのかのぅ?」
その時、ガイデンが駆け、壁を抜けてきた一体の人型種を討った。
「ほれ! 無駄口はいくら叩いてもいいが、戦場でぼやっと棒立ちになるのはいかんぞい! あの気味の悪い怪物どもがこの道を抜けるのを、阻止するんじゃろ!?」
「は……はい!」
弾かれたように戦闘に戻る聖樹士たち。
「あっちで戦っとるのは……ディアレス、か? ふん、相変わらずあやつの動きは嫌んなるほど昔の儂と似ておるわ…………天才め」
「ガイデン、殿」
「よぅ、ヴァンシュトス」
ヴァンシュトスの近くまで来たガイデンが、的確に急所を突いた見事な剣捌きで、さらにもう一体人型種を切り殺す。
「顔色が優れないようですが……大丈夫なの、ですか?」
「その言葉、おぬしにそっくりそのまま返すわい。くたばり損ないのジジイの心配なんかよりも、自分の心配をしとくんじゃな、聖位第三位」
並び立つは、現在の聖位第三位と、かつての、聖位第三位。
ガイデンは落ちていた聖剣を拾い上げると、二本の剣を交差させて構えを取った。
そして、悪党さながらのいかにも悪そうな顔を浮かべた。
「もし万が一ここでおれが死ぬようなことがあったら、愛しのセシリーには『最後まで「悪党」らしく戦って散った』と、そう伝えてくれや」




