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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
131/284

第103話「愚かと呼ばれたバケモノ」


 ノイズ。


 あれが、ノイズ・ディース……。

 キュリエさんをはじめとした、ロキア、ヒビガミの反応からして、


 決まり、なのだろう。


 あの女が『無形遊戯』。

 今の俺は、身体を動かすことがほぼ不可能。

 けれど残った俺の右眼はしかと、ノイズ・ディースを捉えている。

 だから、


「我、禁呪ヲ発ス、我ハ――」


 禁呪を放つことなら――


 ――――――――


 あ、れ?

 時間が飛ん……だ?


 そんな、感覚だった。


 突如、ノイズが『出現』した。

 じりじろと退避を始めた生徒たちに囲まれ、キュリエさんと近接していたはずのノイズが今、


 壮絶な形相で、俺の眼前にいる。


「やっぱり、『あなた』なのよね」


 ノイズが右手の人差し指につけている指輪の宝石に、亀裂が走った。

 砕け散る宝石。

 ……詠唱を、継続。

 急げ――


「――鎖ノ王ナリ最果テノ――」


 今度はノイズの中指の宝石が輝きを放った。

 続けざまに、その宝石が砕け散る。


「――――――――」


 ――え?

 なんだ、これ?

 声が、出ない……?


「だと、思っていたわ」


 ノイズが俯き、ふぅぅ〜、と細く息を吐き出す。


「やっぱりこの舞台にとって一番危険なのはあなたかもね、サガラ・クロヒコ」


 笑みを浮かべながらも、鬼気迫った焦燥感を滲ませているノイズ。

 その顔面には汗が噴き出している。


「だ、めぇ、よぉ? 禁呪ちゃん?」


 声を出そうと試みる。

 が、どうやっても声が出ない。

 ノイズが顔を上げる。


「あたしを『敵』と判断した瞬間、即座に、なんの躊躇いもなく、あなたは禁呪詠唱へ移行した」


 額に広げた指の先を当て、ゆるゆるとノイズが首を振る。


「ねえ、わかってるぅ? 普通華々しく登場したあたしが懐かしの同胞と再会したらさぁ、そこはまず前口上をペラペラ喋る流れでしょぉ? 劇って基本、そういうもんよ? ちゃんと物語、読んだことあるぅ? それともあなたってぇ『長々と喋ってないでさっさと殺せ』とか、劇に対してそういう不粋なこと言っちゃう人ぉ? だとしたら、あなた……やっぱり危険。あたしにとっては下手すると、ヒビガミよりも――」


 ノイズの背後。

 誰よりも、速く。

 咄嗟に剣を鞘走らせたセシリーさんよりも、慌てて術式の動作に入ったマキナさんやシャナトリスさんよりも、ずっと速く、


 リヴェルゲイトを振りかざすキュリエさんが、ノイズの背後に出現した。

 蒼き刃を、キュリエさんが水平に薙ぐ。


「いっ、やぁんっ!」


 首を狩られまいとするように、ノイズは素早くしゃがんで攻撃を回避した。

 それから彼女はゴロゴロと地面を転がった後、不格好なバックステップで飛び退き、ちょうどロキアや生徒たち、キュリエさんや俺たちとの間くらいの位置で停止した。

 頭を垂れたノイズの口から、忍び笑いが漏れ始める。


「くすくす、貴重どころの騒ぎじゃない『古代術式』の施された一品ものの魔導具……この短い間に、二つも使わされっちゃったわぁ……しかも『加速付与』と『沈黙付与』の、もはやこの大陸に二つとないであろう魔導具を……」


 微笑みながらが掌を頬に添えるノイズ。


「『加速付与』はヒビガミが最悪の雑音になった時の離脱用に……『沈黙付与』は、万が一宮廷魔術師のワグナス・ルノウスフィアが出張ってきて詠唱呪文の使用を試みた際の、奥の手として。けど、どっちも禁呪封じに使っちゃった」


 ぎょろり、とノイズの目玉が俺を捉える。


「けど、ま、いっか……あなたは、奥の手を早々に消費しても余りあるくらいお釣りがくる、ヒビガミ以上のイカれ野郎だもの」


 ヒビガミ以上の、イカれ野郎だって?


「クロヒコ、あいつに何をされた?」


 ノイズの方へ気を払いつつ、キュリエさんが視線だけを寄越してきた。


「あいつの言葉から察するに……声が出ないのか?」


 俺は小さく首肯する。

 そう。


 声が、出ない。


 今ほどノイズが放った『沈黙付与』という名の通りなら、どうも俺が施されたのは声を奪う術式のようだ。

 あの二つの指輪がそれぞれ『加速付与』と『沈黙付与』を宿した魔導具だったのだろう。


「ま、ずっと声が出ないわけじゃないから安心なさい? 劇中は、黙っててもらうけどねぇ?」


 得意げに微笑むノイズ。


「詠唱呪文最大の弱点は、詠唱そのものの阻害……それを見抜いた魔素しか持たない雑魚古代人は、死にもの狂いで『沈黙付与』の呪術を完成させたというわ……まあ、普通に考えてそうなるわよね。強力無比な詠唱呪文があるならば――それの発動過程を、なんらかの手段で邪魔してしまえばいいのだから」


 宝石の砕けた指輪を外し、地面に放るノイズ。 


「つまり声さえ奪ってしまえば、詠唱呪文は使用できない。強力な詠唱呪文が廃れていったのは、適性者だけが使用できるという条件よりも、まず『沈黙付与』の呪術具が作られすぎたせいらしいのよね……そこで困った呪文使いたちは、詠唱がなくとも使用できる術式を開発した。しかもその術式というのが、詠唱呪文と質は違えど、魔素さえ扱えればどんな者にも使用できる代物だった。そのため多くの人々は詠唱呪文を捨て、術式の時代がやってきた……と、されているわ」


 ノイズの口端の弧が、角度を増す。


「まあ術式も魔導具を使わない場合、動作を阻害されたらきついのは同じなんだけどねぇ……けど、とにかく詠唱が存在する以上、必ず詠唱封じの策は編み出されるわ。これは『詠唱』という概念が存在するならば、必ず起こることなの」


 ノイズが懐から取り出した別の指輪を、指に嵌める。


「詠唱形式の禁呪の力がアダとなったわね、禁呪使いちゃん」


 唇を噛むキュリエさん。


「すまん……私の動作が、遅れたせいだ」


 そんなことはない。

 時間が飛んだと錯覚するほどの速度で移動されたら、いくらキュリエさんといえど知覚できようはずがない。

 キュリエさんのせいじゃない。

 むしろ俺がもっと早く、禁呪を発動できていれば――


 ……いや、それも難しかったか。


 ノイズのあの口ぶり。

 俺は相当警戒されていたようだ。

 ノイズの言葉を額面通り受け取るなら、初手で奥の手を、二つも放出させるほどに。


「ご、ごめんなさい、キュリエっ」


 反省の色を浮かべてそう言ったのはセシリーさん。


「クロヒコを守ると、約束したのに……っ」

「おまえのせいじゃない、セシリー」


 無念そうな調子から一転、そこだけはきっぱりとキュリエさんは否定した。


「もちろん学園長も気にする必要はない。学園長やセシリーに落ち度はないさ。二人の反射が追いつかないほど、ノイズの動きは『速かった』」

「そうだな」


 同意を示したのは、腕組みをしたまま静観を決め込んでいたヒビガミだった。


「どう足掻こうと、そいつらがあれ以上の速度で反応することは難しかっただろう。しかし……このおれ対策に用意した貴重な魔導具を初手で消費する判断をさせるとは、サガラ、己よほどノイズに警戒されているらしいな? あの女も、己には何か感じ入るところがあったようだ」

「…………」


 ブルーゴブリンの群れと戦った時も、

 ヒビガミと戦った時も、

 四凶災と戦った時も、

 詠唱という発動方法の欠点は、痛いほど思い知らされた。

 だからこそ、

 禁呪の力に頼り切ってはいけないことを知っていたからこそ俺は、キュリエさんに剣の修行をつけてもらっている。

 戦い方を、教えてもらっている。

 だけど身体が動かない今は、禁呪だけが頼りだった。

 と、ヒビガミが、


「ただ、ノイズのやつはまだ完全に理解していないかもしれんな。サガラ・クロヒコという男は禁呪の有無だけで測れる男ではない。ただ詠唱して禁呪を放つだけの『禁呪使い』なら、おれもここまで執着しやしねぇさ」


 と言い、カカッ、と小さく笑った。

 キュリエさんの厳しい視線がヒビガミへ飛ぶ。


「ところでおまえは、なぜ動かなかった? いや……期待していたわけではないが、ノイズがクロヒコに仕掛けてきたら、動くものと思っていたが――」

「その点はよく考えているようだぜ、あの女」


 キュリエさんがノイズへと向き直る。

 ノイズが指を広げた右の手を、弧を描く唇に添えた。


「うふっ? よぉっくっ研究してるでしょぉ? 禁呪ちゃんっていう不確定要素を確実に取り払うなら、喉元を掻っ切っちゃうのが手っ取り早かったんだけどぉ……それだと多分、邪魔虫野郎ヒビガミが妨害に動いちゃうのよねぇ」


 ノイズの視線が一瞬だけ俺へと移る。


「あたしが『加速付与』で禁呪ちゃんに接近した時ヒビガミってば、視線で念押ししてきたのよぉ? 脅迫っぽい目つきで『もし殺したら殺す』って。やっだ、こわいわっ! ヒビガミ、こっわぁ〜いっ! あはは、あっはっはっはっはっはっ! 大嫌いよ! やっぱりあなたは、邪魔ガミだわ!」


 腹を抱えて笑い声をあげるノイズ。

 …………。

 なるほど。

 だからノイズは、俺を『殺さ』なかったわけか。

 逆に『殺し』さえしなければ、ヒビガミが動かないと踏んだ。

 一方のヒビガミは、俺が『生きて』さえいれば十分と判断……。

 ここは第6院の者同士互いをよく理解しているゆえの判断、ということか。


 ヒビガミが忍び笑いを漏らす。


「カカ……おれはキュリエの味方というわけではないし、ここにいる誰の味方でもねぇからな。無論サガラの肩を持つこともない。ただ、おれは少々サガラには期待をかけていてな? おれの判断で場合によっては手を出すが……己らの再会劇に茶々を入れるつもりはねぇよ。存分にやれ。そして、好きに死ね」


 そうだ。

 ヒビガミは俺たちの味方じゃない。

 最悪、突然ノイズの側に回ることだってありうる。

 …………。

 くそ。

 にしても、ヒビガミ対策の魔導具相手だったとはいえ、身体が動かないことがこんなにもネックになるとは。


 それにしても――あいつは、考えている。

 ふざけているようにも映るけど、どう動くべきかをノイズは綿密に考えてきている。

 あの様子だと、誰が自分の『舞台』において邪魔者になるかを予め想定していたのだろう。

 おそらくは、この日のために。


「ねーキュリエぇ? 言っとくけど、そのサガラ・クロヒコって子、イカれてるわよ?」


 ノイズがそう言って、俺を指で示した。

 ノイズと相対するキュリエさんが、剣を構え直す。


「今度はなんだ? 私の神経を逆撫でして、冷静さを失わせるつもりか?」

「ちっがうわよぅ。あのね? 彼って相手を『敵』と判断したら瞬間、躊躇ってものが一瞬で消えちゃうの……多分、自動的に。おそらく無慈悲なほど『味方』と『敵』と『その他大勢』を無意識で選別してるわよ、その子」


 垂れた前髪を手で後ろへ撫でつけるノイズ。


「とても、残酷な子」


 妖艶な唇の上をノイズが横に指の腹でなぞる。


「そして自分自身に対してすら死ぬほど、残酷」

「意味のわからん概念議論ならロキアとやれ」

「いやぁよぉ……あたし、ロキア嫌いなんだから。んふっ、まあ要するに何が言いたいかというとね? キュリエ・ヴェルステインやセシリー・アークライトみたいな子を敵に回すと、すっごく面倒で獰猛な『獣』が牙を剥いてくるってこと。しかも――」


 ノイズが、カリッ、と爪を噛む。


「愛する者の『敵』に対しては、絶望的なほどに無感情で、無慈悲で、無情で、非情で、非道で、異常……そして恐るべきことに、自分自身に対してすら――冷血なる、非情。別に被虐趣味でもないってんだから、ほんと、異常」


 パキィッ、とノイズが爪の先を噛み砕く。


「人は普通、結局のところ自分を中心に考える生き物よ。中心に据えた自分のために頑張るの。外縁の他人ために頑張る人間なんていないわ。核は常に己なの。だから己の命が第一優先。いえ、第一でなければならない。でなければ生物として壊れている。その根本を、間違っている」


 ノイズはその間も周囲の状況に気を払い、また、観察していた。


「自己犠牲の精神は美しいけれど、それは基本として『特殊な状況』によってのみ起こることでなければならないの。いわば例外的な状況でのみ起きうる事象……そうね、劇でいえば『盛り上がる見せ場』でのみ精神が一時的な異常をきたし、たまに起こる事象。その事象が引き起こすものはとても劇的だから、もしそこが『見せ場』ならば、観客すらも興奮させることができる。けれどその異常を日常的に持っている者は、本能が壊れているとしか言えない。極論――長生きは、できません。すぐ死にます」


 ノイズは道化めいて、肩を竦めてみせた。


「劇的とは――つまり同時に、命を削ることでもあるわけよ」


 よくわからない。

 ノイズの言っていることはよくわからないが、ノイズが俺という人間を評し、長生きできるタイプじゃないと見ていることだけはわかった。

 俺は、


 そうあってでも、大切な人たちを守れるならばそれでいい。


 手遅れになって後悔するくらいなら、そうあることに躊躇はない。

 必要なら汚れもするし、命も削る覚悟もある。

 もう決めたんだ。

 なんと言われようと、変えるつもりはない。

 今ここで、何かのために、誰かのために、動き続けているということ。

 諦めず前を向くということ。

 今の自分にはそれが何より、大事なことのような気がするから。

 そして何より、自分が納得できているかいないか――それが、


 意味がある、ということだと思うから。


 …………。

 まあ、死ぬつもりもないけど。


「本来死守すべき『中心』に自己ではなく他者を据える者は、ことごとく、例外なく、壊れている。瓦解している。崩壊している。人は時に、そんな生物としての本能が壊れた者を『英雄』と呼んだりもするけれど……あたしからすれば、ばっかじゃないのって感じ。だって愚鈍なバケモノじゃないの、そんなやつ」

「確かにクロヒコは自分の身を犠牲にしすぎるところがある。しかし、だからこそ――」


 今度はキュリエさんの姿が、消失したかに見えた。

 次の瞬間、

 キュリエさんがノイズの手前まで、接近してた。


「クロヒコが戦わなくてもいいように、立ちはだかる敵は私がこの手で、ねじ伏せる」

「うふっ、イイ顔――」


 ノイズは微笑みを崩さず、


「愚かなバケモノに惚れ込んだ麗しのお馬鹿さん! そしてあのバケモノとあなたが一緒にいて笑いあってる姿、見てて最高に気持ち悪いわ! まるで、出来の悪い悪夢でも見てるみたい! 」

「クロヒコのことを、悪く言うな」


 キュリエさんの声。

 背筋が、ぞわりとした。

 それはとても低く、昏く、


「殺すぞ」


 俺の知らない別人みたいな、そんな声で。


「あっはっ! その顔、最っ高! ええ、ええ! 何度だって言ってさしあげますわよ!? バケモノ禁呪使い! 愚昧なるバケモノ禁呪使いサガラ・クロヒコは、もはや人に非ず! 非ず! あ、あ、非ぁぁあああず!」


 その時、


「んなとっくにわかってること知らされてもなんの驚きもねぇんだよ、クソ女が」


 ノイズの目が緩慢に、見開かれる。


「あ、ら?」

「ほんと、テメェはいつもキュリエばっか見てやがるよなぁ……意識も、心も。それも、この状況でこのオレを意識から外すほどに。クク、まるで変わらねぇな。劇狂いの、キュリエ狂い――」


 ノイズの背後に出現したのは、聖剣と魔剣を両手に握り込んだロキア。


「『見てて最高に気持ち悪ぃ』な、テメェ」


 ぎりっ、とノイズが歯を覗かせる。


「……ロキア、邪ぁ魔」

「テメェの邪魔をするのは、気分がいい。さぁて――」


 剣を振り上げると、ロキアは三白眼を目いっぱいに見開き、


「オレの剣を盗んだこと、死ぬほど後悔させてやるよ。この、出来の悪い愚かな――」


 尖った歯を見せ、凄絶に嗤う。



「バケモノ女」





 第104話は2/26、23:00~23:59の間に投稿予定です。


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