第13話「夕食、クリスタル、聖素、そして」
酒場に入ると、どっと喧騒が増した。
お客さんたちは各々、陽気に食事や飲酒を楽しんでいる。
なかなかに盛況のようだ。
目の上に手で庇をつくり、ミアさんが店内を見回す。
「あ! あそこが空いていますね!」
俺たちは壁際の空いていたテーブル席に腰を落ち着けた。
一息つき、店内をぐるりと見渡す。
店主のいる、バーのような木製のカウンター。
その後ろにはずらりと瓶が並んでいる(多分、ほとんどが酒だろう)。
さらに奥には厨房が見えた。
店内の広さは平均的な中学や高校の教室の倍くらいか。
「ふむ」
雰囲気は日本の居酒屋とあまり変わらない。
といっても、いわゆるリアルが充実している人間ではなかった俺は、あまり居酒屋には縁がなかったけど……。
しばらくすると女の店員さん――ってより、給仕さんか――がやって来た。
「いらっしゃい。何にします?」
黒いエプロンを着た赤髪の給仕さんが、俺に聞いてくる。
と、ミアさんが、
「あ、トマトとチーズの薄焼きパンをお二つ、お願いできますか? それと……蜂蜜入りのミルクも、二つ、お願いします」
と注文を口にした。
給仕さんはちらとミアさんを見てから「かしこまりました〜」と言ってカウンターの方へ戻って行った。
「…………」
「クロヒコ様?」
「え?」
「いかがなさいました?」
四角いテーブルを挟んで対面に座るミアさんの顔が、目の前にあった。
「あ、いえ、なんでもないです」
「あの……もしかして、クロヒコ様」
「はい」
「大分、お疲れでございますか?」
「え?」
「その、一日わたくしが連れまわしてしまったせいで、かなりご疲労を溜めてしまわれたのかと……」
「いえいえ、それは大丈夫ですよ! なんてったって、若いですから!」
「そ、そうですよね! クロヒコ様、お若いですもんね!」
「若いって、いいですよねぇ……」
「はい、よいものでございますね」
なんてやり取りをしているうちに、陶器のコップに注がれたミルクが運ばれてきた。
薄っすらと黄色い。
そういや蜂蜜入りだったっけ。
コップの中を見つめる俺に、ミアさんが『ささ、どうぞ』というジェスチャーをする。
俺は取っ手部分を持つと、そのままぐいっとミルクを呷った。
む!
これは!
「う、うまい……!」
とろりと濃厚なミルクに、蜂蜜のほんのりとした甘み。
糖分がじわりと身体に染み込み、疲れが癒されるようだ。
「いかがでしょうか?」
にこにこと尋ねてくるミアさんに俺は、
「無茶苦茶うまいです!」
と答えた。
蜂蜜入りミルクに賛辞を送る俺を、何やら嬉しそうな顔をしているミアさんが、両手に顎を乗せてじっと見つめてくる。
「ふふ……こんな風に喜んでもらえるなんて、わたくしも大変うれしいです」
「いやぁ、だってこんなうまいの、生まれてはじめて飲みましたよ!」
あながち嘘でもない。
こんなうまい飲み物、生まれてはじめてだ。
「クロヒコ様は……どのような場所でお育ちになったのですか?」
「え?」
「……あ」
ミアさんがはっと口元に手を当てた。
失言した、とでもいうように。
そして彼女は、ぺこりと頭を下げた。
「も、申し訳ございません! わたくし、なんと不躾なことを……ど、どうかお許しくださいっ」
「いえいえ、謝ることなんかないですって!」
というより、俺の方が慌ててしまう。
え?
彼女、今なんか変なこと言ったか?
「クロヒコ様とお話ししているとほっとするというか、お言葉の発音がどこか心地よいというか……ええっと、そのですね、ですから……それでつい、あの……クロヒコ様のことを、もっと知りたいなどと、思ってしまった次第でして……」
「俺のことを、ですか?」
耳をへなっと下げ、ミアさんが俯く。
「はい……ですが人には他人にあまり触れてほしくない話もございます。もしクロヒコ様がご自分のこと……例えば出自などについてあまり話したくないのだとすれば、わたくし、とんだご無礼を……」
なんだ、そういうことか。
俺はつい、軽くふき出してしまった。
「クロヒコ、様?」
「それはさすがに気を遣いすぎでしょう、ミアさん」
「え?」
まるで、行く先に地雷が埋まってやしないかと常に怯えているみたいだ。
「んー、まあミアさんの立場上、マキナさんはご主人様扱いしなくちゃいけないのかもしれません。けど俺なんて、東国の山奥で育った、ただのド田舎人ですよ?」
「そんな、田舎人だなんて……」
「むしろ俺、ミアさんには感謝してるんですから」
ミアさんが目をぱちくりとさせる。
「感謝、でございますか?」
「ええ。今日、こんな俺に嫌な顔一つせず、こうしてつき合ってくれてるんですから。俺からしたら、感謝してもし足りませんよ」
「クロヒコ様……」
「そうわけなので、なんていうか……もうちょっと気楽にいきましょうよ。それに俺、まだこっちでの知り合いがほとんどいないんです。だからその、ミアさんが友だちになってくれると嬉しいなー、なんて思ったりも、してるわけでして……」
って、これはさすがに調子に乗りすぎか。
と――ミアさんが俺の両手を取って、ぎゅっと握ってきた。
「でしたら、ぜ、是非、お友だちになってくださいませ!」
「へ?」
「あ――」
途端、かぁっと顔を赤くして、ミアさんが顔を背けてしまう。
「ひゅ、ひゅみません……わたくしったら、また大それたことを……」
「な、なりましょう!」
「え?」
ミアさんが顔を上げる。
ちなみに、俺の顔もまっかっかであった。
「む、むしろ、なってくださいっ」
「いいん、ですか?」
「もちろん――というか、こっちからお願いしますっ」
気づくと、俺は思わずミアさんの手を握り返してしまっていた。
握り返すのはまずいかなとも思ったが、しかしミアさんは気にした風もなく――いや、どころか、嬉しそうに微笑み返してくれた。
「……はいっ、わたくしこそ、よろしくお願いいたしますっ」
…………。
な、なんかいい雰囲気じゃないか……?
しかもこんなかわいい子と、友だち……。
奇跡が!
奇跡が起きている!
もしやすると、これは日本でモテない女性が、意外と外国でモテたりするのと似た現象なのか!?
「…………」
待て待て。
別に異性がどうこうじゃなくて、俺とミアさんは、ただ友だちになっただけじゃないか。
そうだ。
女の子に免疫がないから舞い上がってしまうのは仕方ないとしても、勘違いだけはしないよう、しっかり自分を戒めておかなくては。
そもそも前の世界じゃ俺はぼっちだったわけで、友だちができただけでも、もう十分すぎる成果じゃないか!
ああ!
にしても、友だちか!
友だち!
うん!
いい響きだ!
なんて風に俺が感動に打ち震えていると、料理が運ばれてきた。
「おぉ、これは……!」
目の前に出された皿の上に載っていたのは、ピザだった。
トマトとチーズの薄焼きパンって、ピザのことだったのか。
パンの表面に塗られたトマトソースの上には、薄切りのトマト、焼いた薄切り肉、ふんだんに散らしたチーズ……。
「これがこの店評判の料理なんです。是非とも、ご賞味くださいませっ」
さぁどうぞ、と言わんばかりの仕草でミアさんが勧めてくる。
よくよく見てみれば、他の客もほとんどが同じ料理を食べている。
それにしてもこのにおい、実に食欲をそそる……。
テーブル備え付けのナイフで切り分けると、俺は一切れ手に取り、かぶりついた。
「…………」
「いかがですか?」
「う、うまい――」
なんかもう何か口にするたびに『うまい』とか感嘆の言葉しか言ってない気がする。
自分の語彙のなさに情けなさを覚えつつ、俺はさらに食事を進めた。
口の中でカリッと心地よい音を鳴らす、こんがり焼けた薄いパン部分。
フレッシュなトマトの程よい甘みと酸味が同時に感じられるのに加え、そこに濃厚だが決してくどくはないとろけるチーズの独特の味が混ざり、さらに炙った肉のしつこくない脂がアクセントになって……もうたまらん!
ベースになっているトマトソースも、絶妙な塩加減。
作り立てというのもあるんだろうけど、シンプルな素材ながら、マジでうますぎる……!
「いかがですか?」
にこにことミアさんが尋ねてくる。
「うまいです! こんなうまいピザ、食べたことないです!」
「ぴ、ざ?」
「ああいや……えっと、似たような料理が故郷にありましてね? そういう名前だったんですよ。でも、こっちの方が何倍もうまいです!」
「そうですか、それはよかったです! わたくしも、このお店を選んだ甲斐がありました!」
腹が減っていたのもあったんだろうけど、俺は会話も忘れて次々とピザを口に運び、蜂蜜入りミルクのほのかな甘みと、新鮮で食べごたえあるピザの最強タッグなハーモニーを、存分に堪能した。
「ふぅ……おいしかった」
食事を終え一息つくと、俺は腹をさすりながら天井を向いた。
いやぁ、うまかった……。
やはり料理がうまいと、それだけで人生豊かに感じるね。
「ん?」
何気なく見上げただけだったのだが、店の天井に、水晶のようなものがはめ込まれたランプが吊り下がっていた。
あの光る水晶……学園の廊下や学園長の寝室にあったやつ、だよな?
この際だし、聞いてみるか。
「あの、ミアさん」
俺は、ほむほむと可愛らしくピザをはむミアさんが咀嚼しきるのを待って、声をかけた。
ちなみに待ったのは、もちろん食べている最中だから声をかけるのは悪いかなと思ったってのもあるけど、実は『ピザを食べる姿もかわいいなぁ〜』と和み気分で鑑賞するためだったという説もある。
……どうでもいい話だ。
口をハンカチでふきふきし、ミアさんが笑顔で応えてくれる。
「はい、なんでしょうかっ?」
「あの天井にぶらさがってるランプ、ありますよね?」
「はい、ございますねっ」
「あれって、火を灯してる風には見えないんですけど」
「ああ、クリスタルのことでございますか」
「クリスタル?」
「となると、クロヒコ様はクリスタルも、この国に来てはじめてご覧になったのですね?」
「恥ずかしながら」
「ふふ、恥ずかしいことなどありませんよ? そうですね……クリスタルとは、主にこのルノウスレッドで産出される、特殊な鉱石のことでございます」
「特殊な鉱石?」
「はい。クリスタルは様々なものに加工されておりまして――」
ミアさんが天井のランプを指差す。
「あのランプも、その一つでございますね」
「えっと、馬鹿みたいな質問で、申し訳ないんですが」
「なんでもご質問くださいっ」
「クリスタルって、そんなにすごいものなんですか?」
「それはもう! 世界広しといえど、今のところ聖素を秘めている鉱石は、クリスタル以外にございませんからっ」
「ちなみに俺、その『聖素』っていうのも、よくわからないんですが……」
「そうですね……聖素とは、この世界に満ちているエネルギーのようなもの、とでもいえばよいでしょうか……」
「エネルギー……なるほど」
つまり『聖素』ってのは、ファンタジーでいう『魔力』とか『マナ』みたいな、超自然的な力の源ってところか。
となると『クリスタル』は、同じくファンタジーで喩えるなら、魔力を内包してる『魔石』って感じかな?
あー、なんとなくわかってきたぞ。
「あ、それとですね、実は『聖素』はルノウスレッドの人々が使う呼称でして、他国では主に『魔素』と呼ばれております」
「へぇ」
「マキナ様がお使いになる魔術式なども、この聖素を魔術文字に取り込んで発動をするのですが――」
その時だった。
俺の目の前に、ぬっ、と大きな影が現れた。
「よお、ねえちゃん」
顔を上げる。
いかつい顔の大男が、俺たちのテーブルの横に立っていた。
「…………」
嫌な予感がした。
……いや、すでに前から嫌な予感はしていた。
注文を終えた時、ミアさんが『いかがなさいました?』と俺に聞いたが、その時俺は、店のカウンターの隅でにやにやと嫌な感じでこっちを見ている男たちを見ていたのだ。
その男たちの放つ雰囲気は最初目にした時から、とても嫌な感じだった。
俺はちらと大男の顔を見てから、その後ろに控えるいかにも三下っぽい男たちを一瞥した。
「…………」
さて、どうしたものか。