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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
129/284

第101話「至る過程を作る者」


 魔術によって生成された氷が、急速に溶解していく。


 ロキアが一歩、踏み出す。

 ヒビガミを前にしても臆した様子はない。

 対するヒビガミはあげた腕をおろすと、落ち着き払った声で問うた。


「何年ぶりになる?」

「さぁ? 知ったこっちゃねぇな」


 軽く後方へ身体を反らせ、肩を竦めるロキア。


「数えたこともねぇし、数える義務もつもりもねぇ。テメェとの腐れ縁なんざ、クソくらえだ」

「変わらんな、ロキア」


 突如として起きた二人の衝突の影響であろう。

 広場の生徒たちの視線が二人へ集まっていた。

 キュリエさんの様子を窺う。

 ……今のところは、静観の姿勢のようだ。


「テメェがクリストフィアに来たって話はキュリエから聞いて知っちゃいたが……姿も見えねぇし、とっくに王都から去ったもんだと思ってたぜ。ぬか喜びさせてくれてありがとよ」

「おれが以前王都に来た時、それに気づいた己が一目散に王都から逃げ出したと、そうキュリエから聞いたが?」

「ああ、その通りだ」


 ヒビガミの顔に自らの顔を近づけ、ロキアは威嚇するかのごとく両手を広げた。


「あらゆる弁解を差し挟む余地なく、まったくもってその通りだぜ――『壊神』」


 ヒビガミは動かない。

 ロキアが凶悪に笑む。


「紛うことなく、一目散に、無様に、惨めに、恥も外聞もなく、逃亡してやったぜ」


 挑発めいて、ロキアが舌を出す。


「尻尾を巻きに巻いて泣きじゃくりながら逃げ出したやった。テメェに会いたくないその一心でなぁ? フハハハハ、崇め奉りたくなるほど素敵な臆病者だろ? こちとら震えて蹲るしか能がなくてなぁ? クク、そもそもだぜ? テメェみてぇな化物級の戦闘狂いにだぁれが好き好んで会うかよ。怖すぎて足が竦んで、まるで動けやしねぇ! フハ、フハハハ、フハハハハハハ――――!」


 話している内容自体は情けない内容に思えるが、気後れした気配がまるでない。

 怯えている様子もなければ足が竦んでいる様子もない。

 一方、ロキアの口角泡が届くほどの距離で佇むヒビガミは不快感を露わにするどころか、どこか満足げな様子だった。


「己は、つくづく喰えん男だな」

「そういうテメェは、四凶災を喰いにやって来たわけだ?」

「ふむ、そこはキュリエからまだ聞いてなかったか。おれは別件で王都に来た。まあ、おかげで幸運にも四凶災の一人と巡り合えたが……しかし、おれのやった四凶災は現時点だとまだハズレだったようでな。どうやら最もオイシイ相手は、サガラがやったようだ」

「……クロヒコか」


 二人の視線が俺へ向く。


「聞いたぜぇ? あの男を宿敵と定めたらしいな? 相当ご執心だと聞いたぜ? なんだ? サガラ・クロヒコは、テメェから多大な迷惑を被ってるオレたちの救世主ってことでいいわけか?」

「己こそ、適度にあの男に取り入っているようだが――」

「クロヒコと敵対するってこたぁ、『銀乙女』と敵対することでもあるからな。全身全霊で回避するさ。紛うことなく、全力回避だ」

「カカ、己はよく嘘をつく。あの『魔王』がそこまで気を払うからには――何かあるな?」


 ロキアが自分の首筋を面倒そうにぬるりと撫でる。


「るっせぇなぁ、こっちにゃこっちの都合ってもんがあんだよ。テメェが口出す領分じゃねぇ」

「ふん、そうかもな。おれはサガラが最終的におれの域に迫ってくるのなら、他のことは当面、二の次でいい。ただ――」


 顎の無精髭を撫で、ヒビガミが広場の生徒たちを見渡す。


「ここに『無形遊戯』がいると聞いた。加えて『魔王』に『銀乙女』――さらにはあの『銀乙女』が肩入れしている禁呪使いまでもが揃っている。少々、興味が湧いてな? 見物も悪くねぇと思ったわけさ」

「十中八九趣味の悪ぃ舞台になるぜ」

「ロキアよ」

「あぁ?」

「なぜノイズは、この学園を舞台に選んだと思う?」

「んなもん知るかよ。あんなぶっとんだイカれバカ女の思考なんざ、なぞりたくもねぇ。思考力の無駄遣いもいいとこだ」


 吐き捨てるロキアに構わずヒビガミは続ける。


「キュリエは貴族の娘でもなければ、ルノウスレッドの人間でもない。この学園に入学すること自体、それなりに難儀したはずだ。己にしても、そうして学園の制服を独自に手に入れる必要があったわけだろう?」


 ロキアの制服を一瞥した後、ヒビガミは学園へ顔を向けた。


「ノイズの目的が6院の人間なら、潜り込むのが面倒なこの学園をわざわざ舞台に選ぶ必然性はないと思うが――」

「キュリエの入学はノイズがお膳立てしたに決まってる。あいつには変化呪文もあるし、こと舞台を整えることに関しては手抜きってもんを知らねぇ女だ。ま、あいつはキュリエに異常に執着してるからな。キュリエ・ヴェルステインさえ呼び寄せられれば、あとはどうでもよかったんじゃねぇか?」

「必須とされた出演者と舞台は『銀乙女』と『学園』、というわけか……しかしおれには、やはり繋がりがわからんな」

「どうせ大した理由じゃねぇよさ。あいつのことだ――ごく個人的な、つまらねぇ理由に決まってる。にしても――」


 ロキアがせせら笑う。


「そんなことを気にするたぁ、仕合い馬鹿のテメェらしくねぇな? どういう風の吹き回しだ?」


 自嘲を帯びつつ、ヒビガミは泰然と笑む。


「己に中てられたか……あるいは追い求めていた宿敵候補が現れたことで、おれにも余裕というものができたのかもしれんな」

「クク、そいつはどうかな?」


 ロキアが目つきを鋭くして、ニヤリと笑む。


「オレの考えでは、おそらくテメェの戦闘狂としての本質は変っちゃいねぇよ。なんだかんだ念願の四凶災とやれたことで今は一時的に満足を得てるんだろうが……これはと思う相手が目の前に出てくりゃあ、テメェは衝動を抑えられなくなるに決まってる。それがハナからぶっ壊れてるテメェの変えがたい本質だよ、『壊神』」


 ヒビガミがすり足で、微かに動いた。


「ならば、ロキア」


 ロキアが一歩、後ろへ距離を取る。


「例えば――己とここで仕合うという手も、あるわけか?」

「なんだ? オレとやりてぇのか?」

「そうだな――」


 視線を順々に飛ばしていくヒビガミ。


「あの学生共の中に紛れ込ませている己の仲間らしき連中を殺せば、少しはやる気を出してもらえるのか?」

「ククク、やってみりゃあいいさ」

「…………」

「あいつらを皆殺しにした程度でこのオレがテメェとやる気になるかどうか、試してみりゃあいい。さあ、やれよ? 世の中ってのは、やってみなくちゃわからねぇことで溢れ返ってるぜ?」

「ふむ――」


 ヒビガミの手の甲に血管が浮き上がり、コキッ、と硬い音が鳴った。

 肌を打つヒリつく感覚。

 殺意、なのだろうか――。

 空気が一瞬にして一変したのが、わかる者にはわかったはず。


 が、すぐに空気が元に戻る。


 なるほど、とほくそ笑むヒビガミ。


「己自身もその仲間も、よく調教しているようだな。おれも無駄な殺生を好んでいるわけではないからな。意味がないならば、殺す意義はない」

「悪ぃな。仲間の死で取り乱すほど、オレの王国は平和じゃなくてよ。仲間の死にいちいち心を揺さぶられて泣き嘆いてる心の余裕がねぇんだわ。ただ……テメェがオレとやりてぇってんなら、オレは構わねぇがな」

「……ほぅ?」

「コソ泥ノイズが盗んだラーフェイスとファルヴェティがこの手に戻ってくりゃあ、テメェと仕合ってやってもいい。テメェにしても、あの剣を持ってねぇオレとやっても面白くねぇだろ?」

「カカカ、見え見えだなロキア。今のはノイズと相対した時におれを己ら側に引き込むための誘導だろ? そしていざお目当ての剣が手元に戻ったら約束を反故にして逃亡……違うか?」

「さぁ、なんのことだか。ま、勝手にオレの真意を推し量る分には別に構わねぇがよ。クク、けど決めつけだけはさすがに困るぜ? オレは『守る価値のある約束』は、きちんと守る男だ」


 などというやり取りを、俺たちはやや遠巻きに眺めていた。


「やっぱ仲悪いんだな、あいつら」


 二人を眺めていたキュリエさんが言う。

 ……そうだろうか?

 俺には仲が良さそうにも見えるのだが。


 ロキアがこっちへ歩いて来きた。


「ヒビガミは高みのご見物だとよ。死にゃあいいのにな」

「ヒビガミのやつ、このまま黙って見てると思うか?」


 キュリエさんが問う。


「正直、わからねぇ。今のオレやテメェとやろうとする可能性は低いと思うが……ま、口にこそ出さなかったが、万が一ノイズが異様な強さに成長でもしてるとなりゃあ、乱入自体はありうるかもな。それ以外だと……ご執心のクロヒコに危害が及びそうになりゃあ、動くかもしれねぇ」


 待たされて焦れてきたのだろうか。

 生徒たちが不満まじりにざわめき始めた。

 生徒たちを眺めるキュリエさん。


「本当にあの中にノイズがいると思うか?」

「……いるたぁ、思うが」

「何か引っかかってるようだな。何が気になる?」


 クク、とロキアが笑う。


「あの『無形遊戯』だぜ? 正体を見破られて終わりなわけがねぇ……まあ何はともあれ、まずは最初の遊戯に勝たなきゃなんだが――」

「おまえの考えでも、ノイズの目的は私なんだろ?」

「……だろうな」

「なら――」


 表情を引き締めるキュリエさん。


「やはり決着は、私がつけなくてはならないな」


 俺は、決意を噛み締める彼女の横顔を見ながら言った。


「どうか気をつけて、キュリエさん」


 彼女は微笑し、フン、といつものように鼻を鳴らした。


「ああ」

「つぅかよ、キュリエ」


 ロキアが口を挟んだ。


「ん?」

「今のクロヒコはほとんど身体が動かねぇんだろ? なんで連れてきた?」

「クロヒコから頼まれたのもあるが、医療室に置いておく方が危険だと思ってな」

「ノイズに攫われる危険を考慮すれば、目に見える位置に置いといた方がマシってわけか。ったく、しかしつくづくベッタリな関係だな、テメェら」

「フン、少なくともおまえとよりは確実に気持ちが通じ合っているな」


 ……キュリエさんがさらっと流した。

 一方のロキアも「そーかい」適当に受け流し、ステージの方へ顔を向ける。


「さて、そろそろ頃合いか」


 ロキアが手で何か指示を送った。

 すると生徒の何人か――おそらくロキアの仲間だろう――が動き出す。


「セシリー、学園長」


 俺の後ろで黙ってやり取りを見ていたセシリーさんと、その少し後ろでシャナさんと並んで立っていたマキナさんに、キュリエさんが声をかけた。


「クロヒコが危なくなったら、可能な範囲でいい……守ってやってくれ」


 了承済みとばかりに頷くセシリーさん。


「わかってますよ。だからキュリエは思う存分、自分のやるべきことをやってきてください」

「すまない、恩に着る」


 マキナさんが肩を竦める。


「ノイズとやらがあなたやヒビガミと同郷なのだとすると、守り切れるという確約はできないけどね。ま、私なりにできることをしてみるわ」

「ありがとうございます、学園長。あなたには他にも色々と世話になった」

「やめてちょうだい、まるでこれから死地にでも赴くみたいな言い回し」

「……似たようなものかもしれません」


 俺の周りに今いるのは、セシリーさん、マキナさん、シャナさん。

 ミアさんやリーザさん、クラリスさんは学園の敷地内にいるものの、今はしかるべき場所に避難している。

 ちなみにセシリーさんはここに来る前、サイズの合う制服をマキナさんから受け取ったようだ。

 車輪椅子を持ってくるついでにマキナさんが予備の制服を見繕い、持ってきてくれたらしい。 


 キュリエさんが空を見上げる。


「日が、落ちたな」


 見れば――まだ視界こそ確保できるものの――いよいよ空が、暗くなりだしていた。


 最初の星が空に瞬く。

 学園の鐘が鳴り、広場のクリスタル灯が淡く光り出す。


「では、始めるとするか」


 ロキアがステージを目指して歩き出す。


「あのクソ女の望み通りの舞台を整えるための、最初の茶番を」


          *


 ロキアがステージに上がると、生徒たちが口々に質問を飛ばし始めた。


「なんだおまえ!? これから何があるってんだ!?」

「学園長の指示だっていうから集まったけど、一体なんなんだよ!?」

「説明してよ!」


 事情も説明されずに集められ、さらに焦らされたせいか声を上げる生徒の語気は荒い。

 今日起こった四凶災襲来で神経が緊張と共に昂ぶっているのも、荒々しさに拍車をかけているようだ。


 声を受けるロキアは、不敵に笑んだまま。

 キュリエさんはステージの端でリヴェルゲイトを持って立っている。

 すると、林の方から何か板らしきものに載った人間が運ばれてきた。

 その姿を目にした途端、生徒たちが言葉を失い、息を呑むのがわかった。


 大きい。


 巨大な男。

 が、生命の息吹が感じられない。

 かつては後ろへ撫でつけられていたのであろう藍色の髪は、生命力を失ったようにほつれていた。

 くすんだ色の外套は無惨に破け、血に染まっている。

 手足が板に剣で縫いつけられ、拘束されていた。

 さらに突き刺さった剣――おそらく魔剣であろう――から発生している茨めいた蔦が、拘束を強化している。

 顔は土気色。

 呼吸しているかどうかも不明。

 瀕死、というべきか。

 あるいは、もうすでに――


 男の縫いつけられている板が、ロキアの仲間たちによって直立の状態にされる。

 その後に始まったのは足の方を床に固定する作業か。

 木の柱が一本、ステージの上に運び込まれた。

 板を直立に保つ支えとして使うつもりらしい。


「…………」


 拘束され生気が感じられないにも拘わらず、男には息を呑むほどの威圧感があった。

 尋常ではない存在感。

 そうだ。

 あの感じ。

 あれは、おそらく――


「もう察している連中もいるみてぇだな。ああ、お察しの通りだ」


 ロキアが後方の大男を指差す。


「こいつは、四凶災の一人だ」


 生徒たちがざわめく。

 先ほどとは質が違うざわめきだった。


「この四凶災はそこのキュリエ・ヴェルステインとオレでぶっ倒してやった。おぉっと、安心しな? すでに虫の息だ。テメェら雑魚が無様に逃げ惑う必要はねぇ」


 キュリエさんがロキアを一瞥したものの、声をかけはしなかった。


「さて、だ」


 布を被せた何かを手に取るロキア。

 あれは先ほど彼の仲間がそっと脇に置いたものだ。

 ロキアは布から、その『何か』を舞台の上に落とす。

 あれは――


 数拍後、


「きゃ、きゃぁぁああああああああ――!」


 最初に一人の女子生徒が悲鳴を上げた。


「う、うわっ!? おい、あれって――」

「人の、う、腕ぇ!?」

「な、なんだよ! 何のつもりだよ、てめぇ!」


 様々な反応を見せる生徒たち。

 そう――ロキアが舞台の上に放り出したのは、人間の腕。


「フハハハハ! 黙れ黙れ! 黙りやがれ! この甘っちょろいクソ学生共が!」


 ロキアの一喝。

 迫力に気圧されてか、一瞬で、場に張りつめた静寂がおりる。


「テメェらだって聖遺跡の魔物をぶっ殺して血しぶきの一つや二つくれぇ平気で見てんだろうが!? あぁ!? 重傷を負った仲間や、その死を目にしたやつだっているだろうによ!? それがなんだ? どうした? 腕の一本や二本でぎゃあぎゃあ喚きやがって! フハハ、フハハハハハ! まったく不思議な連中だぜ! なぁ!?」


 笑いが収まると、ロキアは足もとに転がっている腕に指先を落とした。


「こいつはな、そこの四凶災とやった時に死んだオレの仲間の腕だ」


 果たして。

 その腕が本当にロキアの仲間のものであるかどうかは、俺にはわからなかった。

 嘘か真か。

 彼のそれを推し量ることは難しい。

 だが、生徒たちの反応に少し変化が見られたのはわかった。


「この四凶災共は『オレたちの』王都で好き放題暴れてくれやがった。そんな中、オレはそこの第6院出身者を名乗るキュリエ・ヴェルステインと攻略班の仲間と共に、この四凶災に立ち向かった。なんのためか? ――この王都に住む人々を、守るためにだ」


 今のが嘘であろうことは、すぐにわかった。


「だがオレの大切な仲間は戦いの最中、四凶災に殺された。そうだ。オレは仲間を殺された……無惨に」


 口元を手で押さえるロキア。


「聖樹騎士団にも多くの死者が出たと聞く。そして学園の候補生には、騎士団の血縁者も多い。この広場にいる者の中にも、すでに肉親の死を知った者がいるだろう。また、まだ知らされていないだけで肉親を殺された生徒がいるかもしれねぇ。この学園を襲った別の四凶災に仲の深い生徒や教官を殺された者もいるはずだ。ゆえに――」


 ロキアは仲間から聖剣を一本受け取ると、四凶災の腕を切りつけた。

 ぱっくりと裂けた切り口から血が流れ出る。


「この四凶災をオレは、オレたち自らの手で処刑すべきだと考える……オレたちのこの手で、そこの四凶災にとどめを刺すのさ」


 ロキアのその唐突な提案に、生徒たちは奇妙さを覚えているようだった。


「な、なんでそんなことになるんだよ……しょ、処刑って……」

「そんなの、騎士団の生き残りとか、衛兵に任せればいいんじゃ……」

「意味が、わからないわ……」


 クク、とロキアが笑う。


「人の死を目にする覚悟はあっても、人の命を奪う覚悟はねぇか」


 生徒たちが互いに顔を見合わせる。


「そ、そういうわけじゃ……」

「けど、なぁ……?」

「やれねぇやつは別に、去ってもいいんだぜ?」


 ロキアが侮蔑的な笑みを浮かべる。


「だが、どうかな――」


 舞台を左右に往来するロキア。


「『あの四凶災』にとどめをさした勇気ある若き候補生たち……その中の一人であったという事実は、将来的にもテメェらの自分語りのいい材料になるたぁ思うがなぁ? 男どもは、夜会の一つにでも出るご身分になった時、どこぞのご令嬢やご婦人に話してみりゃあいい。自分はあの時四凶災にとどめをさした者の一人なのだ、と。相手の見る目が変わるだろうことは、四凶災の知名度を考えれば一目瞭然だ。箱入りな世のご婦人どもはピーチクパーチクとか弱い小鳥のふりをしてやがるが、その実態は、刺激的な話に飢えてやがるからな」


 ロキアは続ける。


「女どもは華やかなドレスに身を包んだ上で、その勇ましい己の決意を気のある貴族の男共に披露してみろ。強い女に貴族の男共が惹かれる事実は、過去にはクリス・ルノウスフィアが、現在ではセシリー・アークライトを筆頭に、ドリストス・キールシーニャ、クーデルカ・フェラリス、さらに聖樹騎士団のリリ・シグムソスが、しっかり証明している……容易に想像がつくな? 賢いテメェらならば、すぐに想像が可能だな?」


 途端、ロキアの語り口が変化する。


「ここでテメェらの人生はわかたれる。『四凶災を処刑した勇気ある者の一人』か『おめおめと逃げ去った無様な負け犬』かの、そのどちらかに」


 ロキアが手を打ち鳴らした。

 鞭を打ったような、乾いた鋭い音が響いた。


「ここにいるテメェらは今、一年目だよなぁ? つまりあと二年……いや、あるいはこれからもずっと、ここで逃げ去った臆病者は、ここで処刑に参加した勇気と覚悟を持った勇者たちと嫌になるほど比較され続け、未来永劫『あの時逃げたやつ』となる。これぞ家と身分と土地に縛られた者たちの悲劇……この国から出ていく術を持たぬ、生まれに恵まれた哀しき候補生たち……」


 ロキアが両手を掲げた。


「ああ、もちろん参加しねぇやつはここから去ってもらうぜ? ま、この状況を目にしただけで参加したと吹聴する行為は、これから行動を起こす勇気ある者たちが絶対に許しはしねぇだろうがな。テメェら、よぉ〜くここから逃げたやつの顔は覚えておけよ? そしてもしつまらねぇ嘘をつきやがったら、全員で指を突きつけてやれ。『こいつは嘘つきの臆病者だ』とな!」


 肩の動きで、キュリエさんがさりげなく息をついたのがわかった。

 呆れているようにも見える。


「オレはな、とにかく復讐がしてぇのさ。そして、その無様な死にざまをここで多くの人間に目にしてもらいてぇ。そこの小汚ねぇ四凶災に大事な仲間を殺され、オレ自身もヒデェ目に遭わされた。だからこそ、このオレ自身に叩きつけてやりてぇのさ。四凶災なんざ、まるで大した存在じゃねぇってことをな!」


 ロキアは屈み込むと、置かれた腕に手を添えた。

 そして厳粛な表情で生徒たちを見据えた。


「さぁ選べ。勇者となるか、永遠の逃亡者となるか」

「お、俺はやるぞ!」


 一人の生徒が手を挙げた。

 すると、


「ぼ、僕もだ! あ、兄貴が騎士団にいて……だから、僕……!」

 

 さらにもう一人。


「ならおれもだ! 誰にも、お、臆病者なんて言わせないぞ!」


 名乗りをあげた者の出たことが後押しとなったか。

 他の生徒たちも次々と参加の意思を表明し始める。

 この場から去ることが罪ですらあるような空気が、形成されていく。

 …………。

 上手い、と思った。

 三人目くらいまでの参加表明した生徒は、最初からロキアが紛れ込ませておいた彼の仲間であろう。

 いわゆるサクラというやつだ。

 本来なら首を捻りかねないこの奇妙な処刑劇だが、王都急変による異様な空気が、生徒たちから正常な判断力を奪っているのだろう。

 不安は募り、結果、誰かの意思に縋るようにして追随してしまう。

 平素なら持ちえる冷静さを、維持できない。


「ああ、そうそう」


 ロキアが、今思い出したと言わんばかりに口を開いた。


「実は今回、テメェらに集まってもらったのは四凶災の処刑のためだけじゃねぇ。なぁに、こいつはまだ余興さ。まだ本番が、最後に残ってる」


 皆、なんのことかと興味を湧かせている。

 まるで舞台でも演じているかのごとく、ロキアは間を取ってから話を続けた。


「とある筋からオレが得た情報によると……王都に四凶災を呼び寄せた人間が、どうやらこの学園にいるらしい」


 えっ、という反応をする生徒たち。


「しかもその人物はおそらく、この広場に集まった者の中に紛れ込んでいる」


 生徒たちが互いの顔を見合わせる。


「ククク、趣味の悪ぃことだろ? 自分で呼び出しておいて、後始末は他人任せ……そいつは正体も隠したまま、観客として観覧を楽しんでいやがるわけだ」

「な、なんでそいつはそんなことを? 目的はなんなんだ!?」


 思わずといった風に、一人の生徒が問いを投げる。


「だからイカれてんだよ、そいつは」

「ば、馬鹿な……」

「そうだよ。イカれてなけりゃあ四凶災を呼び出すなんて馬鹿な真似はしねぇさ。でだ……オレは、そいつを観客席から舞台に引きずり出すことに決めた。ようやくその算段がついたんでな。だから、この処刑劇を終わらせた後は――」


 邪悪な笑みを湛えながらロキアが口の片端から歯を覗かせる。


「そのイカれた興行者を、オレとキュリエ・ヴェルステインが裁きにかける」


 ぐるりと生徒たちを睥睨するロキア。


「まあその前に、まずはそこの四凶災の処刑を済ませてからだ。その四凶災への復讐劇が終わったら――この惨状の元凶を表に引きずり出して、次なる処刑を開始する」


 ロキアが揶揄に似た笑みを浮かべる。


「てぇわけだ。さあ、逃げるなら今のうちだぜ? ただしここで逃げ出せば、嫌な感じの視線が槍のごとく必ず突き刺さる。疑心とは、なんとも恐ろしい感情だな」


 今の言葉は効果的だったようだ。

 自分がその元凶でないことがわかっていても、ここで去る選択をするということは、いかにも正体がバレそうになったから逃げようとした風にも見えてしまう。

 そう、思ってしまう。


 場の空気というのは恐ろしい。

 伝聞と現場にいることの最大の違いは、場の空気だ。

 空気に呑まれると時に正常な判断力を奪われてしまう。

 生徒たちはこの場に繋ぎとめられてしまった。

 言葉の、鎖によって。


 ロキア。

 何もかも、計算ずくなのだろうか。


「ああいうのはおれにはとても真似できんな。ふん、つくづく多才な男だ」


 腕組みをしたヒビガミがにたりと、その口元を歪めていた。


          *


 処刑の準備が進む。


 もしも暴れ出したら自分とキュリエ・ヴェルステインがこの場で即座に始末する――そうロキアが伝えたことで、生徒たちも心持ち安心したようだ。

 ステージに射的の的のごとく設置された、四凶災の男。

 沈黙したまま、不気味に佇んでいる。


「瀕死とはいえ相手は四凶災……全身全霊を振り絞った術式が必要となる。どうもこいつら四凶災は、元から術式が効きづらい体質みてぇでな?」


 ステージ上を行き来しながら生徒たちに語りかけるロキア。


「そこでだ、術式を描く際は最大まで聖素を練り込んで放て。オレたちの『敵』の息を、確実に止めるために」


 生徒たちが半円を描くかのごとく、ステージを囲んで一列に並ぶ。

 これから何が行われるのか。

 そう。

 おそらくは集中砲火とでもいうべき光景が繰り広げられるのだろう。

 けれどロキアは何を考えているのだろうか。

 四凶災処刑後にノイズを炙り出す策が控えているとのことだが、となると、この処刑劇は単なるロキアの自己満足なのだろうか。


「準備ができたみてぇだな。クク、しかし驚きだ。一人も脱落者がいねぇとは」


 自ら去りづらい空気を作っておいてよく言う、みたいな顔をするキュリエさん。


「何者かは知らんが、あまり敵には回したくない性質の男じゃな」


 静観していたシャナトリスさんが口を開く。


「おいマキナ、あの男に協力しているとのことじゃが、ちゃんと手綱は握れておるのか?」

「そのつもりだけど……正直、微妙なところね。あの通り、人を喰ったような、どうにも掴みどころのない男でね。こっちが握っているようで、逆にいいように動かされているのかもしれないわ。けれど――」


 マキナさんは潔い調子で言った。


「利害が一致しているのは事実だし、今の私にはノイズという人物を見つける術はない。今は頼るしかないわ。まあ……既知の仲であるキュリエの存在が大きいわね。少なくとも彼女は、私たち側についてくれるだろうし」

「綱渡りじゃな」


 ふっ、とマキナさんが微笑む。


「いつだって私の人生は綱渡りみたいなものだもの。もう慣れたわ」

「長生きできん性質だ、おぬしは」

「それはあなたもでしょ? その左目、大丈夫なの?」

「自分の眼球を自ら抉り出した禁呪使いに比べればなんてことないわ。おぬしこそ固有術式を連発して、しんどいのではないか?」

「しんどいのは私だけじゃないもの。この長い一日が無事終わってベッドに戻ったら、泥のように眠るとするわ」

「ならば、久々に一緒に寝るかの!?」

「それはお断りするわ」

「…………」


 寂しそうに意気消沈するシャナさん。

 けど『久々に』ってことは、つまり一度は一緒に寝たことがあるということなのか……?

 どういう状況で同じ寝床に入ったのかが、少し気になるところではある。


「死にかけの四凶災を候補生に処刑させる……あまり趣味がいいとは言えませんね。一体、なんのために……」 


 俺の背後でセシリーさんが口を開いた。


「正直、俺にもあの男の考えていることはよくわかりません」


 その行為に意味があるのか、ないのか。

 それすらもわからない。

 意味のない行為をあえてフェイクとして行っている可能性もある。

 ロキア。

 道化というよりは、どちらかといえば奇術師のイメージかもしれない。


「皆、無事に終われるといいのですが……」


 不安そうに言うセシリーさん。

 …………。

 この身体が動かないのが、やはりもどかしい。

 けど、仕方がない。

 この状態で下手に動けば足手まといになる。


 それに、キュリエさんなら大丈夫だ。

 何度だって、いつだって。

 キュリエさんはやるべきことを、やり遂げてきた。


 彼女は、強い。


「今は……祈りましょう」


 こうして四凶災の処刑が、始まる――




 30分後くらいに次話、第102話を更新いたします。


 長らく更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。

 活動報告にも書きましたが、状況やご報告等は、改めて102話の後書きに記載いたします。

 

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