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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
124/284

幕間23「黒き炎と、あの日に置いてきたもの(2)」【リリ・シグムソス】


 リリはディアレスと二人で砦を散策することにした。

 数名の団員が横切るのを見届け、リリは口を開いた。


「皆、良く働いてくれていますが、これが終わったら休ませてあげたいところですね」

「強行軍でしたからねぇ。帰りは、ゆっくりと休みながら帰りましょう」


 飄々とした空気を纏いながらも優美に微笑むディアレス。


 ディアレス・アークライト。

 候補生時代からの腐れ縁になるが、リリは未だにこの男のことがよくわからない。

 人々は彼のことを天才と賛美する。

 事実、彼は天才と評するに値する人物であろう。


 リリ・シグムソス。

 ラムサス・ファロンテッサ。

 ルネ・ウィンフォート。

 ノード・ホルン。

 ディアレス・アークライト。


 この五人は同じ年に騎士団へ入団した。

 その中でもメキメキと頭角を現し、あっという間に聖位二位、そして副団長の座にまで上り詰めたのが、ディアレスだった。

 他の者もめざましい成果はあげていたが、やはりディアレスの活躍の前では霞んでしまうだろう。


「ところでディアレス、先ほど口にしたロキアという人物は何者なのですか?」


 するとディアレスは遠くに思いを馳せるように、手元の聖剣を見つめた。


「あの男は、いつか倒すべき私の敵です。なんとも不快な男ですよ、あれは。ソギュートと出会っていなければ私はあの男を追って、一人で終末郷に乗り込んでいたやもしれません」

「……誰かの仇、ですか?」

「はい」


 ディアレスは微笑んだ。


「私自身の、仇です」


 目が笑っていない。


「これまでの人生であれほどまでの屈辱を受けたことはありません。この私をあそこまでコケにするとは……ある意味、あれも才能ですかね」


 いつもならば演技めいたものが混じる彼にしては珍しく、剥き出しの素の感情が滲み出ていた。

 彼の素を引き出すほどの男。

 ロキアとやらは一体、何者なのだろう。


「ところで、前々から不思議だったのですが……ディアレス、あなたは女性に惹かれるということはないのですか?」


 これは純粋な好奇心から出た質問だった。

 先ほどの女郎蜘蛛という女は、同性であるリリから見てもはっとするほど妖艶な美女であった。

 だが彼は誘惑を受けてもまるで心が揺れた気配がなかった。

 そもそもリリは、彼が女性に心ときめかせている姿を見たことがない。

 彼は候補生時代から、特定の女性ついての語ること自体稀であった。


「私は母やセシリーを見て育ちましたからねぇ。女性というのは恐ろしいものと認識しています。それに容姿だけを取ってもセシリーに勝る女性は、そういませんからね」


 容姿については基準が高すぎる、ということか。

 彼の妹であるセシリー・アークライトは、リリも何度か目にしたことがある。

 確かにあの美の結晶を毎日目にしていれば、美の基準が狂うのも頷けるというものだ。

 何より本人が下手な女性よりも美形なのである。

 生半可な美女では、釣り合わぬということなのだろう。


「君こそどうなのです、リリ?」

「自分、ですか?」

「君は、私が見てきた女性の中でも才色兼備と言える女性の筆頭ですが、とんと浮いた話を聞きません」

「世辞が上手いのは変わらないですね、ディアレス」


 リリは、まず自分を美人だと思ったことがない。

 顔立ちは多少整っているのかもしれないが、兄譲りの鷹めいた目つきがきつい印象を与えてしまうらしく、話している相手からよく視線を逸らされてしまう。

 別段これといって気立てがよい方でもないし、ルネのように男受けする身体つきをしているわけでもない。

 むしろ、よく無愛想だと言われる。


「うーん……では、質問を変えましょう。あえて好みの男性を挙げるとするなら、どういう男性ですか?」


 ふーむ、とリリは真剣に考える。


「あえて言うならば、ガイデン様やワグナス様のような方ですかね?」

「はっはっはっ!」

「な、何が可笑しいのですか!?」

「なるほど! 君は随分と年上がご趣味だったんだね! ははは、そっちだったか!」

「と、年上が趣味なわけではありません! 経験豊富な男性の、安心感というものがですね――」

「いえいえ、何も悪いことなどありませんよ? ある種、素晴らしい趣味ともいえる。だがそうか、だとすると、これは同年代の男たちが求愛しても靡かないわけだ」

「求愛? なんの話です?」


 くっく、とディアレスは含み笑いをする。


「加えてこの鈍感さですからねぇ。やはり罪作りな子ですよ、君は」


 リリは呆れて、ディアレスを半眼で見る。


「罪作りなのはどっちですか。一体どれほどの数の女を泣かせてきたと思ってんです、あなたは」

「好意を受け取った上ではっきりと断っている分、まだマシだと思うんですがねぇ」


 ちなみに候補生時代、親友のルネを振ったディアレスに、リリは手加減無用の平手打ちを喰らわせたことがあった。


「それにしてもリリ、今回の砦占拠の件、どう思います? 私は、どうもおびき出されたような気がしてならないのですが」

「ええ、確かに不自然な感じはしました。なんだか奇妙な感じに統制がとれているのが、私も気になって。各々好き勝手に振る舞ってはいるんですが……こう、ある一点においては取り決めがある、というか」

「何者かの意図を感じる、と?」

「ええ。砦を占拠した後はそのまま居座り続けるというのも、何か違和感があって……」

「ですよねぇ」


 ディアレスが黙考する。


「聖樹騎士団の不在によって最も不利益を被る場所、か」


 すれ違う部下へ頭を巡らせながら、ディアレスが言った。


「王都あたりで、何か起こっていなければいいのですが」

「けど大丈夫ですよ、ディアレス。王都にはラムサスもルネいます。ダビド殿だっています。何より、ヴァンシュトス殿がいるではありませんか」


 ラムサス・ファロンテッサ。

 ディアレスとリリと共に、候補生時代に攻略班を組んだ男。

 術式の才に優れた者を多く輩出してきたファロンテッサ家の長男。

 彼はとかく美しいものに目のない男だった。

 ラムサスはその美しさに惹かれてか、ディアレスの誘いをあっさりと受け入れ、リリを含む三人で聖遺跡最大到達記録を打ち立てた。

 リリは彼との会話を思い出す。


『私は美しいものはこの命に代えてでも守ります。ですからディアレスとリリ嬢も命がけでお守りしますよ』

『なんというか、将来あなたと婚姻を結ぶ者は大変でしょうね』

『は、は、は、何をおっしゃるリリ嬢。美を愛でる行為と異性との恋愛は、別ですよ?』

『……そうなのですか?』

『美を愛でるのは概念! 恋愛は、情熱ですから!』

『私にはよく違いがわかりません』

『つまり、どちらも素晴らしいということです!』


 奇妙な観念や自尊心の高いところはあるが、決して悪い男ではない。

 そんな彼も、騎士団に入ってからはルネと仲を深めているようだ。


 ルネ・ウィンフォート。

 リリとは最もつき合いの長い親友である。

 幼少時はベルク族というだけで街の悪ガキたちに苛められていたが、そのたびにリリは彼女を庇った。

 種族で偏見を持たれるのはこの大陸では仕方がない。

 それ自体を撤廃するのも、すべての亜人を保護するのも無理がある。

 だが、見過ごせないものは見過ごせない。

 見ていて苛々するからだ。

 だからリリは、ルネを守ることにした。

 そしていつも手を差し伸べるリリに、ルネはとても懐いていた。

 ルネはおっちょこちょいで、候補生時代も失敗を連発していた(笑って流せる程度のものがほとんどではあったが)。

 ただ、彼女は何よりとても優しい少女だった。

 よく遺跡攻略の前に、攻略に役立ちそうな道具を見繕ってくれたりもした。

 卒業も迫った最後の聖遺跡攻略直前の日を、リリは思い出す。


『これを、私に?』

『はい。リリが、どうか無事に戻ってこれますようにと思って』

『治癒術式の込められたクリスタル……これ、高かったでしょう?』

『リリの命は、値段には変えられませんからねっ』

『……ありがとう、ルネ』

『がんばってくださいね、リリ! そして、必ず戻ってきてください! 待ってますから!』


 リリは首飾りに嵌ったルネから貰ったクリスタルを、握りしめた。

 ルネは器量が決して良い子ではなかったが、誰よりも努力家だった。

 特に騎士団に入ってからは、その努力が身を結んでか、驚くべき成長を遂げた。

 ダビド・ハモニスとの出会いも良い作用をもたらしたのだろう。


 ダビド・ハモニス。

 彼は特にラムサスとルネを可愛がっていた。

 まるで、実の父親のように。

 ダビドは騎士団において優れた調整役でもある。

 ソギュートやディアレスが団長や副団長として選出された際、古株の団員たちは二人を疎ましく思った。

 その時、彼ら古株を上手く宥めたのがダビドであった。

 彼はそのような不満を解消する術に長けていた。

 年配の団員たちも「ダビドがそう言うなら仕方ない」と、最後にはいつも苦い笑みを浮かべ、受け入れる。

 今の騎士団の運営に関して、新旧の溝を手際よく埋める彼の存在は不可欠といえるであろう。

 彼は聖樹騎士団が現在の姿になるための、陰の立役者だった。


 陰の立役者といえば、ヴァンシュトス・トロイアの存在も不可欠であろう。

 彼は騎士団に馴染めぬ新人や、悩みのある団員にいつも声をかけ、時には、夜が明けるまで団員の悩みを聞いてやることもあった。

 彼に救われた団員も多い。


 こうして考えると自分が今の聖樹騎士団のことがとても好きなのだなと、リリは改めて実感する。

 ほんの数日しか王都を離れていないのにも関わらず、不思議とリリは彼らに会いたくなった。


「そうですね。特にヴァンシュトスがいれば、大抵の脅威には対処できるでしょう。まあ、いざとなれば彼らもいますから」

「彼ら?」

「キュリエ・ヴェルステインという少女と、サガラ・クロヒコという少年です」

「例の6院の出身者と、禁呪使いですか」

「ヴァンシュトスとも、何かあった時は二人に協力を仰ぐよう決めてあります。それに、あのクロヒコという少年と出会ってから、あの気難し屋だった妹が少し変わったんですよ。まさか、あのセシリーが――」


「むぅ! 断岩のヒバシ殿を一撃とな! おぬし、やるな! 我は――十死末が一人、白槍のグルンバーナ! いざ、参る!」

「うるせぇな、さっさとくたばりやがれ」


 やや離れた通路の角から、血泉を噴き上げながら倒れ込む短刀を手にした男、槍を構えた白装束の男、そして燃え盛る赤い髪の男――ノード・ホルンが飛び出してきた。

 ノードが光り輝く魔剣を一振りした。

 すると、彼の姿が何重にもぶれて見える。

 白装束の男が放った槍は、その分身めいたぶれのせいか的を外してしまう。


「ぬぅ!? 本体を外したか!?」

「ああ――大外れだよ」


 刹那、半月状の剣閃が煌めき、白装束の男は斬り伏せられる。

 魔剣の血を拭きながら、ノードがこちらへ歩み寄ってくる。


「リリ、どうも少し前から十死末とかいうそこそこの腕前のやつらが出て来てるらしいぜ。ま、あの程度ならここに来てる団員なら対処できるだろうが……一人、やばいのがいるみてぇだ。確か、ロゼ……なんとか」

「ロゼルバイオン、ですね」


 ディアレスが答えを引き継ぐと、ノードは不快げに眉根を寄せた。


「……ディアレス、おめぇには言ってねぇよ」

「これは失礼」


 険悪な空気が流れる。


「俺はおめぇが心底嫌いだ、ディアレス。その余裕ぶった態度が気にくわねぇ。候補生時代からな」


 ノード・ホルン。

 ホルン家の長男。

 ホルン家は常にアークライト家と比べられ、そして後塵を拝し続けている。

 ノードは候補生時代からディアレスを敵視していた。

 ただ、


「だがな、おめぇの実力は本物だ。そいつは認めてる。そして俺はいつかおめぇを超える。だから――」


 ノードはディアレスとすれ違いざま、言った。


「それまで団長以外の人間に負けんじゃねぇぞ? いいな?」

「ええ、努力はします」

「ちっ、やっぱりおめぇはいけ好かない男だぜ」


 一見すると粗暴な印象を受けるが、ノードは実直な面も持ち合わせていた。

 実際、候補生時代にノードの取り巻きがディアレスに陰湿な嫌がらせをしようとした際には、ノード自らディアレスのところに謝罪に来たこともある。

 そして謝罪の後、彼は取り巻たちにこう言った。


『おめぇらが俺のためだと思ってやってくれたことには感謝する。だが、こいつとは正々堂々と決着をつけてぇんだ。頼む、俺を卑怯者にしねぇでくれ』


 そんな面を持っているからこそ、リリもノードのことを嫌いになれなかった。

 とはいえ、彼はこれでも美男子の部類であり、その野性味と気品を持ち合わせた気質を好む女子団員も多いのだが、いかんせん、ディアレスのことしか目に入っていないのが玉にキズである。

 どうしてこう騎士団の男どもは、とリリは肩を竦めるばかりだ。


「さて、では我々もそのロゼルバイオンとやらを――」


 どがんっ、と。

 すぐ先の壁が、砕け散った。

 崩れた壁の向こうから飛び出してきたのは、毒々しいまだら模様の鎧を纏った巨漢。

 次に飛び出してきたのは、


「お兄様!」


 剣を振りかぶった、ソギュート。

 さらに、穴から武器を携えた三人の男女が飛び出し、ソギュートに追いすがる。


 この時――ディアレス、リリ、ノードの三人は即時に動いた。

 それぞれ無言のまま、団長の後方から現れた三人へ向かって駆ける。

 ソギュートの視線は一度だけ、ちらとこちらを捉えただけだった。

 仲間に危険が迫っていれば即座に行動する。

 身についた反射的動作とも言えた。


 飛び出してきた後方の三人を、ほぼ同時にリリたちは突き殺した。

 寸分たがわず、急所を捉えて。

 ソギュ―トが、腰から倒れた巨漢の鎧の関節部に剣を突き込む。


「ぐがぁぁ!」


 すると、鎧の内部から発した黒き炎が鎧を包みはじめた。


「ぐ、ぐぉぉぉぉ――!」


 鎧の男は杭状の武器が着いた手甲をソギュートへ向けるが、すぐに腕をだらりと下げ、力尽きた。


「団長、大丈夫ですか?」


 ノードが一番に駆け寄った。

 彼は人一倍ソギュートを尊敬している。


「ああ、問題ない」


 ソギュートは鎧の男を含む死体へ視線を飛ばした。


「どうも十死末とやらが、まずおれを優先して殺そうとしていたみたいだな。十人の内、半分を集めておれに目標を絞ったとかなんとか、そこのロゼルバイオンとかいう鎧の男が誇らしげに語っていたが――」


 ディアレス、リリ、ノードの三人は目を交互に合わせた。

 ノードが、感服して息を落とす。


「団長は十死末最強の男とやらを、普通に倒しちまったわけか……やっぱ、団長はすげぇや」


 憧憬の眼差しをソギュートへ向けるノード。

 ソギュートが剣を下ろし光が消えると、鎧の男を包む炎も消えた。


「砦の方もあらかた制圧したようだな。……リリ、ノード、二人とも怪我はないか?」

「はい、お兄様」

「あの程度の相手なら俺でも余裕です」


 ディアレスがにっこり微笑みながら尋ねた。


「私の心配はしてくれないのですか、ソギュート?」


 ふっ、とソギュートは一蹴するように口の端を歪める。


「おまえみたいな捻くれ者は、早々死にやしないだろ」

「……なぜこの人は、私にだけ冷たいのか」

「そこで冷たいと感じるところが捻くれてるんだよ、ディアレス」

「はいはい。あ〜あ、助けて損したかなぁ」

「助けてくれと頼んだ覚えはないがな。ま、礼は言っておくさ」

「いーえ、今さら遅いです」

「な、ノード? 捻くれ者だろ?」

「……ディアレスの性格が捻じ曲がってる点については圧倒的に同感ですね。候補生時代から、こいつはそうでしたから」


 ノードの追撃まで受けたディアレスは額に指を添え、唇を噛んだ。


「帰りたい……騎士団の良心であるヴァンシュトスがいる王都に、早く帰りたい」


 ぽんっ、とリリは慰めの意味も込めてディアレスの肩に手を置いた。

 そして内心、なぜ自分が『良心』の枠に入っていないのかを王都に戻ったら問い詰めようと決意していた。

 とはいえ、リリは妹としてディアレスに感謝している。

 ディアレスという軽口を叩ける相手ができたことは、兄のソギュートにとって良いことだった。、

 実際、彼と出会ってからソギュートは少しだけ険が和らいだ感がある。


 ソギュートが十死末らの死体を見下ろす。


「騎士団の中でも精鋭を連れてきたのは正解だったな。侮れない連中ではあった」

「そうですね……決して、雑魚ではありませんでした」



「いいや、雑魚だよ」



 その声に皆、一斉に反応する。

 一人のローブを羽織った少年が通路の向こうに立っていた。

 柔らかそうな金色の髪に、人懐っこそうな細い糸目。

 美少年、といえるのだろう。


「何者だ?」


 リリが問うと、少年が微笑む。


「初めまして。ボクはネメシア。『獄』の人間――と言っても、キミたちにはわからないか」

「獄?」

「『終末監獄』……終末郷の中でも特に手が付けられない連中が入れられる、終末郷にある巨大地下監獄のことさ。そこを終末郷の人間は『獄』と呼んでいるんだよ」


 少年は転がる死体を跨ぎ、前へ出た。


「このたびは特例的にお目こぼしをいただいてね。こうして晴れて自由の身となって砦の襲撃に加わったわけだけど……正直、ボクにとっては退屈だったかな」


 砦の襲撃者。

 どうやら彼も敵のようだ。

 それにしても――


「キミたちは聖樹騎士団、だよね? その名は獄にも届いている。お会いできて光栄だ」


 少年から放たれる息苦しいほどの威圧感は、なんなのだろうか。

 見れば、威圧感を覚えているのはリリだけではないようだった。

 ソギュートが、剣を構えた。


「十死末とは、比較にならん相手のようだな」

「フフ、さすがは『黒の聖樹士』だね。相手の力量を見極めるのは、とても大事なことさ。そう――」


 少年の糸目が僅かに開かれた。


「相手がいかに危険かを見極めることができれば、少しは長生きできるかもしれないからね?」

「――っ!」


 ぞくり、と。

 リリは、全身に寒気が走るのを感じた。

 心臓を鷲掴みにされた気分。


 その時――ノードが動いた。


 それは、無駄のない洗練された一撃だった。

 さらに魔剣の力による、読みづらい分身攻撃。

 しかしその刃は、あっさり空を切った。


「あはは、怖いなぁ」


 ネメシアが、気づけばノードの背後に移動していた。

 少年は、カラカラと無邪気に笑っている。


 ――まるで見えなかった。


 ネメシアの動きを、まったく目で追うことができなかった。


「ん?」


 今度はノードに連動するように攻撃へ移行したディアレスが、ネメシアに迫っていた。

 聖剣による素早い斬撃。

 予備動作を極限まで排除した――『無道剣』。


「へぇ……おねえさん、面白い剣を使うね。ああ、違うか――キミは、おにいさんか。ごめんごめん、随分と綺麗な顔してるから、女かと思っちゃったよ」


 リリは血の気が失せていくのを感じながら、剣の柄を握り直した。

 ネメシアはディアレスの剣の一ラータルほど先に、余裕たっぷりの表情で立っていた。

 ディアレスの剣ですら、捉えることができない。

 リリは震えを覚える。


 ――格が、違う。


 十死末とは別次元の相手。

 攻撃を仕掛けたノードもディアレスも、それは感じているようだ。


「あはは、そこの美人のおねえさんは今のを見てすくみ上っちゃったみたいだね。けど、恥じることはないよ? ボクは獄の三層の出だからね。フフ、三層といっても、やっぱりわからないか――ん?」


 ソギュートのレーヴァテインが、うなりを上げた。

 だが――


「おっとっと、危ないなぁ」


 ソギュートの剣がネメシアを斬り裂くことは、叶わなかった。

 危なげなくソギュートの剣をかわして飛び退いたネメシアは、ふわりとローブを宙に舞わせながら、ロゼルバイオンの鎧の上に腰を下ろす。


「フフ、さすがは『黒の聖樹士』、といったところだね。さっきの二人とは圧倒的に実力が違うや。だけど、せっかくの聖魔剣を、まだキミは扱い切れていないようだ」

「……これが、獄の者とやらの実力か」


 ソギュートが表情を顰めた。

 ディアレスとノードも気後れした顔をしている。

 リリも、己の無力さを痛感した。

 同時に覚えるのは、絶望感。

 獄の者とやらは、ソギュート・シグムソスをも上回る相手なのか。


 ネメシアが口元に手を当て、クスッ、と微笑む。


「さて、これからどうしようかなぁ? このまま終末郷に留まるっていうのも、つまらないよね。例の三大組織とやらの相手も面白そうだけど、せっかくこうして自由の身になれたんだ。終末郷から出て、楽しみたいな」


 うん、とネメシスが頷く。


「そうだね……なんなら、王都クリストフィアにでも行ってみようかな?」


 ノードが歯噛みする。


「ん、だと?」

「聖樹騎士団は期待外れだったけど、あそこには聖遺跡ってのがあるんだよね? しかも――王都クリストフィアには、あの禁呪の使い手がいるって話じゃないか」

「知って、いるのか」

「うん、一応ね。それに、ボクは聖樹を実際に目にしたことがないからなぁ……一度、見てみたいと思ってたんだ。よし、決めた!」


 名案とばかりに、ネメシアが手を打ち鳴らした。


「聖樹があるっていう王都クリストフィアに、行ってみよう! けど、その前に――」


 ネメシアが薄っすらと目を開き、にぃ、と頬を歪めた。


「聖樹騎士団全滅っていう手土産を、いただくとしようかな」


 肌に痛いほどの殺気が、ネメシアから迸った。


「あ――」


 表情こそ笑んでいるものの、彼から放たれている鋭利な殺意が、リリをその場に縫いつけてしまう。

 冷たい汗が、頬を流れ落ちた。


 ――勝てない。


 この少年には、勝てない。

 どうする。

 どうすればいい。

 このままでは、王都が――


「ノード」


 ディアレスが、ノードに呼びかけた。


「……んだよ」

「ここは、相打ち覚悟でやるしかないようですね」


 ノードが、ぎりっ、と歯噛みする。

 その口元から血がつたう。


「ちっ……仕方、ねぇか。ここは、乗ってやるよ」


 ノードがディアレスと目配せする。


「団長とリリは逃げてください。こいつは、俺とディアレスでやります」

「道半ばではありますが……こればかりは、仕方ありませんね」


 二人が剣を構える。

 リリは、ぐっ、と剣を握り込んだ。


「自分も、残ります。せめて……お兄様だけでも、逃げてください」


 ソギュートが、剣を持つ腕を下げた。


「……馬鹿どもが」

「美しい仲間意識だね。フフ、素晴らしいなぁ。そうだね、せめて殺す時は苦しまないように殺してあげるよ」


 ネメシアが、腰を浮かせた。


「死の覚悟を決めた人の散り際は美しいというが、ボクはそれを美しいとは思わないね。だけど、愉快ではある。勝てぬとわかっている相手に立ち向かう……こんなにも滑稽なことは、ないから」


 純白のローブからネメシスが生白い腕を出した。

 腕には魔道具が嵌っている。

 彼の手が、淡く発光を始めた。


「さ……はじめようか、聖樹騎士――」



 ズバンッ、と。



「――え?」

「愉快か……おれは、貴様の存在が不愉快だ」


 ネメシアの腹から右肩が、一直線に斬り裂かれた。


「がっ……!? な、に……っ!?」


 レーヴァテインの刃が、ネメシアをとらえていた。

 いつの間にかソギュートはネメシアの手前まで移動していた。

 旋風のごとくソギュートが素早く横に回転。

 回転の勢いそのままに、横薙ぎでネメシアの胸元へ斬りつける。

 ぶしゅぅっ、とネメシアの血が噴き上がった。

 十字の傷が、ネメシアに刻まれる。


「ば、かな……き、キミの実力は、だ、だって……」

「先ほどの一撃が、おれの本当の実力だと思ったのか?」


 傷口をおさえながら尻餅をつくネメシアを見下ろし、ソギュートが問うた。


「貴様は、最初の一撃でおれの力量を見極めたつもりになった。ゆえに、二撃目も同じ感覚で避ければいいと思った。しかしいざ攻撃の動作を見て避けようと思ったら予想よりも素早かったため、攻撃を避けきれなかった――そうだろう?」

「さ、最初の一撃は……真の実力じゃ、なかったってこと……なの、か」


 ネメシアが顔に大量の汗を伝わせながら、フフ、と笑った。


「けどさ、詰めが甘い……甘いよ、ソギュート・シグムソス」

「……何?」

「キミは、この距離に来てしまった。もしとどめをさすなら、無駄なおしゃべりなんかさせるべきじゃなかったんだ」


 ネメシアの目が、変色した。


「フフ、もう遅い」


 彼の目が虹色に変化していた。


「さあ、いこうか。『完全なる虹色の――」


 刹那。


「――ぐぅ!? こ、これはっ……!」


 ネメシアの身体を、黒い炎が包み込んだ。

 ソギュートがネメシアの目を斬り裂いた。


「ぐぁぁああああ! がっ……がぁぁ!?」



「いつ、おれが詰めの手を緩めたと?」



 ネメシアが、何やら術式を編み込んでいる。


「ぐぁぁああああ!? くそ、なぜだ!? なぜこの炎は消えない!? 最大級の解除術式だぞ!? あらゆる術式に上書き可能な解除術式が、なぜ効かない!?」

「その炎は使用者自身が解除しない限り、消えることはない」

「ち、ちくしょう! ぼ、ボクは獄の出だぞ!? こ、こんなやつに――く、くそがぁ!」


 呆然と成り行きを見ていたディアレスが、冷や汗を流しながら微笑んだ。


「ソギュート……どこまで強くなるのですか、あなたは。本当に、嫌になるほど遠い……いえ、だからこそ、私は――」

「た、助けてくれ!」


 ネメシアが、ソギュートに縋りついた。

 ちなみに、黒い炎は使用者であるソギュートには効果がない。


「何?」

「い、嫌だ! 死にたくない……せ、せっかく獄から出れたんだ! こんなところで、し、死にたくない……!」

「悪いが、貴様の願いを聞き入れるつもりはない」

「じ、慈悲はないのか!? か、仮にもあんたは誇り高き聖樹士だろ!? 誇りある者ならば、純粋な命乞いには耳を貸すべきだ! 違うか、ソギュート・シグムソス!? そうだ! な、なんなら聖樹騎士団に入ってやってもいいぞ! ぼ、ボクは役に立つ! だから――」

「……貴様は、この砦で殺した人間の数を覚えているか?」

「そ、それは――」

「数えきれないほど同胞を殺した相手を、おれは許すつもりなどない」

「げ……外道がぁ!」

「貴様には貴様の考えがあり、おれにはおれの考えがある。そして貴様とおれは敵同士。これはただ、それだけの話だ」

「う、ぐ……くそ、恨んでやる! 恨んでやるぞ! 呪い殺してやる、ソギュート・シグムソスぅぅうううう!」

「それに――」


 ソギュートの声は、無慈悲な残酷さを孕んでいた。

 だが、少しだけ寂しそうにも聞こえた。

 その寂寞たる調子は、遠い過去の残響を引きずっているかのようにも思えた。

 そして、


「がっ……!」


 レーヴァテインの刃が、ネメシアの額を貫いた。

 ソギュートは剣を抜きながら、静かに言った。


「敵へ向ける慈悲などというものは、すべてあの日に置いてきた」

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