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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
122/284

第98話「閉じた闇の中で」


「異常者、だって?」


 ヒビガミは袖口に腕を滑り込ませると、ニヤリと嗤った。


「戦う動機を相手に与える際、方法の一つとして、その人間の愛する者を手にかけるという手段がある。愛すべき者を殺された恨み、憎悪――この感情こそが、人を稀に真の戦士へと覚醒させる。やり口としちゃあ月並みだが、即効性の起爆剤としても、まあ有用な手段だな」


 俺は禁呪を解かず、キュリエさんとセシリーさんを庇うように前へ出る。

 二人に手を出さないという約束も、所詮は口約束でしかない。

 気まぐれでヒビガミがその約束を反故にしないとも、限らない。

 油断だけは、しないようにしよう。


「だが己の場合、どちらに転ぶか、どうにも読み切れないところがあってな」

「……あんたの言っていることが、よくわからないが」

「そう、己はよくわからん男だ、サガラ・クロヒコ。とてつもなく意志が強いかと思えば、異様に脆い部分がちらつく時がある。おれからすると――下手をすると己は、愛する者が命を落とした瞬間に『壊れる』危険性がある」


 壊れる、だって?


「反面、愛する者を守るためならばどんな手段を用いてでも守り通すという覚悟を持っている。サガラ・クロヒコは自己の安全よりも他者を最優先する男なわけだ。それは初めて出会った時も感じたことだ。先少し前に、ほぼ躊躇なく禁呪の呪文書を読んだ時にもな」


 ヒビガミは核心に迫るような調子で、顎髭をゆっくりと横に撫でた。


「自分よりも他者を優先する人間は、決して珍しいわけではない。自己犠牲精神もその一種だ。ただ、これには二種類あってな」


 ヒビガミは二度、軽く地面に足の底を擦った。


「一つは、実は自己の価値を高めるために他者の存在を利用している場合だ。一見すると他者のことを考えているように映るが、実は自己陶酔的な欲求を満たすために利用している、というものだ。まあ、これは別におかしなことでもなければ、悪いことでもない。人として当然の欲求さ。人は誰よりも己を愛し、己の価値にこそ重きを置き、そして他者から認められたいと願う――承認を、求める。己が何よりも最優先……人とは、そういう生き物だ。ただ――」


 ヒビガミが双眸を細める。


「ごく稀にだが、自己と他者の価値が逆転している者が存在する。言うなれば『己のすべてを他者に仮託している人間』とでも言おうか」


 俺を見るその昏い瞳は、相手が特別であることを喜んでいるようでもあった。


「さらに己の場合は『過剰に喪失を恐れる』ことで、その意志の強さを維持している節がある。己が面白いのはそこさ。圧倒的な『弱さ』こそが、逆にその奇妙な強さを強固に支えているというわけだ。つまり、恐怖を力に変えているのさ。恐怖すればするほど、強くなる――この不気味な作用を、異常と呼ばずしてなんと言う?」


 …………。

 わ、わからない。

 ヒビガミが何を言っているのか、俺にはさっぱりわからない。

 どうしたんだ?

 なんでヒビガミはいきなり似非哲学みたいなことを話しはじめたんだ……?


 そりゃあ、キュリエさんやセシリーさんを失うことは怖い。

 だから彼女たちを守るためなら、なんだってするつもりだけど……。


「喪失を過剰に恐れてしまうほど、サガラ・クロヒコという人間はそれまで何も得られず、与えられてこなかったということなのだろう。そうして形成された人格が強さへ転化する要因となったのは、奇跡的な反応と言うべきだろうが……ともかく、ゆえに己は――無意識かどうかはわからんが――善悪を考慮する余地を自ら破棄している。つまりだ」


 ヒビガミは一つ地面を擦ったつま先を、喜悦混じりにじっと見つめた。


「善悪の判断ではなく――己の『敵』かどうかが、すべての判断基準になっている。しかも、まるで雑音が入り込む隙間がないときている。これは善人悪人関係なく、駆け引きをしたい人間からすれば嫌な相手でな……ことによっては、交渉の余地がまるで見当たらなくなる」


 相変わらず何を言っているのかわからないが、ふと思い出したのは、事情聴取の時にソギュート団長が口にした言葉だった。


『確かに面白い男だ。だが同時に厄介でもあるな。四凶災と同じで、まともな交渉が通じん手合いか』


 ……まともだと感じる人の話は、なるべく聞くようには心がけているのだが。


 まあ、多分ヒビガミが言いたいのは、引きこもりだった俺だからこそようやく手に入れた人との関わり合いを失いたくない……だから、それを失わないために俺はすごくがんばることができる、ってことなんだと思うけど……。

 でも、それだったら『他人と自分の価値が逆転してる』みたいなことをヒビガミは言っていたが、結局は自分のためにがんばっているってことなのでは……?

 うーむ。

 やっぱり、よくわからん。

 

「もし己の本質を見抜いたものがいるのならば、まず『敵』の側に立つことだけは避けるべく行動するだろうな。普通に考えれば、こんな馬鹿げた力を持った人間に『敵視』されるのは危険極まりない。そう……つまりサガラ・クロヒコを壊して無力化したいならば、むしろ『味方』になるべき、というわけだ」

「悪い、ヒビガミ」


 俺は眉間に指をあてながら、言った。


「あんたが何を言いたいのか、ほとんどわからないんだが」

「カカッ、わからんならわからんでもいいさ。それに小難しい人間分析は本来、ヴァラガやケイン、ロキアあたりのお家芸だからな。だが――」


 ヒビガミは読み取り難い感情を宿した瞳で、セシリーさんを見た。


「いまいちキュリエはピンと来ていないようだが……どうやら己には、おれの言いたいことが伝わったようだな。なるほど、今までの態度については謝罪しよう。理解が早くて助かったぞ、セシリー・アークライト」

「クロヒコをあなたなりに分析した結果、あなたにとって望ましくない弱点が見つかった……その弱点を『あなたのために』よく理解しておけ、ということですか」

「そうだ。ゆえに己らをここで殺すわけにはいかんし、来たるべき日までに死んでもらっても困るわけだ。そんなつまらんことで宿敵に『壊れて』もらっては困るのでな……ただし、サガラよ――」


 腕組みを解き、ヒビガミが『無殺』に触れた。


「己が登ってくるべき場所に登ってくる気配が長らくない場合は……わかっているな? 己の大切な者たちはすべて、皆殺しだ」

「言っただろ」


 俺は翼を広げ、左腕に力を込めた。


「あんたは必ず、俺が倒す」


 ここで第三禁呪を不意打ち的に発動させる手も、なくはない。

 ただ、ベシュガムの皮膚を貫けなかったことが確殺性を希薄にしてしまっている。

 ゆえに不安は残る。

 ヒビガミがベシュガムと同等以上の相手ならば、第三禁呪は多分――必殺にはならない。

 ふん、とヒビガミは満足げに鼻を鳴らした。


「三年という期限を設けたが、己は予想外の速度で強くなっている。それゆえ、期限を早めることも考えているが――」

「今回あんたには借りもできた。それくらいは、かまわない」

「その心がけは素晴らしいが……おれたちがやるのが今じゃあないことだけは、確かだ。まだまだ己には、禁呪の力を喰らってもらわねばならん。己には、もっともっと、限界まで強くなってもらう」


 ヒビガミは肌をひりつかせる戦意をみなぎらせ、血管の浮かぶ右手を胸の前に掲げてみせた。


「そう、限界だ――おれは限界を超えた先にある風景を、見てみたい。そして己ならば、きっとその風景をおれに見せてくれる……信じてもいいな、サガラ?」

「俺の限界を、尽くす」

「正しい回答だ」


 ヒビガミは戦意を消し、口の端を歪めて歯を覗かせた。


「まあ、己のその姿を見れば鍛錬を怠ってねぇことはわかる。だから、最初に言いかけたのは己の環境にケチをつけようとしたわけじゃあねぇさ。カカッ、ああ、なるほど、誰かに何かつまらんことをほざかれたな? おおよそ四凶災あたりに、己らの関係を、生ぬるいお友だちごっことでも蔑まれたか?」

「……そんな感じだ」

「ふむ……では一つ聞くが、四凶災は己にとって大事な存在か?」

「……いや」

「カカッ、ならばなぜ耳を貸す?」

「え?」

「らしくないな、サガラ。……いいか?」


 ヒビガミは口に弧を描き、剥いた前歯を、ゆっくりと浮かせた。


「所詮、敵は敵だ。敵とはただ敵であり、他の何ものでもないのだ。ゆえに敵の言葉など一蹴……何をほざこうが、一蹴だ。敵視することもない――ただ、一蹴。もしそれでも耳障りな言葉をほざき続けるならば、躊躇なく殺せ。容赦なく殺せ。極論、敵とみなした敵を黙らせるには殺すしかない。己に力があるならば殺せ。圧殺し、封殺しろ。もし死後も敵の『素晴らしき声』が世界に残るのであれば、死後、その死体を考えの足りぬの大衆の前へ引きずり出し、いかにその敵が無様な人間であったかを大いに喧伝しろ。そして民衆に、死体へ石を投げさせろ。さすれば敵は――完全に、死ぬ」

「……そ、そこまでしなくても」


 まさに死体に鞭打つである。


「おれは手段を口にしただけだ。どうするかは、己次第さ」


 表情をゆったりとしたものに戻し、ヒビガミは再び袖の中へ腕を忍ばせた。


「ところで、キュリエ」


 険のある表情を崩さぬキュリエさんに、ヒビガミが声をかけた。


「その恰好を見る限り、己も四凶災とやったようだな」

「……ああ。城に来たやつを私とロキアで片づけた。つまり王都に襲来した四凶災は、すべて倒されたことになるな」


 ヒビガミの眉がぴくりと動いた。

 動いたのは、四凶災、とキュリエさんが口にした部分ではなかった。

 ロキア、という部分だった。


「ほぅ、王都にいた他の6院はあの男だったか」

「あっ」


 キュリエさんが、しまった、という顔をした。


「ん? どうかしたか?」


 ヒビガミの問いに、キュリエさんは気まずそうに答えた。


「ん……ロキアには今回助けてもらったから、名前を出すべきじゃなかったかもと思ってな。おまえ、絶対に絡むつもりだろ?」

「カカカ、だろうな。失言だったな、キュリエよ。それにしても、二人で四凶災とやり合ったとはな……己とロキアは、相性が悪いのだと思っていたが」

「いや、相性は最悪だよ」


 そこでキュリエさんが、この際だから、とでも言いたげな顔をした。


「それに……今この王都にいるのはロキアだけじゃない。ここには――ノイズもいる」

「ほぅ、ノイズか」


 愉快そうにくつくつと笑みを零すヒビガミ。


「ああ、そうか。6院の情報をバラまいたのはあの女だな……奇矯な者がいるものだと思っていたが、そうか、あの女がいたな。で、あの女はここに『舞台』を整えた、と。カカッ、キュリエ・ヴェルステインがいる時点であの女も来るだろうたぁ思っていたが、主催者だったか。ああ、となると、おまえはノイズを追ってこの王都に?」


 キュリエさんは少し間を置いてから、肯定した。


「ああ」

「あの女のお気に入りとなると、難儀なものだな。嫌でも舞台に上がらされてしまう。もっとも、おれはあの女にはあまり快く思われていないみたいだが」

「フン、おまえのことを快く思ってるやつなんて6院にいないだろ」

「カカ、嫌われたものだ。だが、ノイズは特におれのことを避けている節がある。あの女に言わせれば、おれは劇を破壊してしまう忌むべき存在で、おれが出た途端、その劇はすべておれのための劇になってしまうのだそうだ。それがあの女には気に喰わんらしい。未だに意味はわからんがな」


 ヒビガミもノイズのことは知っているようだ。

 キュリエさんが、ぽつりと言った。


「なあ、ヒビガミ……王都に四凶災を呼び寄せたのは、ノイズだと思うか?」

「あの女なら、やりかねんだろうな。ただ、そうか……四凶災は、まさかの全滅か。しかしキュリエ、あの四凶災が舞台に上がったこの豪華な一幕、ノイズには少々酷かもしれんぞ」

「どういうことだ?」

「言うなれば、サガラとはまるで真逆……すべての他者を自己を演出するための舞台装置としか思っていないあの女が――自らを律するため、己に『無形』となるよう戒めの名を与えた女が、これ以上『出演』を我慢できると思うか?」

「……わからん。私には、ノイズの考えていることは昔からわからないんだ。なぜ私に、こだわっているのかも」


 ヒビガミは王都をまるで一望するかのように、ぐるりと首を巡らせた。


「おれの読みでは、あの女はもう舞台に上がりたくて仕方のないところまで来ているはずだ。さすがに役者として、四凶災は破格すぎた。そこに、愛しのキュリエに、ロキアときたものだ。これ以上――最終幕の前に必要な演目は、ノイズであっても思いつくまい」

「仕掛けてくる、ということか」

「とはいえ、劇の『流れ』を無視して出てくることはあるまい。あいつにとって『劇』は何にもかえがたい崇高な儀式だ。ゆえに、ノイズは引きずり出されたがっていると見るべきだろう。カカ……しかしそうか、ノイズか。『あの女』のお気に入りだったノイズが、ここにいるのか。まあ、ノイズ・ディースの好ましい点は、必ず自分を悪側の役に回すところだろう。他人に好かれようなどとは、はなから思っていない」


 ヒビガミが『無殺』に指を添える。


「ふむ、四凶災の方は当てが外れたが……あの『魔王』もいるというし、この王都ではまだ面白いものが見れるかもしれんな。どうやらもう少し、おれはここに留まる理由ができたようだ」

「なあ、ヒビガミ」

「ん? どうした?」


 声をかけたのは、俺だった。


「あんたはここで俺とは戦わない。キュリエさんとセシリーさんにも手は出さない。そういうことでいいんだな?」

「……そうだが。それが、どうかしたか?」

「わかった。ありがとう」


 よかった。

 これでようやく――禁呪を、解くことができる。


「クロヒコ……どうかしたんですか?」


 セシリーさんが不意に表情を曇らせる。

 何か察したようだ。


「すみませんセシリーさん、俺、しばらく動けないかもしれません。せめて飛んで行って学園まで着いてから解きたい気もするんですが……これ以上、なるべく禁呪の力は使いたくなくて」


 キュリエさんが、はっとした。


「そうか、おまえ――」


 ああ、そうだった。

 そういえば、キュリエさんには聖遺跡で巨人と戦った後、伝えてあったんだっけ。


「ええ。おそらく禁呪使用の負荷が、かなりのものだと思うので」


 そう。

 ずっと禁呪を解かなかったのは、これが理由だった。

 その場で負荷のかかる第三禁呪と違い、左腕を異形化する第八禁呪の第二界は、禁呪を解いた直後に蓄積した負荷が一気にのしかかる。

 そして翼を生やす第五禁呪も、同じ感じで負荷がかかる気がする。

 ベシュガム戦後にすぐ禁呪を解いてその負荷で動けなくなってしまっては、キュリエさんたちを助けにいけないと思った。

 時間にしても、力の使用度にしても、あのマグマ巨人の時よりは桁違い。

 ならば負荷も桁違いのはずだ。

 だから、禁呪を解かずにいた。

 マッソを倒し、キュリエさんから話を聞いてもう四凶災の脅威が去ったのを聞いた時に一度、解こうとした。

 しかし、そこにヒビガミが現れたことで、万が一を考えて解くことができなくなってしまった。

 ただ、ヒビガミはキュリエさんたちに危害を加えるつもりはなさそうだ。

 まあ、なんだか長々と二人に手を出せない理由っぽいのを説明していたくらいだから、本当に手を出すつもりはないと考えてもよさそうか。


「というわけなので、ちょっと気を失ったりはするかもしれませんけど……死には、しないと思いますから」

「……すまん。私が、もっと早く気づくべきだった」

「そんな顔しないでくださいよ。大丈夫ですって」

「クロヒコ」


 そう呼びかけたセシリーさんは、唇をきつく噛んでいた。


「何があっても死ぬつもり『だけ』はないというあの言葉、そういう意味だったんですね……すみません、禁呪の負荷のことを知らなかったとはいえ、あの時、違和感に気づけませんでした。……やっぱり、あなたは――」


 腕をきつく掴んで歯噛みした後、セシリーさんは何かを振り払うように首を振ると、俺の傍に寄ってきた。


「でも、信じてますから。あなたは大丈夫だって。サガラ・クロヒコなら、きっと大丈夫だって」

「ええ」


 俺は微笑してみせた。


「もちろんです」


 さて。

 禁呪を、解こう。


「第八禁呪……第二界、閉界――」


 左腕に軋むような痛みが走る。

 その痛みが、全身へ侵攻をはじめる。


「……っ、第、五禁呪、閉界――」


 背中に鈍く重い痛みが発生。

 蛇の群れのように、身体を駆け巡る。


「ぅ……がっ、ぐ……っ!」


 汗が吹き出し、呼吸が苦しくなってくる。

 痛みが、増していく。


「ぐあぁぁああああぁぁぁぁああああああああ――――っ!」


 目を剥いて天を仰ぎ、あまりの激痛に叫ぶ。

 噛み締めた歯の隙間から、泡が漏れていく。

 太い木の枝が折れるような音が、ベキベキと全身で鳴り響く。


「――死んだら殺すぞ、サガラ」


 ヒビガミの、声がした。


「はっ、冗談、きつ、いぜ……ぐぁ、ぁ……ぁ……死、ぬか、よっ……こんな、く、くらいで……死んで、たま……がっ、ぐぅ……るか! ぐ――ぐあぁ! が、がぁぁぁぁああああぁぁああああああああ――――」



 青々と広がる空が視界から消えたのと、俺へ呼びかけるキュリエさんとセシリーさんの声が聞こえなくなったのは……一体、どっちが先だっただろうか。




          *




 濃密な、闇の中にいた。


 意識は混濁していた。

 妙な感じだった。

 自分がこの場に存在しているのかいないのかが、よくわからない。

 まるで、誰かの意識の中に入り込んでしまったかのような不思議な感覚だった。


 ぼんやりと、人の姿が見えた気がした。


 全身に包帯――いや、なんだか包帯には文字のようなものが書いてある。

 包帯というよりは、むしろ呪符みたいに見えた。


 微かに耳へ、声が届いてきた。


「――れたせいデ、おかしくなってしまったことにハ、同情はするサ」


 何かと話している?

 いやそれよりこの声……禁呪王?

 じゃあ、あれは禁呪王なのか?


 その時、禁呪王の身体中に巻きついた呪符の隙間から、どろり、とコールタールみたいな液体が漏れた。

 この闇の中でも俺は不思議とそれを認識することができた。

 ずる、ずる、とコールタールめいた黒いものがミミズのように這って、どこかを目指している。

 その先に――


 黒い獣がいた。


 なんと形容すればいいのか。


 全身が窺えないため、サイズはよくわからない。

 姿かたちも明確ではない。

 眼だけが、赤い。


 獣は黒く、禍々しく、ただ、黒く――


 と、獣に黒い鎖が巻きついていることに気付く。

 なんだろう?

 まるで、第九禁呪――


「うるせえヨ、黙ってロ」


 禁呪王が、誰かへ向けて言った。

 ただ、俺へ向けて放たれたものではないようだ。


「姉妹そろっテ、ぐだぐだ言うなっテ……感謝はしてル。だがヨ……あんな戦いヲ、覚悟ヲ、見せつけられちまったらヨ……応援したク、なっちまうだろうガ」


 禁呪王は俯くと、しみじみとした調子で続けた。


「おまえらにハ、感謝してるサ……だガ、あいつじゃねェ。相楽黒彦ジャ、ねぇのサ。我がついさっキ、そう決めタ」


 禁呪王が、黒い獣を見た。


「てぇわけダ。すまんナ……だからもう少シ、我ニ、つき合ってもらうとするゼ……」


 黒い獣が、目を糸のように細めた。

 その目に宿っているのは、静かながらも刺すような殺意。

 身が竦み上がるほどの、純然たる獣性の殺意だった。

 地獄の底から響き渡るような不吉な低い唸りが、獣の歯の向こうから漏れ出ている。


 禁呪王が肩を落とした。


「ままならんよなァ……まったク、ままならねぇヨ。神であっても獣であっても人であってモ、ままならんもんハ、ままならン。なア、おまえもそう思うだロ?」


 禁呪王は顎を反らし、再び黒き獣を見上げた。



「『禁獣』ヨ」



 夢か、現か――



 俺が目にした闇景は、そこまでだった。

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