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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
118/284

幕間20「その手中にあるもの」【セシリー・アークライト】


 男が笑うと、綺麗に生えそろった歯が剥き出しになった。


「屋外にいてくれたおかげで楽に探せたぜ、セシリー・アークライト」


 セシリーは困惑した。

 男は四凶災で、まず間違いないだろう。

 しかし……なぜその四凶災が、自分の名を知っているのか。

 もちろん、男とは初対面である。


「にしても驚いた。まさか実物の方が質が高ぇなんてことが、起こりうるなんてな。ベシュガムの読みも、たまには外れるってことか」


 値踏みする視線をセシリーへ這わせる男。


「へぇ……これが、セシリー・アークライト」


 男の声音には純粋な称賛の意が含まれていた。


「存在そのものが、奇跡みてぇな女だ。シャシャ、こいつはたまんねぇぜ。もうこの時点で、想像が際限なく勝手に広がっていきやがる」

「……なぜ、わたしの名を?」

「ん? そいつは実に簡単な話だぜ」


 男がセシリーを指差す。


「おれの目的がてめぇだからだよ、セシリー・アークライト」

「目的が、わたし?」


 恐るべき殺戮劇を大陸中で繰り広げてきた四凶災の目的が自分とは、どういうことなのだろう。

 どこかで『ルノウスレッドの宝石』の噂でも耳にし、それを手に入れるべく王都へ来たということなのか。

 だとしても、妙な感じがした。

 今まで彼らがしてきた殺戮の規模と、たった一人の女とでは、あまりにも釣り合いが取れていないような気がするのだ。

 ただ……男は今『おれの目的』と口にした。

 つまり四凶災としての目的はまた、別に存在するということなのか――。


「なんという、ことじゃ」


 見ると、ガイデンが男の前で前のめりに身を屈めていた。


「ん? なんだジジイ? 恐怖のあまり、具合でも悪くなりやがったか?」


 自らの胸のあたりをガイデンが強く掴んだ。


「ぐぅぅ……か、はっ……!」


 ガイデンが、吐血。

 石畳の上に血が飛び散る。


「あぁ? てめぇ、病気持ちか何かか?」


 身体を痙攣させながら、ガイデンはその場に蹲ってしまう。


「う、ぅぅ……」

「シャシャシャシャ! なんだこのジジイ? 剣なんざ腰に携えてるから戦うのかと思いきや、なんの役にも立たねぇじゃねぇか!?」

「あなたは、し、しきょ……うぐっ……四凶災、なのですな?」


 動揺を含んだしゃがれ声で言うと、ガイデンは弱々しく男の足元へ這い寄った。


「四凶災? ……ああ、そうだぜ? おれはアングレン四兄弟の三男、マッソ・アングレンだ」

「マッソどの……わ、儂は、が、ガイデン・アークライトと、申しまして」

「ん? アークライト? てこたぁ、てめぇ――」


 瞬間、


 ガイデンが、男の足の甲に向かって腕を叩きつけた。


 否。

 違う。

 叩きつけたのは、手に握りしめた短剣。

 だが男――マッソは、先読みしていたらしい。

 足を引き、難なく串刺しを免れた。


「シャシャ! この……嘘つきジジイが!」


 マッソが口端を愉快げに歪める。


「その病弱ぶりも、擬態だろ?」


 ガイデンの吐いた血に、マッソが目をやる。


「その血……人間の血のニオイじゃ、ねぇもんなぁ?」


 擬態。

 血はおそらく予め用意していた偽もの。

 病魔に蝕まれた弱々しい老人を演じ、マッソの警戒心を剥ぎ取る作戦。

 だがマッソは血のにおいを嗅ぎ分け、看破。

 ガイデンの当時の異名が『悪党』であったことを、セシリーは思い出した。


 勝つためならば、なんでもやる男。


「マッソどの、と申しましたかな?」


 急に好々爺然として、ガイデンが語りかける。


「あ?」

「なんとか見逃してはくださらんか? この子は目に入れても痛くないほどの愛しの孫でして……もしこの老いぼれの命で救えるならば、喜んでこの命を差し出しますじゃ。今の無礼な行動も孫を必死に守りたいがゆえと思って、どうか、許してはくださらんか?」

「じゃあその場で首ぃ掻っ切って、自害しな」

「……ったく、血も涙も――」


 ガイデンが旋回。


「――ねぇのぅ!」


 彼は外套の下から何かを取り出すと、マッソへ向かってそれを投げつけた。

 マッソが飛来物を拳で破壊する。

 パリィンッ、という破砕音。

 ガイデンが投げつけたのは、透明な瓶。

 マッソは砕け散った瓶の中身を身体に浴びた。

 透明度の高い黄色がかった液体だ。


「あ? なんだ、こりゃあ?」


 ガイデンはすでに短剣を投げ捨て、術式を描いている。

 発動式が描かれる。

 すると炎の塊が、マッソ目がけて襲い掛かった。


「こ、こいつは、油――」


 言い終わらぬうちに、マッソの身体が燃え上がった。

 特に油を多く浴びた上半身へ、炎は這いあがるようにして燃え広がっていく。

 炎の塊を作り出して飛ばす術式『炎斧』。

 油によって炎が、さらに火勢を増した。


「う、ぉ、ぉおおおおぉぉぉぉおおおおおおおお……っ!」


 ガイデンが店から遅れて出てきたのは油を店の中で調達していたためらしい。

 先ほど投げ捨てた短剣もよくよく見れば魚を捌くのに使うものだった。


「じ、ジジイ、てめぇっ、な、なんて、えげつねぇ――」


 ガイデンは無言で抜刀。

 身を屈めたまま素早くマッソのまたぐらへ潜り込むと、下腹部めがけて躊躇なく剣を突き上げた。

 と、マッソは炎を纏ったまま後方へ転回。

 ガイデンの突き上げを回避。

 結果、ガイデンの一撃が目標を捕らえることは叶わなかった。

 それでも悔しがる素振り一つ見せず、ガイデンは一度、マッソから距離を取った。

 マッソは、鬱陶しそうに炎を振り払っている。


 ガイデンは一呼吸置いてから、セシリーを見ずに言った。


「本当なら、おまえだけ逃げろと言いたいところなんじゃが……狙いがおまえとなると、さすがにここで安易に逃げろとは言えんわな」


 口惜しそうに言うガイデン。

 セシリーは祖父が言わんとしていることを、理解する。

 わかっているのだ。

 少し前に叫びながら頭上を飛び越えて行ったのが、マッソであることを。

 そして、異様な速度でマッソが自分たちのところへ駆けてきた事実を。


 もし『追いかけっこ』となった場合、明らかに速度の面でマッソが有利となる。

 逃げたとしても容易に追いつかれるのは自明の理。

 最悪なのは、先に逃げたセシリーにマッソが追いつき、剣士として実力でセシリーに勝るであろうガイデンが、二人を見失ってしまうという事態だ。

 理由こそ不明だが、マッソの目的はセシリー・アークライト。

 仮にセシリーがこの場から逃げたとしても、彼がガイデンを無視して追いかける可能性は高い。


 セシリーは、腰に下げた双剣に手をかけた。


「二人で、やりますか?」


 ガイデンがマッソを観察する。

 そして暫しの黙考ののち、答えた。


「やれるか?」


 セシリーは剣を抜き放つ。


「はい」


 照りつける日差しに、蜜色の刀身が煌めいた。


「すまんな。儂が一人でちゃっちゃっと倒せればいいんじゃが、あれは……儂一人ではちと手におえんかもしれん」

「状況的に逃げるのは難しい。その中で少しでも勝機を上げるならば、二人でやるしかないでしょう」


 ただ、とガイデンがフライアスに目をくれた。


「いくらおまえとはいえ、練習もなしにその気難しい聖剣を――」


 セシリーは聖素をフライアスに流し込んだ。

 左右、同時に。

 そのまま聖素の流入量を維持。

 フライアスのクリスタルが輝きを放つ。

 薄っすらと刀身自体が発光。

 そして……刃の周囲に薄っすらと、碧色の光が漂いはじめる。


 聖剣の場合、聖素を通した光が刃を包んでいれば、その力を最大限に引き出せているとされている。

 その状態は今もしっかりと維持されている。 

 自戒を滲ませつつ、感嘆の息をつくガイデン。


「そうじゃったな。おまえは儂の自慢の孫じゃった。すまん、さっきのは忘れてくれ」


 マッソの身体を包んでいた炎は、すでに消えていた。

 見たところ負傷は軽微。

 焦げてはいるが、服も肌が露出しない程度には無事。

 ガイデンが柄を握り直す。


「即席で儂の動きに、合わせられるか?」

「やってみます――いえ、合わせてみせます」

「……頼もしくなったな、セシリー」


 セシリーは俯きがちに微笑した。


「仲間たちのおかげでしょう、きっと」


 腕を振りながら、マッソが近づいてくる。


「今のは少しびっくりしたぜ、ジジイ」


 ぎらつくマッソの目が、剣を手にしたセシリーを射抜く。


「へぇ? お嬢サマもやるってか。で、ジジイは……その貧相な剣でこのおれと、どうやりあうつもりだ?」


 ガイデンは手元の聖剣を弄びながら、降り注ぐ日光を何度か反射させた。


「ふむ、貧相な剣か」


 彼が現在手にしている聖剣は、鏡と見紛うほど刃が磨き抜かれており、装飾も華美なものだ。

 が、名持ちのものではない。

 実戦的というよりは美術品に寄ったものといえる。

 普段この剣は城内等で『お飾り』として下げている剣だ、とガイデンは言っていた。

 もし四凶災襲来が事前にわかっていたとしたら、祖父も最初から、名持ちの聖剣なり魔剣なりを用意していたであろう。


「じゃがどうかな? 戦いとは必ずしも武器の良し悪しだけで決まるものではない……嘘か真か、試してみるか?」

「シャシャ! なら、試させてもらおうじゃねぇか!」


 息巻くマッソを横目にセシリーの方へ寄ると、ガイデンが小声で話しかけてきた。


「……とは言ったものの、殺傷力の点でいえばフライアスに頼らざるをえんじゃろう。まず儂が正面から行ってやつの隙を作る。おまえは脇……可能なら背後へ回り込み、時期を見計らって攻撃へ移れ。それでやれそうなら、やつの『足』を潰せ」


 ガイデンが迎え撃つべく剣を構え直す。


「問題はあの跳躍力と移動速度。あの足さえ潰せれば、逃げるという選択肢が取れる」


 セシリーは自分の進路を計算しつつ、答えた。


「わかりました、やってみます」


 セシリーとガイデンは、同時に散開。

 マッソはセシリーを視界の端で捉えつつ、迫るガイデンへ拳を放った。

 唸りを上げる豪腕。

 一撃でも喰らえば致命傷になりうるであろう。

 ましてやガイデンのような老体で受ければ、骨を砕かれるのは確実。

 しかし、ガイデンはマッソの拳を紙一重で回避。

 そのまま顎下を狙い剣を斜め下から突き出す。


「やるじゃねぇか、ジジイ!」


 言いながらも悠々とガイデンの攻撃を回避するマッソ。


「シャシャ! だがいつまで、避けていられるかな!?」


 マッソが拳の連打を放つ。

 刃を煌めかせながら、ガイデンはギリギリで攻撃をかわしていく。

 セシリーは回り込みつつ、機を窺う。

 ガイデンが目配せしてくる。

 まだだ、と告げていた。

 マッソは視界の端で常にセシリーを捉えている。

 しかし、ガイデンの動き次第では意識から外れる瞬間が来る。

 必ず。

 その機会を作るから待っていろ、ということなのだろう。


 と、しばらくしてセシリーはあることに気づく。

 マッソが、表情を歪めているのだ。

 しかも彼の攻撃は、いよいよガイデンを的として露骨に外しはじめていた。

 無様とも呼べる空振りの回数が明らかに多くなってきている。


「ちぃっ、くそがっ! ジジイっ……てめぇっ!」


 そこで、はたと気づく。

 マッソが表情を歪めている、その理由に。


 ――何かを、眩しがっている?


 あっ、とセシリーは気づいた。

 よく観察してみると、マッソの顔に無数の白い光が何度も行き来しているのだ。

 空をちらと見上げる。

 燦々と降り注ぐ日差し。

 ガイデンはあの鏡めいた剣身に日の光を反射させ、何度も何度もマッソの目に当てていたのである。

 目先を何度もちらつその光に、マッソは翻弄されていた。


「さすがに眼球は、鍛えられんものなぁ?」


 そして、目元を細めながらもその姿を捉えてはなさなかったマッソの視線が――ついに、セシリーから外れた。

 いや、外れた、というよりも。

 あまりの眩しさにであろう。

 マッソが、瞼を閉じた。

 ガイデンの視線が告げた。

 今だ、と。

 セシリーは疾駆し、マッソへ肉薄。

 狙いは足の腱。

 人体でも鍛えづらい部位。

 だが断裂させれば、確実に移動力を奪える箇所。

 セシリーは一気に速度を上げ、マッソの背後から剣を――


「待て、セシリー!」


 ガイデンが叫んだ。

 セシリーは動きを止めると、二、三度の足さばきで、自分を捕えにきたマッソの攻撃をかわした。

 太い腕が唸りを上げ、眼前を通り過ぎる。


「ジジイ、余計なことを」


 目を瞑ったまま、マッソが舌を打った。

 再びマッソの攻撃がガイデンとセシリーへ、襲いかかる。

 セシリーは、はっとした。

 今度はその拳が、しっかり的へと向かっているのだ。


「おまえ呼吸音と空気の流れだけで、儂らの位置を把握できておるな?」

「へぇ、それがわかるか……やっぱ只者じゃねぇな、てめぇ」


 ふむ、とガイデンが唸る。


「これが、四凶災か」


 口端に笑みを湛えつつも、ガイデンの額には冷や汗が流れ落ちる。


「……化け物め」


 ここでもし距離を取ろうとすれば、セシリーもガイデンもその瞬間を突かれ、まともに攻撃を喰らってしまうだろう。

 マッソの射程圏内から逃れることは、もはや不可能。

 ならば、


 ――やるしか、ない。


「せっかくのお楽しみ中に水を差されんのも、アレだしなぁ」


 準備でもするよう拳を鳴らすマッソ。


「ジジイには先に、あの世へ逝ってもらうとするか」


 そうしてマッソが、ざりっ、と石畳の砂利に靴底を滑らせたのを切っ掛けとして――二対一の攻防が、はじまった。


          *


「よくがんばった方だぜ、ジジイ」


 不意に動きを止めたマッソが、勝ち誇った笑みを浮かべた。

 彼は服の所々が裂け、そして、複数の切り傷を受けていた。

 出血している箇所もある。

 ほとんどの傷はセシリーのフライアスによってつけられたものだ。

 もっともセシリーが斬撃を命中させることができたのは、ガイデンが正面からマッソとやり合ってくれたからであろう。

 そのガイデンもさすがといえた。

 切っ先が触れる直前に流し込む聖素量を増やすことで、軽微ながら彼もいくつか裂傷を与えていた。

 それでも――マッソの足を封じるという当初の目的を果たすことは、かなわなかった。

 行動に支障をきたすであろう部位への攻撃は、すべて失敗。

 が、幸いセシリーとガイデンはまだ無傷であった。

 ただ、無傷でこそあるが、二人とも一瞬の気の緩みも許されない長い攻防により、消耗の度合いが強い。


「シャシャ、しかしこのおれに『聖剣』で傷をつけるたぁ大したもんだぜ。特にそっちの双剣型の方……けっこうな名持ちか?」


 今の言い方が少し引っかかった。

 まるで自分へ『聖剣』で攻撃しても効果が薄い、とでも言いたげな口ぶりである。


「それと、ジジイ……おれの攻撃を一度も喰らわなかったことについては、素直に称賛させてもらうぜ。どんな手品を使ってるのか知らねぇが、太陽が雲で隠れてる間もおれの攻撃を避けられるってこたぁ……ま、本物ってこったな。だが、いくらおれの攻撃が読めたとしても――」


 マッソは勝ち誇った表情を浮かべ、突きつけた。


「年をとるってのなぁ哀しいもんだなぁ、ジジイ?」


 荒く息を吐きながら、ガイデンが口端を吊り上げる。


「かも、しれねぇなぁ」


 そう。

 ガイデンの弱点は、体力。

 いくら年のわりに元気とはいえ、ガイデンは老齢である。

 どうしても長丁場は不利になる。

 だからセシリーも、つけられるものならなるべく早く勝負をつけたかった。

 が、予想外だったのがマッソの皮膚の異様な硬さである。

 フライアスの切れ味自体に難があるとは思えない。

 でなければフライアスにあれほどの逸話は残るまい。

 だと、するならば。

 フライアスの力以上にマッソの身体が常軌を逸し、頑強だということ。


 ガイデンが、セシリーに目をやった。


「ただ、長生きしてるおかげで宝物の成長が見られるわけだから……年をとるのも、そう悪いことばかりじゃねぇさ」

「その大事に成長を見守ってきた宝物は、今日、おれのものになるんだがな」


 額に汗を滲ませながら、刺すようなしゃがれ声でガイデンがマッソを睨めつける。


「……その前に死ぬんだよ、おめぇは」

「おぉ、怖ぇ怖ぇ」


 茶化したように両手を上げるマッソ。

 セシリーは呼吸を整えつつ、状況を分析する。


 ――さて、どう攻めたものか。


 現時点においては、致命的な劣勢とはいえない。

 相手の力を削ぐには至らぬものの、まったく傷を与えられぬわけでもない。

 この二対一の状態を維持できれば、あるいは、とも思う。

 どうにかしてマッソの攻撃を自分へ向けさせ、ガイデンの休む時間を確保できれば――


 その時だった。


「うわぁぁん……っ」


 ――子供の、声?


「ひぐっ、ぐぅ……父さぁん……どこぉ……っ?」


 突然。

 マッソの近くの路地から幼い少女が一人、べそをかきながら姿を現した。


「ガキかよっ……!」


 すぐさま動いたのは、マッソだった。


「くそが! こんなところに、出てきやがって……! 邪魔なんだよ!」


 マッソが少女へ襲いかかった。

 邪魔と判断し、殺しにかかったか。

 セシリーは少女を助けるべく踏み込み――かけたところで、躊躇してしまった。

 ここで少女を助けようとして飛び込んだ場合、自分はマッソの攻撃をかわせるだろうか。

 捕まらずに済むだろうか。

 もし今の状況でどちらか一人でも欠ければ、勝機は薄くなる。

 しかし、だからといって、少女を見捨てるのも――。

 そんな思考をセシリーが巡らせている中、ほとんど反射的とも呼べる動きをみせたのは、ガイデンだった。


「あぁ!?」


 少女との間にガイデンが割り込んできたのに気づいたマッソが、驚いたような声を出した。

 セシリーは眉根を寄せる。

 一体、何を驚いているのか。


「シャシャシャ! そうか! そういうことか!」


 マッソの顔に理解が走り、高笑いを上げた。


「てめぇ、おれがこのガキを『殺すつもり』だと、勘違いしやがったな!?」

「なん、じゃと……!?」

「おれはただこのガキを『危ないから逃がしてやろうとした』だけだったんだがなぁ!」


 刈り取るかのごとき巨拳がガイデンを襲った。

 ガイデンは、疾駆の勢いを殺しきれない。

 急激な方向転換は不可能。

 体力の消耗も災いしたか。

 あれでは、避けきれない――


「おじいさま!」


 咄嗟に剣で防御姿勢を取るガイデン。

 その眼前に、セシリーが放った防御術式が展開。


「シャァ!」


 マッソの拳は防御術式を易々と貫通。

 剣の刀身をも砕き、そして、岩のごとき拳がガイデンの脇腹へ直撃した。


「――ぐっ、ぅ!」


 どういうことだ。

 セシリーは困惑する。

 マッソは、あの少女を殺そうとしたわけではなかったのか。


 ――いや、それよりも今は。


 セシリーは体勢を整え、祖父を羽交い絞めにしているマッソと相対した。


「ちっ……すま、ねぇ、セシ、リー……らしく、ねぇこと、しちまったぜ……ぐっ……幼女ってのが、いけなかったかも、な」


 自嘲の笑みを作るガイデン。


「小せぇ頃の、おまえと、重なって……つい反射的に……身体が、動い、ちまった……大丈夫、だ……不用意に動かなかった、おまえの判断の方が……正、し――」


 マッソがガイデンのこめかみに、拳を叩き込んだ。


「泣きわめいてくれねぇなら、黙ってな」


 がくり、とガイデンが項垂れる。


「おじいさま!」

「シャシャシャシャ……! 安心しな。殺しちゃいねぇよ。……おい、そこのガキ」


 マッソが足を震わせる少女を見下ろす。


「え? な、何……お、おじさん、誰? なんで……殴ったの?」

「消えな。ここは、危ねぇからよ」


 少女はきょろきょろとセシリーとマッソを見比べる。

 あっ、と少女が口を開いた。


「せ、セシリー・アークライト、様……? あの、わ、わたし……」


 自分は何かとてもいけないことをしでかしてしまったのではないか。

 少女の顔からそんな心情が伝わってくる。

 セシリーは安堵させるように、少女に微笑みかけた。


「お父さんを探しているんですよね? でしたら、きっとお城の方に向かえば会えると思いますよ?」

「あ、あの……」

「さ、急いで。ここは大丈夫ですから。もう少しで、騎士団も来るでしょうし」

「……は、はい」


 少女は何度も後ろを気にしながら、姿を表した路地へと戻って行った。

 もちろん、騎士団のことは口からでまかせである。


「意外でした」


 セシリーはマッソを見上げた。


「あなたのような男でも、子供には手を出さないのですね」

「正確には、出せねぇんだがな」

「?」


 どういう意味だろうか。


「で、どうする? このジジイを殺されたくなけりゃあ……わかってるよな?」


 抵抗するな、ということだろう。


「思ったよりもお姫さまが戦えるみたいだったもんでな。どうにかこのジジイを人質にできねぇかと思ってたのさ。殺さねぇように戦うってのは苦手なんだが……お楽しみってのは、傷のねぇ綺麗なところからはじめてぇだろ?」


 マッソがセシリーの全身を上から下まで、舐め回すように眺めた。


「シャシャ、てめぇらの信頼関係ってもんは今までの様子を見ててよぉくわかった。おまえは、このジジイを見捨てられねぇ」


 セシリーは薄ら寒いものを感じつつも、口元に微笑を浮かべた。


「あ? 何を笑ってやがる? 恐怖でおかしくなっちまったか?」


 ごくり、とセシリーは唾を飲み下した。


「お気づきかどうかは、わかりませんが――」


 セシリーは剣の刃を己の首筋にあてた。

 あっ、とマッソが声を漏らした。


「人質ならば、わたしの方にもいるのでは?」

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