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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
117/284

幕間19「悪党と呼ばれた男」【セシリー・アークライト】


「こうしておまえとゆっくり食事をするのも久しぶりじゃな、セシリー」


 牛肉の香草焼きにナイフを走らせながら、ガイデン・アークライトは口元を綻ばせた。

 対面に座るセシリー・アークライトは、プリメ水の入ったグラスを片手に柔和な微笑みを返す。


「そうですね、おじいさま」


 休聖日。

 セシリーは祖父であるガイデンと食事をすることになっており、昼前に晶羊亭へとやって来た。

 祖父の意向により移動は馬車ではなく徒歩だった。

 孫とゆったりと街を歩きたかったらしい。

 ちなみに到着後、付き添ってくれたジークとヒルギスはガイデンの同席の誘いを丁重に断り、街へと繰り出していった。


「なかなか、まとまった休暇が取れなくての」


 ガイデンが無念そうに吐息を漏らす。


「たまに屋敷に顔を出すくらいが、せいぜいじゃ」


 ガイデン・アークライト。

 セシリーの祖父であり、聖王の剣術指南役を務めている。

 顔には深い皺が刻まれているが、未だ精悍という言葉の似合う顔立ち。

 眼光の鋭さも変わらない。

 背筋が若干曲がっているものの、身体は健康そのものである。


『あの人は死ぬ時はぽっくりいくだろうけど、それまでは多分ずっと元気さね』


 五年前に死んだ祖母はそう夫を評していた。


「それにしても、セシリーは何を着ても似合うのぅ」

「ふふ、ありがとうございます」


 相好を崩すガイデンにセシリーは謙遜の笑みで応えた。

 今日の装いは、クロヒコを初めて屋敷に招待した日と同じ装いだった。

 先日、仕立て直したばかりの服である。

 嫌な思い出もある服だが、個人的に気に入っている服でもあり、どうしても捨てる気にはなれなかった。


「ところで、最近はお忙しいのですか?」

「このところ近衛隊の再編成の件で、少しな。まったく、いざとなると家の面子がどうのこうのと……ああいう任命やら何やらは面倒でかなわん」


 ガイデンは貴族社会的しがらみやその独特の序列意識を苦手としている。

 また、聖王は何度か今以上の爵位を与えようとしたが、それを祖父はすべて拒否していた(ここで断って角が立たぬのも、聖王の女房役といわれるガイデンならではであろうか)。

 爵位が上がれば今よりも面倒事が増える。

 祖父はそんな風に考えている節があった。


「またどなたかに泣きつかれましたか?」


 面倒そうに耳の裏をかくガイデン。


「まあな」


 城内におけるガイデン・アークライトの立場は強く、何より聖王からの信頼が特に厚い。

 一部では妻である王妃よりも信頼されているのではないか、などと噂されるほどである。


「しかしこの『悪党』ガイデンが宮仕えの連中に泣きつかれる立場になるとはのぅ。当時の騎士団長どのが知ったら、卒倒するかもしれんな」


 当人は詳しく語ろうとしないが、聖樹騎士団に所属していた頃の若きガイデンは『悪党』と呼ばれていた。

 当時の聖樹騎士団は『高貴清純』を謳っていたが、ガイデンはまるで正反対の信念を持った男であったという。


『高貴さや清純さで戦いに勝てるんなら、世話ねぇんだよ』


 若き日のガイデン・アークライトは、卑怯者との誹りを受けかねない戦法を好む男だったらしい。


『勝つためなら、なんでもする男だったよ』


 いつのことだったか。

 当時のガイデンを知る男が、酒の席でセシリーにそう漏らしたことがある。

 けれど、その『悪党』のおかげでルノウスレッドが過去に危機を免れたのも事実であった。

 ガイデンの活躍後は次第に騎士団の空気も変わっていったと聞く(それでもガイデンが騎士団を引退し、長らく平和な日々が続くと、再び騎士団は『やわ』になっていったようだが)。


「おじいさまは働きすぎです。本来であれば、もう引退していてもおかしくはない歳ですのに」

「まあ文句を言いつつも、儂が好きでやっている面もあるからのぅ。まあ、もし儂がいなくなってもワグナスのやつがいるうちは、ロデオット……聖王も、大丈夫じゃろう」


 宮廷魔術師ワグナス・ルノウスフィア。

 聖ルノウスレッド学園の学園長、マキナ・ルノウスフィアの父でもある。


「ただワグナスのやつは、あれはあれで少々生真面目すぎるきらいがあるからなぁ。もう少し狡猾さを身に着けてくれれば儂も、安心して逝けるんじゃが」


 都合のよい操り人形にならず生きるには、一定の狡猾さと適度な疑心が必要となる。

 祖父は昔からセシリーにそう言い聞かせてきた。

 一見すると平穏そのものに映るルノウスレッド城だが、実は見えないところで様々な思惑が複雑に絡み合っているのかもしれない。

 やってしまった、とでも言わんばかりにガイデンが額に手をやる。


「や、つまらん話じゃったな」

「いえ、興味深いお話です」

「今度はおまえの話を聞かせておくれ。どうじゃ、学園の方は?」

「学園ですか? ええ、それなりに上手くやれているかと」


 優雅な微笑でもってこたえる。


「ただ……聖遺跡の異常の件で今は遺跡攻略が止まっていて、候補生としては少々、手持無沙汰ではありますが」

「そう、か」


 それだけ言うと、ガイデンはフォークを置いた。


「今ほど……候補生としては、と言ったな? セシリー・アークライト『一個人』としては、どうなんじゃ?」

「ひょっとして、例の事件のことを心配してくださっているのですか?」


 ヒビガミに完膚なきまでに叩き潰された件。

 やはり祖父の耳にも入っているようだ。


「一時は塞ぎこみましたが、もう大丈夫です」

「ふむ……それは、何よりじゃ」


 おや、とセシリーは思った。

 どうも聞きたかったのは例の事件のことではなかったらしい。

 祖父がこのような迂遠な言い回しをするのも珍しいことだ。

 はっきりと口に出し辛い話題なのだろうか。


 暫しガイデンは黙って卓の上を見つめていた。

 沈黙の中に微かな躊躇が覗いている。

 すると、店の者がやって来て手早く食器を下げはじめた。

 卓上にグラスだけが残った頃。

 ようやく、ガイデンが口を開いた。


「サガラ・クロヒコ、という名らしいな?」


 祖父の口からその名が出て、なるほど、と思った。

 聞きたかったのは例の事件のことではなく、クロヒコのことだったらしい。


「……知っていましたか」

「愛しの孫のことじゃからな。で、その男……どうなんじゃ?」


 鋭い視線だった。

 これまで祖父は、孫に言い寄ってきた数えきれない男たちを払いのけてきた。

 中にはバディアスが持ってきた縁談話もいくつかあったが、ガイデンは縁談どころか交際すら認めなかった。

 そういう話は必ず、祖父のところで止まってしまうのである。

 五大公爵家の子息との縁談話が出た時ですら、祖父は跳ね除けてみせた。


 そのおかげか、表立ってセシリーに『恋人候補』として接触したがる者は徐々に減っていった。

 貴族の娘として生まれついた女であれば、好いてもいない相手と家のために結婚させられるのは、そう珍しいことではない。

 セシリーとて、祖父の存在がなければ今頃どこかの公爵家に嫁いでいたやもしれぬ。

 その点でいえば、セシリーは祖父に感謝していた。

 ただし、今に限ってはその祖父を恐ろしいと感じた。

 祖父がクロヒコのことを認めてくれなければ、最悪、セシリーは学園を退学させられるかもしれない。

 問う眼差しを受けながら、ゆっくりとセシリーは、唇を開いた。


「彼には……サガラ・クロヒコには――」


 セシリーは唾をのみ込むと、真っ直ぐに祖父を見つめた。


「――好意を、持っています。今はまだ恋人未満では、ありますが」


 なぜだろう。

 なんだかここで嘘をつくのが、嫌だった。

 セシリーの言葉を受けたガイデンは天井を仰ぐと、そっと瞼をとじた。


「そう、か」


 しばらくして目を開くと、ガイデンはしみじみとした調子で言った。


「ようやく、おまえにもそういう好意を持てる相手ができたか」


 意外な言葉だった。

 祖父のことだから、てっきり根掘り葉掘り問い詰めてくるものだと思っていた。


「セシリー」


 ぽかんとするセシリーを見て、祖父が口の端を歪める。


「儂のことを、どんな男であろうと孫には近づけまいとする頑固じじいか何かだと思っとりゃせんか?」


 申し訳なさを顔に浮かべつつ、セシリーは顎を下げた。


「……正直、そうなのかと」

「今まで儂がおまえにたかる虫を払ってきたのは、おまえ自身の気持ちがないがしろにされていたからじゃ」


 ガイデンが背に体重をかける。

 僅かに椅子が傾いだ。


「おまえ自身が好意を持ったという相手ならば、儂も文句を言うつもりはないて」

「……おじいさま」


 思わず口を突いて出たその声には謝罪と感謝が混在していた。


「おまえは人の本質を見抜く観察眼を持っておる。そのおまえが自ら選んだ相手だというならば、儂が口を出すのもお門違いというもんじゃろう。好きにやるといい……って、なんじゃ? そんなに意外じゃったのか?」

「ええ……本音を言えば、意外でした。その、誤解していてすみませんでした。そして、ありがとうございます」


 セシリーは柔和に微笑んだ。


「おじいさま」


 ガイデンは目を丸くして口をへの字にした後、打ち震えるように額へ手をやった。


「くぅ〜やっぱり世界一可愛いのぅ、儂のセシリーは……! あのいけすかん兄とは、大違いじゃわい!」


 思わず苦笑してしまう。


「前々から思っていたのですが、おじいさまはお兄様が嫌いなのですか?」

「大嫌いじゃ」


 悪びれもせず断言した。

 こうもきっぱりと言われてしまっては、セシリーも眉尻をより下げるしかない。

 卓に肘をつくと、ガイデンはこめかみの上あたりを指でかいた。


「振る舞いこそ正反対だが……あれの中身は、儂の若い頃とそっくりじゃ。瓜二つといってもよい。あいつを見ていると、自分はこんな嫌なやつだったのかと、突きつけられているようでなぁ」


 セシリーの苦笑いが柔和なものへと変化する。

 今まで尋ねたことはなかったが、なるほど、祖父は兄に同族嫌悪にも似た感情を持っているらしい。

 そしてそれは同時に――ディアレス・アークライトを認めている、ということでもある。


「お兄様は優秀ですからね」

「おまえほどの才は、持っておらんがな」


 またもや意外な言葉が祖父の口から飛び出し、セシリーは目を丸くする。


「わたしほどの、才?」

「何を驚いておる? 儂やディアレスが普段から口にしていることは決して世辞ではないぞ? おまえがアークライト家の中で突出した才に恵まれておるのは、確かじゃ」


 祖父の口ぶりは気を遣っている風ではない。


「その完全無欠の美しさで隠れがちじゃが、わかる者にはわかっておる。おまえは剣の扱いにしても、聖素の扱いにしても、天賦の才を持っておる。それはバディアスにもディアレスにも、そして儂にもないものじゃ」

「天賦の、才」


 セシリーは自分の手のひらを眺める。


 キュリエ。

 ヒビガミ。

 クロヒコ。


 才に溢れる者たちに触れすぎた影響であろうか。

 ここ最近は、むしろ己の凡才を痛感する日々であった気がする。

 そう。

 ただひたすらに努力を重ね、才ある彼らとの差を少しでも埋めることに腐心する日々――。


「あれば、よいですが」

「ある。あるからこそ、おまえにならこれが扱えるはずじゃ」


 そう断言すると、鞘におさまった二本の剣をガイデンが卓の上に載せた。


「例のものじゃ」


 差し出された剣をセシリーは手にとった。


「感謝します、おじいさま」

「礼などいらん。他でもない愛しの孫の頼みじゃからな」


 鞘から少し刃を出してみる。

 淡い月光色の刃。

 檸檬の汁を薄く水で溶いたような透明度。

 樋に嵌め込まれたクリスタルは光沢のある碧色をしている。


 柄底に名が彫り込まれているのに気づく。

 名は――『フライアス』。


「その聖剣は数十年前に聖遺跡で発見されたものの、まともに扱えた者は過去に二人しかいなかった。そしてその二人もすでにこの世にいない。そうして彼らの死後、フライアスは城の宝物庫でずっと眠っていたわけだが……なぜだかわかるか、セシリー」


 二対の剣。


「二本で一組……双剣という、特殊な型の聖剣」

「そうじゃ。ごくまれに産出する双剣型の聖剣、魔剣、聖魔剣……この双剣型のものは、非常に高度な聖素維持を必要とされる。おまえが今手にしているフライアスは、その中でも特に『繊細』な聖剣といっていい」


 聖素を要する双剣の場合、ほぼ同じ量の聖素を常にそれぞれに流し込み続けなければ真価を発揮しない。

 今までセシリーが使っていた双剣も同じ型のものである。


「それほどの精密な聖素操作ができる者は滅多におらんし、加えて、剣技にも秀でてなければ意味がない。つまり剣と聖素操作、両方の才に恵まれていなければならんわけだ」


 二つの指を立ててみせたガイデンが立てた指の本数を一つ減らした。


「今この王都で条件に当てはまる者がいるとすれば、まあ、ソギュート・シグムソスくらいか。しかしあの男は隻腕、何より、すでにソギュートはあの恐るべき『レーヴァテイン』を持っておる。となると、他に使い手候補はいなくなる。じゃが――」


 ガイデンが悪巧みでもするように身を乗り出す。


「おまえならばフライアスを使いこなせるかもしれん。儂もフライアスの振るわれるのをこの目で見たことがあるが、使いこなせれば、頼れる武器となるじゃろう」


 セシリーは刃を鞘に戻した。


「これを手に入れるのは……おじいさまとはいえ、かなり苦労されたのでは?」

「なぁに、日ごろの儂の働きへの報酬じゃ」


 案外、祖父は近衛隊再編の調整役を引き受ける代わりとしてこの剣を手に入れたのかもしれない。


「おじいさま」


 セシリーは祖父に感謝しつつ決意を固める。


「この聖剣、必ずや使いこなしてみせます」


 ガイデンは優しげに目元を緩めた。


「よい顔つきになってきたな、セシリー。どうやら学園入学はおまえにとってよい作用をもたらしたようじゃ。さて――」

「き、北門の方で何かあったらしい!」


 個室の扉の向こうから、男の叫び声が聞こえた。


「さっき、聖樹騎士団が馬で北門の方へ駆けていくのが見えたんだ! 何やら、た、ただならぬ雰囲気だった!」


 その逼迫した声が気になって、セシリーとガイデンは個室の扉から様子を窺う。

 店の者が弱った様子で男に駆け寄っていくのが見えた。

 ガイデンが顎を触りつつ、呟く。


「ふむ、何事かの?」


 他の客たちも不安げな様子。

 と、一人の口髭をたくわえた男が立ち上がった。

 落ち着き払った様子で、男が優雅に両手を広げた。


「まあまあ皆さん、そう慌てることもないでしょう。騎士団は今、例の砦奪還で主力を欠いてはいるが……王都に残った聖樹士の中には、トロイア公爵様のご子息、聖位第三位のヴァンシュトス・トロイア殿、さらに、経験豊富なダビド・ハモニス殿もおられる。心配することはないでしょう」


 不安げだった客たちの表情が和らいでいく。


「そ、そうだよな。ヴァンシュトス殿がいれば大丈夫だよな」

「今の聖樹騎士団は、とても優秀だと聞きますしね」

「それに我々は聖樹騎士団を心より信頼しておりますからな。彼らに任せておけば、まず間違いはないでしょう」


 浮き足立った空気が元へと戻っていく。

 ただセシリーは妙な胸騒ぎを感じていた。

 祖父も神妙な面持ちをしている。


「ふむ……そもそも『何が』あった? 帝国やルーヴェルアルガンの軍が国境を越え、そのまま王都に攻め込んできたとでも? 馬鹿な。戦争が始まれば、もっと早く状況が伝わっておるはずじゃ」


 祖父の言う通りだ。


「だとすれば、一体『何が』北門に現れた?」


 と、その時、


「皆さん逃げてください! ここは危険です!」


 血相を抱えて店に飛び込んできた男は、騎士団の制服を着ていた。


「危険?」


 客の一人が立ち上がる。


「危険って、どういうことだ?」

「し――」

「し?」


 俯き肩で息をする団員が扉の枠に手を掛けながら、顔を上げた。


「四凶災です!」


 その名が出た途端――店内の空気が凍りついた。

 再び客たちに不穏な空気が広がっていく。


「四凶災が……お、王都に現れました!」


 さらにまた客が一人、立ち上がる。 


「じょ、冗談だろ!?」

「冗談ではありません! 聖樹騎士団の私がこんな冗談を言って、なんの得があるというのです!?」

「け、けどあんたら聖樹騎士団がいるじゃないか! 北門には、あ、あのヴァンシュトス・トロイアも向かったんだろう!?」

「だが四凶災っていやぁ、確かソギュート団長や王都最強の術式使いと呼ばれたルノウスフィアの娘ですら敵わなかったんだろ?」

「あの帝国軍ですら怖気づいて戦争をやめるほどの怪物どもだぜ……」


 店の中の空気を恐怖と不安の濃度が増していく。


「か、勝てるわけがない!」


 一人の客が恐慌めいて叫んだ。


「どう考えても、人間の勝てる相手じゃない! 殺戮だ……殺戮がはじまるんだ!」

「王都には来ないと思ってたのに、どうして四凶災が今になって王都に!」

「嫌だ! 死にたくない!」


 悲観を口にし、頭を抱える者まで出てきた。


「これより聖樹騎士団が護衛につき、避難地区へ誘導します! その後はおそらくキールシーニャ領に――いえ、その話は後です! さあ、ともかく急いでください!」


 団員の号令が決壊の引き金となった。

 客たちは悲鳴を上げながら我先にと店の外を目指し、通りへと飛び出して行く。

 と、団員の一人が個室から様子を窺っているセシリーたちに気づいた。


「ガイデン様に――あ……せ、セシリー・アークライト?」


 セシリーが微笑混じりに会釈すると、団員は頬を染め口を半開きにしたまま停止してしまった。

 ガイデンが咎めるような空咳をする。


「孫に見とれるのは痛いほどわかるが、今はそれどころではないじゃろう」

「あ、いえ……決して自分は、み、見とれていたわけでは」


 弁解めいた調子で言い団員が頭を掻く。


「お、お二人もどうか我々と避難を――」

「四凶災で間違いないんじゃな?」


 ガイデンの質問に、団員が肯定する。

 にわかに騒がしくなってきた外の様子を窺う、ガイデン。


「四凶災とはのぅ。よりにもよってソギュートもディアレスもいない時に、か」

「わたしたちはどうしましょう、おじいさま」

「そうじゃな……まだソシエらは、この事態を知らんかもしれん。儂らは一度、屋敷に寄るとしよう」


          *


 セシリーたちは一旦アークライト家の屋敷へと向かうことになった。

 少し遅れてガイデンが店から出てくる。

 彼はゆったりとした外套を羽織っていた。

 すでに団員や客たちの姿はなくなっている。

 腰の剣の柄に手をかけながら、ガイデンが北門の方角を睨んだ。


「ダビドとヴァンシュトスならやってくれると、信じたいんじゃが」


 祖父の表情に微かな迷いがあった。

 自分が北門へ行くべきかどうか、迷っているのだろうか。


「おじいさまが、北門に――」

「いや、儂も屋敷へ向かう。あれらは……おそらく、真正面から戦うべき相手ではない」

「おじい、さま?」


 ガイデンが口惜しげな表情を浮かべていることに気づく。

 セシリーは察した。

 祖父はこう思っているのだ。

 聖樹騎士団が勝てる可能性が低い。

 相手が悪すぎる、と。


「聖王や姫たちはワグナスが上手く逃がすじゃろう。城には近衛隊もおるしな」


 母、バントン、ハナらが屋敷に残っていれば、そのまま合流。

 父であるバディアスは幸い現在キールシーニャ公爵領におり、王都にはいない。


「ジークとヒルギスも、無事だとよいが」

「一応、わたしの位置は知らせていますが……」


 店を出てから嵌めたこの指輪は、互いの位置を知ることができる。

 指輪のクリスタルから伸びる二本の桃色の光。

 ジークとヒルギスも、こちらの位置を掴もうとしている。


「セシリー、言い辛いことなんじゃが」

「?」

「その指輪は、外しておいた方がいい」


 あっ、とセシリーは思った。


「……わかりました」


 少し躊躇いがあったものの、セシリーは祖父の言う通りに指輪を外した。

 言いたいことは瞬時に理解できた。

 光の筋は誰でも目視できる。

 もしこの光の筋が四凶災の誰かの目にとまり、興味を持って光の筋を辿ってきたら――鉢合わせになる可能性が、格段に上がる。


「安心せい。ジークならば最適の行動を弾き出すはずじゃ。あれはまだ若いが、判断力と胆力は見上げたものを持っておる。四凶災と運悪く遭遇さえしなければ、いずれ合流できるはず」

「……はい」

 

 セシリーたちは注意深く周囲の様子を窺いながら、屋敷への最短経路をゆく。

 途中で何度も避難地区を目指す聖樹士と貴族たちとすれ違った。

 時間が経つにつれ、目に見えて人の姿が減っていく。


 警戒しながらの移動のため、移動する速度は遅い。

 それでも、四凶災がすでに聖樹騎士団を打ち破った……もしくは四人の中の誰かがすでに街中へ出ている可能性を考慮すると、警戒を怠るわけにはいかない。

 今セシリーたちが避けねばならぬ最大の事態は――四凶災との、遭遇。


「しかし、なぜ今になって四凶災が王都へ来たのでしょうか?」


 建物の壁越しに周囲を見渡しながら、セシリーは尋ねた。


「わからん。あの連中の行動原理ばかりは、儂にもさっぱりじゃ。そもそもあれらには目的そのものがあるのかどうかすら、怪しいものじゃが――む?」


 ガイデンの視線が、ある一点へと注がれる。

 セシリーの視線もつられてその視線の先へ。


「なっ……!?」


 思わず驚嘆の声が漏れた。


「大時計塔が――」


 大時計塔の上部が崩落していく。

 あれも四凶災によるものなのだろうか。


「破壊を楽しんでおるのか……? わからん。やはり、連中の目的はさっぱり読めん」


 すぐにガイデンは身を翻す。


「ゆくぞ、セシリー。もしあそこに四凶災がいるのだとすれば、いよいよ、聖樹騎士団が四凶災を封じ込めることはできなかったということじゃ」


 あの聖樹騎士団が全滅した、とまでは思わない。

 思わないが、四凶災が包囲網を突破してきたことだけは事実と捉えてよさそうである。

 セシリーは小走りに移動するガイデンの背中を追う。

 と、その時、


「おぉぉおおおお!?」


 上空から声がした。


「い、いぃぃぃぃぃたぁぁああああぁぁぁぁああああああ――――」


 声はそのまま遠ざかっていく。

 それから間があって、雷でも落ちたような大きな音が少し遠くから聞こた。


「なんじゃ、今のは?」


 ガイデンが頭上を仰ぐ。

 わからない。

 ただ――何かが頭の遥か上を通り過ぎて行ったのだけは、はっきりわかった。

 四凶災、だろうか。


「……え?」


 セシリーは、足を止めた。


「何か……近づいて、くる?」


 足音。

 地響きめいた、そんな足音。

 足音は加速度的に大きさを増していく。


 接近している。

 明らかにこちらへ向かって。

 前を行くガイデンが、振り向いた。


「なぜこっちに近づいてきているかはわからんが、一旦、身を隠すぞ。どうも、これは儂らの方を目指して――」

「当たりだぜ、ジジイ」


 巨大な人影が横滑りしながら、ガイデンの背後に出現。

 その男の落ちくぼんだ小さな瞳は、すぐ目の前にいるガイデンではなく――なぜか、真っ直ぐにセシリーを捉えていた。


「シャシャシャシャッ」


 男の目が、歓喜で吊り上がった。


「見ぃつけた」

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