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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
112/284

幕間15「遭遇(1)」【ジークベルト・ギルエス】


 その日ジークベルト・ギルエスは、ヒルギス・エメラルダと共に街へと出ていた。


 彼らは先ほどセシリー・アークライトとその祖父であるガイデン・アークライトを貴族御用達の料理店『晶羊亭』へと送り届けてきたところであった。


 聖王の剣術指南役、ガイデン・アークライト。

 すでに七十半ばに差し掛かろうかという彼は、今も多忙を極める現役中の現役である。

 現在は王たっての願いで王子や姫にも剣術を教えている。

 また彼は、聖王にとっては厚い信頼を寄せるよき相談役でもあった。

 当人は、もう引退したい、などと時たま口にする。

 しかしその反面、老齢の身でありながら彼は剣の人として聖王家に貢献できることを喜んでいるようであった。


 そんな彼が目に入れても痛くないほど溺愛しているのが、孫のセシリー・アークライトだ。

 ガイデンは同席を許可してくれたが、本心は愛してやまない孫と二人きりの食事を望んでいるのだろう。

 ジークは丁重に同席を断った後、セシリーとガイデンの許しを得て街へと出た。


 実はすでにセシリーからは、送り届けた後は好きに過ごしていいと許可を貰っていた。


「これは、どう思う?」


 ジークは展示用の硝子箱の中で光る首飾りを指差し、ヒルギスに尋ねた。


「いいんじゃない? 派手すぎないから、あの人にも似合うだろうし」

「そう、か」


 ふむ、とジークは顎に手を当てて唸った。

 街の大通りに面した装飾品店に二人はいた。

 ここはセシリーの母から教えられた店の一つである。

 このあたりには貴族地区の店よりも高品質な商品を置いている店がいくつかあるらしい。

 必ずしも『付加価値』と『本物』がいつも一致するわけではないのよ、とはセシリー母の談である。


 ジークがこの店へ足を運んだのは『あの人』への贈りものを買うためであった。

 先日クロヒコと昼食時に話していた時、彼から、学園長や彼女の侍女であるミア・ポスタに首飾りを贈ったという話を聞いた。

 そこでジークも、あの人に何か贈りものをしようと思い立ったのである。

 今まで花など細やかな贈りものをしたことはあったが、いかにも『贈りもの』といった贈りものをしたことがなかった。

 ただ、いざ気合いを入れて贈りものを選ぶとなると、ジークは自分の選別眼に自信がなくなってきた。

 そんなわけでヒルギスに同行を頼み、彼女から意見を窺うことにした、というわけである。


「では、これを」


 ジークは店の者に対し、丸い紫色の水晶の嵌った首飾りを指差した。


「……ねえ、いくつ買うの?」

「何がだ?」


 ヒルギスが目を細めてジークを見る。

 やや呆れたような感じだ。


「まあ……いいけど」


 実は、すでにジークたちいくつかの店を渡り歩いていた。

 そして店に入るごとに、ヒルギスが好感触を示したものを購入した。

 後でセシリーにも頼んで買ったものの中からよさそうなものを選んでもらおう、とジークは考えていた。

 なぜか自分よりもセシリーの方が、あの人の好みをわかっているような気がするのだ。

 しかし、とジークは自分を情けなく感じた。

 あの人が普段から着飾らない人間なのもあるびだろうが、これだけあの人に意中でありながら、装飾品の好み一つわからないとは……。


「……あなたって人とのつき合い方、やっぱり意外と下手くそよね」

「おまえに言われるのも複雑だが、否定はできんな。まあ、自覚はあるよ」


 そう。

 自覚はある。

 普段しかつめらしい面をしているから気軽に声をかけづらいのもわかる。

 性格ゆえか華やかな社交場も得意ではない。

 ジークはとにかく愛想笑いというものが苦手であった。

 特にそれが友人となると、愛想笑いを浮かべなければいけない時点で『友人』とは呼べないのではないか、などと思ってしまうのだった。

 結果、周囲と打ち解けられず集団で浮いてしまうことも多い。

 けれど中にはクロヒコのように打ち解けられる人間もいる。

 自然と笑みを交わし合える友が、いないわけではないのだ。

 と、ジークはヒルギスが店の窓の方を見ていることに気づく。


「なんだか外が、騒がしいけど」


 確かに先ほどから何やら通りの方が騒がしい。

 何かあったのだろうか。

 ジークたちは店の外に出てみた。


「なんだ?」


 人々が逃げ惑っている。

 皆、聖樹の方角へと向かっているようだ。

 人の波はジークとヒルギスの肩にぶつかりながら、まるで恐慌状態にでも陥っているかのように我先にと聖樹の方向を目指す。

 ジークは市民を誘導している聖樹騎士団の団員の姿を見つける。


「何かあったのですか?」


 尋ねてみると、団員がジークの存在を認めた。


「その制服、学園の生徒か」


 深刻な表情の団員が聖樹の方を指差す。


「いいか、すぐに避難地区の方へ逃げるんだ。いや……可能ならば、王都から出た方がいいかもしれん」

「どういうことなんですか?」


 ヒルギスが尋ねた。

 別の騎士団員が、先ほどジークたちがいた装飾品店の店主に向かって何か叫んだ。

 すると店主は血相を抱えて飛び出してきて、人の波に加わった。

 多くの騎士団員は城や貴族地区に向かったのであろうか。

 この辺りは明らかに人員が足りていない印象を受けた。


「来たんだよ」


 団員が何かおぞましいものでも口にするように言う。


「来た?」


 眉根をきつく寄せ、団員が北門の方角へ顔を向けた。


「……四凶災が」


 その名を聞いた時、団員が何を言っているのかジークにはしばらく理解できなかった。

 四凶災。

 目の前の男は今、四凶災と言ったのだろうか。


「クリストフィアに、四凶災が?」


 ヒルギスも表情に動揺を走らせていた。

 なぜだ。

 なぜ四凶災が王都に。


「ヴァンシュトス殿の率いる部隊が四凶災の現れた北門へと向かった。もちろん勝ってくれると信じたい。信じたい、が」


 団員が悔しげに歯噛みする。


「団長や副団長、さらに精鋭部隊のいない状態であの四凶災相手に勝てるかというと……正直、不安でないと言えば嘘になる。ヴァンシュトス殿と八剣ならばと思う面も、あるんだが」


 見ると、団員の手が震えていた。

 仲間の勝利を信じたいのであろう。

 だが同時に彼は、四凶災の名が示す厳しい現実を甘く見積もってはいないようだった。


「ともかく、君たちも今すぐ逃げるんだ。何――」


 ふっ、と冷や汗を滲ませながら団員が微笑する。


「守るべき民を置いて真っ先に逃げるような恥ずべき真似は、さすがにしないさ……ま、ちょっぴり本音を言えば、すぐにでも逃げ出したいところではあるんだけどね」


 仕方なさそうな笑みを浮かべ団員は眉尻を下げる。

 これが自分の役目だから、とでも言いたげな顔。

 それから団員は仲間と合流し、市民の誘導へと戻った。


 ジークは無意識気味に腰の剣に手を添えていた。

 あのヒビガミとの一件以来、ジークは可能な限り常に帯剣するようにしていた。

 どのような時に何が襲ってくるかわからないからだ。

 ギルエス家の人間として、いかなる時もセシリー・アークライトを守れる状態でなくてはならない。

 これはヒルギスも同様だ。

 が、


「四凶災か」


 相手が四凶災となると少々、話の次元が変わってくる。

 ジークたちは通りの脇へ移動すると、そのまま路地裏へ滑り込んだ。


「どうする?」


 通りの様子を窺いながらヒルギスが問うてくる。

 ジークは即座に決断する。


「まずはセシリー様たちと合流しようと思う」

「……わかった」


 自分たちにとっては、まずそれが先決だ。

 ジークは帯革の小袋から一つ指輪を取り出すと、指にはめた。

 ヒルギスも同様に、桃色のクリスタルの嵌った指輪を人差し指にはめる。

 この指輪は互いの位置を光の筋で示し合う魔導具だ。

 ジークは指輪の宝石に聖素を流し込む。

 が、現れた光の筋はヒルギスとジークの指輪を互いに示し合っただけだった。


「駄目か」


 この魔道具は、指輪をはめたもの同士が聖素を流し込んでいないとその効果を発揮しない。

 つまりセシリーは、現段階では指輪に聖素を流し込んでいないことになる。


「向こうはまだ、この指輪を使って合流を考えるような事態には陥っていない、ということか」

「四凶災が来たということも、まだ伝わっていないのかもしれないわね」

「仕方ない。指輪に聖素を流し込みながら、とりあえず貴族地区を目指しつつ合流を試みるとしよう。そして上手く合流できたら……一旦、学園を目指そうと思う。できれば、クロヒコと合流したい」


 クロヒコは強い。

 禁呪も使える。

 そして彼ならば、セシリーを全力で守ってくれるだろう。


「クロヒコも今、避難地区に向かっているかも」

「いや……王都では、学園と避難地区は真逆の位置にある」


 確か今日、クロヒコは学園長と一緒に客人と会う予定だと言っていた。


「それに今回は避難地区に篭っても乗り切れるかどうかわからん。もし学園長なら、西門からシグムソス公爵領へ逃がそうとするはずだ」

「……それもそうね」

「おれも避難地区よりは、王都の外に逃げた方が安全のような気がする。あくまで、感覚的なものではあるが」


 本当は聖樹騎士団が四凶災を退けてくれるのが理想だ。

 それが理想ではある。

 しかしあの帝国軍ですら歯が立たなかった四凶災が、そう簡単に倒されてくれるだろうか。

 さらには、団員も言っていたように、この状況において団長と副団長、および精鋭部隊の不在は致命的に感じられる。


「幸いセシリー様は今、ガイデン様と一緒におられる。ガイデン様ならば適切な行動をとるだろう。だからセシリー様たちはすでに移動している可能性も高いが……一応、晶羊亭には寄ってみようと思う。そこにいなければ、そのままアークライト家へ行く。あそこには母上のソシエ様もおられる。セシリー様たちが屋敷へ向かう可能性は、高いはずだ」


 ヒルギスが同意の意思を示す。


「セシリー様がおらずとも、可能ならばソシエ様やバントンたちと合流、その後も行動を共にする。屋敷を出たら、ソシエ様たちを護衛しつつ学園を目指す。馬車は目立つだろうから、移動は徒歩になるだろうが……とりあえず、その方向でかまわないか?」


 ヒルギスからの返事は遅れた。


「……あなたは、それでいいの?」

「何がだ」


 言い出しづらそうに、ヒルギスが唇を開く。


「あの人のこと」

「おれは……ギルエス家の人間だ。誰よりもまず、アークライト家の人間を守る義務がある」


 言いつつもジークは内心、あの人のことを考えていた。

 あの人は避難してくれているだろうか。

 普通、この状況であれば避難しようとするだろう。

 だが――彼女は、おそらく屋敷に残る。

 無理をして自分が生きる意味はない……きっと、そんな風に思っているに違いない。

 今の彼女は死の予兆があれば抵抗しない。

 死を受け入れる。

 そんな人だ。

 本当は自分が迎えに行って屋敷から連れ出したい。

 自分のために生きてほしいと、伝えたい。

 しかし自分はギルエス家の人間だ。

 アークライト家の者の安全確保を最優先としなくてはらない。

 その決まりを、曲げるわけにはいかない。


「わかった」


 ヒルギスが言った。


「なら、わたしに任せて」

「任せる?」


 ジークは眉根を寄せた。


「任せるって、何をだ?」

「ソシエ様たちと合流した後、学園までの誘導と護衛はわたしが請け負う。あなたはアークライト家の屋敷を出た後、あの人を探しに行って」

「そんなこと……できるわけ、ないだろう」

「しなかったら、わたしが彼女を探しに行くから」

「無茶苦茶だ」

「今が無茶をする時でしょ、ジーク」


 彼女にしては珍しく、強い感情の篭った声だった。


「…………」


 ヒルギスがジークの抱えている包みに視線を飛ばした。


「その贈りものは一体、誰のために買ったの?」


 ジークは強く、口元を引き結んだ。


「だが――」

「ジーク」


 有無を言わせぬヒルギスの調子に、ジークの気持ちは揺さぶられる。


「……いい、のか?」

「いいも悪いも、今はそうすべき。こんな時だからこそ、自分の気持ちには嘘をつくべきじゃないと思う」

「ヒルギス」


 ジークはヒルギスの顔を暫し見つめた後、頭を下げた。


「……すまん、恩に着る」

「いいから。それにセシリー様も、きっと同じことを言うと思うから」


 なんとなく、ではあるが。

 確かにセシリーも、同じことを言いそうな気がした。


「とにもかくにも……まずは、セシリー様だな」


 ジークは気を引き締め直す。


「行くぞ、ヒルギス」

「ええ」


 路地から飛び出すと、二人は晶羊亭の方角へと足を向けた。


          *


 セシリーとガイデンのいる晶羊亭が店を構えているのは、貴族地区。


 現在ジークたちがいるのは、大時計塔前にある広場の手前。

 最後に立ち寄った店が貴族地区とほぼ正反対の立地だったのが、悔やまれる。


 ただ、指輪は先ほどから真っ直ぐに一本の光の筋を貴族地区の方へ伸ばしている。

 どうやらセシリーの側にも四凶災襲来の報が届いたようだ。

 向こうも合流を試みてくれているらしい。


 ジークは北門の方を眺めやった。

 北門での戦闘がどうなっているかはわからない。

 ただ、もし早々に聖樹騎士団が敗れていたとしたら。


 晶羊亭へ向かう途中、四凶災と遭遇する可能性がある。

 鉢合わせになるのだけはどうにかして避けたい。

 ジークは周囲の様子を窺う。

 この辺りのひと気はほとんどなくなっていた。

 時折、逃げ遅れたのであろう市民の姿が視界をかすめる程度だ。

 普段は賑やかな大時計塔前の広場も、閑散としている。

 ひと気のない広場を突っ切るのは目立つので、避けたいところである。

 ただ、広場を突っ切った方が距離を短縮できるのも事実であり――


「待て、ヒルギス!」


 ジークは、路地から身を出そうとしたヒルギスの身体を掴んで引き寄せた。

 何か、聞こえる。


 ――雄叫び、か?


 それは次第にこちらへ近づいてくる。


「――ぅぉぁぁああぁぁぁぁああああ――――」


 ただ、何かがおかしい。

 そう。

 声の位置が妙なのだ。

 接近速度にしてもそうだが、これではまるで、空でも飛んでいるかのような――


「――ぁぁああああぁぁぁぁあああああああああああ!」


 時計塔の天辺に近い上部に何かが『衝突』した。

 岩が弾け飛んだような大きな音。


 ――なんだ?


 そっと路地から顔を出す。


「な、に?」


 ジークは思わず驚きの声を漏らした。

 大時計に穴が開き、罅が縦に走っていた。


「ぉぉぉおおおおおお! ら、シャァ! らぁぁぁああああああああああああ!」


 穴の奥から叫び声が響いてくる。

 続き、破砕音。

 時計塔上部の壁の亀裂が増えていく。

 壁が砕け、弾け飛んでいく。


 ――内部で誰かが、暴れているのか? だが、なんのために……。


 その時――時計塔上部が、崩落。


 支えを失った屋根部が瓦解。

 その下部の壁も、連鎖するように崩れていく。

 大時計が軋み悲鳴を上げる。

 そして引き剥がされたみたいに、ぼろっ、と時計塔から外れた。

 休まず時を刻み続けてきた大時計が地面に落下する。

 大きな音が広場に響き渡った。

 罅が入っていた部分を起点にさらなる亀裂が走ったかと思うと、大時計が、無残に真っ二つに割れた。

 身を隠しつつ、ジークは時計塔の上部を見上げる。


 天井や壁を失った『そこ』には、


 男が一人、立っていた。


 遠目でもわかるほどの巨大な身体。

 がたいがよく、腕も太い。

 金色の髪。


 この位置からわかるのは、それくらいである。

 それでも、あの男が異様であることだけはわかった。

 さらに彼がおそらく、四凶災の一人であろうことも。


 ジークは咄嗟に指輪を外した。

 ヒルギスもすぐに指輪を外す。

 この指輪は聖素を持続的に供給しなければすぐさま効力を失う。

 つまり指から外すと光の筋は即座に消えてしまうのだ。

 だが今はすぐに消えてもらった方がありがたかった。

 ジークたちが指輪を外したのは、光の筋が時計塔の男に見つかるのを危惧してのことだった。

 ただ、すでに光の筋が見られたという可能性もあるが……。


 緊張の面持ちで、ジークは男の様子を窺う。

 が、ジークの危惧とは裏腹に、男がこちらに気づいた気配はなかった。

 男は手を額にかざし、ジークたちとはまったく別の方角を見渡していた。

 少なくともこちらへ顔を向ける気配は窺えない。

 彼は……貴族地区の方角を眺めているように見えた。


「ああ、あっちか! そうかそうか! つまりあそこを目指せってことだよなぁ!? シャシャッ! 裕福裕福! 一目であの辺が裕福だってわかりやがる! いいねぇ、わかりやすくて! ――シャァアッ!」


 男が、飛んだ。

 あるいは、あれは跳躍と呼ぶべきなのだろうか。

 なんにせよその飛距離は異常だった。

 少なくとも人間が一足で飛べる距離ではない。

 飛び上がった男は真っ直ぐに、貴族地区へと飛んでいく。

 着地できるものなのだろうか。

 いや。

 できるから、飛んだ。


 男は裕福がどうこう言っていた。

 金品が目的なのだろうか。

 だとすれば案外わかりやすい目的だ、とジークは思った。


「行ったみたいね」

「ああ」


 男が遠ざかったことで、辺りは再び不気味な静けさを取り戻した。

 ただ、他にも隠れていた市民が何人かあの異様な光景を覗いていたようである。

 家の窓や物陰に人の姿がまばらに窺えた。


 ジークは唇を噛む。


 ――先ほどの男の目的地が言葉通りあの地区だとすれば、セシリー様たちと遭遇する可能性がある。


 そしてあの人も、同じ地区にいる。

 急がなくてはならない。


「急ぐぞ、ヒルギス」

「ええ」


 ジークとヒルギスは貴族地区を目指し、路地から出て一つ向こうの路地へ入ろうとした。

 と、指輪をはめ直そうと、ジークが走りながら革帯に手を伸ばした時だった。


「セェェシリィィィィ!」


 声が、聞こえた。


 ――えっ?


 思わず、ジークは足を止めた。

 ヒルギスも、さすがに今のは聞き流せなかったようだ。

 彼女も足を止める。

 聞きようによっては呑気な声である。

 ただし、この四凶災が襲来している状況の中では、その間延びした声はむしろ異質さが際立っている。


「セェ〜シィ〜リ〜! どぉこだぁ〜い!? おぉ〜い、セーシーリーっ! セシリ〜! セシリー、アークライトぉ〜! どこにいるんだ〜い!?」


 ジークは緊迫した表情のヒルギスと、顔を見合わせた。 

 セシリー・アークライト。

 今、声の主は確かに『セシリー・アークライト』と言った。

 二人は声のする方を向く。

 すると、焦げ茶色の革服を着た長身の赤髪の男が、ジークたちが出てきたのとは別の路地から姿を現した。

 くすんだ赤い髪はその目を覆うほどに長く、手足が妙に長い男だった。

 男は何かを引きずっていた。

 衛兵だった。

 なんのためにかは知らないが、絶命した衛兵の足首を持ったまま、ここまで引きずってきたらしい。

 と、赤髪の男がジークたちの存在に気づいた。


「ねぇ、きみたちは知らないかな? セシリー・アークライトって子なんだけど、知らない? すっごく綺麗な子なんだけど」


 男は衛兵の死体を見下ろした。


「この人ね、居場所を知ってるって言ってたんだけど……なんか、嘘つきだったみたい。ぼくは場所を聞いてるのに……多分、とか、おそらく、ばっかりでさ。って、なんだよ〜!? もう死んでるんじゃないか! もう、なんて役立たず!」


 男が不満げに衛兵の死体を投げ捨てる。

 それから男は、にぃぃ、とジークたちに笑みを向けた。


「ねぇ、知らない? セシリー・アークライトのいる場所、知らない? セシリーのいる場所を教えてくれたら……ふふふ、特別だよ? これはベシュガム兄ちゃんには、秘密だよ? きみたちを、殺さないでおいてあげる!」


 前髪から覗く目が爛々と、輝いていた。


「もし知らなかったら、その時は……うん、ぼくと遊ぼうか。ああ、安心してね? 知らなくても、怒らないから」


 鞭めいた動作で男が腕をひと振りすると、石畳が弾け飛んだ。


「その時はちゃんと、遊び殺してあげるから」

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