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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
111/284

第94話「叫びと、」


 ――え?


 さすがの俺も一瞬、意識がとまった。

 セシリー、さん?

 なんで?

 なんで四凶災が、セシリーさんを――


「なんだ? 貴様らセシリー・アークライトの知り合いか? まあ……セシリー・アークライトなぞ、このオレにはどうでもいいことだが」


 踏みつけた俺の顔を、ぐりぐりとベシュガムが靴底で押し込んでくる。

 …………。

 どういうことだ?

 セシリーさんが襲来の理由だと語った直後に、ベシュガムはセシリー・アークライトなどどうでもいいと語った。


「ぐぅっ!?」


 俺は思いっきりベシュガムのアキレス腱を殴りつけた。

 靴底で押し込むってことは――上下運動がない分、目標に攻撃をあてやすくなるってことだ。

 ベシュガムが瞬間的に動きを止め、若干、バランスを崩す。

 その隙を見計らって、俺は残された力を振り絞りベシュガムの攻撃範囲から離脱。

 が、離脱後に立ち上がる余力は、残っていなかった。


「本当に……諦めの悪い男だ。だがもう実感として理解しただろう? 人の感情が持つ強さ……人の想いの強さを知ったオレに、貴様が勝てる道理はない」


 彼は忘れていた感情を取り戻したのだろうか。

 …………。

 前よりも声に感情が乗っている気がする。


「オレに出会うのが少し早すぎたな。もっと成長してから相まみえていれば、貴様はオレを越える存在になっていたのかもしれん。ただ……貴様にとっては不運だったが、オレにとっては、僥倖だった――もう一度、言ってやる」


 ベシュガムが、笑った。


「貴様は、オレに勝てない」


 勝てない。

 今の俺のままじゃ、この男には勝てない。

 …………。

 暫し沈黙してから、ゆっくり口を開く。


「……そう、だな」


 膝をついたまま、俺は項垂れた。

 見ようによっては、土下座し許しを請うているように映っているかもしれない。

 心臓が、嫌な感じに締めつけられていた。


「ここまで、じゃな」


 シャナトリスさんの声。


「やつはあのまま、クロヒコにとどめを刺すつもりじゃろう。ただ……あの様子だと、クロヒコにとどめを刺さずにワシらへ襲いかかってくることはあるまい。今のうちじゃ。ゆくぞ、マキナ」


 マキナさんの返答はない。


「他の者もじゃ。無駄かもしれんが、逃げる努力をするぞ。クロヒコもおぬしらがこのまま残ってむざむざ殺されることを望んではいまい。あの男は四凶災相手に、よくやった。ワシらこそ……もっと早くに逃げておくべきだったんじゃろう。ほれ、そこの侍女も――」

「わたくしはゆきません」


 ミアさんの声。


「ここに残ります。皆さまはどうか、避難なさってください」

「あのな、おぬしがここに残ることを、あの男が望んでいるとでも――」

「勝つと、おっしゃいました」

「…………」

「クロヒコ様は、勝つとおっしゃいました」

「気持ちはわからんでもないが――」

「必ず、勝ちます」

「震えておるではないか、おぬし。あの四凶災が、恐ろしいのじゃろう?」

「怖いです。怖いですけど……ミアは、クロヒコ様がいなくなってしまうことの方が、もっと怖いです」

「……ミア」


 マキナさんの声。


「友だちだと、言ってくれたんです。こんなわたくしと友だちになって、くださると……温かい、人なんです。大切な人のために、一生懸命がんばる……クロヒコ様はそんな、方なんです……そんな人、なんです……」


 ミアさん。

 泣いて、いるのだろうか。


「勝ちます。クロヒコ様は、勝ちます!」


 祈るような、叫びだった。


「……私も、残るわ」

「マキナ! おぬしは立場的に――」

「わかっているわよ!」


 有無を言わせぬ、叫びだった。


「だけど……彼を巻き込んだのはやっぱり、私だから。見届ける責任くらいは、取らないと」

「ったく、どいつもこいつも……。見てみぃ、おぬしらがそんなだから……教官たちまで、覚悟を決めてしまったではないか。まったくもって、非合理的な判断じゃ」

「あなたは逃げて、シャナトリス。後のことは……任せたわ」

「いや、ここでワシだけ逃げたら、仮に逃げ延びたとしても、ワシはずっと嫌な思い出を引きずって生きていくことになりそうなんじゃが」


 …………。

 まいったな。

 誰も逃げる様子がない。

 できれば、逃げてほしかったのだが。


 ベシュガムが何度も、勝てないと断じているのに。

 俺とベシュガムの力差は今までの戦いを見て、もうわかっているだろうに。


 ふぅ、と俺は息を吐いた。


 ここで俺がまだ見ぬ真の力とかに目覚めて覚醒したりすれば、すごく格好いいんだろうな。

 禁呪の知られざる力が解放されて都合よくパワーアップなんかできたら、もう最高だ。

 ああ……それともヒビガミが、助けに来てくれるとか?


 そんなことが起きてくれたら、どんなにいいだろう。

 だけど――


「やっぱ……そう都合よくは、いかねぇよな」


 俺は頭を垂れたまま、言った。


「最後まで気持ち悪かったな、貴様ら」


 ベシュガムが近づいてくるのがわかる。

 声で、距離がわかる。


「だから……貴様ら全員、苦しませて殺してやる。特に、あの学園長と亜人は念入りに苦しませてやろう」

「……なあ、ベシュガム」

「ん?」

「最後に、聞いてもいいかな?」

「……いいだろう」


 さらに一歩、ベシュガムが地を踏みしめる音がした。


「つまらん質問でなければ、答えてやろう」

「なぜセシリー・アークライトが、あんたらがルノウスレッドに来る理由になった?」

「つまらん質問だな。ゆえに答える義務はない。知りたければ、マッソに聞け」


 ほとんど身体に力が残っていない。

 もうまともに戦える身体じゃないのがわかる。


「じゃあさ……どうやってあんた、そんなに強くなったんだ?」

「オレの強さの秘密、か。そうだな……いわゆる『完全』に憧れたのが、最初の動機だったか」

「完全?」

「それも、どんなものにもびくともしない究極の完成系に、オレは憧れた。それを追い求めているうちに……自らを完全なる存在へと高めたいと、考えるようになった。そう、誰しもが持っているはずだ。揺るぎない『完全』をその手中におさめたいという、そんな欲望を。だが――完全は、オレだけでいい。他は皆、不完全でいい。互いに傷をなめ合い、不完全も思ったより悪くはないと、毒にも薬にもならん慰めで、現実から目を逸らし続けていればいい」


 ベシュガム・アングレンはその精神性すらも正真正銘の怪物なのかもしれない、と思った。

 それにしてもこの男、自分に関する質問ならば答えるに値するようだ。

 とことん自分のことが好きらしい。

 ベシュガムが、ほんの一メートルあるかないかの場所まで来たのがわかった。


 ここで俺の中に湧き上がってきた感情は――


 恐怖、だった。


 怖い。

 オレだって人間だ。

 禁呪使いとはいっても、ただの人間。

 普通の人間、なんだ。


「しかし完全なるものは、オレ以外にも存在している。それは例えば――世界であり、神だ。だから穢すのだ。ゆえにオレは世界にも神にも唾を吐きかける。人として……ベシュガム・アングレンとして」


 歯の根がかみ合わない。

 肩と腕の震えは、どうにか抑える。

 だけど唇が震える。

 怖い。

 目尻に、涙が滲んでくる。


 ――怖い。


「う――」


 結局、堪え切れなかった。

 両手を顔へ、持っていく。


「うわぁぁああああぁぁぁぁああああああああ――――ッ!」


 俺は面を伏せたまま、叫んだ。


「ぐ、ふっ……」


 同時に、吐血する。


「ぅ……うぅ……」

「ふん……無様だな、禁呪の男」


 見下げ果てたといわんばかりの、ベシュガムの声。


「これでようやく貴様は終わりだ。何もかもな。ああ……そういえば、オレがここまで強くなった理由を、知りたいのだったな」

「――ゅ――っ――」

「我々四兄弟は、そもそも――」



 最後の力。

 そのすべて。

 全身全霊を、振り絞り、


 俺はベシュガムに、飛びかかった。


 ベシュガムが最後まで警戒していたのは、俺の左腕であろう。

 明らかにベシュガムにダメージを与えてきたのは、この左腕だからだ。


 案の定。

 ベシュガムは、左腕を潰しに来た。

 先読みしていのだろう。

 万が一仕掛けてくるならば、ここだと。


「がっ、ごっ――」


 しかし、


 ベシュガムの口の中に突っ込まれてるのは、俺の右腕だった。


 ありがとう。


 べらべらと自分語りをしてくれて、ありがとう。

 右腕を精一杯、喉の奥まで押し込む。

 ベシュガムがいっぱいに目を剥く。

 俺は、



 右手で掴んでいたものを手放すと、

 右腕を一気に引き抜く動作と同時に、



 その言葉を、口にした。



「――第三禁呪、解放」



 瞬間、

 ベシュガムの目が、

 鼻が、

 口が、

 赤く、光った。


 続けて、内部で爆発でも起こしたかのごとく、少しだけベシュガムの腹が膨らんだようになった。


「がぁっ……! ぐ、がぁっ……っ!」


 右腕を口内に突っ込まれた時、俺が引き抜こうとするのと同時に、ベシュガムは瞬時に俺の右腕を噛み千切ろうとしてきた。

 そのため、どうにか噛み千切られるのだけは阻止したものの、俺の右腕の皮膚はベシュガムの歯で大きく削り取られ、痛々しい姿となっていた。

 ベシュガムが剥き出した眼球の周囲から血を流しつつ、俺を捕まえようと、震える右手を伸ばしてくる。


「き、さ……まっ……眼……眼、を……自、分の、眼を……自分、で……っ!」


 そう。



 自分の左目の眼球を――俺は、自ら抉り出した。



 さすがに、怖かった。

 自分で自分の眼を抉り出すなんて恐ろしくて、思わず、恐怖を跳ね飛ばすために絶叫してしまった。

 だけど、


 やるしか、なかった。


 これしかないと思った。

 外からが駄目なら、内側から。

 試してみる価値は、あると思った。


 あえて口の中を噛み切って吐血したのは、眼から出た血をごまかすため。

 ベシュガムの位置は声で把握していた。

 言葉は口から発される。

 ならば目標である口の位置は、俺が頭を垂れていても把握できる。


 もう一つ必要だったのは、ベシュガムに常に喋っていてもらうこと。

 腕を捻じ込むための隙間が必要だった。

 だから、ベシュガムが話したい質問を振る必要があった。

 そしてベシュガム・アングレンは……目論見通り、べらべらと自分語りをしてくれた。

 これは、感情を取り戻し、気分よさそうに話しているベシュガムの様子を見て思いついた手だった。


 あとは……俺の、覚悟だけだった。

 恐怖を乗り越える、覚悟だけ。


 もちろん、イチかバチかの賭けであったことは否めない。

 第三禁呪が俺の肉体を離れても発動する保証もなかった。

 それでも……これが駄目なら、次の手を考える。

 ただそれだけの話だと、そう思った。


 これが駄目でも諦めるつもりはなかった。

 最後まで、足掻く。

 そのつもりだった。


 ベシュガムが慌てて眼球を吐き出しにかかる。

 手を口内に突っ込もうとするベシュガム。


「――我ガ命ニヨリ我ノ眼ニ―――」


 させるか。


「――第三禁呪、解放っ!」

「がっ……ぁ……!」


 放出口を求めるエネルギーが、ベシュガムの体内で暴れまわる。

 この間に俺は、地面を不格好に転がりながら距離を取った。

 一定の距離を取ってから、身体をぐらつかせるベシュガムへと向き直る。

 光線の暴虐がおさまる。

 しゅぅぅ、と。

 今をもって倒れないベシュガムの口から、煙のようなものが吐き出されていた。

 その目からは血の涙が流れている。

 鼻からも血が垂れていた。

 それでも倒れるには、至っていない。

 至っていないが――


 確実に今までとは、ダメージの質が違う。


 一方、俺は足に力が入らず地面に膝を突いたままだった。

 先ほどの急接近で力をほとんど使い果たしてしまったようだ。

 もう立ち上がることはできない。

 だが、禁呪を詠唱することはできる。


 詠唱を続けることは、できる。


 眼球を失った眼窩から血がドロリと流れる。

 右目も、禁呪使用の影響でズキズキと痛む。

 …………。

 構う、ものか。


「我、禁呪ヲ発ス……我ハ、魔眼ノ王ナリ――」


 この時ベシュガムの判断は、実に的確で素早かった。

 己が吐き出す前に禁呪を発動させられてしまうと見るやいなや、彼は吐き出すという手段を瞬時に捨て去ったようだった。

 ベシュガムは、鬼のような形相でこちらに向かって疾駆――本体の方を、瞬殺しにきた。

 咆哮の一つもなく。

 無駄な動きなど、何一つない。

 あらゆる神経を俺を殺すことのみに集中させている。

 この判断ができるからこそベシュガムは、強い。


「――第、三、禁呪――解、放……っ!」


 ベシュガムの体内で第三禁呪が発動する。

 ボフッ、とベシュガムの腹が膨れる。

 が、ベシュガムは怯まない。

 禁呪発動の際に一度動きを止めるものの、すぐに向かってくる。

 その血まみれの貌に浮かぶは、圧倒的な殺意。

 純然たる、殺意。

 こんなにも明確な殺意を他者から向けられたのは、初めての経験だった。

 と、


 ベシュガムの足下に、術式陣が出現。


「――っ!?」


 ベシュガムの動きが数拍、とまる。

 シャナトリスさんの、『リィンプエルグ』。

 続けてベシュガムに迫るは、『ミストルティン』。

 ベシュガムが術式刻印による固有術式を発動させた腕で『ミストルティン』を振り払う。

 と、その背後に、


 重ねて発動させたらしい二発目の『ミストルティン』が、隠れていた。


 ベシュガムは表情をくしゃりと歪め、二人の少女たちから放たれた固有術式を忌々しそうに下していく。


「――最果テノ獄ヨリイデシ、殲滅ノ源ヨ! 我ガ命ニヨリ、我ノ眼ニ――」


 叫ぶ。

 俺は叫ぶ。

 禁呪を紡ぎながら、ただひたすらに――――叫ぶ。


「――第三禁呪、解放……っ!」


 倒れろ。


「我、禁呪ヲ発ス! 我ハ――」


 倒れろ……!


「――第三禁呪、解放! 我、禁呪ヲ発ス! 我ハ――」


 固有術式の呪縛を逃れ、まさに人ならざる威圧感で迫りくるベシュガム・アングレン。

 手負いの獣が決死の覚悟で攻撃に回ると、あるいはこんな迫力を出すのかもしれない。

 第三禁呪で体内を掻き回されたせいか、すでにベシュガムは顔も体がいびつに変形し、もはやその原形をとどめていない。



「――第三禁呪……解、放!」



 と、その時――


 赤黒い光線が天へ向かって、真っ直ぐに、伸びた。


 第三禁呪が……ベシュガムの脳天を、貫いたのだ。

 ベシュガムが吠える。

 果たしてそれは、断末魔の叫びだったのであろうか。

 そして、黒き雷光を纏いし紅き光の剣が――


 ベシュガム・アングレンの顔面を、真っ二つに、斬り裂いた。


 四凶災であったものが、身体から血煙を上げながら……仰向けに、大の字に倒れる。

 続き、鳴動。

 地響き。

 大地が震えたような、そんな気がした。


 それから。

 何かの空白のように一瞬だけ、時が止まったような感覚があった。

 風が、吹いた。

 その風が揺らす木々の葉の擦れる音だけが、世界に音をもたらしているような、そんな錯覚をもたらす。


 そして――ようやく俺の耳が感じたのは、自分自身が繰り返す、荒々しい呼吸音。


「はぁ……はぁ、っぁ……!」


 がくっ、と首が下がる。

 やった、の、か?


「……っ!」


 眼の痛みに表情が歪む。

 腰を上げようとする。

 が、身体に力が入らない。


「駄目、か……」


 やはり立ち上がる力すら、残っていないようだ。

 代わりに首を持ち上げる。

 そして、ベシュガムを見る。

 …………。

 もう動く様子はない。

 あれは、さすがに……死んでいる。

 いや。

 むしろ生きていられても、困るのだが。

 なんとなく、空を見上げる。


「やった、か」


 血まみれの頬を撫でる風が、少しだけ、心地よかった。


「……やれたん、だな」


 ようやく心音と呼吸が落ち着いてきた。

 俺は一息ついてから、声のする方へと顔を向ける。


 残った右目に飛び込んできたのは、それぞれに別々の表情を浮かべながら駆け寄ってくる、マキナさんたちの姿だった。

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