第11話「坂道を下って」
学園長室を出た後、ミアさんに連れられて学園の門まで行った。
来る途中、学園の制服と思しき服に身を包んだ生徒たちと何度もすれ違った。
白を基調とした制服。
ところどころ青や黄色のラインが入っている。
喩えるなら、堅苦しさの少し抜けた軍服みたいなイメージだろうか?
異世界の学生の服ってどんなものかと思っていたけど、コスプレっぽいというか、異世界を舞台にしたオシャレ系格闘ゲームあたりにでも出てきそうな感じである。
かなり軽装に見えるけど、戦う時には、あの上に鎧なりなんなりを着るんだろうか?
ちなみに、女子はスカートだった。
尻尾をスカートの下でぴこぴこと振りながら歩いて門を出たところで、前を行くミアさんがくるりと反転し、笑顔で手を広げた。
「こちらが、正門でございますっ」
見上げるほどの高さを持つ正門は、まさに驚嘆に値する大きさだった。
威容を誇るとは、まさにこのことか。
彫り込まれてる紋様なんかも、なんかすごい感じだ。
芸術。
文化財。
そんな言葉が浮かぶくらいには、手が込んでいるのがわかる。
高くそびえたつ門を見上げる。
白い門と、その門の向こうに覗く青々とした空とのコントラストが、いい感じだ。
けど、これだけ大きいと開閉が大変そうだな……。
次に視線を学園の校舎へと向ける。
外から目にする学園自体も、かなりの格調高さをうかがわせる。
全体像を確認したわけではないのではっきりとはわからないけど、敷地の広さは大体、大きい規模の大学の敷地くらいといったところか。
雰囲気的には、伝統ある名門校って感じだ。
どっかの大聖堂を改築してそのまま学園にしちゃいました、と説明されても信じてしまいそうである。
「そして――あれこそが我らがルノウスレッドの誇る、聖樹です!」
ミアさんがさっと横に体をずらす。
俺はミアさんの指が示す先――自分の背後を振り向いた。
学園と対面する、そのずっと先。
あの、大樹があった。
「うわっ――」
門が近づいてきたあたりからチラチラと見えてはいたのだが、こう改めて目にすると、本当にすごい風景だ。
まるで一枚の絵画を切り取ったみたいでもある。
声を失わせるに足る、神々しさ。
何より荘厳で、その姿はただただ、美しかった。
「ルノウスレッドで暮らす人々は、その多くがあの聖樹を信仰しています。この世界のすべて起源は、あの聖樹だとも言われているんですよ?」
ますます北欧神話に出てくる世界樹っぽい。
ミアさんが腰に手を当て、もう片方の手の人差し指を立てながら、前かがみになった。
「そして、その聖樹を守りし神の名こそ、この国の名ともなっている聖神ルノウスレッド様なのですっ」
なるほど。
国の名前は、聖樹の守り神から取ったものなのか。
「さらに――」
ミアさんのびしっと突き出した指先が、聖樹からやや下方を示す。
「この学園から緩やかな坂を下り、その先のルノウスレッド大通りをまっすぐ行きますと、この国を治める聖王様がいらっしゃる、ルノウスレッド城へと辿り着きますっ」
見ると、ミアさんの言った通り、学園の坂を下った先から大きな通りがまっすぐ一本、聖樹の方へ向かって伸びている。
まるでその威光を借りるかのように、聖樹をバックにする白亜の城が見えた。
うーん、あの城までは、けっこう遠いな。
何キロくらいだ?
歩いて行ったら、どれくらいなんだろうか?
「あ、忘れてました!」
ぴんっ、とミアさんの耳が空に向かって直立した。
ミアさんが、まるで眼下に広がる街を両手で抱え込むみたいなポーズをとる。
「この都市の名前は、クリストフィアといいます。ここ王都クリストフィアは、ルノウスレッドの、まさに中心なのです」
「なるほど」
つまりまあ、国の首都ってことか。
俺は坂の向こうに広がる街を眺めた。
聖樹を扇状に取り囲むようにして、大小様々な建物が広がっている。
全体的に白い色の建物が多い印象だ。
王都というだけあって、規模もけっこうな大きさの都市のようである。
……雰囲気的にも、いかにもファンタジー世界の街並みといった感じがするな。
「ちなみに聖樹のさらに先には、大聖壁があります」
「大聖壁?」
「はい、大聖壁には聖神ルノウスレッド様のご加護が宿っているとも言われておりまして、なんと、数百年に渡って侵略者に打ち破られたことがないのですっ。この国自慢の、まさに守り神と呼ぶに値する壁ですねっ」
聖樹の周りには靄のようなものがかかっているのでわかりにくいが、言われてみれば、確かに薄っすらと灰色の壁らしきものが見える。
「あれが、大聖壁……」
…………。
しかし、むやみやたらと『聖』の文字が冠としてついているのは、それだけ聖神様とやらへの信仰心が篤い国ということなのだろうか。
「ちなみに、あの壁の向こうには海が広がっております」
「へぇ、壁の向こうは海なんですか」
「はい。壁は。一部の港を除き、ぐるりと海岸線に沿って建っています。あの壁のおかげでこの国は歴史上、海からの侵略はほとんど受けたことがないんです」
今ミアさん、海からの侵略『は』って言ったけど……陸からの侵略はあったってことなんだろうか?
「ちなみに戦争なんかは、普通にあったりするんですか?」
「昔はこの大陸でも、国家間の戦争があったようですね」
「ということは、今は平和なんですね?」
「現在は国同士の均衡が保たれておりますので、国家間での戦争は起きておりません。ただ、国によっては国内で内紛が起きていたり、別の大陸で侵略戦争をしたり、といったことはあるようですね。そのような国に比べれば、ここルノスレッドは随分と平和なものでございます」
ふむ。
平和な国に飛ばされたのは、幸運だったかもしれない。
他の国に飛ばされていたらいきなり戦火に巻き込まれた、なんてパターンもありえたかもしれないのだから。
「…………」
さて。
ここいらで、ちょっと整理してみるか。
この世界は『ユグドラシエ』と呼ばれている。
俺が今いるのは『聖ルノウスレッド王国』という平和な国。
そしてこの国には『聖樹』という馬鹿でかい木があって、それが国民の信仰の対象となっている。
で、『聖神ルノウスレッド』という神様がその聖樹の守り神とされていて、国の名前にもなっている。
その聖樹のある都市の名前は『王都クリストフィア』。
でもって王都には『聖王』という王様のいる『聖ルノウスレッド城』がある、と。
……整理しておく情報は、こんなもんかな?
と、ミアさんが胸の前で、ぽんっ、と両手を打ち鳴らした。
「まあまあ、ここで立ち話もなんですし、一緒に坂を下りながらお話ししましょうっ」
「あ、そうですね」
そうして俺は、ミアさんと並んで歩きはじめる。
道はそれなりに舗装されていた。
石畳、でいいのかな?
道の両脇には林が広がっている。
空は快晴。
うららかな陽光とは、まさにこんな日差しのことを言うのだろう。
実に、のんびりとした雰囲気である。
「…………」
毎日こんな風に過ごせたなら、人生ってさぞ穏やかなものになるんだろうな……。
ていうか、日本人は休日に『休む』ってことを知らなさすぎると思うんだよ。
趣味や娯楽に休日を費やすとかならまだいいんだけど、たまの休みだからって家族サービスをせがまれたり、時間ができたから役所に手続き行かなきゃ! とかさ……それって『休日』っていうのかな?
ま、日本人限った話じゃないのかもしれないけどさ。
どこの世界でも、忙しい人は忙しいんだろう。
例えば学園長とか、そんな感じ。
「…………」
にしても、静かだなぁ……。
誰も歩いてないし。
……ん?
誰も、歩いてない?
「そういえば、ミアさん」
「はい、なんでございましょうっ?」
ご質問、待ってました! と言わんばかりの笑顔でミアさんがこっちを向く。
ぴんっ、と耳が立ってかわいい。
「門を出てから、あんまり生徒さんと会わない気がするんですが」
学園の敷地内ではあれほど見かけたのに、門のあたりに来てからは数人しか目にしていない。
まあ一応、何人かとはすれ違ったのだが……。
あれ?
坂の下に街が広がっていて、その先が学園ってことは、この坂って通学路なんじゃないの?
すれ違った人たちは、遅刻組ってこと?
にしては、慌てている感じでもなかったけど……。
「ああ、ほとんどの生徒さんは学園側の用意した宿舎で生活していますので、ご実家から直接通ってこられる方はほとんどいないのですよ。あの学園の場合、国外から来られた生徒さんもおりますし。そういった方々も、基本的には宿舎を利用しておりますから」
「なるほど」
ま、この坂とか毎日上るのはタルそうだしなぁ……。
いい運動にはなるだろうけど。
そんなことを考えながら、俺は何気なく横目で隣を歩くミアさんを一瞥した。
「…………」
胸が。
坂を下るという性質上、胸の、上下運動が。
…………。
ぐぁぁああああ!
なんだよ俺!
これじゃあ煩悩の塊じゃないか!
最低だぁ!
「クロヒコ様? お、お身体の調子でも悪いのですか?」
その場で頭を抱えてしゃがみ込んでしまった俺を、ミアさんが心配そうに見下ろしてくる。
うぅ、彼女は、こうして善意で心配してくれているというのに……。
「ミアさん、ごめんなさい……」
「は、はい……えっと、何がでしょうか?」
「俺は戦い続けます、煩悩と」
「ボンノウと、ですか?」
「はい」
ミアさんが、うふふ、と微笑む。
そして応援するように、ぐっと両手を握り込む。
「よくわかりませんが、がんばってくださいね!」
「はい、がんばります!」
「では、参りましょうか!」
「はい!」
ああ……。
ミアさんと一緒にいると、なんていうか……元気が湧いてくるなぁ。
そして俺の視線は自然――肘を内側に寄せた応援ポーズで「ファイトです! クロヒコさん!」とエールを送るミアさんの、その腕に挟まれ押し上げられた胸元へと、向かうのだった。
「――っ」
歯を食いしばり、視線をそむける。
……ま、負けない!
負けないぞ、俺は!