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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
109/284

第92話「すべてを賭ける、覚悟を」

 最初に砕け散ったのは右手の施晶剣だった。


 縦に切りつけた施晶剣は、ベシュガムの拳と衝突するなり砕けた。

 剣を砕く拳。

 今、ベシュガムは『魔喰らい』の性質によって聖素を集められないはず。

 ゆえに皮膚を硬化させる『スヴェグルイン』は使用不可能。

 腕が光らないことからもそれは明白。

 で、あるにもかかわらず。

 その拳は鍛え抜かれた刃をも、砕き散らす。


 ――どくん。


「化物、が――ッ」


 左手の刀を素早く両手持ちに切り替える。

 剣先を前方へ突き込む。

 ベシュガムが刀身を掴もうとする――刃を、引く。

 今のはフェイント。

 姿勢を低くし、再び前へ。

 ベシュガムの腕を潜り抜け懐に潜り込む。

 狙うは、心臓部。

 柄の底に右の掌をあて再度、刃を押し込む。

 左の側頭部に、衝撃。


「ぐっ――」


 脳が揺れる。

 しかし構わず刀を突き込む。

 ベシュガムの右の拳が刃を横から殴りつける。

 そのことで切っ先の位置が大きくずれた。

 心臓を目指していた刃が、脇の方へとそれる。

 刃を、上下逆さまにする。

 このまま振り上げて、左腕を切り捨てる。

 だんっ、と力を入れるために踏み込む。

 合わせるようにして、ベシュガムの足払い。

 身体が浮く感覚。

 咄嗟に身をよじり、着地。

 すぐさま体勢を立て直し、追撃に備える。

 追撃は……来なかった。


「動きが、変わったな」


 ベシュガムが一歩、前に出る。


「空気も違う。貴様……何か『秘めて』いるな? それも禁呪の力の一つか。詠唱した様子は、なかったが」


 恐ろしい男だ、と思った。

 鋭い。

 観察眼にしても、勘にしても。

 何よりベシュガムには油断らしい油断がない。

 先の攻防の間、ベシュガムの視線が最も多くとらえていたのは、おそらく俺の口元。


 つまり彼は、禁呪を詠唱するタイミングを見逃すまいとしているのだ。


 禁呪詠唱に移る予兆があれば、一気に潰しにかかる算段。

 確実に俺を封殺しにかかってきている。

 そして、今の発言。

 『獣』の力を借りた俺と数度の攻防を経ただけで、何かある、と見切った。


「まあいい。どうあれ貴様は強い。だがそれでも――」


 ベシュガムが構え直す。


「オレに勝つことは、できん」

「……そう、かい」


 腰を落とす。

 前傾姿勢。

 刀を後ろに引く。

 筋肉を絞ると共に、みしぃ、と左腕が鳴った。

 そして、


「――ガァッ!」


 瞬間的に、間合いを詰める。


「む、この速度……ゼメキス以上か」


 ベシュガムの腕が振り下ろされる。

 回避。

 呼吸する間も与えず追撃してくるベシュガムの拳。

 回避。

 回避。

 回避。

 ベシュガムの脚を狙い『魔喰らい』を振るう。

 消える。

 ベシュガムの姿が、消える。

 否――消えたのではない。

 凄まじい速度による移動。

 あの、巨体で。

 背後に気配。

 後ろを振り向きながら、刀を横に薙ぐ。


「――っ!?」


 腕が、止まる。


「周囲の魔素を吸収するか。面白い刀だ」


 ベシュガムが刀身を、掴んでいた。

 そして次に飛んできたのは、


「グふッっ!」


 膝蹴り。

 大槌めいた膝が鳩尾にめり込む。

 身体がくの字に折れる。

 引き攣るような痛みが内臓を駆け巡った。

 呼吸が、できない。


「く、ハッ!」


 地味にきついのは、ベシュガムとの身長差だ。

 ゆうに二メートルはあるであろうその巨体。

 俺との身長差を考えると、ベシュガムは比較的容易に膝蹴りで腹や顔面を狙うことができる。


 眼前からベシュガムの膝が、消失。

 まずい――そう思い後ろに下がろうとした時には、すでに迫りくる膝が再び眼前にその姿を現している。

 二度目の膝蹴りが、額に直撃。


「ガっ、ァっ……!」


 反動で身体が弓なりにのけ反る。

 頭蓋骨に罅が入ってもおかしくはないと思えるほどの、痛撃。

 倒れ込みかけるが、どうにか体勢を立て直す――といっても、四肢を地面に突いた体勢。

 あるいは、それは手負いの獣がハンターを威嚇するかのごとき姿勢に映ったかもしれない。


「ゴふっ! がふッ! ……ぐ、グぇぇッ」


 額に激痛を覚えながら、胃の中のものを地面にまき散らす。

 が、それでもベシュガムを睨みつけ威嚇することは忘れない。

 ここで一気に攻め切られると、まずい。

 呼吸を、整える。


 強い。

 圧倒的だ。

 と、そこで俺は目を瞠った。


「な、ニ……?」


 すぐに追撃が来ないから、不思議には思っていた。

 ベシュガムは表情を力ませていた。

 本日、ベシュガムの表情に初めて変化らしい変化が起きていた。


「ぬっ、ぐぅ……ぬぅ、ぅ!」


 ベシュガムが何をしようとしているか。

 彼は『魔喰らい』を、へし折ろうとしていた。

 脚に力を込める。

 突進を試みる。

 が、まだ身体に力が戻らない。

 いや。

 待て。

 これは……好機かもしれない。


「我、禁呪ヲ――」


 俺は禁呪詠唱をしながらも、眉を顰める。


「――第三禁呪――」


 あの刀を、折るつもりなのか?

 いや。

 そもそも、折れるものなのか?


「――解放」


 光線がベシュガムに向かって、発射。

 ベシュガムがくるりと背を向けた。

 そして、


 ベシュガムが、吠えた。


 寡黙と思われていた男がこれまた本日初めて見せた、咆哮の姿。

 放たれた光線は、直撃。

 第三禁呪は、ベシュガムの背中に直撃した。


「――っ」


 いよいよ耐え難くなってきた激痛が眼の周囲に襲ってきた。

 だが視線は、ベシュガムから外さない。


「なるほど。これが、妖刀か」


 光線の当たった部分の服が破けていた。

 その背中は焼け焦げ、血を流している。

 が、やはり貫通には至らず。

 こうなってくると、いよいよわからなくなってくる。

 禁呪の力が思っていたほど強力はなかったのか。

 あるいは――


 ベシュガム・アングレンが本当に異次元の、怪物中の怪物なのか。


 なんとなく、後者だと思った。

 そう思った理由は、あるいは振り向いたベシュガムを目にしたせいかもしれない。


「さすがに、手ごわい相手だった」


 彼の手元。

 そこには、刃と柄にわかたれた『魔喰らい』があった。

 ベシュガムが汗を滲ませている。

 いくら四凶災最強の男とはいえ、あの妖刀を折るのには相当に骨が折れたようだ。

 冷たい汗をかきつつ、口から自然と笑みが零れる。


「冗談、きついだロ」


 こうなると、もう変な笑みすら出てきてしまう。

 施晶剣はともかくとしても、あの『魔喰らい』を、折るって。


「ふぅ」


 俺は息をついた。

 さて。

 いよいよ……選択肢が、なくなってきた。


 すでに妖刀への興味を喪失したらしいベシュガムは、無残な姿になった『魔喰らい』であったものを、背を向けたまま後方の森へ空高く投げ、放り捨てた。


「そろそろ、諦めるか?」


 ベシュガムが『魔喰らい』に夢中になっていたおかげで少しだけ休むことができた。

 膝をおさえながら立ち上がる。


「……それこそ、冗談だロ」


 認めざるをえない。

 四凶災。

 ベシュガム・アングレン。

 強さの次元が、絶対的に違う。


 今日までキュリエさんと鍛錬を続けてきた。

 ヒビガミとの戦いを経て真の強者という存在にも触れた。

 覚えた禁呪も自分なりに使い方の創意工夫を凝らしてみた。

 強くなったと思った。

 だがベシュガムは、そんな俺より遥か高みにいる。

 禁呪を用いても、『獣』を己の内に呼び込んでも――言葉通りことごとく、打ち砕いてくる。


 俺は固唾をのんで見守るマキナさんたちへと視線を滑らせた。

 下手に動いたり口を出したりすれば、俺の集中力を奪ってしまうと考えているのだろう。

 彼女たちはずっと、緊張した面持ちで俺とベシュガムの戦いを眺めている。


「正直に言えば、少々、驚いている」


 言いながらベシュガムが己の背を撫でた。


「何が、ダ?」


 眼から流れ出た血が俺の頬を伝ってくる。


「これだけ攻撃を潰されても、貴様にはまるで落胆する素振りがない。しかし、まあ――」


 ベシュガムは手に付着した血を眺めた後、睥睨するように俺を見た。


「儚い希望に縋るのも、そろそろきついだろう。潔く諦めるのも、苦しまずに死ぬための一つの方法だと思うが」

「…………」

「いい加減、貴様も気づいているんだろう?」


 突きつけるように、ベシュガムは言い放った。



「貴様は、オレに勝てない」



 頬を伝ってきた血が唇を伝い、口内に入ってきた。

 下唇の奥に血が溜まる。


「もう諦めろ、禁呪の男。そうだな……貴様の健闘を称え、貴様とこの場にいる者たちは全員、苦しむ間もなく殺してやることを約束しよう。いくら頂点に君臨するとはいえ、オレも人間だ。消し炭程度の慈悲くらい、持ち合わせてやらんこともない」

「ふふ……だからさ、死んだら、意味がないんだっテ」


 俺は、ぺっ、と地面に口内の血を吐き捨てる。


「諦めるつもりはなイ」

「…………」


 確かにベシュガムは強い。

 遥か高みにいる。

 けど、


「こんな程度で諦めるつもりなんざ、毛頭ねぇヨ」


 相手との力量差が絶望的だとか。

 禁呪や『魔喰らい』が通用しなかっただとか。

 そんなことは、諦める理由にはならない。

 マキナさんとミアさんを見る。

 それからキュリエさんやセシリーさん、他にも大切な人たちのことを思い浮かべる。

 彼女たちが生きているのに、どうして諦める必要がある。

 諦めない理由はあるが、諦める理由なんてない。


 足掻け。


 戦いながら勝てる方法を探せ。

 己にできることを最後まで模索し続けろ。

 策が尽きたらそれ以上の策を捻り出せ。

 余力がわずかでも残っているならば、相打ちでもいいから敵を殺せ。

 弱気になったり諦めたりするのは最後でいい。

 すべてを出し尽くした、その後でいい。


 極論――死んだ、その後でいい。


「マキナさん!」


 俺はマキナさんに呼びかけた。

 ちらと彼女を一瞥する。

 彼女は胸元の何かを握りしめていた。

 …………。

 俺が贈った、首飾りだった。


「クロヒコ……っ、もし限界なら言って! その時は私が、この命を使ってでも――」

「勝ちます!」


 少しだけ『獣』を遠ざけ、俺は叫んだ。


 ――どくん。


 すると、いいところなのに、とでも言いたげに『獣』が抵抗をはじめた。


「クロ、ヒコ」

「勝ちます……絶対に、勝ちます。勝ちますけど――」


 ――――どくん、どくん。


「もし戦いが終わった時、俺が『俺』でなくなっていたら……その時は俺を、牢に繋いでください」


 ――――――どクん、ドくン、ドクン。


「『敵』や『獲物』だと認識されなければ、積極的に襲うことはないと思います。なんというか……危険な野生動物を飼う、みたいな感じでしょうか? 必ず今の言葉通りになる保証は……その、ないんですけど」

「何を……何を言っているの、クロヒコ?」


 自分のこめかみを、ぐっ、と強く押し込む。

 少し、おとなしくしてろ。

 あいつとなら、すぐにヤらせてやるから。

 すると『獣』が、抵抗をやめる。

 …………。

 よし、いいコだ。


「もちろん、そうならないよう努力はします。しますけど……今回ばかりは、自信がないので。だから、さっき言ったようなことになった時は――今までの俺のことは、すっぱり忘れてください」


 もし俺が『俺』でなくなり、牢に繋がれたままになっても。

 いつかあの男――ヒビガミが、殺しにくるだろう。

 最悪、俺の始末はあの男がしてくれるはず。


「ミアさん」

「は、はいっ」

「あなたには、すごく支えられました」

「クロヒコ、様……」

「それと、シャナトリスさん」

「ん?」

「禁呪の呪文書と『リィンプエルグ』での援護、ありがとうございました」

「……うむ」

「他にも俺、たくさんの人たちに感謝してます。もちろん、教官たちにも。それから、リーザさん、クラリスさん、レイ先輩、アイラさん、ヒルギスさん、ジーク……」


 言葉が一瞬、止まる。


「セシリーさんと、キュリエさんにも」


 ベシュガムに動く気配がないのを見て取ってから、マキナさんの方を向く。


「そして、マキナさん」

「…………」

「あなたと出会えて、俺、本当に幸運だったと思ってます」

「……これが最後みたいな言い方、やめてちょうだい」


 首飾りのクリスタルを強く握り込み、マキナさんが視線を逸らした。


「お願い、だから」

「頼みがあります、マキナさん」

「……何?」

「もし俺に何かあった時には、今ここで感謝を伝えられなかった人たちに……俺が感謝していたと、伝えてください。それから……出会えて、よかったと」

「……努力は、するわ」


 悲痛な表情のマキナさんに、俺は笑いかける。


「ええっと……その、今のはあくまで万が一の場合の話ですから。もちろん、自らあえて最悪の結末に向かうつもりはありませんよ?」

「……ええ、わかってるわ」

「ただ、とにもかくにも――」


 ベシュガムを睨みつける。


「あいつを倒さないと、感謝の言葉を伝えたい人たちすらも、いなくなってしまうかもしれないんです。だからあの男だけは、どうあっても、ここで倒さなくちゃならない」


 再び『獣』を呼び込む。

 身体に、力が満ちていく。


「案外……その傷の舐め合いめいた薄ら寒いやり取りこそが、オレに対し最も有効な攻撃手段かもしれんな。吐き気を催させる、という意味で」


 ベシュガムが待ちくたびれたように首を回し、言った。


「湧き上がってきた吐き気を堪えるのに、実に苦労したぞ。まったくもって気味が悪いな貴様ら。そして愚かだ。どんな言葉を託そうが、どうせ皆、死ぬというのに」


 ベシュガムが拳を固める。


「皆、このオレが殺すというのに」


 黒の領域が侵蝕をはじめる。


「ふん、よく言うゼ」


 自らの内に宿る『獣』が喜んでいるのがわかる。


「まだ俺一人すら、殺せていないくせニ」


 ビキッ――


 何か強いエネルギーの塊のようなものが左腕から身体へ流れ込んでくるのが、わかる。


 ビキッ、ミシッ、ビキィッ――


 意識だけではなく、身体の方にも『獣』が流れ込んでくる。

 腕の血管の色が変化していく。

 爪が獣のように変化していく。

 全身の骨が形を変えていくのが、わかる。

 ヒトからケモノへ変わっていくのが、わかる。

 侵略してくる。

 侵蝕してくる。

 ギリッ、と歯を噛み慣らす。


 すべてを賭ける、覚悟を。


 ここは己のすべてを喰らい尽くさせてでも、勝つ。

 絶対に、勝つ。


「いいだろウ」


 みんナ、


「もウ、全部」


 どウカ、


「持ッテケ」


 ブジデ――


 ――――――――――――――――――――――――ドクン。


          *


 視界が赤く、染まった。


 土塊が後方へ弾け飛んだ刹那、すでに『クロヒコ』はベシュガムに接敵している。

 ベシュガムの反応が追いついていない。

 遅れてベシュガムの眼球がクロヒコを捉えた。

 クロヒコは迷わずベシュガムの眼を爪で抉りにかかる。

 ぱしっ、とベシュガムがクロヒコの両腕を掴んだ。

 それから雑巾でも絞るみたいに腕に捻りを加えてくる。

 捻り切るつもりだ。

 が、ベシュガムは即時に手を放す。


「ぐっ……この力に、その姿……きさま……人では、ないのか? 亜人? それとも……これも、禁呪の力、か……?」


 喉元へ噛みつきにかかったクロヒコの頭をベシュガムは、どうにか両手で押しとどめている。

 ベシュガムは次の動きに移らない。

 彼はその小刻みに震える手をクロヒコの頭から動かせずにいた。

 少しでも力を抜けばそのまま喉元を喰い千切られる危険性があることを、理解しているためであろう。


「ガァァ! グゥ……!」

「まるで、獣そのものだな。……ふんっ!」


 ベシュガムが、膝を振り上げ――


「グガァ!」


 クロヒコは、踵でベシュガムの膝を思いっきり蹴り込んだ。

 硬質な骨同士がぶつかり合う。

 鈍く重々しい音。


「ぐっ!?」


 ベシュガムの巨体が揺らぐ。

 ずんっ、と地面が沈んだ。

 腕の術式刻印を発動するベシュガム。

 そして一転、弾幕のような両拳による攻撃を繰り出してきた。

 が、クロヒコは避ける。

 危なげなくすべて、かわし切る。

 かわしながら相手の懐に潜り込む。

 ベシュガムの対応が一拍、遅れる。


 今度はクロヒコの攻勢が、はじまった。


「こいつ……すべて狙いが、急所っ……しかも、なんと的確な……っ」

「ガァァアアアアァァァァアアアアアアアア!」

「くっ、そうか、こんな余力を残していたか……確かに諦めるには、まだ、早かったようだな!」


 ベシュガムの攻撃速度がさらに上がった。


 熾烈な殴り合いが、始まった。


 回避に専念しきれぬクロヒコの全身を何度もベシュガムの拳が掠めていく。

 そのたびにまるでカマイタチにでも斬り裂かれたかのように皮膚が裂け、クロヒコの血が宙に舞う。

 一方のベシュガムもクロヒコの攻撃を全身に受けていた。

 クロヒコが殴るたびに、鉄の砲丸で殴りつけられたかのような音がする。


 互いに一歩も引かぬ、怪物同士の殴り合い。


「ぐっ、素直に……褒めてやるぞ、禁呪の男。先ほど貴様がなんらかの覚悟を決めたことは察していたが、そうか……己を捨てて、かかってきたか」

「グゥゥ……ベシュ、ガム……ッ!」


 互いの両拳が、衝突。

 その衝撃ゆえか、ぶつかり合った拳を起点に突風が発生し、両者の髪を散らす。

 ブシュゥッ、とクロヒコの腕から血が噴出。

 ピキィッ、とクロヒコの骨が悲鳴を上げる。


「貴様は理性を差し出し、畜生となる道を選んだわけだな。オレはその選択を責めはせん。むしろ歓迎する。だが、まだ貴様は完成していない。ゆえに、やはり貴様はオレに――」

「ガァッ!」


 限界まで握り込んだクロヒコの左拳が、ベシュガムの顎を捉えた。


「ぐ、ぅ……っ!?」


 ずしんっ、と。

 ベシュガム・アングレンが、膝をついた。


「この、オレが……地に膝を、つくだと? なんだ? 力も速度も、先ほどとは段違すぎる。こいつ、まさか……戦いの中で急激に、成長しているとでもいうのか?」


 クロヒコは地面にその形を残すほど、足に力を込めた。


「しかも、こいつの動き……所々オレの動きと、重なりつつあるような――」


 踏み込みで爆発的に速度を高め、ベシュガムに飛びかかる。


「ガァァッ!」

「――っ!」


 首を逸らそうとしたベシュガムを通り抜けた後、クロヒコは宙で身体を翻す。

 そして、四肢で着地。

 ぷっ、と。

 四凶災の首筋の皮膚を、クロヒコは地面に吐き捨てる。

 僅かに位置をずらされたため、頸動脈を噛み千切るには至らなかった。


「…………」


 ベシュガムが背を向けたまま、立ち上がる。

 彼の横顔から覗く空虚な凶眼は、クロヒコを捉えていた。

 皮膚を喰い千切られた部分にベシュガムが掌を添える。

 彼は手にべっとりと付着した己の血を、じっと眺めた。


「……つまらんな」


 そしてベシュガムは、


「実に、つまらん」



 笑った。

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