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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
105/284

幕間11「絶望を求むる男(2)」【キュリエ・ヴェルステイン】

 キュリエはドレスのスカート部分を剣で斬り裂いた。

 切ったことで裾が膝下程度の長さになる。


 ――よし、これでいい。


 あの裾の長さでは動きを阻害してしまいかねない。

 大剣に潰し殺された聖樹士の血が付着した生地が、石畳の上を舞った。


「まさかきみは、この国の姫君だったりするのかい?」


 十ラータルほど先に迫った眼鏡の男が、蔓を押し上げながら声を上げて聞いてきた。

 キュリエは男の問いを無視し兵士が持っていた槍を奪い取る。


「借りるぞ」

「ど、どうぞ」


 何かただならぬものをキュリエから感じ取ったのか、兵士は妙にかしこまっている。


「あなたたちは、さっさとこの場から逃げろ。あと、そこの赤い髪の子を頼む。一応、釘は刺しておくが……絶対に、その子を見捨てて逃げたりするなよ?」

「わ、わかりました」

「……頼みます」

「キュリエ……」


 不安げなアイラに口の端を微かにあげてみせると、キュリエはすぐさま槍を眼鏡の男へ向かって投擲した。

 眼鏡の男から窺えるのは余裕。

 が、それは油断とも言う。

 このドレスが幸いしたのかもしれない。

 先ほどの言動から鑑みるに、ルノウスレッド王家のお姫様とでも思っているのか。

 案外、相手の力を甘く見ている自信家のおてんば姫、とでも思っているのかもしれない。


 力一杯に引き絞られ放たれた矢のごとく、男の顔めがけて槍が一直線に飛んでいく。

 キュリエは槍の投擲と同時に地を蹴っていた。

 目を瞠る眼鏡の男。


「速、い? ちぃっ」


 眼鏡の男の大剣が唸りをあげた。

 槍が大剣に弾かれる。

 直後、大剣がキュリエへ狙いを定める。

 が、


 ――遅い。


 遅れ気味に振るわれた大剣を容易にすり抜け、キュリエは両手に握り直した施晶剣の刃を、素早く走らせた。


「――っ!?」


 動揺を見せたのは、眼鏡の男の方。

 剣の軌跡を残しながら男とすれ違うキュリエ。

 そして、瞬時に反転。

 殺しきれぬ勢いで靴底が、ざぁ、と石畳の砂上を滑った。

 停止。


「…………」


 獲物を逃した大剣が、地を噛んでいた。

 その持ち主の首筋には、みみず腫れができている。

 頸動脈の位置。

 腫れた箇所に男が指をあてた。


「これは、驚いた。その剣がもし一等の切れ味を持った剣だったならば、俺は死んでいたわけか」


 キュリエは手元の剣を見やる。

 聖魔剣や聖剣、魔剣には劣るとはいえ決して粗悪な剣ではない。

 むしろ剣としては十分に合格点を与えられる品だ。

 今のは確実に殺すつもりで放った一撃だった。

 少なくとも首の半分は持っていくつもりで切りつけた。

 だというのに、あの程度のみみず腫れで済むなど……常軌を逸している。

 あれは果たして、人の域に留まっているモノなのだろうか。


「しかしこうして見ると、抜群にいいな」


 品定めでもするようにキュリエを上から下まで眺めやる眼鏡の男。


「本命に勝るとも劣らない絶品だ。精神性も悪くなさそうだし……これは実に絶望させ甲斐がありそうだ……悪くない……見れば見るほど、悪くない」


 言葉と呼応し、男の眼が段階を経てその輝きを増していく。

 目つきが違った。

 先ほどまでは、せいぜい本番前の余興で時間つぶしている程度の印象だった。

 それが今や爛々と目を輝かせている。


「お姫様かどうかは知らないが、これは思わぬ拾い物。幸運だよ。やはり城に来てよかった。で、名前は?」


 キュリエは次の手を考えていた。

 術式をいつでも撃てるように先ほどから聖素は集めている。

 が、あの異常な皮膚の硬さをどう攻略するかは、考えあぐねていた。

 剣で切り刻むならば最低でも聖剣くらいは欲しいところだが……。


 人体の急所はどうだろうか。

 目つぶし、下腹部、人中……。

 だが距離の問題で、どうしても素手の場合は懐に飛び込む必要性が出てくる。

 素手の場合は身長差も重要な要素となる。

 相手があれだけ巨体であると、顔面に到達するまでの時間そのものが致命的か。


 ――となるとやはり、術式か。


「ふむ、無視か。冷たいもんだねぇ。ならば無理矢理にでも、誰かに名前を聞くべきかな?」


 顎をさする眼鏡の音の瞳が捉えたのは、アイラ達。

 すでに城の正面の扉は閉ざされていたらしい。

 彼女たちは今ほどそれを知ったようだった。


 ――しまった。


 先ほどの交差で、距離的にキュリエよりも眼鏡の男の方がアイラ達に近くなってしまっている。

 男が大剣を後方へ引く。

 それから男は大剣を、アイラ達の方へ水平に投げた。

 回転する大剣がアイラ達へと飛来。

 駆け出すキュリエ。

 が、すでに眼鏡の男も駆け出している。


「――っ!」


 速い。

 男の移動速度が、異様に速い。

 キュリエは全力で男を追う。

 男の投げた大剣が壁を抉り、突き刺さる。

 アイラたちは急に飛んできた飛来物に驚愕の色を浮かべ、迫る男へと意識を向けた。

 自分たちの方へ迫りくる男に対し、浮き足立ちつつもアイラと兵士たちが各々武器を構える。

 キュリエは内心、舌打ちした。


「駄目だ! よせ!」


 速度を上げることに全力を注ぐ。

 眼鏡の男がアイラたちに迫る。

 だがキュリエもようやく追いつき――かけた、ところで、


「ようやく俺の方を向いてくれたね、麗しの君」


 男が、急反転した。


「ちぃっ――」


 誘い込まれた。

 追いつくことに全神経を集中させていたせいで防御が間に合わない。

 咄嗟に施晶剣を構える。

 その刀身で男の拳を受けた。

 刀身が、拳で砕ける。

 そのまま男の拳はキュリエのみぞおちを捉えた。


「ぐっ、ふっ……!」


 ふわりと身体が浮く感覚。

 足が地面を離れる。

 刀身を失った剣が、手から零れ落ちる。

 内臓が、悲鳴を上げた。


「まったくこれが好きなんだよなぁ俺は! 困ったもんだよ!」


 男が愉悦の笑みを浮かべる。


「綺麗な顔の女が苦しみで顔を歪めるこの瞬間が、たまらなく好きだ! 恋をしてしまうほどになぁ! 気の強そうな女なら、より一層ときめく! 胸が高鳴る! やはりこういう女の内臓は容赦なく苛めるに限るな! 限る、だろうがぁ!」


 容赦なく、二撃目がくる。

 狙いは急所ではない。

 すぐに殺すつもりがないらしい。

 咄嗟に回避を試みつつ、腕を防御にまわす。

 みしぃっ。

 防いだ腕が軋み音をあげる。

 続けて腕に重い痛み。

 痛みに表情を歪めながら、キュリエは右手で術式を描きはじめる。

 爆裂術式。

 座標は男の顔面――


 回し蹴りが飛んできた。


 狙いは右のわき腹か。

 術式を中断。

 右肘を下げる。

 肘に衝撃。

 ぎりっ、と歯噛みするキュリエ。

 耐え切れない。

 キュリエは身体ごと吹き飛ばされ、そのまま植え込みの中に突っ込んだ。


「キュリエ! あ、アンタよくも!」


 アイラの声がした。


 ――駄目、だ。


 肘に痺れを覚えつつ立ち上がり、キュリエは植え込みから這い出る。

 そして術式を描くアイラを視界にとらえながら再度、眼鏡の男へ肉薄。

 待ち構えていたといわんばかりに、男が邪悪な笑みを浮かべて振り向く。

 放たれる横なぎの拳。

 キュリエは脚に少し無理をさせ、男の前で急停止。

 脚の毛細血管が一斉に文句を叫ぶが、仕方ない。

 紙一重で、男の拳が空を切る。


 接敵。


 キュリエは空を切った男の腕を取った。

 抱え込めない太さではない。

 そのまま腕を折りにかかる――が、折るには至らず。

 男の腕は思っていた以上に強靭。

 折るのは不可能と瞬時に判断。

 キュリエは体勢を低くし、掴もうと伸ばされた男の手を避けた。

 そしてアイラ達の壁になるようにして、男の前に立ちはだかる。


 乱れかけた呼吸を整える。

 これまでの攻防で四凶災がその名に恥じぬ強さを持つことは理解した。

 が、何より……使える武器が手元にないのが厳しい。


 どうする。

 誰かに別の場所から城へ入ってもらって、聖剣なり魔剣なりを取ってきてもらうか。

 駄目だ。

 そんなにも時間を稼げるとは思えない。

 キュリエは眼鏡の男を睨み据える。


 覚悟はしていたが、四凶災がこれほど強いとは思っていなかった。

 一方、眼鏡の男はすでに勝った気でいるようだ。

 様子からして、どう料理しようか考えあぐねている段階なのだろう。

 キュリエは背後を一瞥した。

 下手に動けばアイラ達が危険に晒されかねない。

 どうする。

 どうすればいい。

 敵に容赦するつもりはない。

 しかし、せめてアイラだけは……。

 キュリエがそんな思考を巡らせていると、


「ここはおれたちに任せろ! あんたたちは、今のうちに逃げるんだ!」


 城壁の上。

 弓を構えた兵士たちが姿を現した。

 そして次々と眼鏡の男に向け矢を放っていく。

 同時に術式も放たれる。

 精密な射撃。

 よく訓練されている。

 確実に、対象を捉えている。

 が、


「――え?」


 眼鏡の男が目にもとまらぬ速度で、城壁の上へと移動した。

 見る者によっては男が瞬間移動したように見えたかもしれない。

 それほどの跳躍力と、速度であった。

 眼鏡の男が、並んでいた二人の兵士の首を両腕で抱え込み、拘束する。

 そして男は兵士二人を抱えたまま、城壁から広場へ向かって、飛んだ。

 男の表情は笑顔。

 にっこりと、笑っていた。


「くっ!」


 兵士の一人がもがく。

 が、眼鏡の男の腕を振りほどくには至らない。


「絶好調の日はすごく速度が出るんだよねぇ」

「くっ、何を――」


 ごきりっ。

 着地と、同時。

 男が右腕で抱え込んだ兵士の首を折った。


「くそっ!」


 まだ息のある方の男が抜け出そうと決死の表情でもがく。

 他の兵士たちが詰所の塔からバラバラと広場に降りてくる。


「きっ、貴様ぁ! マーベスを離せぇ!」

「よせ、おれに構うな!」

「美しき友情、か……こいつはまた、泣かせるねぇ」


 ははは、と眼鏡の男が空虚な笑いを発する。


「だ、がよぉ――――――――邪魔ぁ、すんじゃあねぇよ、この、ゴミ、どもがぁぁああああ!」


 物凄い音がした。

 人が石畳に叩きつけられて、あんな音がするものなのだろうか。

 まるで雷が近くに落ちたかのような。

 あるいは、それは骨が砕け散る音だったのか。


 地面と衝突した、左腕に抱え込まれていた兵士。

 生死は確認するまでもなかった。

 叩きつけられた衝撃で、首があらぬ方向へ曲がってしまっている。

 そして、何度も、何度も、何度も、何度も、物言わぬ死体に眼鏡の男が蹴りを入れる。


「今はなぁ、てめぇらカスどもが、邪魔をしていい時間じゃ、ねぇんだよ! あぁ!? 糞がぁ! ゴミどもが弁えず調子に乗りやがって! 自覚しろこのゴミが!  あぁ!? 何様だてめぇらは!? あぁぁああああああああ!? 一体全体、何しに出てきやがったぁ!? 空気の読めねぇでくの坊は、まとめてくたばれ! くたばれ! くたばれぇぇええええ!」


 まるで人が変わったかのようだった。

 眼鏡の男は口角泡を飛ばしながら死体を蹴り続ける。

 死体はボロボロになっていた。

 異様な光景に、この場にいる誰もが声を失っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ…………ふぅ」


 眼鏡の男が肩で息をしながら、ずれた蔓の位置を直す。

 彼は呼吸を整えると、キュリエたちに笑いかけた。


「やあ、すまない……けど、誰にでもこういうことってあるだろう? 好きなことをしている時に邪魔をされると、こう、プツンと、イってしまうことが。いやぁ、まいった。これでも俺は、四凶災の中だと一番まともな人間なんだが……時折、こうなってしまうことがあってね。うん、絶好調だと、なっちまいがちなんだよなぁ。俺にも、困ったもんだ」


 眼鏡の男が苦笑しながら服についた砂を払う。

 まともじゃない、とキュリエは思った。

 背後のアイラも男の豹変に驚き、顔面を蒼白にしていた。

 他の兵士の顔も恐怖に染まっている。


「で、きみは何者だ?」

「…………」

「ただ美しいだけの女じゃない。そうだな……ニオイが、違う。さっきの戦い方にしてもそうだ。細かい部分を見れば、あれらはおよそまともな訓練で得られるものじゃない」

「……終末郷だ」

「ん?」

「おまえたちと同じ、あの掃き溜めの出身者だよ。これで、わかったか?」

「あー、そういうことか。なるほど。それでようやく腑に落ちた。今日これまで相手にしてきた連中とは、何か違うと思ってたんだ。ふぅん、こんなところに後輩がいるとはね。ただ、あの掃き溜めで育ったにしては――」


 眼鏡の男が目を爛々と輝かせ、嗤った。


「どうにも、透明すぎる」

「なんだと?」

「くすませるに値する女だってことさ。あの掃き溜めで育ちながら、よくぞ今までその輝きを守り切った。心より、礼を言う」


 キュリエは眉を顰める。


「何を……言っている?」

「昂ぶって、きた」


 眼鏡の男の空気が変わる。


「どうする? どうすればこの女の心を最高に苦しめることができる? あの赤髪の女か? あの赤髪の女を取り返しのつかない状態に落とし込んでやれば……思わず叩き潰したくなるような穢れなき怒りを、俺に向けてくれるか?」


 男が手を痙攣させながら自問自答をはじめた。


「そうだな……あの赤髪の女の死肉を、胃が破裂するまで腹一杯喰わせる、とか? いやいや、それは駄目だ。まるで心に訴えかけてこない。単に狂わせるのではなく、もっとこう、精神的にじわじわと追い詰めないと……そう、情緒だ……絶望にはやはり、詩的な情緒というものが、必要不可欠なのだ……」


 眼鏡の男が激しく髪を掻きむしる。


「ぁぁああああ! 最高の食材を前にしたものの、調理法がとめどなく溢れて決められんじゃあないか! あぁ、くそっ! ちくしょう! 食材が希少品すぎるのも考えものだな! まったく――今日は本当に、めでたい日だよ!」


 後ろへ撫でつけた髪がほつれ、くしゃくしゃになっていた。

 だが、男の表情は喜悦に満ちていた。


「あぁ! 珍しく俺は神に感謝している! どの神でもいい! 獄神でも軍神でも聖神でも、なんでもいい! 神よ! 私――ゼメキス・アングレンは、今日というこの日に、この巡り合わせに心より感謝いたします! 今日、また私は新たな恋をしました!」


 男は名をゼメキス、というらしい。

 眼鏡の男――ゼメキスは両手を組み合わせ、何やら祈りをささげている。

 その目尻にはなぜか涙が滲んでいた。


「お、おかしいよ……あいつ」


 怯えた声でアイラが言った。

 キュリエは壁に突き刺さった大剣に一瞥をくれる。


「アイラ」

「え? な、何?」

「私の合図したら、あの詰所の塔まで走れ」


 詰所の塔。

 先ほど城壁の上の兵士たちが姿を現した場所だ。


「キュリエ?」

「私が隙を作る。その間に、あそこから避難してくれ。おそらく、城壁の上まで続いているはずだから」


 アイラが口元を引き締めた。


「……わかった」


 神妙に頷くアイラ。

 そして、


「ごめん」


 と言った。

 物わかりのいい子で助かった、とキュリエは思った。

 今ほどの攻防で理解したのだろう。

 自分の力では、あの男に遠く及ばないことを。

 そして自分がこの広場にいることが、キュリエ・ヴェルステインの足枷になってしまっていることを。

 最悪、嫌われる覚悟ではっきりと、足手まといだ、と伝えるつもりだった。


 最後の『ごめん』は……多分『力になれなくて、ごめん』という意味だろう。

 フン、とキュリエは余裕ぶって鼻を鳴らしてみせる。


「何……私が役に立つのは、こんな時くらいだからな」


 キュリエは城壁に突き刺さっている大剣の柄を、両手で握り込む。


「役に立てるだけ、マシさ」


 さすがに重い。

 が、贅沢は言っていられない。

 がらっ、と城壁の欠片が地面に落ちる。

 と、その音に反応したのか、ゼメキスが薄っすらと目を開けた。

 何やらぶつぶつ呟いている。


「今日だけでいい、今日だけは俺の思う通りにことを運ばせてくれ……頼む、頼むから……」


 ゆらり、と。

 ゼメキスが一歩、踏み出す。


「今だ!」


 キュリエは大剣を構え、ゼメキスに突進した。


「行け!」


 アイラたちが駆け出す。

 ゼメキスの視線がアイラたちの方を向いた。

 キュリエは、息を吸う。


「キュリエ、ヴェルステインだ!」

「ん?」


 キュリエの名乗りに、ゼメキスの注意が戻ってくる。


「名、前……? 今のは、きみの……おまえの、名前か?」


 先ほど名を知りたいようなことを口にしていた。

 名を出せば注意を惹けると思ったが、正解だったようだ。


「ああ、そうだ! 知りたかったんだろう!?」

「そうか……キュリエか! キュリエ、キュリエ……キュリエぇぇええええええええ! ああ、その通りだ! 名前は必要だよな! そうだよ! 情緒を醸し出すには名前は必要不可欠だ! 名もなき者は芝居じゃ、どうにも映えないものなぁ!」


 ゼメキスが向かってくる。

 キュリエは縦に、大剣を半月状に振るった。

 ゼメキスは回避行動へ移らない。

 回避されることを前提で攻撃を組んでいたのだが、読みが外れてしまった。


 ――受ける気か。


 ゼメキスが大剣の刃を二つの拳で両脇から挟み込んだ。

 両の拳がしっかりと刃を抑え込んでいる。

 剣を引き抜こうとするキュリエ。

 が、びくともしない。


「おまえには似合わないなぁ、こんな巨大な剣は!」


 刀身に罅が入る。

 そして、ぼろり、と砕けた。

 砕けた剣の破片を掬い取るキュリエ。

 そして破片をゼメキスの顔面へ投げつける。

 が、即座に振り払われた。


 速い。

 この男、やはり移動や攻撃の速度が尋常でなく速い。

 キュリエも俊敏さには自信があったが、ゼメキスの速度は自分と互角……いや、あるいはそれ以上かもしれない。

 姿勢を落として懐に潜り込んできたゼメキスを目で追いながら、刃を失くした柄を投げつけた。

 これも難なく振り払われるが、その間にキュリエは後退。

 が、


「――っ!」

 

 一足で、追いつかれる。

 そして打撃の嵐が、キュリエを襲う。


「まずは抵抗の意志を削いでおくとしようか! だが、早々に折れてくれるなよ! いや、容易に心が折れないと見たからこそ、おまえは選ばれた! もし折れたら――最後まで殺してやらないから、よく覚えておけ!」


 乱打される拳を紙一重でかわしつつ、反撃の機会を窺う。

 と、ついに隙を見つける。

 機を逃さずキュリエは、ゼメキスの膝に前蹴りを入れた。

 がくん、とゼメキスの膝が折れる。

 相手の体勢が低くなる。

 手刀を固める。

 狙いは喉。

 左手で誘いの動作を入れつつ、右の手刀を喉元に捻じ込む。

 瞬間、


 ぞわり、と。


 背筋に、冷たいものが走った。


「ようこそ、キュリエ・ヴェルステイン」


 膝に蹴りを入れさせたのは、わざと。

 餌。

 またもや、誘い込まれた。

 迂闊。

 餌を餌と思わせない自然さを演出するのが妙に上手いとはいえ、二度も――。


 ――それとも……焦っているのか、私は。


 突きだした右腕を、左手で掴まれた。

 力が強く、振りほどけない。


「こんなにも殴りがいのある女も、久々だ」


 キュリエの腹に、ゼメキスの右拳がめり込んだ。


「ぐふっ、ぅ……!」


 身体がくの字に折れ、前のめりに倒れ込む。

 が、ゼメキスが右手で頭を鷲掴みにし、地に伏すことを許さない。

 ぎりぎり、と頭蓋骨が締め上げられる。


「ぐぁっ……ぁ……ぁっ!」


 ゼメキスが笑った。

 にっこりと。


「捕まえた」


 腹に受けた衝撃がまだ抜けない。

 胃の中のものが逆流し今にも吐いてしまいそうだった。

 身体に力が戻り切らない。


「ふむ、いいドレスだ。けど――もう少し赤の色が、欲しいな」


 ゼメキスが言った。


「できればおまえの血がいいんだが……しかし、なるべく傷らしい傷は最後にしたいんだよ。俺にも美学があるからね。というわけで、内臓の方にがんばってもらうとしようか。さ、気張って吐血しろよ?」


 ゼメキスが左腕に力を込める。


「ああ、もし気絶したら後は地獄だぞ? ま、強引にでも起こすがね」

「ぁっ……ぐっ……!」

「キュリエっ!」


 アイラが名前を呼ぶ声がした。

 視界の端に詰所の窓から顔を出すアイラが見える。

 よかった。

 逃げてくれたか。

 ただ、


「何、を……して、いる」


 できれば、さっさと城内に逃げて欲しかった。

 フィブルクを庇った時も思ったが、やはりアイラには情を捨てきれない甘い面がある。

 ちっ、とキュリエは舌打ちした。


「……お人、好し、め」


 術式……。

 指を動かす。

 自分の使える術式の中では最大級の爆裂術式。

 この術式は一部で、不完全な術式として有名だ。

 本来、術式には目標地点などを定めるための対象式というものが存在する。

 ほとんどの術式は最後にこの対象式を描くのが基本だ。

 だがこの術式には、対象式を加えると発動しないという致命的な欠陥があった。

 ただし、対象式を加えずに発動すると術者の眼前で強力な爆発を起こす。

 それも、かなり強力な爆発だ。

 しかしその性質ゆえに、相手をも巻き込む自爆用術式と呼ばれることも少なくない。

 自分ごと吹き飛ばす覚悟で、やるしかない。

 生き残れるかはわからない。


 ――だがせめて、こいつだけは。


 キュリエは、覚悟を決めた。


 ――無事に生きのびろよ、セシリー……クロヒコ。


 ゼメキスが左腕を振りかぶる。


「言っておくがね? もしあっさり死んだりしたら――まともな死体でいられると、思うなよ?」



「テメェがな」



「!?」


 飛来した岩石は、剣に似た形をしていた。

 先端が槍のように尖っている。

 ゼメキスが振り向かないまま、左腕で飛来物を叩き割る。

 と、中から術式が刻印された剣が姿を現した。


「また、邪魔か……あれほど思い知らせて、やったのに、なぁ……ああ……あぁぁぁぁああああああああ! なぜだぁ! なぜおまえらは、そんなにも身の程を――」


 ゼメキスが背後へ首を回す。

 迫りくるは、黒き影。

 聖ルノウスレッド学園の制服の上に、群青色の外套を羽織っている。

 三白眼。

 藍色の髪。

 カッと開かれた禍々しい笑み。

 その左手には聖剣。


「ロキ……ア?」


 走り込むロキアが、落ちていた魔剣を右手で拾う。

 そして、そのまま両手の剣をくるりと逆手に持ちかえると、彼は刃の先をゼメキスへ向けて突き込んだ。

 素早く反応したゼメキスは、がっ、と両手でそれぞれの剣の刀身を掴む。

 聖剣を掴んだ右手からは血が少し噴き出た。

 魔剣を掴んだ左手は岩に侵蝕されていく。

 ロキアが、にやつきながら両手の剣の柄から手を離した。

 そして、


「まずは、挨拶代わりだ」

「ぎゃ、ぁっ!?」


 振り下ろした拳でゼメキスの眼鏡を叩き割った。


「がっ……ぐぅっ!」


 のけ反った後、地面に両膝をつくゼメキス。

 掴んでいた聖剣を放ると、ゼメキスは目元を手でおさえた。

 一方、相手の身体を蹴って離れたロキアは綺麗に着地。


「ぐ、ぉ、ぉ、ぉぉおおおおっ!」


 ゼメキスが叫びながら、岩に包まれた左腕をぶんぶんと振り回しはじめる。


「フハハハハハハハハ! 苦しいか!? 痛ぇか!? ならよかったじゃねぇか! オレにとっちゃあ苦痛は死よりも恐ろしいものだが、それは同時に生きていることの証左でもあるからな! どうだ、四凶災!? 生きていることは素晴らしいか!?」

「ぐっ……なん、だ……おま、えは……?」

「あぁ? オレか?」


 クク、とロキアが含んだ笑いを漏らす。


「我は、『魔王』なり」


 身に纏う外套を剥ぎ取ると、ロキアは、掴んでいた外套をそっと手放した。


「そう……我こそは魔素の王、『魔王』ロキアである。ふむ、頭が高いな。貴様こそ己の身の程を知るがよい、四凶災よ」


 一陣の風が吹き、外套が宙へ舞い上がる。


「な……ん、だと?」


 と、


「ふ、フハハ……フハッ」


 ロキアが、吹き出した。


「フハハ、フハハハハ、フハハハハハハハハハハッ!」


 身をのけ反らせ、哄笑するロキア。


「なんて顔してやがんだよ、四凶災!? ちゃんと笑えよ! 今のはどう考えても、笑うところだろうが! あぁ!?」


 尖った歯を見せ、ロキアが嗤う。


「ククク……ま、ここでキュリエ・ヴェルステインに死なれちまうと少し困るもんでな。てなわけで――」


 目を邪悪に剥き出すと、ロキアは舌を突き出した。


「ご退場願おうか、大先輩」

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