第90話「衝突」
四凶災の前に立つ教官の中に、イザベラ教官の姿が見えた。
「全員、防御術式を張りつつ後退! 生徒たちの避難を優先して!」
ぶんっ、と筒帽の男がヨゼフ教官を放り捨てた――かと思った次の瞬間には、すでに男はイザベラ教官の眼前へ移動を終えている。
速い。
男が、腕を振りかぶる。
「イザベラ!」
決死の形相の他の教官たちが、剣を構えて筒帽の男へと迫る。
が、間に合わない。
イザベラ教官が剣で防御を試みた。
「防げると、思うか」
筒帽の男の拳が、イザベラ教官へ襲いかかる。
――ガキンッ。
「?」
筒帽の男の眉間に微かに皺が寄った。
その反応の理由は、
唐突に出現した黒い盾のようなものが、己の拳を防いだからであろう。
「これは……防御術式、か? 目にしたことのない術式だが――」
言いながら、筒帽の男は続けざまに拳を放つ。
大きな金属音めいた音が響き渡った。
ぴきっ、と盾が悲鳴をあげる。
盾を前にしたイザベラ教官は放心し尻餅をついていたが、近寄って来た教官たちが彼女を数人で引きずってゆく。
一方、筒帽の男は興味深そうに――まるで盾の強度を試すかのように、さらに拳を放った。
ばきっ。
盾に亀裂が入った。
あの聖遺跡にいた巨人の拳さえも難なく防いだ禁呪の盾。
それが三度の、しかも、人の拳によって打ち砕かれた。
「…………」
なるほど。
あの大きさの盾が防げるのは、三度か。
第八禁呪を放ちながらも、俺はすでに駆け出している。
砕け散った盾の破片は再びスライム状に。
破片は俺の方へ飛んできて、左手の盾に吸収された。
筒帽の男の注意が、俺へと向いた。
「おまえは――」
「――第九禁呪、解放」
次元の穴が出現。
鎖が筒帽の男へと襲いかかり、拘束。
まさに俺の方へ踏み出そうとしていた男の動きが、止まる。
男は自分の身体を拘束する鎖を見る。
「なんだ、これは?」
「――第八禁呪……第二界、解放」
左腕が熱を帯び変化していく。
黒き魔物の腕へ。
腕から身体へ力が流れ込んでくるのが、わかる。
力が、みなぎってくる。
俺は――獣のごとく、筒帽の男へと迫った。
筒帽の男が鎖をあっさりと引きちぎる。
男は旋風のごとく身体を回転させ、鎖を振り払う。
…………。
別段、驚きはしない。
ヒビガミに通用しなかった時点で、誰も彼もに通用するとは思っちゃいない。
足の速度を増す。
第九禁呪は、しばらく筒帽の男の動きを止められただけで十分。
イザベラ教官たちが距離をとれただけで十分。
彼女を助けられただけで、十分。
左腕を振りかぶる。
そう簡単に、殺させるか。
俺たち特例組の担当教官に、あえて名乗り出てくれた人を。
俺にとっては、彼女も大切な人の一人なんだ。
左腕の肘から黒い霧が間欠泉のように噴出。
拳の勢いが、加速する――
「――まずは一撃、手合せといこうか」
俺の拳と筒帽の男の放った拳がぶつかり合う。
その衝突によって周囲の風圧が乱れた。
みしりっ、と左腕が悲鳴を上げる。
「その腕……貴様、何者だ?」
俺は不敵に笑ってみせる。
「ここの学園の生徒だよ。ちょっと複雑な事情を持った、な」
「ふん、なるほど……どうやらこの学園の方角へ来て、正解だったようだな」
筒帽の男の空いている方の拳が唸りを上げて襲いかかってきた。
俺は拳を離し、飛び退る。
が、男は即座に距離を詰めてきた。
――やはり、速い。
風を斬り裂き前蹴りが飛んでくる。
左腕でガードを試みる。
男の勢いのついた蹴りを受け止めた左腕が、めきっ、と鈍い軋みをあげた。
「ぁ、ぐっ――」
重い。
なんて、威力。
俺はそのまま吹き飛ばされた。
が、どうにか体勢を立て直しつつ着地。
そして、すぐさま反撃に――
がくり、と膝が地面についた。
「……っ!」
さっきのダメージが……足に来てる、のか?
続けて引き攣るような痛みが左腕を駆け抜けた。
左腕をおさえる。
くそ。
悔しいが、四凶災の名は伊達じゃないみたいだ。
威力も。
速度も。
桁が、違う。
俺は追撃をかけてくる筒帽の男をしっかりと目で捉える。
あの筒帽の男には迷いがない。
躊躇がない。
容赦がない。
ゆえに、強い。
見開かれた凶悪な瞳。
巨大な身体。
太い腕と岩のような拳。
誰がつけたものかわからないが、額に走るその斜め十字の大きな傷も男の凶悪さを際立たせている。
すごい威圧感だ。
あれが大陸の人間たちを震撼させる怪物――四凶災。
「けどな、こっちは――」
脚に力を通し、どうにか立ち上がる。
「簡単に諦めるつもりなんざ、さらさらねぇんだよ」
相手が格上だろうが、諦めるつもりは毛頭ない。
逃げるつもりもない。
死ぬ気で踏ん張るしか、ないのだ。
「…………」
先ほどから這い上がってきている、あの感覚。
今の俺にとってあの男が脅威であることはまぎれもない事実。
やはりあの『獣』に……もっと俺の意識を近づけていくしか、ないか。
最悪、いよいよ今回ばかりは俺の意識を明け渡す可能性も考慮しなくちゃかもな。
後方を確認。
マキナさんたちが駆けてくるのが見える。
俺が降りた後、足場にした盾はすぐ回収した。
なのでマキナさんたちは、階段を経由して建物の外に出たのだろう。
…………。
彼女たちが辿り着く前に、蹴りをつけられればよかったんだけど。
ま、さすがにそれは四凶災を舐めすぎか。
筒帽の男が風を切って迫ってくる。
再び男が腕を振り上げる。
と、
「む」
複数の氷の槍が矢のごとく筒帽の男に襲いかった。
しかし、男はなんの問題もなさげにそれらを手刀で割り砕いていく。
それでも俺が体勢を整えなおすには十分すぎる時間だった。
「援護するわ、クロヒコ!」
術式を放ってくれたのはイザベラ教官たちだった。
気づけば、俺の前にも防御術式が展開されている。
「た、助かります!」
そうだ。
一人では勝てなくても、みんなで協力すれば――
「邪魔だ」
筒帽の男の矛先が、イザベラ教官たちへと向けられる。
まずい!
「させる、かよ!」
俺は筒帽の男を追おうと踏み込んだ。
が、足に上手く力が入らない。
くそっ!
まだ足に、さっきのダメージが残ってるのか――
その時、
筒帽の男の真下に、術式の陣が浮かび上がった。
次の瞬間、金色の紐状の群れが術式陣から出現。
イソギンチャクを彷彿とさせる金色の紐が、筒帽の男の脚に絡みつく。
男の前進する勢いが、がくんと落ちた。
己の脚をがんじがらめにする光り輝く金色の紐の群れを見下ろす、筒帽の男。
「今度は、なんだ?」
「クカカカカ、なるほど! かの四凶災にも、ワシの『リィンプエルグ』は効くわけかか! これはよい情報が取れたわい!」
快哉を叫ぶかのように嬉々とした声を上げたのは、シャナトリスさんだった。
見ると、左目の眼帯が取れている。
その左目の瞳は金色。
瞳のあたりで青白く光っているのは、聖素の光だろうか?
「その目……そうか、固有術式か」
ぐぐっ、と金色の紐の絡みつく脚を持ち上げながら、筒帽の男が言った。
「おう。これがトゥーエルフの血を持った者に与えられし固有術式『リィンプエルグ』よ」
シャナトリスさんが嗤いながら自分の左目を指差す。
「術式眼の元祖と言ってもよいものじゃ」
「トゥーエルフ……名は聞いたことがある。確かルーヴェルアルガンに、そんな名の家があったな」
「ほぅ、よく知っておるではないか――が、呑気に話している暇があるかな?」
シャナトリスさんの後方に、マキナさんが立っていた。
その足元。
彼女を取り囲むようにして、術式陣が展開されている。
風が逆巻き、彼女の髪がバサバサと散っていた。
口をカッと開き、射抜くような目でマキナさんが筒帽の男を見据える。
その口の奥で光っているのは――舌から浮かび上がる術式だ。
「その、術式」
筒帽の男の片眉が上がった。
「そうか、貴様……あの時の女の――」
マキナさんが頭上に手を掲げた。
すると、術式がマキナさんの身体を取り囲んだまま上昇。
そして号令でもかけるように、マキナさんが、掲げた手を筒帽の男へと向けた。
「『ミストルティン』」
術式が巨大な一本の剣と化し――そして相手を貫かんがごとき勢いで筒帽の男へと襲いかかった
筒帽の男が腕をクロスさせ、防御姿勢をとる。
光の剣が男へ到達する。
男の腕をガリガリと削っているかのように、光の剣と男の腕との間で火花めいた光が激しく迸る。
巨大な質量を持ったもの同士が、苛烈な鍔迫り合いでもしているかのような光景だった。
筒帽の男の周囲が、激しい光に包まれる。
あれが……『ミストルティン』か。
「こっちへ来い、禁呪使い!」
『ミストルティン』の放つ光量に手をかざしつつ、シャナトリスさんが大声で俺を呼んだ。
よし。
どうにか足のダメージは抜けた。
急ぎ、彼女のもとへと向かう。
「ワシらが渡る前にあの足場を消したことについては特に問わん。マキナは怒っておったがな。何よりも今は時間がない……ともかく、これを」
シャナトリスさんは手にしていた鞄を開けると、迷いなく逆さにして中身をぶちまけた。
彼女が地面に散らばったものの中にあった細長い筒状のものを手に取った。
そして素早く蓋を開けると、彼女はその細く丸まったものを俺へと差し出してきた。
「これって――」
「お察しの通り、禁呪の呪文書じゃ」
「持ってきていたんですか」
「一応な。実物を見せた方が交渉が有利に運ぶ場合もあるからの。本来ならば今日渡すつもりはなかったんじゃが……この状況じゃ、仕方あるまい」
俺は呪文書から視線をシャナトリスさんへと戻す。
「読み上げちゃって、いいんですね?」
こくり、とシャナトリスさんが頷く。
俺は唾をのみ込む。
「わかりました」
俺は身体の向きを筒帽の男の方へと転換させた。
横目で確認すると、マキナさんが二撃目の『ミストルティン』を放っていた。
筒帽の男は、ついに脚に絡みつく金色の紐を引き剥がすと、回避行動をとるでもなく、なんと迫る巨大な光の剣へと突進をはじめた。
獲物に逃げられた金色の紐はというと、力なくゆらゆらと揺れながら、ゆっくりと実像を喪失していく。
「ちっ、思っていたよりも早く抜けられたようじゃな。『ミストルティン』も、やはり効果は薄いか」
シャナトリスさんの顔には、玉のような汗が浮き上がっていた。
「あるいは術式全般が効きづらい体質なのかもしれんな。まあよい。ワシの『リィンプエルグ』もマキナの『ミストルティン』も、所詮は時間稼ぎのために放ったものじゃ」
今のシャナトリスさんの言葉。
つまり禁呪の呪文書を読み上げさせる時間を、俺のために稼いでくれたということだろう。
シャナトリスさんを改めて見る。
左目の眼球の血管が太さを増して盛り上がっているように映る。
よく見れば息遣いも荒い。
固有術式とやらは一度放つだけでも、相当な負担がかかるのだろう。
そしてマキナさんも、かなりの負荷を抱えて『ミストルティン』を打っているに違いない。
ここで彼女たちのがんばりを、無駄にするわけにはいかない。
呪文書を開き終えると、俺は急いで文字に目を走らせはじめる。
「我……」
…………。
落ち着け。
読み違えるなよ。
「禁呪ヲ、発ス、我ハ……魔眼ノ王ナリ」
冷静に。
「最果テノ獄ヨリイデシ殲滅ノ源ヨ、我ガ命ニヨリ……我ノ眼ニ、宿レ――」
だが、素早く。
「――第三禁呪、解放!」
俺が唱え終わった瞬間――
「がっ……ぁ……!」
眼が熱を持ったのがわかった。
そして思わず目に手を向けかけた、その時。
両目から、
「っ、が、ぁ、ぁぁああああぁぁぁぁああああああああ――!」
迸る光と金切り声にも似た甲高い音と共に、まさにレーザーのごとき二本の赤と黒の光が、迸る光と共に放たれた。
マキナさんの神々しい『ミストルティン』の放つ光とは真逆の禍々しく不吉な光の筋。
「――――」
発射後、光は次第に細まっていった。
それと呼応するようにして、瞳の熱も引いていく。
俺は最初にまともに目にしたものに、思わず声を失った。
「……っ!?」
地面に……底知れぬ深さの穴が二つ、あいていた。
「マジ、かよ」
どれほどの深さまで穿ったのかは定かでない。
ただ確実なのは……凄まじい、威力。
顔を上げる。
筒帽の男を含む全員が、俺の方を向いていた。
が、俺は違和感を覚える。
正確には皆、俺を見ているわけではない気がする。
そう。
彼らの視線が向いているのは……俺の、頭上か?
自分の頭上を仰ぎ見る。
「なっ――」
思わず、驚きの声が漏れた。
「な、んだよ……あれ」
俺の頭上に、巨大な眼球が浮かんでいた。
赤黒い毛細血管が全体に走っている。
グロテスクといえば、そうだろう。
心なしか眼球の周囲の空が赤黒く染まっている気もする。
あそこだけ空間が違っているように見える。
なんだ?
まさか第三禁呪は、今までの禁呪と何か違うのか?
「本当に、何者だ……貴様」
筒帽の男が俺の方へ向き直った。
俺は息を整えると――口を開く。
「我、禁呪ヲ発ス、我ハ……魔眼ノ王ナリ――」
「むっ」
筒帽の男が身構える。
そうだ。
悠長に話している暇などない。
この男を倒して……俺は、キュリエさんやセシリーさんたちのところへ行かなくちゃならないんだ。
「最果テノ獄ヨリイデシ殲滅ノ源ヨ、我ガ命ニヨリ我ノ眼ニ宿レ――」
今度は、しっかりと眼を筒帽の男へと向ける。
「――第三禁呪、解放」




