逆転性有自論
「ねぇ、死んでくれない。お願いだからさ、僕の息だけ吸い続けて二酸化炭素中毒的なやつで死んでよ。そしたら一緒になれるかもしれない。」
その願いに応えたのは、私のこの言葉。
「それならもっと、ロマンチックにやって欲しいんだけど。例えば、『お前のことホントに愛してるぜ』みたいなこと言って私にキスをして、死ぬまで放さないとか。」
きっとそんなことしたら、きっとそれは僕はじゃないんだ。そう言って静かに目を閉じて、彼は溜め息をひとつ。
「きっと、僕じゃなかったら君を幸せに出来るんだろうね。僕じゃ君に触れられないし、」
愛することもできないだろう、私たちはお互いにお互いを愛することが出来ない。同じ場所に立っていて、同じ風景に包まれているのに愛せない、愛したいけど愛させてくれない。理想だけみて良いなら私は彼をどこまでも愛せるけれど、現実を見なければいけないのなら愛せないよ、彼のこと。
「鏡を割ってみたんだ、この手で。そしたら全部変わるか、全部終わると思ってたけど、私の手が、傷だらけになっただけだった。難しすぎるよ、あなたを愛さずに生きるのなんて。
何とかしようって思うけど、あなたのこと忘れようって考えるけど、どうしても出来ない。気がついたらあなたのこと考えてる、無意識のうちに目がいっている。そしてこうして会いに来てしまうの。」
誰がこんなにも愛おしい相手を忘れることが出来るんだろう、きっと女の子には無理だ。初恋の相手は忘れられるかもしれないけど、今、ここに居る彼はきっと忘れることは出来ないだろう。
この部屋で会うたびに彼が綺麗に見えてくる、シャンデリアにてらされてソファに座って迎えてくれる彼の姿が妖艶な魅力に引き込まれていく。これが恋なんだ、そう思うと心はいっそうに弾んだ。モラルとか自制心とかそういうのを全部忘れてしまいそうになったこともある、ジャムを口に付けたままの彼を見た時なんて最高に興奮した。直接口で取ってあげたいくらいだった、けど彼に触ることは出来ないので伝えることで妥協した。でも慌てふためく彼が萌えるほどに可愛かった。でもその後に、
「君もついてるよ、」
といわれたときは死ぬかと思うほど恥ずかしかった。
彼と私は何もかもがそっくりだった。好きなものは猫と音楽。嫌いなものは虫とかは虫類。家族は親と妹。通う学校も同じ、部活も同じ。でも学校では一度も会ったことがない。別に大して気にすることでもなかった。うちの学校は生徒数が多いし、私も彼もたまにしか部活に行かないのだから。クラスは聞いたことがなかった、聞いたら全部わかってて探す楽しみがなくなってしまうからと、彼が言うのだ。
「この部屋で会えるだけで十分だよ、」
本心からの言葉だった、シャンデリアの光とそれを反射するたくさんの鏡(最もこの前一枚割ってしまったのだが)に包まれたこの部屋で私と彼は映し出されながら語り、笑いあう。本当に辛かった、部屋のドアに手を掛ける度に愛したいと思うのだから、それが叶わないと否定してしまうのだから。
私と彼は鏡合わせのようだ、見た目は逆なのに、中身は変わらない。そういうと彼は必ずこう言う。
「僕はともかくは、君は最初から僕のことを好きにならなきゃよかったんだろううなぁ。」
泣きながらそんなことを言わないで欲しい、あなたが泣くと私も泣くしかない。それに出来るわけがない。私が彼に心を弾ませれば、彼の心も弾んでしまう。彼が私にときめけば、私も彼にときめくのだから。
哀しい?寂しい?ううん、そうじゃない、馬鹿馬鹿しいんだ。
空じゃ大きな雲が流れていて、地上ではちっぽけかどうかわからないけど確かに私たちが歩いている。この当たり前の中に私がいるのなら、代わりにそうじゃない人がいる。この世界には表と裏がある、当たり前があれば有り得ないがある。
「遊覧船に乗るのってどんな気分かしら。飛行機みたいに堅い壁に包まれてる分けじゃないから凄い不安な気がするの。でも、なんだか飛行機のキーンッって感じじゃなくて、もっとフワッて感じがするんでしょうね。
鳥みたいに飛べたらって思うけど、わたしは肺が二つあっても吸うのと吐くのを同時に出来ないし寒さにも耐えられそうにない。それにあんな所で独りぼっちじゃ寂しい」
屋上のフェンスにもたれかかった。訳のわからないことを言っていると思う。柚木さんは少し変わっている。こんな不安定な私を理由も聞かずに受け入れてくれたし、学校ではほとんどこの場所で過ごしている。
「あなたは遊覧船に乗ったことがある?」
もちろんない。飛行機だってろくに乗ったことがないんだから。
「不思議ね、なんだかあなたがそうだって何故だか知っていた気がするわ。」
やはりこの人はどこか違う星からでも来たのかもしれない。でもきっと、
「私じゃなくて彼に聞いたんじゃないかな。」
柚木さんの表情は全く読めない。いったい何を思ったのか。小さく回ってフェンスの向こうを見る。決してこっちを見たりしない。
「悲しいわ、あなたの話を聞いていると悲しくなるわ。」
そんな風に呟きながら彼女は涙をおとす。
「そんなに分かり合っているのに、そんなにもお互いを共有してるのに。いいえ、だからこそかしらね、結ばれぬなんて悲しいわ。」
雲一つない晴天の日、私はまた彼に会いにゆく。髪から靴まで普段とは違う、完璧にめかし込んで彼に会いに行く。
目を閉じて深呼吸をして、ドアノブに手をかける。やっぱり心が痛む、馬鹿馬鹿しくて苦しくて。それでもやっぱり会いたいのだ。
「いらっしゃい、」
いつも通りの彼が、いつも通りソファに座って、いつも通りシャンデリアと鏡に照らされている。
「いつもここを出るときにもうあなたのことを考えるのはやめよう、そう思うのに。なんでだろう、わざわざこんなに気合いを入れてきて、またドアの前で落ち込むの」
「せめて。そう、せめてボクが君を迎えに行けたら何か変わるのかもしれないんだけど」
それは私が当たり前である限り、永久に訪れることのないお迎えだ。彼は有り得ない。
「ボクとしてはボクが当たり前なんだけどね。世知辛いよ、ホントに。」
本当にいじらしい。神様が憎い。可分なのか、不可分なのか。そんな曖昧に不安定に私と彼を作るなんて。
きっかけはほんのしたことだった。「お前は汚い。お前は要らない。」そう誰かに言われたことだった。今となっては名前も思い出せない元クラスメートが私に彼との出会いをくれた。
「お前は汚い。お前は要らない。」その言葉にショックを受けた私は家に帰ってジッと鏡を見つめた。私は汚い。私は要らない。そんな私が何故生まれてしまったのかと考えた。そしてふと思いついたのが変わることだった。いや、今考えれば簡単に辿り着く結論だったかもしれない。落ち込む暇も作らずすぐ私は行動に移ったんだった。まず髪をばっさり切った、もちろん自分で。そしてスカートをやめてスラックスをはいた。フリルのついたブラウスを脱いで父のワイシャツを着た。この間、あえて鏡は見なかった。戸惑うのが恐かったから。
全てを終えて恐る恐る鏡を見た私は、この人生で二度とないくらいの大きな鼓動を聴いた。運命を感じた、出会ってしまった。何故目の前に彼が立っているのかわからなかった。目が眩んだ。私は鏡を見たはずなのに、そこに写った彼にのぼせ、溺れ、吸い込まれ、とにかく恋をしてしまった。彼も同じように恍惚とした表情を浮かべている。この時はまだ私も彼も気付いていなかった。自分たちがどれだけ馬鹿馬鹿しい恋をしているのかと言うことを。
「私たちのことを『悲しい』って、柚木さんがいうの。」
「うん、ボクも言われた。でもさ、」
でも、やっぱり罪悪感があるかな。きっと柚木さんは私と彼が例えどれだけ似ていても、同じ記憶を共有してるとは思っていないだろうな。
「そうだね、ボクと君が同じ人間だってことはわかってると思うんだけど、」
きっと全部を自覚した上で、心の中のこの部屋でも、
「あの屋上でも、」
自分を偽って演じてるとは思ってないだろう。
自分がどれだけ馬鹿馬鹿しいことをしてるかわかってる。それで巻き込んでいる人がいるのもわかってる。だけど私は自己中だから。この馬鹿馬鹿しい恋をいつまでも演じるつもり。
「大好きだよ、」
あなたのことが大好きだよ。
大好きだよ、私のこと。