54話 不殺の真実
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「く………クカカカカ」
男の笑いが戦場にこだまする。
日陰の卒塔婆は男には届きはしなかった。
男は隣に居た仲間を掴み、盾にしたのだ。
日陰の卒塔婆は盾にされた男の喉元を裂いただけだった。
「思い出したぞ、餓鬼。テメェは麒麟の村に居た餓鬼だな?そうか、まだ生きてたのかテメェは。クカカカ」
男の日陰の顔を見て笑う。それは心の底から楽しそうに。
「こいつは驚いたぜ。まさかこんなところで種が芽吹くとはな」
ククク、笑いを噛みしめる男。
「だが、テメェに討てるほど俺は甘くねぇぜ。策は失敗したが中々面白れぇものが見れた」
と男はその場を去る。
それを日陰は呆然と見ていた。いや、見てはいなかった。日陰は己の手と動かない五胡の兵を見ていた。
「――――――」
「これが五胡の奇襲部隊の指揮官?」
あの場を去った男であったが、逃げきれず兵に捕まった。
「クカカ。その通りだ、嬢ちゃん」
「なッ!?貴様、華琳様になんと言う口を聞くのだ!?」
大局は決した為に帰ってきていた夏侯惇が男の口調に激怒する。
「ハッ。五胡の俺に礼を期待するほど意味が無ぇことはないな」
縛られているにも関わらず、余裕の笑みを浮かべる男。
「ククク。ところでお前ら、“アレ”をどこで拾ったんだ?」
「アレとはなんのことかしら?」
男の問いに曹操が訊く。
「アレといえばアレだろ。あの不殺を扱う餓鬼のことだ」
「日陰………徐福のことかしら?」
「徐福?それは知らねぇが、日陰って名なら覚えがあるな」
「貴様、今、真名を!?」
「だぁかぁら、俺に礼を求めんじゃねぇよ」
「それで、何故五胡の貴方が日陰のことを気にするのかしら?」
「そりゃ、簡単なことだ。アイツに不殺を教えたのは俺だからな」
『ッ!?』
男の言葉に目を見開く一同。
「もしかして日陰は五胡の生まれなのか?」
疑問を呈したのは夏侯淵だった。
「あぁん?何を言ってやがる…………まさかテメェらアレが何か知らずに使ってんのか?」
夏侯淵の言葉を聞くと今度は男が疑問を浮かべた。
「あぁ、それでか……。クカカカ、道理で弱いわけだ。アレから10年は経ってる筈だ。なのにまだアレだけしか“覚えて”ねぇのはおかしいと思ったんだよなぁ」
男は何か納得のいった顔をする。
「テメェらアレを知らずに使ってんのか。そうか、なら俺がしたことは丁度良かったってことか。蛇足かとも思ったが……ククク、やはり仕上げは自分でやらねぇといけねぇよな」
「何を言って――――」
「曹操様!大変です!」
そこで1人の伝令兵が駆け込んできた。
「じょ、徐福さんが!徐福さんがご乱心を!」
―――――ザシュリ。
そこには血溜まりに立つ日陰がいた。
手には壊れた卒塔婆を持ち。その卒塔婆は血で赤く染まっていた。
「―――――――――」
声にならない咆哮が空気を揺らす。
それはまるで獣の咆哮。
血に染まっていたのは卒塔婆だけではなく、服から顔まで全てが染まっていた。
「――――――――」
――――僕は、私は、俺は、アタシは、アタイは、我は、吾輩は―――――
日陰の暴走は五胡の兵だけでなく、味方の兵をも巻き込む。
不殺の禁忌を破った日陰はまるで獣のように…………。
まるで怒り狂う神獣のように、殺戮を繰り返す。
「クカカカカ、やっと芽吹いたか。今まで溜めに溜めたものが爆発したか………。こうなるとオメェらが日陰を正しく使わなかったことには感謝しねぇといけねぇな」
ククク、と嫌らしく不愉快な笑い方をする男。
「貴様、日陰に何をしたッ!?」
抜き身の剣を男へ突きつける夏侯惇。
「何もしてねぇよ。あれが本来のアイツだ。いや、本当の使い方と言ったほうがいいか?」
「それはどういう意味かしら?」
曹操は男の言い方に引っ掛かり、夏侯惇を制し、男へ問いかける。
「華琳様!このような蛮族の戯れ言なぞ………」
「黙りなさい、春蘭。それで、聞かせてもらうわよ」
それは有無を言わさぬ覇気。
「ククク。いいぜ、俺の実験に貢献してくれた善良なる愚者に答えてやる」
それに臆することなく男は答えた。
「オメェらは不思議に思ったことはないか?アイツの異常さに……」
「異常?不殺のことを言っているの?」
「ちげぇよ。アレの物覚えの良さ、だ。一度言われたことなら次からはその状況に合わせて行う。優秀の一言で片づけちまえばそれまでだかな」
そう。日陰は確かに物覚えが良かった。
だからこそ荀イクが大まかに指した書簡の山から目的ものを迷わず探し出すことが出来るのだ。
以前に言われたことを“全て”覚えてるのだ。
「ちょっと待て。日陰は確か、人の名前を覚えるのが苦手だと言っていたぞ。お前の言うように物覚えがいいならそんなことはないだろ」
思い出したかのように夏侯惇が男に疑問をぶつける。
「ククク。そこがアレの面白いところなんだよ。アレは名前が覚えられないんじゃない。覚えちゃいけねぇんだ。正確に言うなら他人と自分を区別しちゃいけねぇのさ」
「他人と自分を?」
「オメェらにも少しは覚えがあるはずだぜ?アレと喋っているとまるで鏡を相手するみてぇいな錯覚を………」
ニヤリと口角を上げる男。
「何故、そのようなことを?」
「そりゃ、アレの親がそう仕込んだのさ」
『――ッ!?』
「アレの村にはとある麒麟の伝説があった。それに倣い、一人の子供にあることを教え込むのさ。それが――――他人の“感性”を覚えるだ。それも一人二人なんてもんじゃねぇ。村人全員、そして村を訪れた旅人、商人全てだ」
「な、何故そのようなことを……」
理解の越えたことに夏侯淵他が開いた口が塞がらない。
しかし、何人か悟るものもいた。
「擬似的な信仰対象を作る、か………」
そう呟いたのは曹操だった。
「そうだ。あの村に伝わる麒麟とは知識のことだ。全知を知るもののことだ」
「人の身で全知を知るなんて………」
「先ずは不可能だ。だが、小さな村だ。村人と少しの旅人の知識を知れば、村の中で知らねぇことはなくなる。正に井の中の蛙だな」
クカカカ、と男は笑う。
「そしてアレには幸か不幸かそれだけの才があった。人のことをすぐに覚える。それこそ、感情の起伏の仕方から記憶まで何もかもな。だが、それだけではただの記憶力のいい餓鬼だ。だから、親はどうしたか?簡単だ。その知識を、感性を自分のものとすればいい。つまりは他人の話を自分のことのように覚えるように、な。だからこそ他人と自分を区別しないに繋がる。一々意識して自分の名前を覚える奴がいるか?」
言葉が出なかった。そのようなことがありえるのかと………。
「ありえちまったんだな、それが。アレにはそれを出来るだけの才があり、そしてそれをやる位置にいた。ただの偶発的な出来事だ。アレは今の今まで他人の感性で生きてきたんだ」
いくつか覚えがある魏の面々。
最初の頃、日陰は無感情に淡々としていたが、今では微々ではあるが感情が見えてきたのだ。
それは魏の人と過ごし、日陰が無意識に感情を少しずつ覚えていったのだ。
「まぁ、それだけじゃつまらないだろぉ?だから俺はよぉ…………」
と一層笑みが増す。
「――――壊してみた」
男は簡潔にそう言った。
「………壊した?」
「あぁ、アレの目の前で村を―――親を壊し尽くした」
男はさらりと言う。
その時、日陰は不殺を覚え、代わりに全てを忘れた。
「本来はそこで芽吹くはずだったんだがな。まぁ、今ここで芽吹いたのなら、よしとしよう」
「貴方は何故、そんなことを……」
「人の可能性が知りてぇんだよ」
「可能性……?」
「そうだ、可能性。例えば武の極致と言われる飛将軍、呂布。神算鬼謀の伏竜鳳雛、美周朗、あれが知の極致か?いや、違うはずだ。人はまだまだ高みに行けるはずだぜ。人は自らの力を無意識に制御する節がある。ならば俺はそれを取り外してやるのさ。可能性を芽吹かせてやるのさ」
ククク、と喉を鳴らす男。
男は日陰がいるであろう方向を見る。
「アレも一つの可能性か………醜いな」
「なッ!?貴様がああしたのだろ!?」
その言葉に夏侯惇が激怒する。
「言っただろ、実験だって………。実験には失敗が付き物だ。まぁ、これでこの可能性が駄目なことは分かったがな」
「それが分かったところで貴方はここで死ぬのよ?」
「それがどうした、嬢ちゃん?」
曹操の言葉に男は何の間もなく答える。
「俺はただの探求者さ。答えを求めることに意味がある。答えが出るのを望むと同時に答えが出ないのを望むのさ。永遠に抜け出せねぇ矛盾の輪を回り続けるのさ」
「そう。ならば………。ここで終焉よ」
――――ザシュリ。
ゴトリと男の首が落ちる。
首を切られてなお、男は笑っていたのだった。
『…………』
誰も何も言えなかった。
「今は日陰を止めるわよ」
そして曹操が言葉を発する。手を力いっぱいに握りながら。
「桂花、何か策を……?」
旬イクにそう告げて、初めて旬イクがその場から居なくなっていたことに気づく。




