42話 曹操の失態
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曹操が呉への侵攻を決めた。
乱世は終焉へと向かいつつあった。
呉への侵攻を決めてから準備が出来るまでは流石、大国魏である。
優秀な将により驚くべき早さで準備は行われていた。
もしくは戦いたい奴らが多いためか?
そして呉の首都、建業へ軍を向けた。
曹操が望むのは英傑との戦い。
正面から堂々と破ってこそ、覇道だと彼女は考える。
それに異を唱えるものは魏の臣下にはいない。
――――だが、臣下でない者は異を唱えた。
許貢による孫策の暗殺の報は直ぐに知れ渡ることとなる。
「撤退よ!全軍、反転しなさい!反撃することはこの曹孟徳の名において禁じる!」
「華琳様、今反転しては我が軍に多大な被害が………」
「それが何ッ!?このような戦いに何の意味があると言うの!?」
曹操の覇道にこのような勝利は許されるはずがないのだ。
否、彼女が許さないのだ。
「華琳様、なら私が殿を………」
と夏侯惇が殿に立候補した時………。
「―――殿は僕がします」
手を挙げたのは日陰。
「………何故、貴方がそこで手を挙げるのかしら?」
曹操は許貢の無粋のせいで少し苛立っているためか、少し言葉の端に棘があった。
「殿なら僕が務めます」
それに臆することもなく、日陰は言う。
「今回は反撃をしてはいけないのでしょう?ならば将軍方には辛いでしょうから、僕が引き受けます。僕なら相手を殺さずに食い止めることが出来ますから………」
「…………桂花はいいのかしら?」
曹操は荀イクへと問う。
今回は前回とは違う。呉は孫策への暗殺を、卑怯なやり口に対して怒りを持って追撃してくるだろう。それは死兵に近いものだ。
それを真っ向から受け止めるなど正気の沙汰ではない。
いくら“不殺”と呼ばれる男でも殺さずに済むはずはないと曹操は思っていた。だからこそ、日陰に対して絶対の命令権を持つ荀イクに言ったのだ。
「日陰………」
そして荀イクは…………。
「―――必ず止めなさい。その命に変えても………」
英断だった。
荀イクはこの場で一切の私情を挟まない。それは軍師として、覇王を支える王佐として最善を見極めなくてはいけない。
そして荀イクは知ってしまった。日陰の実力を………。前の蜀との戦いで日陰が呂布と関羽相手に曹操を救い出したのを、華雄相手に何合も立ち回れることを………。
知ってしまったからには、分かってしまったからには判断してしまう。最善として使うことを。一度頭に浮かんでしまえば決して沈むことはない策。
「―――そして、早く帰ってきて私の手伝いをしなさい」
ただし、それは今までの、日陰と過ごす前の荀イクだ。今の荀イクは日陰のお陰で変わりつつあるのだ。
「ありがとうございました、桂花様」
「………別に何もしてないわよ」
「いえ、僕の“我が儘”を聞いていただいたことです」
そう。今回、日陰は一言たりとも荀イクの為にとは言っていないのだ。
つまりはこれは完全に日陰の私情なのだ。
「別に私はそれが最善だと思ったまでよ。それよりいいこと、華琳様の前であれだけ言い切ったのよ。絶対に失敗するんじゃないわよ」
「はい。必ず止めてみせます」
「………帰ったら頭、撫でてあげるわよ………」
そっぽを向いて、ポツリと漏らす荀イク。
「はい。是非に」
と日陰は殿へと向かう。
「我が王への卑劣な行いを決して許すな!孫呉の地を汚した罪をその血をもってして償わせるのだ!」
「決して逃がしはしません!」
「弓兵構え!我らが怒り、悲しみ全てを矢に乗せ、敵へと放てッ!」
王の暗殺を聞いた呉の将、兵たちの勢いは尋常ではなかった。
それはまさに獣の大群。皆が親の仇を取らんばかり勢いだった。
そしてその大群と真っ向から相対する者がそこにはいた。
四体の絡繰人形を四方に配置して、男は立っていた。
「ごめんなさい」
男はポツリと呟く。
「貴女たちに重い悲しみを負わせてしまって………」
それは贖罪の言葉か………。
「ごめんなさい。貴女たちに深い怒りを抱かせてしまって………」
男は無表情に呟く。手に持つは死者を弔うための卒塔婆。
「ごめんなさい。―――貴女たちの気持ちが全く理解できなくて……」
男は卒塔婆を前に向ける。
「展開しなさい、“青”“朱”“白”“玄”」
四体の絡繰の内側が開く。
そして内部から数千の卒塔婆が外へ展開される。
瞬く間に戦場に日陰の舞台が出来上がる。
「ごめんなさい。貴女たちの想いは踏みにじらせてもらいます」
そこに立つは“不殺”。乱世において誰一人殺さず、それでいて戦場において最も残酷な戦い方をする者。




