40話 感謝の気持ち
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程イクに日陰を連れていかれた荀イク。
「…………」
黙々と政務をこなす荀イク。
「―――それ取って……って、居ないのよね、アイツ」
つい癖で日陰へ物を取らせようとしてしまう荀イク。
(そう言えばいつぶりかしら、一人で仕事をするなんて…………)
いつも隣に控えていた日陰。
(この部屋、こんなに広かったかしら………)
自分で資料を取り、荀イクは思う。
いつの間にか隣にいるのが当たり前だった。
(時々、無茶をして………それでもいつも変わらず私の隣に立って………)
――――ソワソワ。
荀イクは手に持つのび~るアームを見る。
(ホント、変わった男………)
荀イク自身が気づいているかは分からないが、自然と顔が綻んでいたのだった。
(そういえば私、アイツにお礼とか言ったことないわね………)
ふと、そんなことを思う。
それを別段、日陰が望んでいるわけではないのだが……。
(まぁ、一言くらいかけてやってもいいわよね。そうね、今度来たら…………)
「桂花様。日陰です、只今戻りました」
とそんなことを考えていると、日陰が帰ってきた。
「え、あ………」
「どうかしましたか?」
いきなり入ってきた日陰にどもってしまう荀イク。
「あ、あり………ありが……」
「………?」
「あ、ああ………蟻が入ってきたのよッ!!」
と窓を指す荀イク。
「……?そうですか。窓、閉めておきますね」
(……………)
窓を閉める日陰へと見やる荀イク。
(何やってるのよ、私はぁぁぁぁ!!)
心の中で絶叫していた。
(はぁ。何してるのよ、私は………。ただありがとうって言うだけじゃない………)
荀イクは自分の失態に頭を抱えていた。
(………どうすれば上手く言えるのかしら?)
と廊下を歩きながら考える。
魏の筆頭軍師といえども人の子である。
「………ん。あれは―――」
中庭に夏侯惇と許緒の姿を見つける。
「あ、桂花ちゃんだ!お~い………」
許緒が荀イクに気づき手を振ってきた。
(アイツらに聞いてみるのもアリなのかもしれないわね……)
「アンタたち、何してるの?」
「春蘭様に稽古つけてもらってるんです」
「そうなの………ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ、桂花が私に聞きたいことがあるなんて明日は槍でも降るのか?」
と茶化して空を見る夏侯惇。
「うっさいわね」
聞く相手を間違えたのでは、と思ったが藁にもすがる気持ちで聞くことにした荀イク。
「もしもの話よ。とあるところに眉目秀麗で才色兼備な完璧な軍師の女の子が居たの。その子が自分の副官にお礼を伝えたいんだけど、どうしても上手く言えないのよ。どうしたらいいと思う?」
「はぁ?何の話だ?」
「いいから、答えなさいよ」
「うぅん………ボク、頭良くないから分からないけど、そう言うのって自然と出るものなんじゃないかな?意識して言うんじゃなくて………」
「そうだな。いいこと言ったぞ、季衣。礼も上手く言えないのでは一人前の大人とは言えんからな」
「そ、そうよね。ありがと、助かったわ。稽古の邪魔して悪かったわね」
と荀イクはその場から去る。
「ねぇ、春蘭様。桂花ちゃんの言っていた女の子って桂花ちゃんのことなのかな?」
「うん?そんなわけなかろう。あやつは今、私らに“ありがとう”と言ったではないか」
「あ、それもそうですね」
「あぁ。では稽古の続きを始めるぞ、季衣!」
「はい、春蘭!」
次に荀イクがやって来たのは厨房だった。
「お礼の言い方、ですか?」
厨房には典韋と夏侯淵が居た。
夏侯惇たちと同じような質問をしてみることにした荀イク。
「改めて聞かれると難しいですね。秋蘭様は何かありますか?」
「私か?そうだな………。私なら感謝の気持ちを物に込めたりもするな」
典韋が振ると夏侯淵がそう答える。
「物に込める……」
夏侯淵の言葉を復唱する荀イク。
「例えば何かを送るだとか………。流琉も季衣に料理を作るときはそんなことはないか?」
「あぁ、確かにありますね。祝い事の時とかは季衣の喜ぶ料理とか作ってあげますね」
「料理、ね………。ありがと、参考になったわ」
と厨房を出ていく荀イク。
「ふふ。桂花が日陰にな………」
「なんだか、応援したくなりますね」
荀イクの背中を見ながら微笑む二人。
「日陰さんにお礼を言いたいんですかー?」
「なッ!?違うわよ!例えばの話よ、例えば!」
廊下で偶然会った程イクと郭嘉にも訊ねてみることにした荀イク。
と言うか聞いて回っているのであった。
「そうでした、そうでした。稟ちゃんは何かいい方法はありますか?恥ずかしがり屋の桂花ちゃんが素直になる方法」
「たがら、違うって言ってるでしょ!」
とからかいながら郭嘉に訊く程イク。
そして郭嘉の答えは…………。
「………ぷはッ!」
吹いた。鼻血を吹いた。
「ちょッ、なにいきなり鼻血出してるのよ、稟は!?」
「まぁ、大方桂花ちゃんと日陰さんで妄想したのでしょうねー。はい、稟ちゃん、とんとーん」
郭嘉を介抱する程イク。
「もういいわ。それじゃ」
「あ、桂花ちゃん。一つだけ助言を………素直が一番ですよ」
「…………分かってるわよ」
ボソッと呟いてその場を後にする荀イク。
「まぁ、日陰さんなら言葉にしなくても十分気持ちは伝わってそうですけどねー」
「ふがふがふが………」
「稟ちゃん。いいこと言っても今の状況では伝わらないですよー」
「感謝を伝える方法ですか?」
次は楽進、李典、于禁の三羽烏。
「それなら取って置きのもんがあんで」
「おぉ、真桜ちゃん、なんか悪い顔なの」
にやにやしながら懐を探る李典。
「ジャジャ~ン、これや!」
李典が取り出したのは…………。
「なんだ?ただの包装用の紐じゃないか」
いわゆるリボンと言うやつだ。
「アンタも贈り物をするって言うの?」
李典のそれを見て荀イクは言う。
「まぁ、せやな。せやけどただの贈りもんちゃうで?これはな自分に巻きつけるねん」
『……はぁ?』
荀イクと楽進の声が被る。
「それもただ巻くんやない。裸に巻いて、“私をあ・げ・る♪”って言えば男はイチコロ………って桂花様、どこ行きはるん!?この紐持っていかなあかんがな~」
張遼の場合。
「そないなもん、相手の好きなことしたりゃええやん」
「好きなこと?」
「まぁ、相手が男ちゅうなら………アレやろな」
「なッ!?/////」
張三姉妹の場合。
「手紙なんていいんじゃないの?」
「うんうん、いいよね~。言葉ではっきり言われるのもいいけど、手紙ってのも甘酸っぱくていいとお姉ちゃんも思うよ~」
「まぁ、確かに口下手ならそれが一番かも知れないですね」
(………料理………贈り物………手紙………は、はだ、裸………)
色々聞いて回った結果、余計に頭がこんがらがってきた荀イク。
(こんなこと華琳様にお聞かせするわけにはいかないし………)
「あぁ、もう!なんでこんなに悩まなくちゃいけないのよ!?」
「何か悩み事ですか、桂花様?」
「ひゃッ!?」
廊下で叫んだ荀イクに後ろから日陰か声をかける。
「い、いきなり声をかけるんじゃないわよ。ビックリするじゃない」
「あ、すみません。一応、お声はかけたのですが、なにやら考え事をされていたのでお気づきにならないご様子でしたので………」
ペコッと頭を下げる日陰。
(別に謝ってほしいわけじゃ………)
「どうかしましたか?」
「別に何でもないわよ。それより私に声をかけたのは何か用があったんじゃないの?」
「はい。前にお探しになっていた資料が見つかりましたので………」
と一つの書簡を荀イクへと渡す日陰。
「そ、そう………」
(今なら自然に言えるんじゃないの?)
「ひ、日陰!」
「はい?」
カクンと首を傾げる日陰。
「あ、ああ、あ……あり、ありが――――」
「あぁ!日陰の兄ちゃん見っけぇ!」
とそこへ許緒が駆け足でやって来た。
「兄ちゃん、春蘭様が用があるんだって。中庭に居るから行こ」
と日陰を連れていく許緒。
「え、はい。それでは桂花様、僕はこれで………」
と腕を引かれながら礼をする日陰。
そして残された荀イクは…………。
――――ドスッ。
……柱を殴っていた。
余談だが、この日から数日、夏侯惇への書簡の整理の仕事が増えたという。




