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38話 初恋







―――――――――――――――






蜀との戦いが終わった。


しかし、魏では新たな戦いが始まろうとしていた。


その火蓋は張遼の何気ない一言で始まった。








「日陰って好きな娘とかおるん?」


『―――ッ!?』


この言葉に反応したのが数人。


まずは荀イク、それに興行の報告に来ていた張三姉妹、面白い流れになりそうと曹操と程イク、興味津々と三羽烏と許緒と典韋、何故かそれを聞いて妄想全開な郭嘉、そして周りに合わせる夏侯淵。


あれ?一人反応に遅れてない?


そして日陰の反応は…………。


「………いますよ」


「そうやろな。日陰はまだおらんよな」


「まぁ、確かにアンタにまだ早い話題よ」


「日陰の兄ちゃんはそうだよねぇ」


「日陰さんはそういう方ですよね」


……………………………。


『―――っているのぉぉぉ!?』


「………?」


カクンと首を傾げる日陰。


「ちょ、どこの誰よ!?いつ!?いつからなのよ!?」


日陰に詰め寄る荀イクたち。


「驚いたわね、まさか日陰に浮いた話が出るなんてね」


「まぁ、日陰さんも人の子ってことですねー」


それを離れたところで見ている曹操と程イク。


ちなみに郭嘉は既に鼻血で倒れている。


「まぁ、とは言ってもどうせ桂花ちゃんってオチじゃないですかねー」


程イクが静観しながら言う。


まぁ、妥当な所だろうが…………現実とは小説より奇なり。







「いると言うよりか“いた”と言った方がいいですけどね……」


そう言う日陰はいつもと変わらない表情に見えた。


「いった、ちゅうことは過去形なんか?」


「……はい。そうですね」


「それは日陰の兄ちゃんの初恋ってこと?」


許緒の言葉に周りが沸き立つ。


「その話、もう少し聞きたいですわ!」


そしていつの間にか侍女たちまで輪に加わっていた。


「なぁなぁ、どんな娘なん?」


「いつの頃ですの?」


「どこの娘?」


「―――そこまで!」


とパンパンと手を叩いて、一同の注目を一身に受けるのは…………。


「貴女たち仕事はどうしたの?霞、確か調練の報告がまだ来てないのだけど?」


それは桂花だった。


「う、なんやの、ええやん、ちょっとくらい。桂花だって気になるやろ?」


「気にならないわよ。それより早く仕事に戻りなさい。貴女たちも」


と霞たちや侍女を解散させる荀イク。


「日陰………」


「………何でしょうか?」


「言いたくないなら言わなくてもいいのよ」


「いや、僕は別に……」


「なら、そんな辛気くさい顔は止めなさい」


「え?」


と日陰は自分の顔を触る。


「ほら、行くわよ」


荀イクはさっさと執務室へ向かってしまう。


何度も言うが日陰の表情には“変わりはなかった”。しかし、荀イクには日陰の表情が悲しみ、いや哀愁に見えたのは何故だろうか?


それは日陰の心の表情か、それとも日陰と言う鏡に映った荀イクの表情か………。










月の高く昇る夜。


日陰は城壁の手摺に座り、外を眺めていた。


月の光は優しく世界を包み込んでいた。


「……風邪引くわよ」


そんな日陰の後ろから荀イクが声をかけた。


「………大丈夫ですよ」


日陰は空を眺めながら答えた。


「これぐらいでは風邪は引きませんよ」


「ふん……」


と日陰の隣に座る荀イク。


「何してるのよ、ここで……」


「……月を―――」


日陰は夜空へと手を伸ばす。


「月を見ていたのですよ」


そう無表情に語る日陰。


「今日は満月じゃないわよ」


空に昇る月は中途半端に欠けた不格好な月だった。


「………僕はこちらの方が好きなんですよ」


日陰の暗黒の目に月が写し出される。


「そう………」


それ以外何も言わず、荀イクは日陰と同じように不格好に欠けた月を眺めていた。


「………僕には好きな人がいたのですよ―――」


唐突に、だけれど自然に話し出す日陰。


荀イクは何も言わない。ただ、日陰の声に耳を傾けていた。


「それはとても昔のこと。…………でも、僕にはよく分からないのです、自身のことなのに……」


そこで日陰はふふ、と笑う。


それはとても自嘲的な笑いだ。けれど、日陰の表情は変わらない。


「僕には昔の記憶がありません。気づけば見知らぬ村に身寄りもなく暮らしていました。徐福という名もとある人から貰った本当の名じゃありません」


それはまるで懺悔のように………。


それは天に輝く月に対してか、それとも荀イクに対してか。


「もしかしたら、日陰という真名すら本当であるか、どうか………」


日陰は思う。


―――自分の本当は何処か?


―――自分の真実は何処か?


「それでもたまに月を見上げると思い出すんですよ」


そこで微かに日陰の表情が動く。


それは喜びか、悲しみか。


「僕の隣に誰かがいて、僕と一緒に月を見ている。その時の僕はとても穏やかに優しい思いに包まれているのです」


でも………、と日陰の顔からまた表情が消える。


まるでそれは表情がオンオフしかないかのように……。


「それだけしか分からないのです。隣の相手が誰なのか、その場所は何処なのか、その時が何時なのか………それが一切分からない。でも僕はそれに何の疑問も抱いていなかった。自分の過去が分からないことに対して何の疑問も不安も恐怖も興味も抱きはしなかった」


それはあまりにも異常なことなのに………、と日陰は言う。


そこには一切の感情はなく、どこまでも平坦で、どこまでも淡白だった。


そしてそれに対して荀イクは………。


「ふん………」


鼻を鳴らすだけだった。


それがなんだと言わんばかりに………。


そして、そっと日陰に近づく、それは体くっつくにはあと少し足りず、しかし相手の体温を感じられる距離だ。


つかず離れず、微妙な距離である。


「アンタの過去なんてどうでもいいのよ」


そしてその距離を保ったまま荀イクが言う。


(私には今のアンタだけで………)


二人はそれから何も言わずに月を眺めていた。


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