20話 弱さと強さ
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「それでは僕はここに残り、加勢の準備をしておきます」
日陰は劉備陣営に残る。
「分かったわ。桂花には伝えておくわ。他に必要なものがあれば兵と一緒に送るわよ?」
「では隊の指揮が出来る人材を………。僕は指揮出来ないので」
「分かったわ」
そう言って曹操たちは自分たちの陣に帰っていった。
「まさか、曹操さんのところにあの“不殺の将”さんがいたなんて………」
共闘のための作戦会議を行うために集まった場で初めに言葉を発したのは諸葛亮だった。
ちなみに今、この場にいるのは北郷、劉備の二大徳。軍師として諸葛亮。武将として関羽、張飛だった。後の者は徐州の拠点にいた。
「改めてまして。僕は徐福と申します。曹操さんの下で我が君を支えるため働いてます」
日陰はぺこりと頭を下げる。
「やっぱりあの時の人だったんだ!」
とそれに反応したのは劉備だった。
「………?」
「私たち、前にも貴方と会ったことあるんですよ。黄巾党が本格的に動き出す前に」
「…………!?」
ポンと手を打つ日陰。
「……すみません、忘れました」
―――ガクッ。
「すみません。僕は人の顔を覚えるのが苦手で………」
会釈程度に頭を下げる日陰。
「ま、まぁ。今はそれよりも……」
「これからの事について、です」
関羽が仕切り直し、諸葛亮が進行する。
「袁術さんの軍は袁紹さんより少ないとはいえ数は多いです。それに客将として孫策さんが居ます。正直なところ袁術さんたちよりも孫策さんの方が注意が必要だと思います」
現在の状況を述べる諸葛亮。
「それと………」
「どうかしたの、朱里?」
言い淀んだ諸葛亮に北郷が声をかける。
「はい。実は袁術さんの軍に旗の無い一軍がありまして………」
「旗の無い?」
この時代、軍行には必ず指揮官の旗が掲げられている。
「それに明らかに他の軍とは練度が違っていて………。そちらにも注意が必要だと思います」
「分かった。それじゃ、孫策さんとその謎の軍団には注意していこう。こんな感じでいいかな?」
「はい!」
と方針が決まる。
「こんな感じだけどいいですか、徐福さん」
「えぇ、構いませんよ。それでは僕が孫策さんの一軍を引き受けましょう」
「え?五百で孫策さんたちを引き受けるのはいくら曹操さんの兵が優秀でも無理なんじゃないかな?」
日陰の言葉に首を傾げた劉備。
「え?違いますよ?」
「そうですよね~。いくらなんでも―――」
無理ですよね、と言おうとした劉備だったが、次の日陰の言葉に絶句する。
「僕は……“僕が”孫策さんたちを引き受けると言ったんですよ」
「……え、もしかして……」
「僕一人でいいですよ。曹操さんから借りる兵はそちらで好きに使って下さい」
その言葉に口をあんぐりと開けたままの劉備陣営。
「………どうかしましたか?」
日陰はカクンと首を傾げる。それはまるで糸の切れた人形のようだった。
「………ッ!?単騎で軍に当たるなんて無謀すぎる」
関羽がそう言うと………。
「そうですか?」
心の底から不可思議とばかりの顔をした日陰にただの冗談でも、ましてや傲りでも無いことが分かった。
そう日陰は本当に自分だけで一軍を相手取ろうとしているのだ。それも勝ち負けは関係無しに。
それはただ単にそうすることが一番効率的で機能的だからだ。
曹操軍を加えた劉備軍なら袁術軍を受け止めれると思うから。
ならば残った孫策軍は自分が止めよう、と………。
「数の暴力なら、まだしも……。一軍なら可能ですよ?」
実際、洛陽門前では5日間ずっと一軍を相手取ってきたのだ。
「確かに徐福さんなら可能かもしれませんね」
それに賛同したのは諸葛亮だった。
「正直なところ私たちでは袁術さんと孫策さんを同時に受け止めるのは不可能なんです。それに謎の一軍のことも気になりますし………」
「だが、もし徐福が突破されれば我々は挟撃を受けてしまうのではないか?」
「はい。でも私たちには………」
「――選択肢はありません」
諸葛亮の言葉を日陰が引き継ぐ。
「僕にとって貴女たちがどうなろうと関係はないのですけど、それで我が君の負担になっては意味がないので、僕は全身全霊をもって孫策軍を止めます。だから貴女たちは袁術軍を止めてください。これが現時点で最善で最良なんです」
「そこまでして徐福さんは曹操さんに天下を取らせたいんですか?」
日陰の言葉に劉備が言う。
「?………僕は曹操さんに仕えてませんよ」
『……え!?』
「僕は曹操さんの軍師、荀文若様に仕えているんです」
「あ、だから違和感があったんですね」
「え?朱里ちゃん、気づいてたの?」
「はい。曹操さんを主としているにしては他の方とは接し方か違ったので………」
「それで僕は単独行動させてもらいますので、軍議の場には居なくても良いですよね?」
「だが、やはり単騎で当たるのには些か不安がある」
日陰がその場を去ろうとすると、未だ納得していない様子の関羽が言う。
「少数でもいいから、配置はできないものか、朱里?」
「えぇと………百程度ならなんとか……」
「―――要りません」
諸葛亮が最低限の数を割り出すが、それをキッパリと断る日陰。
「なっ!これはそちらの都合だけではないのだぞ!こちらも国が掛かって―――」
「僕は自ら弱さを抱え込むことはしないんです」
日陰は関羽の激昂にものともせず、淡々と言い切る。
「弱さ、だと……?」
「徐福さん、それってどういう意味ですか?」
日陰の言葉が理解出来ない劉備陣。
「ねぇ、徐福のお兄ちゃん」
軍議の場では黙っていた張飛だったが、ここで初めて発言する。
「徐福のお兄ちゃんは何のために戦うのだ?」
まるで無邪気な子どものように訊ねる張飛。
「………守る為ですよ」
「そっかぁ。じゃあ鈴々たちと同じだね」
と言って笑顔を浮かべる張飛。
「ねぇ、愛紗。鈴々は徐福のお兄ちゃんを信じてもいいと思うのだ」
「鈴々!?」
「鈴々は難しい話は分からないけど、徐福のお兄ちゃんが嘘を吐いてるようにも見えないのだ。それに徐福のお兄ちゃんの強さは愛紗だって知ってるのだ」
「そ、それはそうだが………」
妹分に諭され、冷静になっていく関羽。
「………それでは僕はこれで。作戦の内容は派遣されてくる者に伝えて下さい」
そして日陰はその場を後にする。
その後ろ姿に声をかけるものは誰もいなかった。
野外に張られた陣の外。日陰は一人、遠くの彼方を眺めていた。
「徐福さん、風邪引いちゃいますよ?」
「……劉さん」
「劉備です……」
後ろから声をかけられ、振り返るとそこには劉備がいた。
「劉さん、一人で出歩いては危ないですよ?」
護衛も付けずに歩いている劉備。
「………」
そして名前を言われても覚えない日陰。
「徐福さん、一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「………弱さって何ですか?」
先程のやり取りが気になっていたのだろうか。劉備はそう訊いた。
「…………」
「仲間に頼るのはそんなにいけないことなんですか?」
日陰が答えないでいると劉備は更に重ねて質問する。
「私は愛紗ちゃんみたいに戦えないし、朱里ちゃんみたいに頭も良くない。ご主人様みたいに天の特別な知識もない。それでも誰かの役に立ちたくて、皆が笑って暮らせるように、平和な世界になるように!」
途中から声を荒げる劉備。
「ッ!?……ご、ごめんなさい、私……」
おそらく日陰の目に自分の姿が写ったのか、冷静さを取り戻す劉備。
「…………」
そして日陰は何も言わなかった。
ただ劉備を奈落の底のような瞳で見るだけだった。
「………弱さとは―――」
そして唐突に語り出す。まるで誰かに操られて喋るかのように、決められた台詞を紡ぎ出すかのように。
「――弱さとは強さのことです」
「……え?」
そしていつの間にか奈落の底のような暗黒の瞳は鏡のような白銀の瞳に変わっていた。
それは夜の闇に映えるほどにギラギラと………。
「何者も強さのみを極めることは出来ない。強さを極めることは同時に弱さを身に付けること。そしてその逆も然り。他人を頼る弱さは他人を惹き付ける強さ。他人を憂う弱さは他人を想う強さ。強さと弱さは表裏一体」
淡々と言葉を機械的に紡ぐ。そこには人間性が欠けていて、日頃の動作と合わせて人形性を増していた。
「“私”は弱さを捨てる。強さを得ない代わりに弱さを捨てる。弱さを得ない為に強さを捨てる」
仁王に向けて、宣託のように語る日陰。
「貴女は先ずそれを理解すること。頼れる仲間を大切にすることは大事です。とても大事です。しかしそれだけでは駄目なのです。弱さだけでは駄目なのです。その裏側にある強さを貴女が認識しなければならない」
貴女の理想の為に、と日陰は区切る。
「――桃香様、また一人で出歩いて……。御身に何かあったらどうするのですか」
「……愛紗ちゃん」
そこには自分を信じて付いてきてくれた妹分がいた。
「だって、徐福さんが………」
と日陰がいた方を見る劉備だったが、そこに日陰は居なかった。
「桃香様?」
「ううん。なんでもない」
何故か劉備は今まであったことを話そうとはしなかった。多分、あれは自分だけが知っていなければいけないことだ、と思ったから………。
「いつもありがとうね、愛紗ちゃん」
「な、何をいきなり言うのですか……」
「あはは、お顔真っ赤だよ」
顔を赤くする関羽を劉備がからかう。
「もう知りません」
とプイッと横を向き、天幕へ戻っていく関羽。
「もぉ~、待ってよぉ」
関羽を追いかけていく劉備は一度振り返り、今まで日陰がいた場所を見つめる。
「私、もう少しだけ頑張ってみるから……」
「桃香様ー」
「うん。今、行くよー」
そして今度こそ、劉備は大切な仲間の下へ戻っていった。
水平線に並ぶ赤と銀の兵。それに対峙するのは緑と少量の青。
そしてそれとは別に、あるいは異質に一点の黒が戦場に染み落ちていた。
その黒一点の男は宵闇のような外套を羽織り、手には卒塔婆を握る。そして周りには無数の卒塔婆が突き刺さっていた。
その顔には戦闘前の興奮も、戦争前の恐怖も何もなく。ただただ、機械的に人形的に、無感情にそこに立っていた。
だが、そこに信念が無いわけではない。
男を動かす信念は………。
「我が君の為に………」
 




