2話 黄巾に落ちた黒点
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徐福は困っていた。
村を出たのは何故だろうか?
どうしても出ていかなくては……と思ったからである。
しかし、記憶もなくあの村で住んでいた徐福にとって村の外を全くと言っていいほど知らないのだ。
だから、さ迷っていた。
空はどこまでも続いているのだし、地面だって続いているんだ。いつか村に着くだろう。
………と思って地を歩き、歩き、歩き、歩き歩き歩き歩き歩き歩き歩き歩き歩き歩き歩き続けて5日目。
「お腹が減りました………」
徐福は呟く。
基本的に彼は感情の起伏が乏しいのだ。
そんな彼が困った顔をして、お腹が減ったと言うのだ。これはかなり大事である。
「…………うん?」
フラフラと歩みを止めないように、止めたら動けなくなりそうだと思いながら歩いていると前方に大勢の人が群をなしていた。
大勢人がいる=ご飯あるかも。
「よし。行こう……」
そうして、徐福は黄色い集団の群れに歩いていくのだった。
「なんだありゃ?」
黄色い布を巻いた集団―――黄巾党の一人が後ろからユラユラとやって来る黒い塊を見つけて眉を潜めた。
大地から沸き立つ陽炎と合わさって黒い塊は異様に見えたからである。
「おーい、誰か来てくれ」
黄巾党の男が仲間を呼ぶ。
今や賊と言われる黄巾党だが、元はただの旅芸人の追っかけなのだ。
不審者を見つけても暢気な対応だった。
とはいうが徐福にとっては嬉しい対応だ。いきなり槍を向けられるよりはマシだ。
「おい、兄ちゃんフラフラじゃねぇか。大丈夫か?」
いつもなら追い剥ぎでもするのだが、徐福の服装が見るからにみすぼらしく、金目の物なんか持ってるように見えないため、幾分かは当たりが優しかった。
というか徐福は金目の物どころか金すら持っていなかった。
「あぁ、すみません。村を出てきて、ここ数日何も食べてないだけなので………」
「何も食べてないだけって………。ちょっと待ってな、兄ちゃん。今、食いもん分けてもらってくるからよ」
と一人の男が中の方へ走っていった。
「アイツも村を“追い出されて”ここに流れて来たクチだからな。兄ちゃんのことが他人事に思えねぇのさ」
残った方が説明をするが、肝心の徐福は……。
(別に追い出されたわけではないのですが……)
と思っていたが、話す体力も惜しいので、いや、ぶっちゃけご飯をくれそうなので黙っていた。
そしてその後、多くはない食糧を分けてもらった徐福は、その恩に報いるため。いや、恩への対価の為に黄巾党に留まるのだった。
ここに黄色い集団に黒点が染み落ちた。
「ほぁぁぁぁ!ほぁほぁぁぁ!」
仮設舞台の上で張三姉妹が歌って踊っていた。
それを舞台から離れた場所で徐福は見ていた。
徐福にとって始めてみる旅芸人の歌。いや、もしかしたら前に見ていたかもしれないが記憶が無いのだ、分かりはしない。
たが何か引かれるものがあるのは事実だった。
それが彼女たちの歌声なのか、それとも彼女たちの後ろに見える“黒い何か”かは分からないが………。
「なんだ、近くで見ないのか?」
徐福が端で見ていると、先日入り口で徐福に共感していた男が近づいてくる。
「近い内に都に行くんだ」
男―――波才が言う。
「都?……洛陽へ?」
「おぉ。天和ちゃんたちが都で大規模な公演をしたいって言うんだ。叶えてやりたいじゃねぇか」
「…………」
波才の目が正気なのか疑わしかったが、徐福は何も言わなかった。
徐福はただ恩の対価でここにいるのだ。
正しかろうと間違っていようと関係ない。
「う、うわぁぁ!化け物だぁぁぁ!?」
張三姉妹の都凱旋公演はたった一人の女の子によって阻まれた。
褐色の肌には幾何学な模様が浮かび、赤い髪がピョコンと二本跳ねているのが特徴的な女の子だ。
その女の子が戟を振るうと黄巾党が十人は吹き飛ぶのだ。
無感情に黄巾党を斬殺していく女の子。
その名は―――――。
「董卓軍所属………第一師団師団長……呂奉先」
まるで羽虫でも払うかのような素振りで黄巾党はもう半数近く減ってしまった。
その強さに黄巾党はまた一人、また一人と蜘蛛の子が散るように散っていく。
「な、何なのよ!?あんなとこに呂布がいるなんて聞いてないわよ!」
「ちぃ姉さん、そんなこと言ってないで足を動かして」
「お姉ちゃん、疲れたぁ~!」
「今はそんなこと――――」
「………見つけた」
敗走していた張三姉妹だったが、片や旅芸人、もう片や一騎当千の武芸者。
数刻も経たぬ内に追いつかれてしまっていた。
「待てぃ、呂布!天和ちゃんたちには手を出させないぞ!」
だがしかし、呂布の前に親衛隊が立ちはだかる。
その先頭には波才の姿があった。
「さぁ、天和ちゃん、今の内に逃げぎゃふッ!?」
「……邪魔」
嗚呼、無念。台詞も半ばで退場する波才。
「………後、お前たち。……覚悟」
呂布が戟を振り上げ下ろす。
旅芸人たる三人には防ぐ術はない。
目を瞑り、最後の時ぐらいは一緒にと体を寄せ集める張三姉妹。
―――バキッ。
「………?」
呂布が違和感を感じる。
人を切った感覚がしなかった。まるで木の板でも叩き割ったかのような………。
「世に名高い呂布将軍ですか………。分が悪すぎますよね、これ」
割られた卒塔婆を見ながら徐福は呟いた。
「………お前、誰?」
「ただの三下ですよ」
張三姉妹を庇いながら徐福は立つ。
「………邪魔するなら、お前も殺す」
「まぁ、仕方ありませんね」
卒塔婆を構え、呂布と対峙する。
―――ブォン。
降りか下ろされた戟を卒塔婆で受ける。
―――バキンッ。
「……ヤバい」
折れた卒塔婆を見る。
「やっぱり質が違いますね」
「………なら退く」
「はは。ご冗談を………。質が駄目なら―――」
―――量でいきます。
徐福は卒塔婆を投擲する。
「………甘い」
それを易々と弾く呂布。
「これならば……!」
今度は2つ投擲。
「………無駄」
「それは囮です」
2つの卒塔婆を呂布が弾く間に距離を詰める徐福。
そして卒塔婆を横に薙ぐ。
「………だから」
――――バキッ。
「……無駄」
「チッ」
折られた卒塔婆を投擲して距離を空けようとするが………。
「………逃がさない」
「―――ッ!?」
それを弾かず、体をずらして避け、徐福に迫る。
それを卒塔婆で防御の構えを作るが、それは呂布の戟で弾かれ、そして呂布の右足が徐福の腹に食い込む。
「―――かはッ!」
空気が口から抜け出る。
そのまま張三姉妹の前まで吹き飛ばされ、なんとか立て直す。
「……はぁはぁはぁ。やっぱりキツいですね」
「あ、アンタ大丈夫?」
後ろの張宝が心配そうに言う。
「いや、ちょっと駄目かもですね。肋が何本かヤバいです。えぇと………」
苦笑いだった徐福がなにやら思案顔となる。
そしてとんでもないことを言ってのける。
「………確か“張梁”さん?」
『―――はぁ?』
三人の表情が固まる。
「張梁は私です。ちぃ姉さんは張宝」
「あぁ、そうでしたか。いや、すみません。僕は人の顔を覚えるのが苦手で……」
「え?……えぇ!?アンタ、黄巾党の癖にちぃたちの見分けつかないわけ!?」
「まぁ……そうなのですけど…………」
徐福は何故僕が怒られているのかが分からないが、流されやすい性格でただ黙って聞いていた。
「僕はただご飯をくれたから、ここにいるだけですから………」
『…………』
三人は愕然とした。この目の前の男はただご飯の為に顔も覚えていない自分たちを命懸けで助けていると言うのだ。
「とはいえこれ以上は無理そうですよね。えぇと………張宝さん?」
と張梁を見る徐福。
「………何ですか?」
訂正するのを諦める張梁。
「僕が呂布さんを引き付けますから、その隙に逃げて下さい」
「……え?貴方はそれでいいんですか?」
これにも三人は愕然とした。
まだ、あの呂布とやり合うつもりなのか、この男は?何故、そこまで………?たかが一飯のことだと言うのに………。
「まぁ、やれるだけはやりますよ」
と言って、卒塔婆を杖がわりに立ち上がる。
「……ゲホッゲホッ。さて、お待たせしました」
呂布と再び対峙する徐福。
「………まだやる?」
「もちろん。彼女たちが逃げきるまで僕は貴女を足止めさせてもらいます」
徐福は張梁に目で合図を送る。
「………姉さんたち、立って。走るよ」
二人の姉の手を引っ張り走り出す。
「………さてと」
三人が逃げたのを確認して、頷く徐福。
「………お前、変なやつ」
「否定はしないですよ」
「………呂布」
「僕は徐福です、呂布さん」
「………恋でいい」
「それは真名では?いいのですか?」
「……いい。………お前、気に入った」
と戟を構える呂布。
「そうですか。なら僕も日陰でいいですよ」
徐福―――日陰も卒塔婆を構える。
自分の持つ唯一の記憶。自分の真名。
「いざ、死地へと向かわん」
その真名と共に強大なる壁に立ち向かう。