19話 覇王と仁王
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袁紹が予想外にも曹操の陣営を攻めず、劉備のいる徐州を攻めだした。
曹操曰く、今徐州を攻めている袁術に徐州を独り占めされるのが惜しくなったのだと言う。
そこで曹操の陣営は今後の方針をどうするかで揉めていた。
この機に袁紹の河北を攻めようと言う郭嘉と劉備を攻めようとする荀イク。
この二人の意見で分かれたのだった。
「さて、他の者は意見があるかしら?…………徐福、貴方はどうかしら?」
そして曹操は日陰へ水を向けた。
おそらくはこの場の大半の者が荀イクの意見に賛同するだろうと思っていただろう。だが…………。
「僕は傍観ですね、曹操さん」
返ってきた答えは荀イクの意見への賛同ではなく、ましてや郭嘉への賛同でもなかった。
「あら、それはどうしてかしら?」
それを面白そうに問う曹操。
「どちらも利益が薄いかと………」
「利益が薄い、ねぇ。片や、河北四州。もう片や、徐州。これが利益が薄いとは、余程大きな狙いがあるのかしら?」
笑みを隠さないままの曹操。
「曹操さんは大陸にて覇道を歩むのでしょう?それなら今は静観すべきですね。近い内に機は訪れるでしょうから………」
「そう。ならば我らは静観とする。ただし国境の警備は強化し、何かあれば直ぐ動けるように各々準備しておくように。以上」
「あららー、風の出番は無しですかー?」
こうして魏はしばらくは静観という方針となった。
そしてしばらくして、真夜中に緊急招集がかけられた。
広間に集まった面々は真夜中の招集に眠そうな目を擦り、または寝ているものさえいたぐらいだ。
郭嘉が三羽烏たちと遊んでいた程イクを呼び戻し、程イクが定位置に着くと曹操たち三人が入ってきた。
「皆、夜遅くにすまないわね。実はつい先程、徐州より我が国の通行許可を求める者が来たわ。入ってきなさい」
「はっ」
『―――なッ!?』
曹操に言われて入ってきたのは関羽だった。
どうやら劉備は袁紹、袁術を相手せず、曹操の国を通って益州辺りへ逃げるつもりらしい。
「けれど関羽はこの策に納得のいってないようね」
曹操の言葉に露骨に反応する関羽。
「私はそんな相手に返事をする気はないわ。だから、これから劉備の所へ行き、直接返事をするわ。誰か付いてきてくれる者は居るかしら?」
その呼び掛けに答えたのは軍師、武将全員だった。
「これが貴方の言っていた“機”かしら、徐福?」
全員が準備に取りかかるため部屋を出ていく中、曹操は日陰を呼び止める。
「さて、これを“機”にするかどうかは曹操さん次第です」
そう言って己の主の手伝いに向かう日陰。
「曹操さん、わざわざありがとうございます」
「久しいわね、劉備」
所は変わり、魏の国境付近の劉備の陣営。
曹操のことを笑みを浮かべて迎える劉備。
何の疑いもなく、無垢に、無邪気に………愚直に迎え入れる。
曹操が訪れ、領地を通ることを許可すると、劉備は手放しで喜ぶ。
だが曹操の次の言葉で固まることとなる。
「通行料は………関羽でいいわ」
「………え?」
「なに呆けているのかしら?行商でも関所で通行料を払うものでしょ」
「それは出来ないよ、曹操さん」
と今まで黙っていた北郷が言う。
「折角、ここまで来てもらって本当に申し訳ないけど、愛紗を犠牲にしてまで俺たちは曹操さんの領地を通ろうとは思わない」
北郷の言葉に関羽を含む武将、軍師たちは目を潤ませる。
とてもいい話だ。だが、それだけではない………。
「―――甘いッ!!」
その場に曹操の声が響く。
覇気と共に放たれた声に北郷たちは息を飲む。
「そのような甘い考えでこの乱世を生き残れると思うの!いえ、今この局面を乗りきれると思っているの!」
「それでも俺は愛紗を失いたくない」
「そのせいで他の者を失うかもしれないのよ!」
両者とも引かない。お互いに引けない信念があるのだ。
そして我慢の緒が切れたのは………。
「曹操ッ!?ご主人様をこれ以上愚弄するなら………」
関羽だった。
そして得物を構える関羽。今にも曹操に食ってかかる勢いだ。
「これ以上愚弄するなら―――ッ!?」
―――ザクッ。ザクッ。
関羽が一歩踏み出そうとしたその時、関羽と曹操の間に二本の卒塔婆が交差して刺さる。
「さて、もうそろそろ良いのではありませんか、曹操さん?」
日陰が現れる。
「あまり悠長に構えていても兵が暇してしまいますよ」
「あら?貴方は劉備の肩を持つのかしら?」
答えの分かりきった質問を投げ掛ける曹操。
「僕は我が君を支えるだけですよ……」
「あら、そう。……いいわ、我が領地を通って行きなさい、劉備」
「え、いいんですか?………でも通行料は……」
「そうね。いずれ貴女が大きくした国を奪いに行くわ。それでチャラにしてあげる。稟、霞、劉備たちを“出来る限り”安全な道で案内してあげてちょうだい」
皮肉を混ぜながら、曹操は郭嘉たちに命じる。
「―――あ、それは止めてほしいですね」
だが、そこで横やりを入れた者がいた。
「何かしら、まだ何かあるの………徐福?」
「はい。こちらの皆様にはここに残ってもらわなくてはいけません」
「何を言っているの、貴方は?」
日陰の言葉に怪訝そうな顔をする曹操。
「いえ、こちら様には袁術軍の相手をしてもらおうと思いますから………」
『はぁ!?』
この言葉には曹操陣営に加え、劉備陣営も声をあげる。
「流石にこちらが両軍を引き受けるのは大変ですからね。片一方はりゅ………りゅ、りゅりゅりゅ…………」
「劉備よ」
名前を思い出せない日陰にやれやれと助け船を出す曹操。
「あぁ、はいはい。劉禅さんに―――」
「劉備って言ったのよ!貴方、わざとしてないかしら?」
そして見事に撃沈させられた。
「…………では劉さんにお願いしたいのですよ」
「なんでわざわざ我々にそのようなことを申し出るのだ?」
関羽が不思議そうに問う。
「こちらの損害を減らすためですよ。いくら不出来な軍といえども数の暴力は驚異です。二面作戦も考えなくてはいけませんし………。どうですか、曹操さん?」
日陰は奈落の底のような目を向け、曹操に問う。
「…………私たちにそれほどの利があるのかしら?」
「ありますよ。一つは兵の損害の減少。そして、袁紹を打ち破れば、河北四州が手に入り、そして劉………さんの土地、徐州を半包囲出来ます」
「それを我々の目の前で言うか………」
関羽がポツリと言う。
「確かに利はあるわね。でも今の劉備軍に袁術と相対することが出来るのかしら?」
「それなら曹操さんが兵を貸し与えればいいですよ。それなら可能です。それに―――僕も加わります」
「へぇ、貴方自らが戦場に立つと言い出すのは初めてね」
「我が君を支える為なら躊躇いませんよ」
「いいわ。その策を採用しましょう」
「か、華琳様!?よろしいのですか?」
曹操が許可を出すと見かねたように郭嘉が進言する。
「確かに徐福殿の言にも一理ありますが……だからと言って、別段劉備軍と共闘する必要は………」
「いいのよ、稟。徐福の好きにさせなさい。我が軍に損失はないのだから」
曹操がそう言うとまだ言いたそうではあったが、引き下がる郭嘉。
「それで兵はどれくらい貸せばいいかしら?」
「五百で……」
「ちょ、ちょっと待ってくだしゃい!」
そこで急な流れについてこれていなかった劉備陣の中から声がする。
「五百だけじゃ、いくらなんでも袁術さんを打ち倒すことは出来ません」
声の主は諸葛亮だった。
「せめて二千は貸していただかないと………」
「構いませんよ。打ち倒す必要はないですから………」
「それはどういうことですか?」
日陰の言葉で直ぐに軍師の顔となる諸葛亮。
「倒す必要は無いですよ。ただ時間を稼げばそれでいいんです」
「―――ッ!」
「え?なに?朱里ちゃん、どういうこと?」
日陰の言葉を理解した諸葛亮。しかし周りの者は分からず、頭に“?”が浮かぶ。
「つまりは曹操さんたちが袁紹を打倒するまで持ち堪えればいいんです。おそらく袁術さんは袁紹さんが負けたとなれば撤退してくれると思いますから………」
「それじゃあ私たちにも勝てるかもしれないんだね!」
諸葛亮の言葉に劉備が手を前に組み、喜ぶ。
「でもそれには袁紹さんが敗れるまで優位、最悪五分の勝負にしてなくてはいけません。それには我が軍は些か兵力が………」
「だからこその五百の兵。そして――――」
僕ですよ、と日陰は言う。
「僕は何かを守る戦いにおいては誰にも引けを取らないのはそちらもご存じでしょ?」
なにせ、洛陽の門前にて数万の大軍相手に見事に五日間も戦ってみせたのだ。
日陰の実力はここにいる全員が保証していた。




