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流れ者に余計な質問をしてはいけない

作者: 榮曖
掲載日:2026/09/07

 その流れ者が辺境町ローデンの冒険者ギルドに現れたのは雨上がりの夕方だった。外套も革鎧も泥と傷にまみれた代物であり腰の剣にも金になりそうな装飾はひとつもない。


 それでもギルドの酒場にいた連中は男を見るなり口を閉じた。疲れているはずなのに足音は乱れず扉から受付まで歩く間に酒場の出口や階段だけでなく厨房の裏口と二階の窓まで確かめている。喧嘩慣れした冒険者ほど見逃さない歩き方だった。


 受付嬢のミリアは男がカウンターまで来るのを待って顔を上げた。


「登録ですか? それとも依頼の受注でしょうか」


「依頼を。できれば今日の宿代になるやつ」


「冒険者証はお持ちですか?」


 男が濡れた外套の内側から取り出したのは薄い金属板だった。受け取ったミリアの表情が変わったのは辺境のギルドでは十分に上位と見なされる銀級の冒険者証だったからだ。


「お名前は」


「ジン」


「ジンさんですね。得意分野は?」


「荒事」


 それだけ答えると男は続きを促されても口を開かなかった。ミリアは手元の依頼帳をめくり該当する依頼書を何枚か抜き出す。


「今出せるものですと北林道の魔狼退治と廃鉱山の確認。それから隊商護衛があります」


「一番早く終わるのは」


「魔狼退治ですね。ただし群れが大きい可能性があります」


「それで」


 ジンは依頼書を受け取ると追加の説明も求めずギルドを出ていった。


 酒場の奥では赤ら顔の大男ドグがその背中を見送って鼻を鳴らした。


「気に食わねえな」


 隣にいた弓使いのリザが木杯を傾けながら横目を向ける。


「何が」


「全部だ。あの目つきも喋り方も銀級ですって顔をしねえところも」


「してないならいいじゃない」


「してねえのが気に食わねえんだよ」


 酔った言いがかりを聞いた周りの連中から笑いが起きた。


 その日の夜更けにジンはギルドへ戻ってきた。外套には新しい血がついていたものの本人の傷は浅い。カウンターへ魔狼の耳を七つ並べて報酬を受け取ると温い麦酒と黒パンと煮込みを注文した。


 それだけなら誰も絡まなかったはずだがジンは煮込みを妙に時間をかけて食べていた。一口食べて手を止めては皿を眺めてからまた匙を動かしている。


 それを見ていたドグは木杯を手に立ち上がりジンの卓までやって来た。


「おい流れ者。この町の飯は口に合わねえか」


 ジンは匙を止めて正面に立ったドグを見上げる。


「いや」


「じゃあ何を湿気た顔で食ってんだ」


「うまいからだ」


 その答えを聞いて笑っていた連中まで口を閉じた。ドグは眉間に皺を寄せてジンの顔を覗き込む。


「うまいなら笑えよ」


「そういう顔は苦手だ」


「へえ。苦手なもんがあるのか」


 ドグの口元が吊り上がると酔った冒険者たちも次の言葉を待ち始めた。


「なあ流れ者。お前みたいな奴は何が苦手なんだ?」


 ジンが答えないのでドグはさらに踏み込んだ。


「魔狼か? 骸骨兵か? 沼地の毒虫か? それとも夜中に枕元へ立つ幽霊か?」


「別に」


「別にねえ」


 そこへ会話を聞いていたリザが横から口を挟んだ。


「ドグは蛇が駄目よ。森で見つけると子どもみたいな声を出すもの」


「おい」


「ペルは借金取りが怖いんだったわね」


 小柄な魔術師ペルが青い顔で杯を両手に抱え込む。


「あれは怖い。金貨より怖い」


「私は沈黙が嫌いね。森の奥で何の音もしなくなる瞬間」


「おっ。急に冒険者らしいことを言うじゃねえか」


 仲間の弱みを肴にした笑いが酒場へ広がった。ドグはそのままジンの前の椅子へどかりと座る。


「ほら言えよ。人間ならひとつくらいあるだろ。怖いものが」


 ジンは食事の手を止めて匙を置き正面からドグを見た。


「聞いてどうする」


「笑う」


「正直だな」


「冒険者に上品さを求めるな」


 ジンは麦酒を一口飲んでから指折り数えるように答え始めた。


「竜は嫌だ」


「そりゃ誰でも嫌だ」


「呪いも面倒だ」


「それも普通」


「貴族の内輪揉め」


「わかる」


「報酬後払いの依頼主」


「それは怖い!」


 賛同する声と笑いがまとめて起こったがドグはまだ満足せず身を乗り出したままジンへ答えを催促する。


「そういうのじゃねえよ。もっとお前が本当に嫌がるやつだ」


 ジンは返事の代わりに食べかけの煮込みへ目を落とした。


「平和だ」


 近くにいた誰かが間の抜けた声で「は?」と返したがジンは構わず匙で皿の底をなぞる。


「平和な町。温かい飯。柔らかい寝床。朝になっても敵が来ない夜。礼を言う子ども。心配する年寄り。そういうものが怖い」


 最初に笑ったドグが腹を抱えると大男につられて周りも次々と声を上げる。


「何だそりゃ。戦場帰りの詩人かよ」


「剣で斬れないからな」


「ほう」


「一度慣れると荒れ地に戻るのがつらくなる。だから怖い」


 ジンは最後まで真面目な顔だったがドグたちは変わった冗談を聞かされた程度に受け取った。


 翌朝にはドグが受付にいるミリアへ顔を寄せていた。


「なあ。あいつに依頼を回してやってくれ」


「ジンさんにですか? 魔物討伐でしょうか」


「違う。平和なやつだ」


「平和なやつ?」


「町内依頼だよ。子どもの相手とか祭りの手伝いとかそういうの」


 ミリアは半眼になって依頼帳から手を離した。


「嫌がらせですか?」


「人聞きが悪い。流れ者に町の温かさを教えてやるんだよ」


「嫌がらせですね」


「報酬は俺たちが足す」


 ミリアは依頼帳を閉じてドグの思いつきに付き合う条件を告げた。


「本人が受けるなら止めませんけど」


 その日の昼にジンが掲示板の前で立ち止まるとミリアは選んでおいた依頼書を差し出した。


「薬草採取の護衛です。依頼主は東区の孤児院。子どもたちが薬草畑まで行くので魔物除けを兼ねた護衛として同行してほしいそうです」


「銀級に出す依頼か」


「報酬は上乗せされています」


 ジンは依頼書を受け取る前に書かれている内容を確かめた。


「危険は」


「ほとんどありません。道も整っています」


「……そうか」


 しばらく依頼書を見ていたジンは何も聞かずに受け取った。


 夕方に戻ってきたジンの首には子どもたちが作ったらしい花輪がかけられていた。酒場の視線を集めても外そうとはせずそのままカウンターで報告と報酬の受け取りを済ませる。


 その様子を待っていたドグがにやにやしながら声をかけた。


「どうだった。平和は」


「怖かった」


「そうかそうか」


「子どもが五人いた」


「おう」


「全員が俺の背中に乗ろうとした」


「はははは!」


「危険だった」


「どこがだよ!」


 ジンは首に残したままの花輪へ手を添えて答えた。


「帰り際にまた来てくれと言われた」


 ドグは自分の思いつきが効いたと信じて満足そうにうなずいた。


「よし。効いてるな」


 翌日は収穫祭の荷運びを任されて朝から夕方まで野菜の木箱を運ばされたが魔物も盗賊も現れない。相手をしたのは腰を痛めた老人と次々に差し入れを渡してくる農家の女将たちだけだった。


 夜にギルドへ戻ってきたジンは両手にいくつもの包みを抱えておりリザは中身を確かめようと包みを覗き込んだ。


「何よそれ」


「焼いた芋。煮た豆。干し肉。それとよくわからない菓子」


「全部もらったの?」


「ああ」


「怖かった?」


「怖かった。断れなかった」


 ジンはいつもの顔で答えると抱えていた包みを空いた卓へ並べた。


 三日目に任されたのは温泉宿の警備だったが裏口に立ち酔客が厨房へ入り込まないように見張るだけで終わった。


 警備を終えたジンに宿の主人は礼として食事と湯をつけた。ジンは翌朝になるまで温泉宿で過ごし髪まできっちり洗ってからギルドへ戻ってきた。


 見違えた姿を見たドグは椅子から転げ落ちそうになる。


「誰だお前!」


「ジンだ」


「流れ者が清潔になってやがる!」


「怖かった」


「だろうな!」


「湯というのは危ない」


「何が」


「気が抜ける。あと飯が三回出た」


 ジンは温泉宿に受けた仕打ちでも訴えるような顔で答えた。


 四日目に回されたのは町長の孫娘を護衛する依頼だった。護衛先は隣町どころか町の中にある菓子屋であり初めてひとりで買い物をする孫娘を離れて見守ってほしいという内容だったがジンは最後まで読んでも断らなかった。


 夕方になると小さな紙袋を持って帰ってきた。ペルがその袋を見て怯えたように目を見開く。


「まさか買ったんですか」


「買わされた」


「何を」


「砂糖菓子」


 ジンは砂糖菓子が残っている紙袋を手にしたまま視線を落とした。


「ひとつ食べろと言われた」


「食べたんですか」


「食べた」


「どうでした?」


 ジンはすぐに答えず紙袋を開いて中身を確かめた。


「……怖い味だった」


 待たされた末に出てきた答えを聞いてドグたちは遠慮なく笑った。


 それから六日間もジンには安全な町内依頼ばかりが回された。迷子の山羊探しに祭りの夜警と壊れた柵の修理。教会の屋根裏に住みついた小鳥の巣を移し行商人の荷馬車を町の門から宿まで案内するだけの護衛も引き受けた。


 どれも銀級が受けるような依頼ではなかったがジンは一度も断らず毎回きっちりこなした。町の住人もすぐに彼を覚えて最初の「無愛想な流れ者」は「無口な兄さん」になりやがて「ジンさん」へ変わった。最後には市場の女将たちが注文を聞かずに飯を盛るようになっていた。


 ドグはその様子を面白がりリザも一緒になって笑っていた。ペルは途中から「そろそろ可哀想では」と心配し始めたがミリアだけは最初から変わらない冷めた目で一同を見ていた。


 十日目の夜にドグはギルドの酒場でジンの向かいへ座った。


「なあ流れ者。そろそろ白状しろよ」


「何を」


「お前は平和が怖いって言ってたよな」


「ああ」


「なのに毎日ずいぶん楽しそうじゃねえか」


 ジンが食べているのはこの町へ来た初日と同じ煮込みだった。ただし皿には厨房の女将が勝手に足した肉が多めに入っている。


「楽しくはない」


「嘘つけ。昨日は孤児院のガキを肩車してただろ」


「襲われた」


「何に」


「期待に」


 堪えきれなくなったリザが横で吹き出すとドグは身を乗り出して机を叩いた。


「お前は最初からこれを狙ってたな? 平和が怖いなんて言えば俺たちが面白がって安全な依頼を押しつける。そこまで読んでたんだろ」


 笑っていた連中が杯を口元へ運んだまま動きを止めた。ペルもようやく思い当たった様子でジンを見る。


「まさか……」


 カウンターの奥で書類を揃えていたミリアが顔も上げずに答えた。


「そのまさかでしょうね」


 ドグは向かい側に座っているジンを正面から睨みつけた。


「おい」


 ジンは煮込みを食べる手を止めて匙を皿の端へ置いてから口を開いた。


「平和は怖い。これは本当だ」


「何が本当だよ」


「俺が前にいた町はもうない。依頼に出ている間に焼かれた」


 ドグは木杯を持つ手を止めたまま動かずジンは視線を煮込みへ戻して話を続けた。


「戻った時には井戸の水も飲めなかった。その前にいた村も砦も似たようなものだ。だからこういう町は怖い。慣れると失くした時に重い」


 ドグだけでなく話を聞いていた連中も口を閉じた。それでもジンは構わず残った煮込みを口へ運ぶ。


「だが怖いから嫌いだとは言ってない」


 最初にリザが肩を震わせながら酒場の沈黙を破った。


「……やられたわね。ドグ」


 ペルは両手で顔を覆いながらこれまでの依頼を思い返している。


「怖い怖いと言いながら全部受けていましたもんね」


 ドグは赤い顔をさらに赤くしてジンを指さした。


「てめえ……」


 ジンは何を怒られているのかわからないという顔で木杯を持った。


「平和な依頼を回してくれて助かった。宿代も飯代も稼げたし町の地理も覚えた。おまけに顔まで売れた」


「やっぱり狙ってたんじゃねえか!」


「少しは」


「少しじゃねえ!」


 その返事で酒場のあちこちから笑いが噴き出した。ドグはしばらく唸り続けた末に諦めたように木杯を掲げる。


「くそ。負けだ負け。今日の酒は俺が出す」


「助かる」


「遠慮しろ!」


「酒も怖い」


「こいつ!」


 その夜にジンが初めて口元を緩めたのは木杯の陰だったため気づいたのはリザとミリアだけだった。


 それから数日後にギルドの掲示板へ新しい依頼が貼り出された。北の山道に現れた飛竜の討伐であり推奨等級は銀級以上。報酬は高いものの失敗すれば死人が出る危険な依頼だった。


 依頼書の前に立ったジンへミリアが声をかける。


「受けますか」


「ああ」


「今日は町内依頼を受けなくていいんですか」


「先にこっちを片づける」


 後ろからやって来たドグがジンの肩越しに依頼書を覗き込む。


「怖くねえのか。飛竜は」


「嫌ではある」


「平和より?」


 ジンは掲示板から依頼書を剥がしてミリアへ差し出した。


「平和を守るためなら飛竜の方がましだ」


「格好つけやがって」


「本音だ」


「知ってるよ」


 その日の昼前にジンとドグとリザとペルは北の山道へ向かった。


 飛竜退治は簡単に終わるような戦いではなくペルは二度も吐きリザは矢筒を空にしてドグの盾は半分まで焦げた。ジンも左腕を裂かれたが最後は泥に膝をついた飛竜の首へドグの斧とジンの剣が同時に入った。


 飛竜が地面へ倒れるのを見届けた四人は傷を押さえながら町へ戻った。日が傾いた頃には門の前に大勢の住人が集まっており四人の姿を見つけた誰かが真っ先に歓声を上げる。


 孤児院の子どもたちが駆け寄り市場の女将は泣きながら怪我人へ怒鳴った。温泉宿の主人も人垣の後ろから「今日は湯を貸す」と叫んでいる。


 ミリアはギルドの扉の前で報酬袋を持って待っていた。ジンは差し出された袋を受け取ろうとして手を止める。


 ジンの隣に立っていたドグが肘でその脇をつついた。


「どうした流れ者」


「怖いな」


「何が」


「帰る場所みたいな顔をされる」


 ドグは何か言いかけてから鼻を鳴らし代わりに口元を吊り上げた。


「じゃあ慣れろ」


「簡単に言う」


「冒険者だろ。怖いものには慣れるもんだ」


 ジンは返事をせず今度こそ報酬袋を受け取って町の中へ入った。


 その夜のギルドでは飛竜退治の祝いが開かれた。ジンの前には煮込みと焼き肉をはじめ黒パンや芋や豆や菓子や麦酒まで次々と運ばれてくる。本人は最後までいつもの顔を崩さなかったが並んだ皿はすべて空になった。


 ドグは空いた皿を見ながら笑い交じりに尋ねた。


「なあジン。今度は何が怖い?」


 酒場にいる連中の視線が一斉に集まる中でジンは報酬袋を懐へしまい温い麦酒を一口飲んだ。


「そうだな」


 ミリアは嫌な予感を覚えたらしく眉を寄せた。ジンはそんな視線を気にせずいつもの顔で答える。


「今は長期休暇と追加報酬が怖い」


 翌朝になるとジンの宿の前には温泉宿の無料券と町長からの礼金と孤児院からの菓子袋が置かれていた。その横にはドグの汚い字で書かれた紙が一枚添えられている。


『怖がれ』


 ジンはその一式を見下ろしたまましばらく動かなかった。やがて菓子袋を拾い上げると中から砂糖菓子をひとつ取り出して口へ入れる。


「怖いな」


 誰にともなくそう言ってからジンは菓子袋へ手を入れてもうひとつ取り出した。

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