新しい街で 〜婚約破棄され実家も追い出されました〜
「ジョセフ様!」
自室の窓から彼がやって来たのが見え、思わず大きな声が漏れた。彼はそんな私の声に気づいたのか微笑みながらこちらに手を振ってくれた。
私は悟られないように上品に軽く手を振り返すが、足は見えないことをいいことにバタバタと踊っていた。そっと窓を閉めると、急いで玄関へ向かった。
「では、出かけてきますわ」
この日が楽しみでたまらず、いつもより2時間も早く起きて服を選んだり髪を整えたりしていた。
今日の私はいつもより何倍も可愛い。
「いってらっしゃいませ」
使用人のユリに見送られながら、玄関を出た。
「久しぶり、ソフィア」
「お久しぶりです。ジョセフ様」
今日は3ヶ月ぶりにジョセフ様とお出かけする日。
とは言ってもこれと言って特別なことをするわけでもなく、屋敷の近くを散歩し草原の花を見に行くだけだ。
でも、この時が私にはどんなに高い宝石や美味しい食事よりも大切なものだ。
寛ぐように草原の上に寝そべるジョセフ様の隣に、私はできる限り品よく映るように腰掛けた。
「この間の遠征はいかがでしたか?」
「大したことはなかったよ。叛逆の機運も無事に鎮圧できた」
2ヶ月前の手紙で彼が国の西部にいると知った時は、連日の反乱の知らせを聞くたびに不安になっていた。必ず還ってくると信じているものの逢えない日々に心はざわめいた。
「それはよかったです。さすがお強いですね」
本当はどこにも行ってほしくない。そんな気持ちを隠しながら目一杯微笑む。
「強くないと、君を……この国を守れないから」
国のため立派に頑張る彼を私はただ見つめることしかできなかった。
そよそよと私と彼の間を風が吹き抜けていく。
「……そうだ。これ、君に似合うと思って」
ジョセフ様は胸の内ポケットから何かを取り出した。
「まあ素敵」
彼の手の上で青とピンクの石でできた花の髪飾りがキラキラと光っていた。
正直に言ってしまえば自室に戻ればこれと同等、それ以上の価値の髪飾りなどいくらでもある。でも、忙しい彼が私のために用意してくれたことがこの髪飾りを特別にした。
「どうぞ」
彼はその髪飾りを私に手渡そうとしてきた。
「折角だから私に付けてくださいませんか?」
そう言いながら私は彼に頭を傾ける。
逢えた日には少しくらいわがままも言いたくなる。これくらい言っても罰は当たらないはずだ。
「俺がかい?」
「ええ」
ジョセフ様は少し困った顔をした後、首を横に振った。
「やはり君が付けてくれ。俺が付けて君の髪が乱れたら大変だ」
「……わかりました」
私は少しガッカリしながらも髪飾りを受け取り、自分で髪に付けた。
「どうですか?」
横を向き、ジョセフ様に髪飾りを見せる。
「うん、とてもよく似合っているよ」
彼の微笑みに私は嬉しさと恥ずかしさでおかしくなりそうで、顔を両手で覆った。
ジョセフ様と結婚して、この愛おしい日々が永遠に続いていくものだと私は疑いもしなかった。
「ふーんふふふーん」
今日は月に1度の特別な日。窓の外を見ながら頬杖をついて鼻歌まで歌ってしまう。
「上機嫌ですね、ソフィア様」
本棚の整理をしているユリは私を見て微笑む。
「もちろんよ。今日の手紙は私が受け取りに行くわ」
私の愛しの婚約者ジョセフ様からの手紙が届く日。
「郵便でーす」
外から声が聞こえ、私は玄関へと急ぐ。
「これはこれはソフィア様。お待ちかねのお手紙です」
表に【ソフィア】へと見慣れた字で書かれた手紙。これだけで気持ちが高鳴る。
「どうもありがとう」
受け取って早速部屋へと戻る。貴族の娘としてはしたないと分かっていても座る時間さえも惜しみ、ナイフを使って手紙を開ける。1秒でも早くこの手紙を読みたくて仕方がない。騎士であるジョセフ様に会うことは、多くても3ヶ月に1度くらいしか叶わない。けれど、この手紙があればいつでも彼からの愛を感じることができる。
たくさんの愛を囁いてくれるような人ではないが、忙しい中で毎月律儀に同じ日に手紙を出してくれる。彼が書いてくれた1文字1文字に愛が詰まっているのだ。今回の手紙はどんな内容だろう。
私はワクワクしながら手紙を開く。
「え?なにこれ……」
バタンッ
「ソフィア様!」
飛び込んできた手紙の内容に目眩を起こし、私は倒れ込んでしまった。
【親愛なるソフィアへ
俺との婚約をなかったことにしてほしい。両家には自分から伝える。本当は直接伝えるべきことを手紙という形になってしまい、本当に申し訳なく思う。】
◇
手紙で突然の婚約破棄を言い渡されて5年が経ち、私は20歳になった。
婚約破棄された日から、親から色んな人を紹介された。貴族や騎士、どこの国かもよく分からない偉い人まで。親からはとにかくどこかへ嫁いでほしいという期待を寄せられた。
それでも私はジョセフ様のことが忘れられず、あらゆる婚約者候補にとんでもない対応をし続けた。
結果、未だに婚約者もいない。
親にも呆れられ「もうお前を紹介できる人がいない」「そんなんだから捨てられるのだ」と言われた。
しまいには周りの使用人からも陰で「穀潰し」、「余り物」と散々に言われようだ。
でも、私は何を言われてもあの手紙以上に心に刺さるものはなかった。
そして、その日がやって来た。
「もうこの家には置いておけない」
親からそう言い渡された。
当然だ。結婚もしないし、何の取り柄もない私はこの家にとって恥でしかなかった。
「わかりました」
私は部屋へ戻りトランクに服や髪飾り、ブラシなどを詰めていく。
「これは……」
ジョセフ様からの手紙の束。持って行きたいけれど、これまでトランクに入れてしまうと必要なものを持っていくのが難しくなる。これからはたった1人なのだ。できるだけ身軽な方がいい。
心苦しいが、手紙は置いていくしかなかった。
「ソフィア様、出ていく必要などありませんわ。ご主人様と話し合えば……」
話を聞いたのか、部屋にはユリが来ていた。
「もう無理よ、ユリ。私がいけないのだもの」
そう、全てはジョセフ様に心を奪われたままの私が悪い。
「そんな、でも追い出すなんて」
「ユリ、最後まで味方をしてくれてありがとう」
オロオロと泣き出してしまったユリを私はそっと抱きしめた。
「今までお世話になりました」
今日、私は鞄1つで家を出た。
なるべく遠いところに行こうと決心したものの金銭的にそこまで遠いところにも行けず、乗合馬車で5個先にある街へと辿り着いた。
幸いなことに物価もそこそこ落ち着いており、この街の中心部からは離れるものの家を出る時にもらった手切れ金でなんとか家を借りることができた。部屋、炊事場など全部合わせても前の自室の半分以下の広さだ。
今の私にはこれくらいがお似合いだ。
部屋の中は住んでる人がいなくなってからしばらく日が経っているのか、中は埃だらけだった。
「掃除するか」
掃除すら自分ではしたことがなかったので、ユリがしていたことを思い出しながら見よう見まねでやっていると終わる頃には外から夕陽が差し込んでいた。
部屋の掃除が終わり、とりあえず今日寝ることができるように荷物を整理する。
部屋に元々置かれていたベッドに横になると、今まで感じたこともない硬さと冷たさがあった。
新しい街で不安が募る。でも、頼れる人はもうどこにもいないのだ。
次の日、この町で住むためにとりあえず必要なものを揃えようと中心部へ買い物に出た。
よく考えれば、皿1つ持って来てないのにどうやって生活する気だったのだろうか。いつも用意されたもので生きてきて、必要なものを考えることもなかった。
皿やフライパン、洗剤などの日用品と食材を買ったら、渡されたお金も半分以下になっていた。
働かざる者食うべからず。今まで当たり前のように食事が用意されていたけど、全て自分が用意する。
いかに自分が貴族の娘という身分に自分が守られていたかを自覚した。
「働く場所を探さないと」
家に戻り買ったものをとりあえず置き、時間もないのですぐに街の中心部にある商会へと向かった。
「大工、……男性のみ……」
やはり何も持たない私には厳しいようで、すぐに就けるような仕事はなかった。
「仕事を探してるの?」
それでも何かないかと必死に探していると、後ろから声をかけられた。振り返ると紙を持った女性が立っていた。
「はい。働き口がないかと探していて」
私がそう答えると、女性は私を品定めするかのように上から下までじっと見てきた。
この人は一体誰なのだろう。
「あなた、読み書きは?」
唐突に女性から質問が飛んできた。
「普通にできます」
「裁縫は?ダンスとかは?」
「それなりにできます」
嘘だ。裁縫はそれなりだが、正直ダンスは社交界で褒められるレベルで私が唯一誇れるものだった。
「ここらじゃ見かけないけど、どこから来たんだい?」
「それは……」
どう答えよう。縁を切られてしまっているので、家の名前を出すわけにもいかない。
「まあ、いいわ」
私が目を泳がせながら黙りこくっていると、女性は何かを察したように質問を打ち切った。
「採用。うちで家庭教師をしない?」
「家庭教師ですか」
話を聞くと女性には子供がいて自分で教えていく予定だったが、営んでいる店との両立が難しく家庭教師を探しているとのことだった。
「どうだい?このくらいは渡せるんだけど」
女性は私に数字が書かれた紙を見せてきた。
これだけあれば生活していくのには困らない。むしろ多いくらいだ。
「是非働かせてください!」
私が懇願すると、女性は紙を折りながら大きく頷いた。
「それはよかった。街で青果店をやってるハルだよ。よろしくね」
「ソフィアです。よろしくお願いします」
こうして私はこの街で家庭教師になった。
◇
今日から仕事だ。
家を出る前に、お守り代わりにジョセフ様からいただいた髪飾りをつけた。身軽で質素な格好とは少々不釣り合いだが、これでいい。
私はどこまでも未練がましい。でも、もう誰にもそのことを咎められることはない。
「今日からお世話になります」
「あんたみたいな綺麗な子が家庭教師に来てくれるなんて、本当に助かるわ」
ハルさんがやっている青果店は、この街の中心部の一等地にあった。
ただの家庭教師にあの額を出せるわけだと納得した。
「はじめまして、エミリー……です」
ハルさんの後ろからヒョコっと小さな女の子が顔を出した。
「こちらこそはじめまして、ソフィアです。今日からよろしくね」
こちらが微笑むと、恥ずかしそうにエミリーは後ろに隠れてしまった。
「もう7歳なのに、まったくこの子は。アタシは店の準備があるから、2階の奥の部屋でエミリーのことお願いね」
「はい。わかりました」
こっちと言わんばかりにスタスタと先をいくエミリーを追いかけて私は2階の部屋に向かった。
「改めてよろしくね」
「……よろしく」
目が合わない。仲良くなるのにちょっと苦労しそうだ。
とりあえず、1日目なので読み書きがどのくらいできるかを確認した。エミリーの能力は年相応程度で、私でも教えられそうで安心した。
子供の頃の教育がここで役に立つなんて、思ってもいなかった。
初日、無事に乗り切ることができた。
「いやー、今日はありがとね。これ明日には腐っちゃうから持ってきな」
ハルさんは店に残った野菜をいくつか袋に詰めてくれた。
「いいんですか!ありがとうございます」
これで食費は浮くだろう。嬉しい追加報酬だ。
「また明日、エミリー」
「……バイバイ」
ハルさんの後ろで小さく手を振ってくれた。
エミリーの家庭教師を初めて数日が経った。いまだにエミリーとの距離は縮まらない。
私は人とは仲良くなるのが得意だと思っていたが、ただの勘違いで周りから気を遣われていただけなのかもしれない。
うまくいかないことがあるとはいえ、働きはじめて少しだけ自由に使えるお金もできた。帰り道に気になっていた家具屋があったので、寄ることにした。
「可愛い」
華やかなドレッサーが目に留まる。まだ自分の部屋に鏡がなく、窓ガラスを見ながらなんとなくで過ごしてしまっていた。
値段を確認すると思ったよりも高かった。使わない物でもないしいずれ買うことにもなるならいつ買っても同じという気持ちと部屋に不釣り合いな上に絶対に今必要というわけじゃないという気持ちが戦って、ギリギリ後者が勝ったため私は店を出た。
まだ買えるような代物ではないな。1年後……いや3年後くらいまでに買えるといいな。
店にいた時間は思ったより長く、陽が沈んでいた。帰り道は当然街の中心部から離れていく。街灯もなくこの時間になると真っ暗だった。
「そこの嬢ちゃん、いいものつけてるね」
道の横から現れた誰かが声をかけてきた。
「相当な上質なもんだ。これは」
男はヒョイっと私の髪につけていた髪飾りを奪った。
「お願い、返してください!」
私は髪飾りを取り返そうと手を伸ばすが、盗人は揶揄うかのように腕を動かした。
私にとって大切な宝物。
「しつこいな、この女!」
「痛いっ」
私は盗人に突き飛ばされ、その場に倒れ込んだ。
何とか取り返さないと……
コツン コツン
「女性に対して暴力とは人がすることではない」
起き上がろうとすると、目の前にどこからともなく男性が現れた。
暗くてよく見えないが、杖をついているようだった。
「何だお前」
「お前みたいなのに言う義理はない」
「はっ!お前みたいな杖つきに何ができるんだよ!」
盗人は杖をついた男性に掴み掛かろうとする。
「危ない!」
しかし私の心配をよそに、男性は盗人の足を杖で掬い上げた。
ドッシーン
盗人は顔から大きく転け、その拍子に手から離れた髪飾りは宙を舞った。
「ひっひぇぇぇ」
情けない声を出しながら、盗人は消えていった。
コツン コツン
「大丈夫かい、お嬢さん」
男性が手を差し伸べる。暗くて顔はよく見えない。
「ありがとうございます」
手を借りて起き上がり、男性に一礼する。そして私は周りを見回す。
「どうかしたのかい?」
「ええ、髪飾りをなくしてしまって」
この暗闇で辺りはほとんど見えない。
「目はいいものでね。一緒に探そう」
男性はそう言うと、私と一緒に探し始めてくれた。
絶対になんとか見つけないと。
「ん?あったぞ……」
道の反対側から声がした。私は近づいて確認する。
「これです。ありがとうございます!……どうかされましたか?」
受け取ろうと手を出すと男性は一瞬後退りをした。
「いや、なんだか懐かしいものに似ていて……そんなわけないのにな」
そう言いながら私の手の上に髪飾りを置いた。
似たようなデザインのものを見たことがあるのだろうか。
「ありがとうございました」
「では、気をつけて」
コツン コツン
杖をついた男性はそのまま、どこかへと消えていった。
声がとてもジョセフ様に似ていた気がした。彼がこんなとこで、しかも杖なんてついてるはずもないのに。どこまでもこの幻想は消えないのだろう。
◇
「あら、それは大変だったわね」
昨日の帰り道での出来事を一応ハルさんに話した。
「今日も気をつけなさいね」
「はい。今日からは普通の髪飾りにしました。これで大丈夫です」
本当はつけていたいけど、また何かあってはたまらないので持って来た中で1番地味な物に変えた。
「それだけじゃないよ。綺麗なお嬢さんなんだから、攫われないように気をつけなさい」
「あはは、気をつけます」
私なんか別に大丈夫だろうけど、心配してくれているのだから受け取っておこう。
「そういえば、昨日助けてくれた人にろくにお礼も出来なくて」
暗くて顔もわからなかったし、杖をついてる事くらいしか知らない。髪飾りが戻ってきた安心感で気も回らなくて名前も聞くことはできなかった。
「杖ついていたんだろ?それならあの人しかいないよ」
「あの人?」
誰だろう。この町で有名な人なのか。
「街の外れに住んでる靴職人よ。この辺りの店にある靴はみんなあの人の靴さ」
「靴職人……」
そんな人が昨日助けてくれたのか。
「たまにここにも買い物しに来るよ」
「そうなのですね。お礼は何がいいのでしょうか?」
高価なものは無理だけど、それでも大事なものを取り返してくれたのだ。何かお礼がしたい。
「あの人のことはよく知らないからねぇ。まあここに来た時に少しまけておくわ。店で持つからさ」
「そんなわけにはいきません」
ただでさえいい条件で雇ってもらっているのに、そんな迷惑かけるわけにはいかない。
「いいや、うちの家庭教師を助けてくれたんだ。私からもお礼しときたいから」
「でも……」
「いいんだよ。甘えときなさい。その代わり娘を立派な淑女にしてね」
私の言葉を遮り、ハルさんは私の肩をポンっと叩いた。
「はい。ありがとうございます」
ここはご厚意を受け取っておこう。助けてくれた人にはまた街で会えたら自分でお礼しよう。
「さっ今日もお願いね」
「はい!」
私は2階に上がった。
「私、ダンス嫌い」
「え?」
今日からエミリーにダンスを教える予定で部屋へと訪れた。得意分野だから気合いを入れてきたこともあり、エミリーの発言に一瞬固まってしまった。
「……えーと、それはまたどうして?」
「だってレイちゃんがバカにしてくるんだもん」
「レイちゃんって?」
「友だち。いつも私に鈍臭いってお前には無理だって言ってくるの」
エミリーは涙目になり、その場で丸く座り込んでしまった。
そんなこと言う人は本当に友だちなのか?どちらにしろエミリーにこんな風に思わせるなんて信じられない。
「よし!その子を見返してやりましょう」
「無理だよ……走ってもいつもドベだし」
「そんなことないわ。ダンスは足が速くなくてもできるのよ」
エミリーが顔を上げて私を見る。
「本当に?」
「本当よ。ダンスはいかに合わせるかなの」
「合わせる?」
「そう。相手に合わせること」
私は立ち上げり姿勢を正す。ホールドを取ると自然と体が動き出した。
架空の相手……ジョセフ様。ダンス下手だったな。普段あんなに完璧なのにとてもぎこちなくて合わせるのが大変だったなぁ。
でも踊っているうちに、何を考えてるとかもわかってきてとても楽しかった。
今はきっと別の方と一緒にいるのでしょうけど……
パチパチパチパチ
踊り終わるとエミリーが目を輝かせながら拍手をしていた。
「私もできるようになる?」
「ええ、もちろん」
「ダンスする!」
その後、エミリーと時間になるまでダンスを楽しんだ。
「ずっと思ってたんだけどさ」
ダンスの練習を終え、帰り支度をしていると珍しくエミリーが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「なんでソフィアはここにいるの?ソフィアは結婚してないの?」
捨てられて引きずって家から追い出された、なんて夢のなさすぎるこというわけにもいかない。
私は必死に頭を巡らせた。
「えーと、ご縁がなかったからかな……アハハ」
いい答えも思い浮かばず、私は笑って誤魔化した。
「変なの」
エミリーは眉をひそめ、納得がいかない様子だった。
◇
「明日は休みでしょ。どこか行くの?」
エミリーと休憩中に雑談していると、休みの話題になった。
「明日は休みか……」
ここに来てから3ヶ月が経った。最初は買い物1つでも一苦労だったが、最近ではそこそこ慣れてきた。
「何もしないかな」
久しぶりの休みだ。でも最近はエミリーも少しずつ心を開いてくきてくれて嬉しいからこそ、仕事じゃない日は少し寂しく感じる。
「えーもったいない」
エミリーは目を丸くして、信じられないと言わんばかりの表情を浮かべた。
「エミリーはどこかに行くの?」
「明日はレイちゃんの家に行く。……あ!そうだ!綺麗な場所あるよ!」
エミリーは机の下で足を軽くブンブンと振り出し、紙にペンで何かを書き始めた。
「綺麗な場所?」
「ここからだいぶ離れた森を抜けた先に湖があるの!よく馬車で行くけど、歩いても行けると思う!はい!」
エミリーが私に差し出した紙には簡易的な地図が書かれたいた。
「そうなんだ。行ってみるね」
「うん!」
特にどこかへ出かけようという気持ちもなかったが、せっかくエミリーが教えてくれたのなら行かないわけにもいかない。
翌日昼食後家を出て、エミリーが書いた地図を頼りに湖まで歩き始めたがなかなかに遠い。
馬車のお金を惜しむんじゃなかった。簡易的な地図には森という表記と方角しか示されていないが、行けど行けど木ばかりだった。
どのくらい歩けばいいんだろう。
「あれ?お嬢さん1人?」
後ろから馬に乗った金髪の男性に声をかけられた。
「はい」
「どこに行くの?」
男性はスピードを落とし、私に並走するように馬を歩かせた。
「湖の方へ」
「ここから!?日が暮れちゃうよ」
そんなに距離があるのか。歩いていけるなんて言葉を鵜呑みにせず、もっとエミリーにしっかりと聞いておけばよかったかもしれない。
「乗ってきな!」
「いいえ、結構です」
知らない人に迷惑かけるわけにもいかないし。でもここまで来て何もせず帰るのもどうなのか。
「オレもそっちに用があるんだ、さあ」
男性から手を差し伸べられ、私は思わず手を掴み馬に乗った。
「ありがとうございます」
条件反射のように乗ってしまい降りることも憚られるのでそのまま乗せてもらうことにした。馬に乗るのも久しぶりな気がする。
「いいえ、名前は?」
「ソフィアです」
「オレはローマン。見たことない顔だけど、どっから来たの?」
「1つ向こうの街から……」
「え!同じ街じゃん。えーこんな美人が越してきたなんて知らなかったよ!……あーしばらく外にいたしなぁ」
急に後ろから大きい声を出され、私は驚いた。同じ街の人が馬で来てるのか。湖は本当に遠い場所にあるのか。通りかかってくれてよかった。
「どこか旅行に行かれてたのですか?」
「オレは旅しながら物売ってんの。まだ親父の付き添いみたいなもんだけど」
「そうなのですね」
商人なのにこんな立派な馬を持っているのか。結構裕福な家の人なのかもしれない。
「もうすぐ着くよ!ほら!」
「わあ綺麗!」
湖は太陽の光でキラキラと輝き、周りも花に囲まれていた。
「よいしょっと。お手をどうぞ」
先に馬から降りたローマンが手を差し伸べてくれた。
「ありがとう」
手を借りて馬を降り、導かれるように湖へと近づく。
ここの湖は水の色が透明というよりどこか青々としていた。花も同じ国の中でも少し離れているからか、向こうでは見ない形の花が咲いていた。確かにエミリーが勧めてくるのも納得だ。
湖畔に腰を下ろし、ぼんやりと眺める。
「いいところでしょ」
「はい!」
隣にローマンが頭の上で手を組み寝転んだ。
「こうして久々にゆっくりするのも悪くないな」
「ローマンはまたすぐにこの街を出るのですか?」
「いいや、しばらくはここにいるよ。ただ1回出たら長旅だけどね。君は?」
「普通に街に戻って仕事をします」
この先どう生きていくんだろ。あと5年もしないうちに今の仕事だってお役御免だ。
「……あれ?オレてっきりどこかの貴族のお嬢様が旦那と喧嘩して家出してるもんかと」
ローマンが首を傾げながら不思議そうに私の顔を覗きこむ。
「そんなわけないでしょ」
「いやだって、美人だし品があって……あと馬乗るのが上手!」
「誰でも乗れます!」
「結構手こずる女の子多いよ!あとその割に手が綺麗だから」
指摘されて私は手を見る。
こっちに来て手にマメができるようになったりした。自分では変わったと思っていたけれど、まだまだそうでもないのだろうか。
「さて日が傾いてきたし、送るよ」
気がつけば湖が夕日で少しオレンジがかってた。
「ローマン、何か用事があったんじゃないの?」
帰ろうとするローマンに声をかける。
「何もないよ。強いていうならお嬢さんを送り届けることかな」
私は気恥ずかしくなり目を逸らす。
「ほら行くよ!」
ローマンは私の手を掴み馬の元まで案内される。
このまま自力で帰ろうとすれば直に暗闇が広がる。大人しく乗せてもらうことにした。
「送ってくれてありがとう」
馬を降り一礼する。
「いいの?本当に停留所までで」
「ここからは歩けるので大丈夫」
初対面の人にそこまで甘えるわけにもいかない。もう十分すぎるぐらい迷惑をかけてしまっている。
「そう。まあしつこいのもあれだからここは引くよ」
「あのお礼なんですけど……」
往復でかなり時間をかけてしまったので、鞄から少ししかないけれどお金を渡そうとする。
「大丈夫、オレ欲しいもの基本持ってるから」
ローマンは手をまっすぐとし断ってきた。
「でも……」
確かにローマンから見たら端金で貰ってもしょうがないかもしれない。でも、それじゃ申し訳ない。何か返したい。
「じゃあ次またどこかで会えたらお礼もらうよ。では、気をつけてね。最近物騒な人もいるから」
ローマンはこちらの返答も聞かず馬を走らせていった。
久々に向こうで過ごしていたような日になった。
私が捨てられなければジョセフ様とこんな風に出かけたりする未来もあったのだろうか。
◇
「そういえば、ついさっきソフィアを助けた杖つきここへ来てたわよ」
休みの日から数日たったある日、ハルさんに挨拶して帰ろうとしたとこで唐突に言われた。
「え、そうなんですか」
あれから結局街でも杖をついてる人には会えておらず、完全にタイミングを逃してしまっていた。住所を聞いて尋ねようか、突然尋ねて大丈夫なのかと考えていたところだった。
「私からお礼言っといたわ」
「どちらに行かれましたか?」
「右に曲がっていったよ」
「ありがとうございます」
お礼を言い、私は急いでハルさんの青果店から飛び出していった。
間に合うかもしれないかもしれない。改めてお礼言わないと。
中心街を小走りしながら周りを見渡す。
まだどこかにいるはずだ。杖をついてる人。
「いた……」
杖をついている人がいた。でも、それ以上にその後ろ姿は見覚えがあった。
……ジョセフ様
着てる服装も髪型も違う。杖までついている。
けれど私が彼を見間違うはずがなかった。
「ジョセ……」
声をかけようとした彼の指にきらりと輝くものがあった。
当たり前だ。あれから何年経ったと思っているんだ。
ポツン
顔に雨粒が当たった。しとしとと雨が降り出し、周りは傘を差し出す。私はそのまま家まで走った。
傘がなくてよかった。走ってても何も言われないし顔がくしゃくしゃになってるのもわからない。
◇
「おはようございます」
「おはよう……ってあんた目どうしたの?」
次の日、起きて目を開けようとしてもいつもの半分くらいしか開かなかった。顔を洗って動かしてなんとか少し腫れているくらいにはなれたけれど、流石にハルさんには突っ込まれた。
「昨日ちょっと目が痒くなって擦りすぎてしまって」
「加減しなね。そういえば昨日は杖つきに会えたの?」
「……いえ、間に合わなくて」
声をかけていないのだから嘘は言っていない。
「なんか向こうも怪我がなかったか心配してたから会えたらよかったんだけどね」
「そうですか」
心配してくれていたんだ。ジョセフ様らしい。でも、ジョセフ様には私以外の最愛がいる。昨日の光景が浮かび上がり目の前が滲みだす。
私は俯いて手で懸命に抑えた。
2階に上がり、エミリーに裁縫を昨日の続きから教えていく。
「どうしたの?」
「え?」
エミリーが私の顔をジーッと見ていた。
「ソフィア、全然針が進んでないけど」
「ああ!ごめんごめん」
切り替えて仕事しないといけないのに、ひどくボーッとしてしまう。
分かりきってたことなのに、いざ現実として目の前に叩きつけられるとこれほどまでに受け入れ難い物なのか。
「あー、ため息ついた」
エミリーは私に指を刺して指摘する。
「ついてないよ」
気づかないうちにため息をついてしまっていたようだ。仕事中だ。気をつけないと。
「やっぱり今日のソフィア変だよ」
私に眉を寄せ、近づいてくる。
「何にも変じゃないよー……え?なに!?」
ピトッと私の額にエミリーの手が触れた。
「熱あるじゃん」
「へ?」
「ちょっと待ってお母さんに伝えてくる」
エミリーは立ち上がり、部屋を出ていった。
全然そんな感じはなかったけど、言われてみるとなんだか喉が痛いような気がしてきた。
少しするとエミリーが戻ってきて帰るよう言われた。
「昨日もしかして雨にでも濡れた?」
1階へ行くとハルさんが心配そうに声をかけてきた。
「はい、すみません」
自己管理が甘すぎた。申し訳ない。
「今日はもう帰っていいから。明日は体調良かったら来てくれればいいから」
まだ昼過ぎくらいなのに帰るなんて。
「ソフィア、お大事に」
エミリーまで気を遣ってくれている。
「すみません」
「いいんだよ。ちゃんと治しなね」
「はい。失礼します」
私はトボトボと店を出ていった。
ただでさえ今雇ってもらえてるのが奇跡なのに体調不良で休ませてもらうなんて。しかも、雨で風邪をひくなんて普通に気をつけることができたことなのに。
ジョセフ様のことは分かりきっていたのに。それでも自分でこの生き方を選んだのに。
「……ソフィア」
頭も痛くなってきたからか、ジョセフ様の幻聴まで聞こえ出した。重症だ。
「ソフィア!」
私は手首を掴まれ、驚いて振り返った。
「ジョセフ様……」
今、会いたくて会いたくない人。
「なぜここに」
「昨日この店に来た時に、ここにいるって聞いたから」
確かに昨日来たってハルさんが朝言ってたな。
「どうして私だって分かったのですか?」
「この前の夜道で会った時から髪飾りを見て、そうじゃないかなってずっと思ってたんだ」
覚えててくれたんだ。胸の高鳴りと頭の痛みで苦しい。
「そうなんで……」
頭が揺れて体の力が抜けていく。
「大丈夫かい」
ジョセフ様が咄嗟に支えてくれて道に倒れ込まずに済んだ。
「すみません」
「家まで送るよ」
彼は私に肩を貸してくれた。
「そんな申し訳ないです」
それに、私はあなたといるだけで心が張り裂けそうになる。
「いいんだ。本当は背中に乗せてあげられたら良かったんだけど、足がこのざまでね」
杖が必要なくらい足が悪い人に支えてもらうなんて申し訳ない。でも、この状況が嬉しくなっている私もいる。
私に熱があるからか、ジョセフ様の足が悪いからか歩く速度はゆっくりだった。その分鼓動だけが早いことに嫌でも気づく。
この鼓動も頭痛も熱も全部なくなってくれたらいいのに。
「あ、あれです」
意識が朦朧としながらジョセフ様に道案内をし、家のそばまで送ってもらった。
「ありがとうございます。……ここで大丈夫です」
「フラフラじゃないか。中まで送るよ」
ジョセフ様はそのまま私を家の中まで運び、ベッドへそっと寝かせてくれた。
「すみません」
「いや、いいんだ」
ジョセフ様は相変わらず優しい。でも、だとしたらなぜ……
「なぜ私を捨て……」
聞きたいことも聞けず、ベッドの上で私は意識を手放した。
目が覚めると、頭には濡れたタオルが置かれていた。
「体調はどうだ?」
声がする方を向くと、ジョセフ様はベッドの横の椅子に座っていた。
「だいぶ楽になりました」
「そうか、よかった」
「ずっといてくれたのですか?」
「まあ、君……病人を放置して帰るわけにも」
すると、ジョセフ様は立ち上がり炊事場へと向かった。そして何かをトレイに乗せて持ってきた。
「これ、食べられそうなら」
トレイにはスープが乗っていた。
「作ってくださったのですか」
「口に合うといいが」
「ありがとうございます」
皿を受け取り、一口食べる。
久しぶりに食べる自分以外の人が作った料理は、温かくてポカポカとした。
「美味しい」
「それはよかった」
「料理できたのですね」
「家を出てからは自分で作るしかなかったから」
そうか。ジョセフ様も家を出てここで暮らしているのか。当たり前なことに今更気づく。
「そういえば眠ってしまう前、何を言いかけたんだ?」
「……何か言いましたか?」
しっかり覚えているのに。白々しい。
「いや、覚えてないならいいんだ」
続けられる会話もなく、誤魔化すように飲んでいたスープはあっという間になくなってしまった。
「長居して病人に気を遣わせるわけにもいかないし、帰るよ」
「あ……そうですね」
もう少しいてほしいなんて言う気持ちを必死に押し殺す。
帰り際、見るつもりがなくてもつい手の方に視線がいく。やっぱり薬指に指輪をされている。見間違いじゃなかった。
ジョセフ様がせっかく親切にしてくれたのに、いい思い出をなんで自分で塗り重ねてしまうのだろう。
「では」
「ありがとうございました」
バタン
玄関の扉が閉まり、よくなっていたはずの頭痛がぶり返す。
ジョセフ様は家を出てからもあの頃と変わらずしっかりされているのに、本当に私は何をやっているんだろう。
◇
「もう大丈夫になったの?」
「はい。おかげさまで」
翌朝少しのだるさは残るものの、普通に動けるくらいには熱は引いた。
「傘が必要なら、うちで貸すから言ってね」
「はい。すみません」
「いいよ。さあ、2階でエミリーが待ってるから行ってあげて」
「はい!」
私は急いでエミリーの部屋へと向かった。
「心配したよ」
「ごめんね。心配かけて」
「いいよ……それよりさ」
エミリーは私に耳を近づけるよう手招きをした。
なんだろう。何か聞かれたくない話でもあるのかな。
「昨日ソフィアが帰るのをここの窓から見てたんだけど、あの人はソフィアの婚約者?」
「そんなんじゃないよ。ただ助けてもらっただけ」
私は顔がカーッと熱くなるのを感じながら、慌てて否定した。
「そうなの?」
「そうよ」
「なーんだ。つまんないの」
私の返答にエミリーは口を尖らせ途端に興味をなくしていた。
そうだったらよかったのにな。
「さあ私のせいで遅れてしまった裁縫の続きやりましょう」
「はーい」
私は気持ちを切り替えるために、エミリーに裁縫を教えた。
「そういえば、この間レイちゃんの家で遊びで踊った時にがダンス褒めてくれたの」
「それは良かったね」
少し心配していた部分もあったが、レイちゃんを見返せたようで何よりだ。
「もっと上手くなって、ソフィアだって抜かすのが今の目標!」
「きっとエミリーならできるよ」
「うん!頑張るからたくさん教えてね」
「もちろんよ!でも、今日は裁縫をしっかり進めましょう」
「うう、早く踊りたいなー」
あれからエミリーはすっかり踊りにハマってしまったようだった。
「それでは失礼します」
「あれ?君この前の」
今日の仕事を終え帰ろうとしていると、急に店にいる男性に声をかけられた。
「え?ローマン」
聞き覚えのある声の主はローマンだった。
「この子はうちの子の家庭教師なんだから。ちょっかいかけんじゃないよ」
ハルさんが割って入った。知り合いだろうか。
「家庭教師?へぇ、ここ結構儲かってんだ」
「いやぁね、あんたのとこほどじゃないよ」
「いやいや、こんな美人のお嬢様雇えちゃう時点で相当でしょ!ねっ!」
私にわざとらしくウインクをしてきた。
助けてもらった手前、何とも言い難い気持ちになる。
「そうだ!君に頼み事があるんだ!」
「頼み事ってなんですか?」
「着いてから説明するよ。来て」
ローマンは私の手を引っ張った。そしてどこへ行くかの説明もなく、私は馬に乗せられた。
馬に乗っている間、どこに行くのか頼み事は何かを聞いても「すぐそこだから」「まあまあ」とローマンははぐらかすだけだった。
「はい。到着」
着いた先は立派な御屋敷の前だった。
「ここは?」
「オレんち。さあどうぞ」
促されるまま馬を降り、屋敷の中へと入った。外だけでなく中まで統一感のある装飾がされていた。
「さあ、こちらへ」
周りを見ながらローマンに着いていく。
「ローマンってすごい人なのね」
「いやいや、凄いのはオレじゃなくて親父だけどね」
「でも、いずれここを継ぐのでしょう」
「うーん、そうなんだけどね」
少し歯切れの悪い返答だった。すると、ローマンは扉の前でピタリと止まった。
「どうしたの?」
ローマンは私の方を向き両肩をガシッと掴んだ。
「いいかい。ここから先で見るものは決して誰にも言ってはいけない。……特にハルさんみたいな街のおしゃべりさんには絶対に言わないこと」
「わ、わかりました」
「よし。では開けるぞ」
一体何があるのかしら。私がのこのこと着いてきて大丈夫な場所なのか。
急に不安になりながら扉が開かれた。中へと入り1番最初に目に入ってきたのは、額縁に入らず壁に立てかけられた数枚の絵画だった。
「綺麗」
この街の景色とこのお屋敷の外観、この間の湖。他の数枚も含めてどれもこの周辺の場所が描かれたものだった。
「……本当か」
「ええ、とても素敵です。もしかしてお抱えの画家がいるのですか?」
「いや、その……オレが描いたものなんだ」
「そうなのですか!」
こんなものが描けるなんてすごい。私が今まで見てきた絵画と並べたとしてもなんら遜色ない。
「で、頼み事なのだが……絵のモデルをお願いしたくて」
「私にですか?」
「元々人物画も描きたかったけど、なかなか誰にも頼めずにいて」
確かに部屋には風景画は数多あるものの、人が中心となっている絵はなかった。
「私でいいのですか?」
「もちろん。ソフィアが良ければ描かせてほしい」
「わかりました」
「よかったー。ささ、ここに座って」
用意してくれた丸椅子に座る。
「正面だとソフィア照れくさいだろうから横顔にするね」
ローマンは慣れた様子でイーゼルにキャンバスを固定した。
「変に気負いすぎなくていいからね。適当にお話でもしよう」
「じゃあえーっと、ローマンはいつから絵を描いてるの?」
「物心ついた時からずっと。年々描く時間も、描く自由も奪われていったけど」
「お仕事があるからですか?」
「うーん。それもあるけど、絵にうつつを抜かしていることをあまりよく思わない人も多いんだよね。だからあまり知られるわけにもいかなくて」
商人であるローマンに絵を描くことは必要がないということだろうか。
「だからソフィアが引き受けてくれて本当に良かった」
ちらりと横目にローマンを見る。真剣な眼差しと口元は楽しそうに緩んでいた。
「でも、いいですね。描く才能があって」
「ソフィアの美しさだって十分才能じゃないか」
「私には何もないですよ」
「ソフィアはこれからしていきたい事とかないの?」
私のしたい事。何も見つかっていない。
「わかりません」
「ないじゃなくて、わからないんだ」
「そうですね」
手紙をもらったあの日からこれからしていきたい事なんて、ぼんやりともない。でも本当に何もないかと言われると難しい。
「今日会った時から思っていたけど、なんか湖で会った時と少し顔つきが違う気がする。何か悩み事?」
「……はい。よく気がつきましたね」
ローマンがどこか鋭いのは絵を描く時の観察眼から来てるのだろうか。
「聞いて良ければ、話してほしい」
「……その、好きだと言う気持ちを捨てたくなくてここに来たはずなのに、その気持ちが苦しくて」
「それってオレ?」
「そんなわけないでしょ」
「はーい、お顔はまっすぐね」
思わずローマンの方を向いてしまい、横を向き直す。
「やっぱり家出してきたお嬢様?」
「違います。父に追い出されたのです」
「なるほど、それはまたなんで?」
「お恥ずかしい話……婚約破棄されて。家にいる意味を失くしてここに来ました」
ここで私の気持ちを咎められることも縁談を勧められることもなく、もっと自分に自由に生きられると思っていたのにな。
「解消された理由は?」
「……わからなくて」
「ふーん、それでソフィアはまだその婚約者のことが好きと」
「……はい」
「まあ、そのままで別にいいんじゃない?家も出たわけだし」
こんなにも未練たらたらなことに流石に呆れられるだろうと思っていたが、あまりにもローマンは普通だった。
「でもこの気持ちをどうすべきなのかも、この先顔合わせた時にどう反応していいかも曖昧で」
「会うことないでしょ」
「だと良かったんですけど、この街にいて」
「えー!あれか山の上に住んでる貴族か……でもあの家はオレたちと同じくらいの歳のやつはいないような」
ローマンは手を止めて考え始めた。
「普通に街に住んでて……」
「なんで?どこの人?」
「この街にいる理由はまだ聞けてなくて。今は靴職人をしているらしくて」
誇り高い騎士だったジョセフ様がなぜこの街にいるのだろう。足を悪くしてお辞めになったのだろうか。
「靴職人ってあいつか。あまり話したことないけど、噂だと結婚してなかったか?」
「……指輪をされていたので多分」
「そうか。あいつがこの街に来た時には周りがあの顔を見て舞い上がってたけど、すぐにそれも落ち着いたからな」
「そうですよね」
薄々思ってはいたが、周りから見てもジョセフ様は素敵な方なのか。私なんかじゃ誰かに取られるわけか。
「まあでも諸々理由聞かない限り納得なんかできないよな」
「はい」
「かくいうオレも今はなんとか描く時間があるけど、これからどうなるかはわからなくて悩み中だし。色々難しいよな」
ローマンが木炭を置き立ち上がり、伸びをした。
「こんな時間になったしここまでかな」
「またどこか都合のいい日はありますか?」
「え?もう下書きはそこそこできたし……もちろん居てくれるに越したことはないけど」
ローマンは絵を見ながら頭を掻いた。
「じゃあ、また来ます。私はいつでも大丈夫なのでお暇な夕方、青果店に来てください」
ローマンの絵のモデルはもちろんお礼でもあるけれど、この街に来て同世代の友人とも言える人ができればいいなという思いもあった。
「わかった。よろしくね」
「はい」
「またね」
ローマンの屋敷を出た頃には、外は星空に変わっていた。1人でずっとジョセフ様のことを引きずりながら生きていこうと思っていた。でもこの街でジョセフ様と再会したのは神様の思し召しなのかもしれない。
やっぱりジョセフ様と一度ちゃんとお話がしたいな。
それから数週間おきに、私はローマンの屋敷に行くようになった。下書きは終わり、キャンバスに色が塗り重ねられていった。
「絵を描いてもらったことはあるけれど、ローマンが使う色は綺麗ね」
キャンバスに重ねられる色は華やかで美しかった。
「なんせこの辺りではあまりお目にかかれない代物を使ってるからね」
「そうなのですか?」
「そう!これ見て」
ローマンが自慢げに小瓶を見せてきた。小瓶には鮮やかな緑色の粉が詰められていた。
「きれいでしょ」
「あー、うん?」
正直、その状態で綺麗なのかどうかは私にはよくわからなかった。
「旅で珍しい顔料とかが手に入るのは、オレみたいなのの特権だよね」
そう言うとローマンは再び筆をとり、キャンバスを塗っていく。
「でも同時に、オレはここの後継としての自覚もあるからさ。このままじゃいけないし、いずれは捨てることになるんだけどね」
「……捨てる」
ローマンはこんなに楽しそうに描いている絵も、どこかで捨てる決断をしていくのだろう。
ジョセフ様もその選択の中で、私を捨てていったのだろうか。
「そいえばソフィアは、靴職人とあれから会ったりしたの?」
「いいえ」
私が熱を出して以来、ジョセフ様には会えずにいた。
仕事が忙しくてあまり街には来ていないのか。それとも私のいる青果店を避けて生活しているのだろうか。
「そっか。会いづらいよな、向こうも」
「でも、お優しいんです。ここに来てからも盗人から助けてくれたり、風邪で辛い時に看病してくれたりしてくれるんです」
「でも、ソフィアとの婚約を解消して他の女と結婚したんだろ」
「……それはそうなのですが」
私はもうジョセフ様からは必要とされていない。ただただ彼が親切で困っている人をほっとけないから、助けてくれたにすぎないのだろう。そんなことはわかってる。
「結婚してんのに、自分から突き放した女に優しくするやつがいい奴なのかよ」
「それは……」
もう結婚していて私のことを好きになってくれるジョセフ様はいないのに、いつまでも追いかけてしまいたくなる。
自分が惨めで俯いた。
「……ごめん。オレも何も知らない奴なのに言いすぎた」
「いいえ。大丈夫です」
ローマンは悪くない。だって、全部本当のことだ。
「とりあえず、どこかで会って話せるといいよな。ソフィアもその方がいいだろうし」
「はい」
少し居心地の悪い空気の中で、時計の秒針を刻む音だけが響いていた。
結局その後何も話すことがないまま、日は沈んでいった。
「遅くなったし送るよ」
「いいえ、前もこのくらい暗かったですし平気です」
「じゃあ、門まで送るよ」
流石にそれを断るわけにもいかず、ローマンに門外まで送ってもらった。
「それでは」
ローマンに一礼する。
「その、オレは本当に……」
コツン コツン
ローマンが何か言いかけた時、後ろから聞き覚えのある音がして思わず振り返る。
「ジョセフ様……」
私の声に気づいたのか、ジョセフ様と目が合った。
「ソフィア」
私の鼓動が早くなるのがわかった。
「偶然ですね。家に帰るところですか?」
少しの沈黙が流れ、私から切り出した。
「ああ、そうだが……彼は?」
ジョセフ様の目線がローマンへと移る。
「オレはソフィアの旦那さん候補」
「ちょっと!ローマン何言ってるの」
変なことを言い出すローマンを慌てて否定する。
「……へー」
ジョセフ様の視線が急に冷たくなった。
「ローマンはただの友人です!」
ジョセフ様はこんなつまらない冗談嫌いだよね。
「今のところはね」
「だからローマン!」
「君みたいな軽薄な男はソフィアには合わないんじゃないか」
ジョセフ様の普段より少し低い声に、空気が一瞬張り詰めた。
「冗談、冗談。そうだ!外は暗いしソフィアのこと送ってあげて、じゃあ」
ローマンは大袈裟に笑いながらこちらに手を振り向きを変えた。
「え!ローマン」
私の声に留まることもなく、屋敷の中へと消えていった。
「ジョセフ様すみません。1人で大丈夫なので」
「いや、送るよ」
「無理しなくていいですよ」
これだって無理にローマンが言ったから、送ってくれようとしてくれてるだけなんだ。
「夜道は危ない。俺が心配だから送らせてほしい」
「わかりました」
ただの親切心なのに、私なんかのことを心配してくれることだけで嬉しかった。
家までの道のりを歩きながら言葉を巡らせる。
聞きたいこといっぱいあるのに、それを言葉にするのが怖い。
「あの店の娘の家庭教師をしているんだな」
「はい。ハルさんから聞きましたか?」
「ああ、あの店の店主から聞いた」
「そうなんですね」
この街に来てからのことも話したい。でも……
「仕事大変か?」
「いいえ、教え甲斐もあって楽しくやらせていただいてます」
「そうか」
でも、本当に話したいことはではない。
私の家に着くまで当たり障りのないこと以外、何も話すことはできなかった。
「送っていただきありがとうございました」
「いや、いいんだ。……それじゃあ」
ジョセフ様は私に一礼し、背中を向けた。
「お待ちください!」
私は慌ててジョセフ様の手首を掴んだ。
「どうかしたか?」
ジョセフ様は振り返り、少し屈んだ。
咄嗟に掴んでしまったけど、ここで何か言わないと私はずっと後悔する気がする。
「その……この間のことも含めてお礼をさせてください」
「大丈夫。この間、店でまけてもらったばかりだし」
「この間のもハルさんのご厚意で私は何もできていないのです」
結局、人に頼ってばかりで情けない。
「じゃあ……その、どこかに出かけないか?」
「へ?」
予想外の言葉に、素っ頓狂な声が出てしまった。
「嫌だよな。すまない、無神経だった」
「そんなことありません。行きたいです!」
ジョセフ様とのお出かけなんていつぶりだろう。
「本当か。じゃあ、次の休みは?」
「5日後です」
「5日後か……俺もその日は大丈夫だ。では、11時に停留所で待ち合わせでいいか?」
「はい」
声色から嬉しさが溢れ出さないように気をつけながら、返事をした。
「では、楽しみにしている」
「私も楽しみです」
ジョセフ様は再び背中を向け、帰っていった。
家の中に入り、広くもないのにスキップをしてしまう。
聞きたいことも話したいこともたくさんある。今度はしっかり聞かないと。
でも、それ以上にジョセフ様との休日に舞い上がるような気分だった。お礼だと言うのに、こんな気分でいいのだろうか。当日気持ちを隠せるか、少し不安になった。
◇
「ソフィア何かいいことあった?」
ダンスの練習中にエミリーが不思議そうに私を見る。
「え?どうして?」
「なんか今日のダンスすごい軽やかだから」
確かに昨日から背中に羽が生えたように軽い。昨日の約束1つでそんな風になってしまう私は本当に単純だ。
「そんなことないわ」
「そうかな?ソフィアくらいダンスが上手いとそうなるのかな」
エミリーは自分のダンスを見直し始めた。エミリーは日を追うごとにどんどん成長している。
私がエミリーに教えてあげられることがなくなる日も遠くない未来でやってくるんだろうな。立派な淑女となった時、エミリーには私みたいな人生じゃなく真っ直ぐに幸せになってほしいな。
「今日もありがとうね。はい、これ」
仕事終わりにハルさんから野菜の入った袋を渡される。
「いつもありがとうございます」
「いいのよー。じゃあ明日もよろしくね」
「はい。失礼します」
ハルさんに挨拶をして青果店を出た。
「ソフィア」
少し歩いたところで後ろから名前を呼ばれ振り返る。
「ローマン」
いつもの自信満々でニコニコした表情と違い、眉の下がったローマンがいた。
「その、昨日はごめん。あいつのこと本当に言いすぎた」
ローマンは私に対して深く頭を下げた。
「いいのよ別に。気にしてないです」
本当はすごく気にしている。でも、それはローマンの発言じゃなくてまだ私に優しくしてくれるジョセフ様が何を思っているかだ。
「帰りもなんかオレだいぶ余計なこと言った気がして。あの後、大丈夫だったか」
「ええ、別に何もなかったわ」
ローマンが何か余計なことも言っていた気がするが、それ以上にジョセフ様と帰ることができてよかった。
それにジョセフ様とお出かけする約束を取り付けることもできた。そういう意味ではいいひと声だったのかもしれない。
「そうか、それなら良かった。絵が完成したら、また声かける。それじゃ」
そう言うとローマンはハルさんの青果店へと入っていった。
もしかして私に謝るまで入りずらくて外で待っていたのかしら。
◇
約束してから色々考えていたらあっという間にジョセフ様とお出かけする日になっていた。
朝起きていつもより念入りに髪をとかす。
棚を開け、並んだ髪飾りを見る。
本当はあの髪飾りをつけていきたいけれど、未練がましい重い女だと思われても嫌だしやめておこう。
髪を真鍮のシンプルな髪飾りで纏めた。
ジョセフ様がどこへ行くのかわからないけれど、いくらかかるのだろう。
何があってもいいように、いつもより多めにお金をカバンの中へ入れた。
ジョセフ様とのお出かけに気持ちが抑えきれず、待ち合わせの時間よりだいぶ早いが停留所へと向かうことにした。外へ出るとお出かけするにはとてもいい天気だった。
朝からずっとウキウキとしていて、きっと表情にもわかりやすく出てしまっている。なんとか抑えようと気持ちを沈めるためにゆっくり歩くことにした。
待ち合わせの時間より早く着いたつもりだったが、ジョセフ様はすでに停留所にいた。ゆっくり歩きすぎただろうか。
「すみません。お待たせしてしまって」
「いや、いいんだ。俺が早く着きすぎただけだから」
確かに停留所にある時計はまだ10時半にもなっていなかった。
もしかして私が早く来るのを見越して早めに来てくれたのだろうか。
「今日はどちらへ行くのですか?」
「ここからもう少し行ったところに行きたい場所があるんだ。もう少ししたら来る乗合馬車に乗っていく」
「わかりました」
ジョセフ様の言う通り馬車はすぐに来た。
私が運賃を払おうとするより前にジョセフ様は腰からお金をサッと出していた。
「待ってください!私が払います」
「いや、俺が誘ったんだ。俺が全て払うべきだろう」
「しかしこれではお礼が……」
「いいんだ。本当にお礼なんて」
ジョセフ様は一歩も引く気がないようだった。
「いいえ、私に払わせてください」
「……じゃあ、俺の分だけ払ってくれ。俺はソフィアの分を払うから」
少し頭をかきながらジョセフ様は半分お金をしまった。
「それでは結局1人分しか払ってません。変わらないじゃないですか」
「いいんだよ。お礼なんだろ。俺の好きにさせてくれ」
ジョセフ様は私を見て少し口元が緩んだ後、運賃を払い馬車へと乗り込んだ。
「あ!ちょっと」
しょうがないので1人分の運賃を払い、私も馬車に乗った。
馬車が動き出す。馬車に乗るのもこの街に来ていて以来だった。
心が落ち着かず外の景色を見るふりしてジョセフ様の顔を見た。少し疲れているのか少し目を閉じてうとうとしていた。
今まであまり見なかった表情に少し嬉しくなりながらも、お礼をするためのお出かけであることを忘れないよう改めて気を引き締めた。
「きれい……」
乗合馬車を降りて着いた街は石畳の綺麗な街だった。
「ここにはずっと来たかったんだ」
コツン コツン
ジョセフ様の隣をついて歩く。
「どうしてこの街に来たかったのですか?」
「……この街が最後に戦った街だった」
「最後に……」
ジョセフ様は少し目線を上げ、息を吐いた。
「この街には反乱の鎮圧のために訪れた。俺も周りも死に物狂いで戦った」
どこか遠くを見つめながらぽつりぽつりとジョセフ様は話し始めた。
「情けないことに俺は斬られて……気がついたら家のベッドだった」
ジョセフ様は少し俯いた。
「その後、勝ったと知らされて安堵したのも束の間多くの犠牲が出たことも知らされた。命をとして実際に亡くなった仲間もいる中、俺はのうのうと生き残ってしまった」
「そんな……」
そんなことないと言いたいけれど、ジョセフ様のその時の気持ちを理解し得ないのに口を挟むべきではないと口を閉じた。
「それだけなら良かった。次の日、自分の足が動かないことに気づいた。両足ともあるのに動かないことが情けなくて仕方がなかった」
再開した時から気がかりだった杖はこの街の戦いでつくようになったのか。
「ここで戦って、俺は結局何もできないままで……俺は騎士をやめざる負えなかった」
何も言えず、ジョセフ様の方を見ながら話を聞いていると目が合った。
「それ以来俺はこの街に来ることを避けていた。でも今の街で君に出会って、避けてきたことに向き合うように神様に言われているような気がしたんだ」
ジョセフ様は街全体を見渡した。
「この街が綺麗に戻っていてよかった」
「……そうですね」
ジョセフ様がこの街で負った悲しみは私が理解しようとも仕切れないくらいのものだろう。
でも今この街をこうして歩けていることが全てなんじゃないかと私は思ってしまう。
「今の街にはどうやって辿り着いたのですか?」
どうして今の街にいるのか知りたくて勇気を出して聞いてみる。
「叔父が知り合いの靴職人が弟子を求めているっていう話を持ってきてくれてね」
それでジョセフ様は今靴職人をしているのか。
「今もその人のもとで働いているのですか?」
「いやもうその人は隠居していて、今の街にある工房はその人から引き継いだものなんだ」
「そうなのですね」
ジョセフ様は少し私を見た後、顎に手を当てわざとらしく考え込むような姿勢をとった。
「答えづらかったらいいんだが、ソフィアはどうして今の街にいるのだ?」
聞きづらかったのだろう。かなりこちらを伺いながら聞いてきた。
「家を追い出されて」
「なぜ?」
「それは……」
そのままの理由を答えたら引かれるだろうか。それとも責任を感じてしまうだろうか。
「答えづらいならいいんだ」
私が言い淀んでいると、ジョセフ様は切り上げてくれた。
正直に言ってしまいたい気持ちと言いたくない気持ちの板挟みは消化不良に終わった。
「街も見られたし帰ろうか」
「いや、あの、お礼が何もできていないのですが」
「この街に来られたのはソフィアのおかげだからそれだけで十分。馬車の時間もあるし帰ろう」
私は特に何もしていないけれど、ジョセフ様のお役に立てたのだからと納得しながら馬車に揺られた。
街に戻ってきた頃には空は暗くなっていた。
「家まで送るよ。夜道は危ないから」
「いや、大丈……ありがとうございます」
断ろうとも思ったが、ジョセフ様といる時間を少しでも引き伸ばしたい気持ちが勝ってしまった。
コツン コツン
特に会話もないまま、暗闇にジョセフ様の杖の音だけがが響く。
ジョセフ様とお出かけをして、聞きたかったことが聞けて充実した1日だった。でも本当に一番聞きたいことはまだ怖くて聞けていない。
5年前のあの日と同じようにもしかしたら今日が終われば、もうジョセフ様とこうしてお話できるのも今日が最後かもしれない。
「おい!嬢ちゃん」
私が勇気を出そうとしていると、後ろから微かに聞き覚えのある声がした。さらにゾロゾロと足音が聞こえてきた。
「お前この間の盗人か」
私は暗闇でよく見えなかったが、確かに声は前にあった盗人の声だった。
「前は杖で油断させられたけどなぁ。今度は仲間連れてきたから前のようにはいかないからよ!」
そう言うと男たちはこちらに向かってきた。
「ソフィア!後ろへ!」
私は言われるがまま、ジョセフ様の後ろへと隠れた。
「わざわざ弱点を教えてくれるなんて。嬢ちゃんを狙っていけ!」
「おおお!」
ジョセフ様は私の盾になるが如く相手を杖でどんどん倒していった。
やはり騎士を辞めてもジョセフ様はお強い。
「きゃ!」
「お嬢ちゃんゲット!」
気づかないうちに後ろに回られていて首を締められるような形で捕まった。
「くる……しい……」
苦しい。
「俺の大切な人に汚い手で触るな!」
ジョセフ様は杖で男の頭を弾いた。男は気を失ったのか倒れ込み、首元の腕の力も緩んだ。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとうございます」
ジョセフ様から差し伸ばされた手で起き上がる頃には、周りには男たちが倒れ込んでいた。
「ジョセフ様もご無事ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「助けていただいてありがとうございます。やっぱりちゃんとお礼をさせてください」
結局ろくなお礼もできないどころか、また助けられてしまった。
「いや、俺としては十分なんだが……」
「そんなはずありません」
ジョセフ様は少し困った顔をした後、顎に手を持っていった。
「そうだな……じゃあ次の休みに俺の手伝いをしてくれないか?」
「お手伝いですか?」
何の手伝いなのだろう?
「少し仕事で手伝ってもらいたいことがあるのだが、難しいか?」
「いいえ、喜んでお受けいたします」
「よかった。じゃあ頼むよ」
「はい!」
また会える機会をもらったことで生まれかけていた勇気はすっかり消えてしまい、ただただジョセフ様に家まで送ってもらった。
「では、今日はありがとう」
「こちらこそありがとうございました」
ジョセフ様の帰っていく姿を暗闇で見えなくなるまで目で追った。
これだけ助けられてジョセフ様は十分だと言うけれど、私は何も返せていない。
ジョセフ様はお優しいから私みたいな捨てた女にも優しいのだ。勘違いしそうになる。
次の休みにジョセフ様のお手伝いをするため、停留所で待ち合わせをし家兼工房へお邪魔することになった。
最初はただの工房だと思っていたが、家も一緒になっていると聞いてからは私の頭の中は気が気じゃなくなっていた。
家もあるということは、ジョセフ様の奥様もいるということだ。
完全にジョセフ様の前で私は逆上せ上がっていたんだ。1度引き受けてしまった以上、今更気づいてもどうしようもない。
奥様の前で私は正気を保っていられるだろうか。何か失言したり迷惑をかけたりしてしまわないだろうか。
私はしばらく眠れない日々が続いた。
当日、停留所で待ち合わせをしジョセフ様に工房へと案内してもらった。
「お手伝いは何をすればよろしいのでしょうか?」
内心それどころではないが、落ち着かせるために隣を歩くジョセフ様に聞く。
「君の足を測らせてほしいんだ」
「私のですか?」
「いや、その……女性用の靴を作るのにサイズを知りたくて……」
ジョセフ様はいつもと違い、妙に焦り出した。
「そうですか」
あまり聞かないでほしいのだろう。理由について聞くのはやめた。
「ここだ」
着いた先は石造りの家だった。
「どうぞ」
「お邪魔します」
緊張する。奥様はどんな方なのか。
そんな緊張とは裏腹に工房の中はたくさんの靴や靴型が並んでいた。木と皮の匂いがする。
「そのあまり片付いてないから隅々までは見ないでくれ」
私が周囲を見回していると、ジョセフ様は恥ずかしそうに言った。
「ご家族の方は?」
肝心な気になる人物がそこにはいなかった。
「いや俺1人だが?当たり前だろ」
ご家族の方がいない……どういうことだ?
「はっ!」
もしかして聞いてはいけないことだったのでは。戦いの中で奥様を亡くされたりしたのかもしれない。
「どうかした?」
突然大きな声を上げた私をジョセフ様は不思議そうな顔で見る。
「いいえ。なんでも」
もしかして測定するのって奥様のための靴では?確かに亡くなられてたら測ることもできない。でも命日とか誕生日とかに靴を贈りたいとかいうことではないか。
なんだか気持ちが一気に沈んでいった。
「じゃあそこに座ってくれ」
「はい」
ジョセフ様は手際良く私の足のサイズを測っていく。
少しくすぐったくて、何よりいつもと違う角度から見るジョセフ様に私の気持ちのモヤモヤは広がっていくばかりだった。
「もしかして今日体調が優れないか?」
ジョセフ様は顔を上げ、私の顔を覗き込んだ。
「そんなことありません。大丈夫です」
体はすこぶる元気なんだ。
「……ならいいが」
やっぱり断るべきだったのかもしれない。
「測り終えた。ありがとう」
ジョセフ様の手が私の足から離れる。私は元の履いてきた靴を履いた。
「だいたい2ヶ月くらいで完成する予定」
「それが終わったら……」
それが終わったら私の靴を作っていただけませんか。
「終わったら?」
「……なんでもありません。良い物ができるといいですね」
断られた時のことを思うと何も言えない。
「ありがとう。これで上手く作れるよ」
「それはよかったです」
靴作りに集中しているのか、それからしばらくジョセフ様と会うことはなかった。
◇
「久しぶり!」
「ローマン!」
エミリーの勉強の時間が終わり下に降りてくると、お店にはローマンがいた。
「今からオレんちに来て!」
「もしかして絵が……」
「シー!ソフィアここでは言わないで」
ローマンが隠していることをすっかり忘れて言うところだった。
「ごめんなさい」
「いいよ。さあこっち」
ローマンに促されるまま店を出て馬に乗り、屋敷へと向かった。
「これなんだけど」
ローマンの部屋に着くと布が被せられた絵があった。
「早く見たいわ!」
「でもほら、人を描くのは初めてだからうまくいってないかも」
急にローマンらしくなく、もじもじし出した。
「大丈夫。風景画があれだけ素敵だったのだもの」
「うん。じゃあ、見せるよ」
布が取り払われ、私が描かれた絵が現れた。
「素敵。色使いが綺麗で何だか私じゃないみたい」
「本当か?」
「ええ!」
「よかったー」
ローマンは安心したように胸を撫で下ろした。
「でも、私こんな煌びやかなドレスは着ていないけれど」
絵の中の私は昔着ていたような華やかなドレスを着ていた。
「ソフィアにはその方が似合うと思って……嫌だった?」
「いいえ、とても嬉しいわ」
もうこんな私にはなれないと思っていたけれど、絵の中で夢を描いてくれてるようで幸せだった。
「オレさ、もう少ししたら旅に出るんだよね。その前に描き終えられてよかった」
「そうなのですね。私もこの絵が見られてよかったです」
少しの沈黙が部屋を包んだ。
「……ソフィア」
「はい」
「これは断っていい頼みなんだけど、聞いてくれる?」
「なんですか?」
「次の旅とは言わない。でももしソフィアさえ良ければ、オレの旅についてきてほしい」
突然のローマンからの申し出に私は狼狽えてしまう。
「ごめんなさい。その……私……」
「大丈夫、わかってるよ。ごめんね困らせちゃって」
ローマンはいつものような笑顔に戻り、私の肩をポンっと叩いた。
「でもすぐにその答えが出るなら、靴職人に伝えたいことはでてるんじゃない?」
私の伝えたいこと。
「まあ、お互いにさ後悔ないように生きようぜ」
「はい!」
やっぱりジョセフ様に私の今の気持ちを伝えたい。
ローマンは私に勇気を授けてくれたようだった。
「暗くなってきたし送るよ」
「ありがとうございます」
屋敷の玄関を出ると、外は雨が降っていた。
「傘はあるけど、1本しかないんだ」
「うそ」
こんな広い屋敷に傘が1つしかないわけがない。
「濡れて風邪でも引いたら大変だ。これで諦めるから最後に、ね」
「……わかりました。お願いします」
流石に断れず、私はローマンの傘に入った。
「よかったー!やっぱり神様はオレの味方みたい」
ローマンは冗談っぽくはしゃいだ。
世間話をしていたら、あっという間に私の家に着いていた。
「送ってくれてありがとうございます」
「これからも友人として仲良くしてね」
「はい!」
一礼して家の中へと入る。
立ち去っていく杖の音は私の耳に届くことなく、雨が消していった。
次、街でジョセフ様に会えたら伝えたいことを伝えよう。そんなことを考えていた。
けれど、ジョセフ様は2ヶ月経っても現れることはなかった。
◇◇
生まれた時から俺には感情がないと思っていた。騎士になるため育てられ、何かを欲しいと訴えたこともなかった。灰色の世界に赤黒い血だけが飛び交う世界。ただそれだけだった。
当然、結婚も親がただ決めたことに従うだけのはずだった。
「はじめまして、ソフィアです」
ソフィアと初めて会った日から俺の世界が色づいた。
生まれながらに騎士として生きることを定められた俺にとってソフィアは日常に咲く花だった。
花の色も、草原で寛ぐ時間も、誰かを想う時間も。全てが大切で大事な時間なことを君が教えてくれた。
何より笑いかけてくれる笑顔が好きだった。
半年に一度ソフィアと会う度、こちらが自分の日常なのだと錯覚を起こすほどだった。
君に触れたい。
でも、俺の手の奥は赤黒く染まっている。
君が純粋で綺麗であればあるほど、自分がいかに汚れているかを自覚した。
君は汚れない。俺の光。どうか、幸せになってくれ。
俺が勝手に婚約破棄したことに対して、父は憤慨した。それでも俺はこの決断を変えることはできなかった。
再び、俺の世界は色を失くした。生きる意味もわからないまま、生臭い匂いが漂う戦場で戦い続けた。
伝えられた戦況は最悪。決死の覚悟を持って挑んだ戦いだった。
死を恐れない俺にとって戦場が墓場になると思っていた。けれど皆が命を落としていく中で俺はむざむざと生き残ってしまった。
汚い自分でソフィアに触れたくない。
足を怪我してもう騎士にもなれない。
君と生きない選択をし、騎士としての最期も迎えることができない身体になってしまった。
情けなくてどうしようもない。
自分の価値すら失い、叔父に言われこの街に来て5年が経った。
俺の心は穏やかで、明日にでも死んでしまいたいと思いながら日々を過ごした。
ある日、盗人から助けた女性がソフィアに渡した髪飾りよく似たものをしていた。君がこの街にいるはずもないのに。こんな幻想を見るなんて馬鹿げてる。
でも……それでも……
「ソフィア!」
君を見たその時から、失っていたはずの君への想いをまた自覚した。
俺から君を遠ざけたくせに、今でもソフィアとの時間が少しでも延びないかと考えてしまう。
許されるのなら、君と生きたい。
◇◇
どこかで会うことはできないかと思っていたが、ジョセフ様とはすれ違うことすらなかった。
仕事の邪魔はしたくなくて工房に行くのは躊躇っていたが、やっぱりどうしてもこの想いを伝えたい。
前に案内してもらった道のりを辿り、工房の前まで来た。
深く息を吐いて、気持ちを一旦落ち着かせる。どう転んでも大丈夫。あの日以上に傷つくことなんてきっとないんだから。
コンコン
「はーい」
ノックをすると中から声が聞こえた。
入り口の扉が開き、ジョセフ様が現れた。
「ソフィア……どうしたんだい?」
「お話したいことがあって。少しお時間をいただけますか?」
心臓の音が騒がしい。
「ああ、どうぞ」
「失礼します」
ジョセフ様に促されて中へと入る。
「話って何かな?」
「私……」
言わないと絶対後悔する。分かっていても声がうまく出せない。
沈黙の中で時計の秒針だけが進んでいく。
「先に、俺が話していいかい?」
「え……」
ジョセフ様も私に何か話があったのか。怖いけど、でも先に聞いておきたい。
「どうぞ」
「ありがとう。俺は……自分の気持ちばかり優先して君と離れる選択をした。この間、君と商家の坊ちゃんが並んでるのを見てお似合いだと思った。君に俺なんかは相応しくない。……それでも、君の隣にいるのは俺であってほしい」
「ソフィア、この先を俺と一緒に歩んでくれないか」
ジョセフ様は膝をついて、私に向けられた両手には靴が乗っていた。
「これは……」
目の前で起きる状況、ジョセフさまがおっしゃることが本当に現実なのか信じられなかった。
「君のための靴だ。この間測らせてもらった」
「……私の靴なのですか?」
「ああ、もちろん。受け取ってくれるかい?」
「はい」
目の前が滲みながら私はジョセフ様の手から靴を受け取った。
「しっかり測ってよかった。足にピッタリだ」
「はい!」
ジョセフ様に靴を履かせてもらった。サイズは正しく歩きやすそうな靴だった。何よりジョセフ様が作った靴というだけで、足に翼が生えたかのような感覚だった。
「ソフィア、大丈夫か?」
「え?……あ!」
靴を履いて、色々頭が回ってきたのか私の目からは涙が流れていた。自分でも気づけていなくて驚いた。
「やっぱり嫌だったか?」
「違うんです。嬉しくて……天国にいる奥様にもしっかり伝えないとですよね」
涙を拭きながら言うと、ジョセフ様はポカンとした顔をしていた。
「奥様……って誰?」
「はい!?ジョセフ様の奥様ですよ」
大事な奥様のことを忘れるなんてジョセフ様ってそんな人だったの!?
「いや、だから誰のこと?」
「その指輪!」
私は彼の指輪を指す。
「指輪?……ああこれか。当たり前のようにしていたから忘れていたよ」
愛おしそうにジョセフ様は指輪を見つめた。
奥様とそれだけ仲が良かったのだろうか。
「最初は人避けのつもりでつけていたけど……」
ジョセフ様は言いながら立ち上がり、棚の中を探し始めた。
「うーん、確かここに……あった!もうこっちが必要になることはないと思っていたから、奥底にしまっていた」
少し埃を被った箱には、ジョセフ様がしている指輪と揃いの指輪が収まっていた。
「君のために随分前に買っていた指輪なんだ。……今更だけど、受け取ってくれるかい?」
「はい」
私は左手を差し出し、ジョセフ様が私の薬指に指輪を嵌めた。
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「その髪飾り、今の君にはそれは幼すぎるんじゃないか?」
「私はこれがいいんです」
花の髪飾り、薬指の指輪、靴。
新しい街で、私とジョセフ様の愛おしい日々は続いていく。




