第七話
宇宙船キャリコのブリッジは、静寂と電子音の海だった。
窓の外には、永遠に続くかのような漆黒の闇と、散りばめられた無数の光。
シオンは、ブリッジの中央に浮かび上がる星々を、瞬きも忘れて見上げていた。
それは、実体を持たない光の幻影だった。
純白の礼服を纏った、銀髪の青年。
どこか透き通るような神秘的な美しさを持ちながら、その瞳には人間以上の知性が宿っている。この船の頭脳、アルだ。
「……嘘みたい。これが、私たちの星なのですか?」
『はい、シオン様。現在表示しているのが、貴女の故郷、惑星レイオンです』
アルが優雅に指先を振ると、空中に投影された青い光の球体が回転する。
蒼く輝く海。白い雲。かつてシオンが「世界の全て」だと思っていたその場所は、この広い宇宙図の中では、指先ほどの小さなビー玉に過ぎなかった。
『そして、スケールを拡大します』
映像が流れる。
レイオンが遠ざかり、闇の中に沈んでいく。代わって現れたのは、目が眩むほど無数の、色とりどりの星々だった。
赤い星、黄金の星、ガスの渦を巻く星。
「……こんなに」
『銀河には、レイオンのような世界…惑星が数多存在します。貴女が探すもの、見つけるべき敵はこの広大な星の海を逃げ隠れしているのです』
シオンは思わず後ずさりした。
知らなかった。
父様は、歴代の王たちは、こんなにも広い世界の中で、あの小さな国を守り抜いてきたのか。
そして自分は、この途方もない闇の中へ飛び出してしまったのだ。
(怖い……)
本能的な恐怖が背筋を走る。
だが、シオンは震える手を強く握り締め、顔を上げた。
「……アル。教えてください」
『何をでしょう?』
「全て、です。この船の動かし方も、あの星々の名前も、レイオンを襲った悪人たちが使っていた武器のことも……。私には、わからないことだらけです」
シオンは、光でできた青年の瞳を見据えた。
彼は感情のない機械のはずなのに、なぜか温かい眼差しでシオンを見守っているように見えた。
「無知なままでは、戦えません。レイオンの秘宝を取り戻すどころか、足手まといになるだけです。だから……私に、貴方の知識を分けてください!」
必死の懇願。
アルの端整な顔立ちが、パッと明るく綻んだ。
『――喜んで。私は教育プログラムも搭載しています。学ぶ意欲のある生徒は大歓迎ですよ』
アルの声が弾む。彼は演技じみたポーズで実際は流れていない感動の涙を拭った。
『いやあ、素晴らしい! どこかの効率特化のマスターと違って、知性への渇望がある! 私のデータベースが火を噴きますよ。まずは基礎銀河知識から……いや、銀河の歴史や勢力構造からいきましょうか!』
「は、はいっ! お願いします!」
と、その時。
プシューッ、と背後のエアドアが開き、コーヒーの香りが漂ってきた。
「……朝からうるさいな。ここは学校じゃないぞ」
フレデリックだ。
寝起きなのか、いつもより不機嫌そうな顔で、マグカップを片手に現れた。
彼はアルのホログラムを鬱陶しそうに手で払いながら、パイロットシートにドカッと座り込む。
「おい、ポンコツ先生。授業ごっこもいいが、針路は出てるんだろうな」
『当然です、マスター。これだから効率重視は…ねぇシオン様』
「なんだと?」
アルはシオンに向けて大げさに肩をすくめてみせた。
『ガレッゾの艦隊が残したワープの痕跡を解析しました。奴らはファミリーが管理する近隣の宇宙ステーションへ寄港する可能性が高い』
アルが指を鳴らすと、美しい星空のホログラムが切り替わり、宇宙のゴミ溜めのような汚らしい構造体が映し出された。
『中立地帯の廃棄宇宙ステーション、通称【アラクネ】銀河の法律が及ばない、無法者たちの交易所です』
「あそこは確かカルマンディのカジノがあるところか……」
フレデリックはニヤリと笑い、シオンの方を向いた。
「聞いたか、お姫様。次の目的地は掃き溜めだ。ドレスを着てお茶会、ってわけにはいかないぞ」
「……!」
言われて、シオンは自分の姿を見下ろした。
フレデリックの同行許可をもらい、慌てて荷造りをしてキャリコに飛び乗ったが、
ドレスは王宮から逃げだしたときのままだ。裾は破れ、泥や煤で汚れている。
それは悲劇の象徴であり、これからの戦いにはあまりに不釣り合いだった。
『そうでした。服装のアップデートが必要ですね』
アルが壁面を指差すと、連動してパネルがスライドした。
せり出してきた収納ラックには、黒と蒼を基調とした、薄手のボディスーツのような衣服が収められている。
「これは?」
『ナノファイバー製の戦術防護服です。マスターのコートと同じ素材を再構築し、私の趣味……いえ、最適化計算により、可動域の広いスカート形状と強化装甲ブーツを採用しました』
シオンはラックから恐る恐るそのスーツを手に取った。
羽のように軽い。なのに、鋼鉄よりも強いという。
「……なんだか、変わった形ですね。制服みたい」
『ええ、以前訪れた惑星で見かけた、現地の制服の意匠を組み込んでみました。シオン様でしたら似合うと思いますよ?』
アルが得意げにウィンクする。
シオンは少し戸惑いながらも、そのスーツを抱きしめ、深く頷いた。
これが、外の世界の魔法のような技術。そして、今の自分が纏うべき戦装束。
「着替えてきな。それがお前の新しい『ドレス』だ」
フレデリックがマグカップを傾けながら言う。
もう、守られるだけの王女ではない。
「……はい! すぐに!」
シオンがあてがわれた自室へと駆け出していく。
その背中を見送りながら、フレデリックは小さく鼻を鳴らした。
「……やれやれ。お姫様の社会科見学にしちゃ、刺激が強すぎるかもしれんがな」
『心配ですか?』
「まさか。俺の装備が壊されたら経費がかさむだけだ」
憎まれ口を叩きながらも、フレデリックはモニターに映る【アラクネ】の映像を鋭く睨み据えた。
そこは暴力と欲望が支配する街。
箱入り娘が最初に踏み込むには、あまりにも過酷な「外の世界」だった。




