第三話
レイオン王宮の裏手に広がる、原生林の森。
普段なら小鳥がさえずる静寂の場所は今、少女の荒い息遣いと、男たちの下卑た怒号で満たされていた。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
シオンは姿を隠すようにローブを纏い、泥だらけになって走っていた。
木の根に足を取られ、何度も転びそうになる。腕や脚を小枝が切り裂くが、痛みを感じている暇はない。
(逃げないと……もっと遠くへ!)
脳裏にフラッシュバックするのは、数十分前の地獄絵図だ。
燃え落ちる王宮。
『シオン、これを持っていきなさい』
父ガイウス王が、シオンの首に蒼く輝くペンダントをかけた。王家に伝わる『レイオンの秘宝』だ。
『お前が生きていれば、レイオンは滅びない。……頼んだぞ』
『お父様、お母様も一緒に!』
『私たちは囮になる。近衛隊長! 姫を頼む!!』
それが最期だった。
近衛兵たちが次々と凶弾に倒れ、シオンを逃がすために盾となり、血の海に沈んでいった光景。
全員が命懸けで繋いでくれたこの命。ここで終わらせるわけにはいかない。
「いたぞ! あっちだ!」
「逃がすな!生け捕りにしろ!」
背後から、男たちの声が迫る。
ガレッゾに雇われた傭兵たちだ。彼らは金のためなら女子供も平気で殺す外道の群れだ。
シオンは広場のような開けた場所に出た瞬間、足を止めた。
前方からも二人。左右からも一人ずつ。
完全に包囲されていた。
「観念しな、お嬢ちゃん。大人しくすりゃ、命はとらねぇ」
傭兵の一人が、舌なめずりをしながらにじり寄る。
恐怖で膝が震える。けれど、シオンは唇を噛み、ペンダントを握りしめた。
ただ守られるだけの時間は終わったのだ。
「……来ないで!!」
シオンが叫ぶと同時に、右手を突き出す。
感情の高ぶりに呼応し、大気が揺れる―刹那。
ボウッ!!
シオンの掌から、美しい蒼色の炎が噴き出す。
「うおっ!?」
「なんだこの炎は!?」
傭兵たちが慌てて飛び退く。
炎は牽制としては十分な威力を持っていたが、彼らを倒すまでには至らない。
「チッ、生意気な! 捕まえて手足を縛り上げろ!」
一瞬の隙をつかれ、死角から回り込んでいた傭兵がシオンの腕を掴んだ。
「いやっ……!」
抵抗しようとした、その時だった。
ザンッ!!
風を切る音と共に、シオンの腕を掴んでいた傭兵の首が、あらぬ方向へ飛んだ。
鮮血の噴水が上がり、シオンのローブを濡らす。
「え……?」
シオンが目を見開く。
ドサリと崩れ落ちる死体の向こうに、黒い影が立っていた。
漆黒のロングコート。無骨な機械の左腕。そして、血濡れの刀を下げた男。
「小娘一人に男どもが寄ってたかって…」
フレデリックだ。
彼は面倒くさそうに頭を掻くと、残りの傭兵たちへ視線を向けた。
「て、てめぇ何だ!?」
「さぁな…」
フレデリックの姿がブレた。
次の瞬間、彼は傭兵たちの間をすり抜けていた。
遅れて響く、三度の斬撃音。
傭兵たちは悲鳴を上げる間もなく、その体を両断され、肉塊となって地面に散らばった。
あまりにも圧倒的な暴力。
瞬きする間に四人の人間を殺したその手際は、シオンの目には「救世主」ではなく、より強大な「死神」にしか映らなかった。
(殺される……!)
極限状態のシオンの精神が、許容量を超えて軋む。
全身血まみれの男が、刀をぶら下げたまま、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
その目が、シオンの胸元のペンダントに向けられているのを見て、彼女の防衛本能が暴走した。
「……おい」
男が手を伸ばしてきた、その刹那。
「来ないでぇぇぇぇぇっ!!」
シオンの絶叫と共に、理性のタガが外れた。
体内に眠る蒼の力が体の中を駆け巡る。
先ほどとは桁違いの、視界をすべて蒼く染め上げるほどの奔流が、至近距離のフレデリックを飲み込んだ。
ゴオオオオオオオッ!!
「あ? ――ッ!?」
フレデリックの声がかき消される。
超高密度の蒼き炎は、回避不可能な津波となって彼を直撃した。
肉が焦げる臭い。炭化する音。
数秒後、炎が晴れた場所に残っていたのは、黒焦げになり、人の形を辛うじて留めた「炭」だった。
「あ……あ、あ……」
人を…殺してしまった。
シオンは腰を抜かし、目の前の黒い塊を見つめて震えた。
敵だと思った。でも、彼は私を助けてくれたのではないか……?
取り返しのつかない罪悪感が、彼女の心を押しつぶそうとした時。
ザザッ……
奇妙なノイズが響いた。
黒焦げの死体が、青白い光の粒子に包まれる。
「え?」
炭化した肉体が時間が戻るように再生していく。
焼失した髪が伸び、着用していた服さえも元に戻り
停止したはずの心臓が再び鼓動を刻み始める。
世界が「彼が死んだ」という事実を拒絶し、無理やり修正しているような、冒涜的な光景。
「……あっつ」
ボソリと。
完全に復元された男が、何事もなかったかのように呟いた。
彼は首をコキリと鳴らし、焦げたコートの煤を払う。
「長いこと生きてるが……助けた相手に火葬されるのは初めてだな。」
死んだはずの男が、呆れたような顔でシオンを見下ろしている。
シオンの思考は完全に停止した。
口をパクパクと開閉し、掠れた声でようやく一言だけ絞り出す。
「……な、何なんで……どうして……」




