第二話
小型宇宙船『キャリコ』の船内は、常に微かな駆動音に満たされている。
無機質で、冷たく、どこか落ち着く音だ。
リビングのソファには、整備用オイルとコーヒーの香りが混ざり合って漂っていた。
フレデリックは上半身裸のまま、自身の左腕――いや、左肩から先にあるべき「肉体」の代わりに装着された、武骨な機械の腕を黙々と調整している。
重金属製の義手。
指先から肘にかけて内蔵された電磁加速レール、そして無骨な排熱ダクト。それは医療用の義手などではなく、人の形をした「兵器」そのものだった。
「電圧安定。神経接続率、九十八パーセント……。相変わらず、人間離れした適応力ですね」
空中に浮かぶホログラム・ディスプレイの横で、アルは感嘆交じりの声を上げた。
フレデリックは、オイルで汚れたウエスで義手の表面を拭き上げながら、鼻を鳴らす。
「皮肉か? こちとら好きでこんな鉄くずぶら下げてるわけじゃない」
「事実を述べたまでです。通常、そのクラスの軍用義手を直結すれば、脳への負荷で気を失います。……それも貴方の『死ねない体』のおかげでしょうか」
アルの言葉に、彼は何も返さず、カチャリと義手の指を動かした。
モーター音が唸り、鋼鉄の指がなめらかに動く。
彼にとって、この義手は体の一部であり、同時に己の呪いを象徴する枷でもある。
その時。
着信を知らせるサウンドと共に新たなホログラム・ディスプレイが開かれる。
高優先度の通信割り込みだ。
『やあ。ご機嫌いかがかな? 私の大切な友人たち』
メインモニターに映し出されたのは、銀河共和国・上級元老院議員、ニール・E=ターメル。
整った顔立ちに、聖職者のような穏やかな微笑を浮かべている。
その瞳には、一点の曇りもない。まるで、世界中の全てを愛しているかのような、透き通った慈愛の光が満ちていた。
だが、フレデリックはその笑顔を見た瞬間、露骨に顔をしかめた。
悪意を向けられるより、よほど居心地が悪そうに。
「……何の用だ、ニール。定期連絡にはまだ早いぞ」
『つれないな。君の無事を確認したくてね。先の廃棄ステーションの報告書、見せてもらったよ。……心が痛んだ』
ニールは本当に悲しそうに眉を下げ、画面越しにフレデリックに手を伸ばすような仕草を見せた。
『あんなにも傷つき、死の苦痛を味わうなんて。君のような尊い存在が、泥にまみれて戦わなければならない現状が、私は悲しくてたまらないんだ』
「……お前が俺をそこに送り込んだんだろうが」
『君を救うためだよ、フレデリック。君の体の謎を解明するには、どうしても未知のエネルギーに関するデータが必要なんだ。わかってくれるね?』
悪びれる様子は微塵もない。
彼は本気で言っているのだ。「フレデリックを危険な調査に向かわせること」は「フレデリックを救うための愛ある行動」だと。
その純粋すぎる論理こそが、この男の最大の異常性だった。
『ああ、そうだ。朗報があるんだよ』
ニールはパッと表情を明るくし、子供のように無邪気な声で告げた。
画面の端に、蒼く輝く美しい惑星が表示される。
『惑星レイオン。調査員からの報告で、この星で未知の高純度エネルギーの波形が確認された…そしてその波形が君のリセットが発動する際の波形に酷似しているようなんだ』
「……波形が酷似だと?」
『そうだ! これは希望だよ。それを解析すれば、君を永遠の苦しみから解放できるかもしれない。君に、人としての安らかな眠りを返してあげられるかもしれないんだ!』
ニールの瞳が、感動で潤んでいるようにさえ見えた。
自分のことのように――いや、本人以上に、フレデリックの救済を喜んでいるのだろう。
「……本当だろうな」
『私が君に嘘をついたことがあるかい? 私はいつだって、君の幸福だけを願っている』
フレデリックは小さく舌打ちをした。
嘘ではない。この男の辞書に「悪意」という文字はない。あるのは「善意の押し付け」だけだ。
「チッ……わかったよ。とっとと調査してくればいいんだろ」
『ありがとう。ああ、それと』
通信を切る直前、ニールは心配そうに付け加えた。
『そこには、粗暴なマフィアたちが入り込んでいるようだ。君の清らかな魂が、彼らの暴力で傷つけられないか心配だよ。……もし彼らが君の任務を邪魔するなら、排除しなさい。君の未来を閉ざす障害物は、私も許せないからね』
優しく、諭すように。
彼は「皆殺し」を「排除」という綺麗な言葉で包み、許可を与えた。
「言われなくても。邪魔な羽虫は叩き潰す」
通信が切れる。
再び船内に静寂が戻ったが、空気はずっしりと重くなっていた。
「……それでは惑星レイオンへの航路を変更します、マスター」
「ああ、最短コースで頼む」
フレデリックは立ち上がり、整備台に置かれていた愛刀『斬鬼丸』を腰に差した。
その目には、先ほどまでの倦怠感はない。
ニールの過剰な愛に当てられた不快感を振り払うように、鋭く乾いた光が宿っていた。
「今度こそ死ねると良いんだがな…」




