第二十八話
ハイパースペースを疾走する『キャリコ』のブリッジは、深い静寂に包まれていた。
流れる星々の光が青白い縞模様を描く中、シオンは一人、メインコンソールに表示されたホログラム映像を凝視していた。
それは、アビスマーケットでの戦闘記録だった。
「……やっぱり、おかしいわ」
シオンの指先が、空中に浮かぶタイムラインをなぞる。
「アル。あの日、エコーズの艦隊が突入を開始したのは、私たちがドックを脱出した三十秒後……タイミングが『良すぎる』と思わない?」
『……どういう意味でしょうか、シオン様』
アルの返答には、いつもの軽妙さが欠けていた。シオンはそれに気づかず、鋭い眼差しでデータを指し示した。
「見て。エコーズの艦隊は、突入の十分前から小惑星帯の陰に展開していた。彼らの戦力なら、ゼロが私たちを襲っている最中に介入できたはずよ」
「なのに、彼らは動かなかった。まるで、フレデリックが『負ける』のを待っていたかのように」
シオンの言葉は、恐ろしい仮説へと近づいていく。
そして、もっと不可解なのはその直後だ。
「あの包囲網の中で、カルマンディとゼロ、そして重傷を負ったフレデリック……彼らだけが、煙のように消えた。いくら混乱に乗じたとはいえ、蟻の這い出る隙間もなかったはずの包囲網を、どうやって?」
それはまるで、手品だった。
観客の目を釘付けにしている間に、舞台裏でタネと仕掛けが動いていたかのような、作為的な気配。
シオンは顔を上げ、隣に佇むアルのホログラムを見つめた。
「アル、貴方の分析は? 貴方の計算能力なら、この不自然な空白の答えが出ているはずでしょう?」
『…………』
アルの光が、一瞬だけ不規則に明滅した。
『……データ不足です。敵が未知の転送技術を使用したか、あるいは……私のセンサーがキャリコへの攻撃で誤作動を起こしていた可能性が高いかと』
「誤作動? 貴方が?」
シオンは怪訝そうに眉をひそめた。戦略分析に長け、こちらの数手先を読み行動するアルが、そんな言い訳をするなんて。
「……そう。貴方がそう言うなら、そうなのね」
シオンは追求をやめ、再びコンソールに向き直った。
だが、胸の奥に芽生えた黒い種――エコーズへの、そしてニールへの疑念は、消えるどころか根を張り始めていた。彼らは本当に「正義の味方」なのだろうか? 私たちは、何か大きな盤上で踊らされているだけではないのか?
(今は考えても答えは出ない。……焦ってはダメ)
シオンは小さく首を振り、思考を切り替えた。
疑念の正体を暴くため、そして大切な相棒を救うためにも、今は唯一の手がかりをもつ男――ガレッゾに会わなければならない。
「あとどれくらいで着くの?」
『……まもなくです。監獄惑星タルタロス、宙域に入ります』
シオンはコンソールの窓から、漆黒の宇宙を見据えた。
その瞳には、もう迷いも涙もなかった。あるのは、真実を掴み取るための冷徹な光だけだった。
*
『ワープアウトまで、3、2、1……到達』
空間が歪み、星々の光が線となって流れ去る。
『キャリコ』が実体化したのは、禍々しい赤黒いガスに包まれた巨大な惑星――監獄惑星タルタロスの衛星軌道上だった。
眼下には、無数の監視衛星と自動迎撃砲台が、惑星を覆うように張り巡らされている。
「……すごい数。まさにネズミ一匹通さない感じね」
シオンが息を呑む。
『正規ルートでの接近は不可能です。ですが、私たちにはオルトゥージャで得た新たな装備があります』
アルの冷静な声と共に、コンソールに『STEALTH MODE: ACTIVE』の文字が躍った。
『光学迷彩および熱源遮断フィールド、展開。……これより、防衛網の隙間を縫って大気圏へ突入します』
キャリコの船体が周囲の星空と同化し、その姿を消す。
オルトゥージャの職人たちが、今は無き星間連合軍の技術を再現して搭載した新機能だ。
シオンは固唾を飲んでモニターを見つめた。レーダーには、赤く点滅する敵の索敵範囲が迫ってくる。
接触まで数秒。もし見つかれば、数百門のレーザー砲が一斉に火を噴く。
(お願い……!)
キャリコは幽霊のように、監視衛星の真横を滑り抜けた。
アラートは鳴らない。砲台もピクリとも動かない。
『……通過。防衛網を突破しました』
「やったわね! さすがオルトゥージャの技術力!」
『油断は大敵です、シオン様。本当の地獄はここからです』




