第二十三話
時間は遡り、アビスマーケットからの脱出から数時間後。
満身創痍の『キャリコ』は、自動航行で漆黒の宇宙を漂っていた。
薄暗いブリッジに、エコーズからの通信が入る。ホログラムで投影されたのは、慈愛に満ちた笑顔を浮かべるニール・E=ターメルだった。
『報告によれば、アビスマーケットへの突入作戦は成功。オークション参加者の大半を拘束したとのことだ』
ニールは淡々と事務的な報告を述べた後、少しだけ眉を下げた。
『だが……残念ながら、カルマンディと、君たちが見たという「銀色のサイボーグ」、そしてフレデリックの行方は掴めていない。恐らく、混乱に乗じて別のルートから脱出したと思われる……フレデリックを連れてね』
「フレデリックが行方不明!? エコーズは……何をしていたのですか!」
シオンは席を立ち上がり、ホログラムに向かって叫んだ。
「彼は、私たちを逃がすために一人であの怪物と戦ったのです! 私たちもすぐに引き返し、捜索に加わります!」
必死の訴え。だが、ニールの反応は予想外のものだった。
彼はまるで、聞き分けのない子供をあやすような、甘く、それでいて底冷えするような声色で囁いたのだ。
『ああ……かわいそうに、シオン王女。見てごらん、そんなにボロボロになって』
「……え?」
『君のように才があり美しいヒトが、血と煤にまみれるなんてあってはならないことだ』
ニールは画面越しに手を伸ばす仕草を見せた。シオンの悲痛な訴えなど、最初から聞こえていないかのように。
「私の話を聞いてください! フレデリックが……! 彼が兵器商人に捕まったかもしれないのですよ!?」
『フレデリック? ……ああ、彼の心配なら不要だろう』
ニールは興味なさそうに首を傾げた。
『彼は不死身だ。手足を千切られようが、脳を焼かれようが、すぐに元通りになる。多少手荒く扱われても、痛みなんて一瞬の感覚にすぎないさ』
「……っ!?」
シオンは息を呑んだ。
言葉の意味を理解するのに数秒かかった。理解したくなかった。
この男は、フレデリックを一人の人間として……命ある者として見ていない。
「あなたは……あなたは何を言っているのですか!? 彼は人間です! 心も、痛みも感じる人間なのですよ!」
『君は混乱しているんだね。無理もない』
ニールは優雅に微笑んだまま、シオンの抗議を切り捨てた。
『目的だった秘宝の奪還は叶ったんだ。君はレイオンへ帰りなさい。そこで傷を癒し、民と共に国を再興するといい。それが一番だ。きっと亡きご両親もお喜びになるだろう』
(この人には、話が通じない……!)
シオンの背筋に悪寒が走る。このままでは、レイオンに連れ戻され、フレデリックは見捨てられる。
絶望しかけたその時、沈黙を守っていたアルが割って入った。
『ニール様。シオン様が心身共に疲弊しているのは同意します。即時の休養が必要です』
「アル!」
シオンが驚いてアルを見る。まさか、ニールに賛同するのか。
だが、アルのホログラムは至って冷静だった。
『ですが、本船キャリコは先の戦闘で損傷が激しく、レイオンまでの長距離航行には耐えられません。ワープドライブを使用すれば機体が崩壊する恐れがあります』
『ほう?』
『ですので、進路上の惑星オルトゥージャでの修理・補給を経由した後、万全の状態でシオン様を送り届けます。……それが最も安全かつ、論理的な判断かと』
船内を沈黙が支配する。
ニールの視線が、シオンを通り越し、アルのホログラムを射抜く。
その瞳の奥で、冷徹な計算が走っているのをシオンは肌で感じた。アルは今、ニールに対してギリギリの嘘――あるいは方便を使っている。
『SSO‐008……。それが、お前の分析の結果か?』
長い、永遠にも思える数秒間。
やがて、ニールは口元を三日月のように歪めた。
『ふふっ、なるほど』
『……いかがでしょうか』
『わかった、許可しよう。オルトゥージャでの修理を認める』
ニールは頷き、最後にシオンをじっと見つめた。その視線は慈愛ではなく、まるでショーケースの中の宝石を値踏みするような、粘着質な熱を帯びていた。
『シオン王女、くれぐれも無理をしてはいけないよ? その美しい器は、この宇宙の宝なのだから』
プツン、と通信が切れる。
ホログラムが消えたブリッジに、シオンの荒い呼吸だけが残された。
フレデリックは行方不明。頼みの綱のエコーズ司令官は、話の通じない変人だった。
戦闘でのダメージよりもフレデリックを見捨ててしまった自責の念でシオンの心は激しい痛みを感じていた。
取り返したレイオンの秘宝も今は悲しく青い光を放つだけだった…。




