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XROSSPHERE~クロスフィア〜蒼の王女と不死身の剣士  作者: 東山小月
第五章:『悲しみの帰郷、王女の決断』
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第二十二話

 銀色の死神によって傷を負ったキャリコは、満身創痍の状態で大気圏を突き破った。

 警告音が鳴り止まないブリッジ。メインスラスターの一基は完全に沈黙し、装甲板はあちこちが剥がれ落ち、摩擦熱で赤熱したまま、惑星オルトゥージャの赤錆色の大地へと降下していく。


『高度、低下。……着陸シークエンス、強制実行。衝撃に備えてください』


 アルの冷静なアナウンスとは裏腹に、船体は激しく振動した。目指すは、広大な渓谷の底に隠された、巨大な岩盤の裂け目。かつてアルが眠り、フレデリックと出会い、そして旅立った「始まりの場所」である秘密の地下ドックだ。


 ズズズズズ……ガギィィィン!!


 金属と岩が擦れ合う絶叫のような音を立てて、キャリコはドックの着陸ポートへと滑り込んだ。白煙と火花が舞う中、巨体はようやく静止する。完全な沈黙。それは、長い逃避行の終わりを告げる、重苦しい静寂だった。


 プシュゥゥゥ……。

 油圧シリンダーが呻き声を上げ、エアロックが開放される。その音を合図に、ドックの待機所から人々が雪崩れ込んできた。


「おい、消火班! 冷却剤をぶっかけろ! エンジンが溶けちまうぞ!」

「動力パイプを用意しろ! 補助電源、直結急げ!」


 怒号のような指示を飛ばしながら駆け寄ってきたのは、油と煤にまみれた作業着姿の男たちだ。彼らはただの整備士ではない。この過酷な環境の惑星で、三百年もの間、アルが伝えた技術を守り、発展させてきた「オルトゥージャ重工」の精鋭職人たちである。

 彼らは黒煙を上げるキャリコの惨状を見て、息を呑んだ。


「ひでえ……。こりゃあ、装甲が紙っぺらみたいに捲れてやがる」

「メインフレームも歪んでるぞ。一体どんなバケモノとやり合ってきたんだ?」


 悲痛な声が漏れる。彼らにとって、この船はただの機械ではない。自分たちの先祖を救い、この星に文明の火を灯した「守り神」の身体そのものなのだ。

 その船首から、青白い光の粒子が集束し、一人の青年――アルのホログラムが姿を現す。


『……帰還しました。ご迷惑をおかけします』


 アルが深々と頭を下げると、職人たちは慌てて居住まいを正し、その場に片膝をついた。それは、君主に対する礼儀以上の、信仰にも似た純粋な敬意の表れだった。


「顔を上げてください、守り神様もりがみさま! 我々に頭など……!」


 彼らの眼差しには、一点の曇りもない。彼らにとってアルは、やはりこの星を見守る絶対的な神であり、精神的支柱なのだ。


 その輪の中から、杖をついた一人の老人が歩み出た。白髭を長く伸ばし、顔に深く刻まれた皺が年輪を感じさせる。この地下都市を取り仕切るおさだ。


「……よくぞ戻られた。守り神様」


 長は慈愛に満ちた瞳でアルを見つめたが、すぐにその視線は鋭くなり、背後のタラップへと向けられた。


「して……あの『減らず口の英雄殿』はどうなされた? いつもなら、着陸するなり『整備が遅い』と怒鳴り散らしてくる頃合いでしょうが」


 長の問いに、周囲の職人たちも期待に満ちた顔を上げた。この星のもう一人の伝説。口は悪いが腕は立ち、神様アルの手綱を握れる唯一の男。

 アルのホログラムが、一瞬だけ揺らいだ。


『……マスターは、いません』

「……何?」

『彼は……私たちを逃がすために、敵の手に落ちました』


 ドックの空気が凍りついた。あの無敵のフレデリックが? 捕らわれた? その事実は、彼らにとって天変地異にも等しい衝撃だった。

 その重苦しい沈黙の中、タラップから、よろめくような足音が響いた。


「……はぁ、はぁ……」


 現れたのは、煤と血で汚れ、エネルギー切れで所々の機能が停止したナノ・スーツを纏った少女――シオンだった。彼女の顔色は死人のように蒼白だった。

 シオンは、眩しそうに目を細め、集まった人々を見渡した。そして、その視線が長と合った瞬間、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「っ……! ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


 涙が、乾いたコンクリートに染みを作る。


「私が……私が弱かったから……。彼を……フレデリックを、置き去りにしてしまった……っ!」


 嗚咽が止まらなかった。彼らにとって大切な「英雄」を犠牲にして、のうのうと逃げ延びた自分など、この神聖な場所には相応しくない。怒号が飛んでくるはずだ。「出ていけ」と言われるはずだ。

 シオンは身体を硬くして、断罪を待った。

 だが。


「……何を言ってなさる」


 降ってきたのは、怒声ではなく、温かく分厚い手だった。長が、震えるシオンの肩に自分の上着をかけたのだ。


「顔をお上げなさい、お嬢さん」


 シオンが恐る恐る顔を上げると、そこには怒りなど微塵もない、悲しみと優しさを湛えた老人の顔があった。


「あのフレデリック様が、ご自分を犠牲にしてあんたを逃がした。……そうなんですな?」

「……はい。私を守るために、自ら犠牲に……」

「ならば」


 長は、シオンの涙を親指で乱暴に、しかし温かく拭った。


「あんたが生きてここにいることこそが、あの人の勝利の証だ。……あの損得にうるさい男が、我が身を差し出してでも『守る価値がある』と選んだ命だ。それを責める奴なんぞ、この星には一人もいやしない」


 長の言葉に呼応するように、周りの職人たちも力強く頷いた。


「そうだとも! 英雄様が選んだお嬢さんだ。俺たちにとっちゃ家族も同然だ!」

「よく無事に帰ってきてくれた! 今はそれだけで十分だ!」


 職人たちが口々に叫ぶ。そこにあるのは、純粋な善意と、フレデリックへの揺るぎない信頼だった。


「あ……ぅ……」


 シオンの喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。張り詰めていた緊張の糸が、完全に断ち切られる。ここは敵地ではない。孤独な逃亡の果てにたどり着いた場所は、鋼鉄と油の臭いがする、銀河で一番温かい場所だった。


「……守り神様。後のことは我々に任せてくだされ」


 長がアルに目配せをする。


『……感謝します。彼女を、頼みます』


 アルの言葉を聞き届けたかのように、シオンの意識が急速に遠のいていった。視界の端で、誰かが自分を抱き上げるのが見えた。その腕の温もりが、遠い記憶の中にある父のそれに似ているような気がして、シオンは深い闇へと沈んでいった。


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