第二十二話
銀色の死神によって傷を負ったキャリコは、満身創痍の状態で大気圏を突き破った。
警告音が鳴り止まないブリッジ。メインスラスターの一基は完全に沈黙し、装甲板はあちこちが剥がれ落ち、摩擦熱で赤熱したまま、惑星オルトゥージャの赤錆色の大地へと降下していく。
『高度、低下。……着陸シークエンス、強制実行。衝撃に備えてください』
アルの冷静なアナウンスとは裏腹に、船体は激しく振動した。目指すは、広大な渓谷の底に隠された、巨大な岩盤の裂け目。かつてアルが眠り、フレデリックと出会い、そして旅立った「始まりの場所」である秘密の地下ドックだ。
ズズズズズ……ガギィィィン!!
金属と岩が擦れ合う絶叫のような音を立てて、キャリコはドックの着陸ポートへと滑り込んだ。白煙と火花が舞う中、巨体はようやく静止する。完全な沈黙。それは、長い逃避行の終わりを告げる、重苦しい静寂だった。
プシュゥゥゥ……。
油圧シリンダーが呻き声を上げ、エアロックが開放される。その音を合図に、ドックの待機所から人々が雪崩れ込んできた。
「おい、消火班! 冷却剤をぶっかけろ! エンジンが溶けちまうぞ!」
「動力パイプを用意しろ! 補助電源、直結急げ!」
怒号のような指示を飛ばしながら駆け寄ってきたのは、油と煤にまみれた作業着姿の男たちだ。彼らはただの整備士ではない。この過酷な環境の惑星で、三百年もの間、アルが伝えた技術を守り、発展させてきた「オルトゥージャ重工」の精鋭職人たちである。
彼らは黒煙を上げるキャリコの惨状を見て、息を呑んだ。
「ひでえ……。こりゃあ、装甲が紙っぺらみたいに捲れてやがる」
「メインフレームも歪んでるぞ。一体どんなバケモノとやり合ってきたんだ?」
悲痛な声が漏れる。彼らにとって、この船はただの機械ではない。自分たちの先祖を救い、この星に文明の火を灯した「守り神」の身体そのものなのだ。
その船首から、青白い光の粒子が集束し、一人の青年――アルのホログラムが姿を現す。
『……帰還しました。ご迷惑をおかけします』
アルが深々と頭を下げると、職人たちは慌てて居住まいを正し、その場に片膝をついた。それは、君主に対する礼儀以上の、信仰にも似た純粋な敬意の表れだった。
「顔を上げてください、守り神様! 我々に頭など……!」
彼らの眼差しには、一点の曇りもない。彼らにとってアルは、やはりこの星を見守る絶対的な神であり、精神的支柱なのだ。
その輪の中から、杖をついた一人の老人が歩み出た。白髭を長く伸ばし、顔に深く刻まれた皺が年輪を感じさせる。この地下都市を取り仕切る長だ。
「……よくぞ戻られた。守り神様」
長は慈愛に満ちた瞳でアルを見つめたが、すぐにその視線は鋭くなり、背後のタラップへと向けられた。
「して……あの『減らず口の英雄殿』はどうなされた? いつもなら、着陸するなり『整備が遅い』と怒鳴り散らしてくる頃合いでしょうが」
長の問いに、周囲の職人たちも期待に満ちた顔を上げた。この星のもう一人の伝説。口は悪いが腕は立ち、神様の手綱を握れる唯一の男。
アルのホログラムが、一瞬だけ揺らいだ。
『……マスターは、いません』
「……何?」
『彼は……私たちを逃がすために、敵の手に落ちました』
ドックの空気が凍りついた。あの無敵のフレデリックが? 捕らわれた? その事実は、彼らにとって天変地異にも等しい衝撃だった。
その重苦しい沈黙の中、タラップから、よろめくような足音が響いた。
「……はぁ、はぁ……」
現れたのは、煤と血で汚れ、エネルギー切れで所々の機能が停止したナノ・スーツを纏った少女――シオンだった。彼女の顔色は死人のように蒼白だった。
シオンは、眩しそうに目を細め、集まった人々を見渡した。そして、その視線が長と合った瞬間、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「っ……! ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
涙が、乾いたコンクリートに染みを作る。
「私が……私が弱かったから……。彼を……フレデリックを、置き去りにしてしまった……っ!」
嗚咽が止まらなかった。彼らにとって大切な「英雄」を犠牲にして、のうのうと逃げ延びた自分など、この神聖な場所には相応しくない。怒号が飛んでくるはずだ。「出ていけ」と言われるはずだ。
シオンは身体を硬くして、断罪を待った。
だが。
「……何を言ってなさる」
降ってきたのは、怒声ではなく、温かく分厚い手だった。長が、震えるシオンの肩に自分の上着をかけたのだ。
「顔をお上げなさい、お嬢さん」
シオンが恐る恐る顔を上げると、そこには怒りなど微塵もない、悲しみと優しさを湛えた老人の顔があった。
「あのフレデリック様が、ご自分を犠牲にしてあんたを逃がした。……そうなんですな?」
「……はい。私を守るために、自ら犠牲に……」
「ならば」
長は、シオンの涙を親指で乱暴に、しかし温かく拭った。
「あんたが生きてここにいることこそが、あの人の勝利の証だ。……あの損得にうるさい男が、我が身を差し出してでも『守る価値がある』と選んだ命だ。それを責める奴なんぞ、この星には一人もいやしない」
長の言葉に呼応するように、周りの職人たちも力強く頷いた。
「そうだとも! 英雄様が選んだお嬢さんだ。俺たちにとっちゃ家族も同然だ!」
「よく無事に帰ってきてくれた! 今はそれだけで十分だ!」
職人たちが口々に叫ぶ。そこにあるのは、純粋な善意と、フレデリックへの揺るぎない信頼だった。
「あ……ぅ……」
シオンの喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。張り詰めていた緊張の糸が、完全に断ち切られる。ここは敵地ではない。孤独な逃亡の果てにたどり着いた場所は、鋼鉄と油の臭いがする、銀河で一番温かい場所だった。
「……守り神様。後のことは我々に任せてくだされ」
長がアルに目配せをする。
『……感謝します。彼女を、頼みます』
アルの言葉を聞き届けたかのように、シオンの意識が急速に遠のいていった。視界の端で、誰かが自分を抱き上げるのが見えた。その腕の温もりが、遠い記憶の中にある父のそれに似ているような気がして、シオンは深い闇へと沈んでいった。




