第十七話
そうして、数ヶ月後。
ドックの中央に、一隻の船が鎮座していた。
全長約六十メートル。軍用艦の装甲を流用した、無骨で角ばったシルエット。
最新鋭の流線形とは程遠い、継ぎ接ぎだらけの鉄塊。だが、その表面にはオルトゥージャ合金特有の鈍い輝きがあり、職人たちが叩き上げたハンマーの痕跡が、まるで竜の鱗のように美しく波打っていた。
恒星間航行宇宙船『キャリコ』。それが、この船の名前だった。
「……フン。見た目は不細工だが、悪くない」
タラップを降りてきたフレデリックが、完成した船を見上げて鼻を鳴らした。彼の手には、オルトゥージャの職人が修復した愛銃『ブラック・ガルム』が握られている。
『不細工とは心外ですね。耐久性と積載量を最優先した、極めて合理的な設計です』
アルの本体は、すでにこの船のメインコンピュータへと移植されていた。船そのものが、今のアルの身体だ。
「中身の性能の話だ。……まあ、これなら宇宙でも沈まんだろう」
それは、この男にしては最大限の賛辞だった。
フレデリックは腰のホルスターに銃を収めると、思い出したように新たな体を得た元神様に尋ねた。
「おい。そういえば、いつまでその名前でいるつもりだ」
『名前、ですか? 本機の識別コードは宇宙戦艦用戦術運用人工知能SSO-008 TYPE-αですが』
「長い」
フレデリックは即答した。
「エスエスなんたらなんて、戦闘中に呼んでられるか。舌を噛んで死ぬぞ」
『……あなたの反射神経と口腔構造を分析しましたが、発話により死亡する確率は0.00%です』
「うるさい。……『アル』だ」
『……は?』
「タイプアルファのアルだ。シンプルでいい。文句があるなら降りろ」
『これは私の体です』
「じゃあ黙ってろ、アル」
強引な決定だった。だが、モニターの奥で、思考ルーチンは奇妙な「肯定」の信号を発していた。
SSO-008 TYPE-αという無機質な製造番号ではない。個体としての名前。相棒としての呼び名。
『……登録名称を変更。個体名「アル」として再設定しました』
「よし。それじゃ出発するぞ、アル」
エンジンが咆哮を上げる。
民たちの歓声と、「ありがとう!」という涙声に見送られながら。
鋼鉄の塊は重力圏を振り切り、満天の星空へと駆け上がっていった。
偽りの神は死に、一隻の船が生まれた。
死にたがりの剣士とお節介なAI、そして人々の愛を乗せたその船は、終わりのない旅へと漕ぎ出したのだ。
*
アルの昔話が終わると、コックピットには再び静寂が戻った。
だが、その沈黙は先ほどまでの重苦しいものではなく、どこか柔らかい温度を持っていた。
「……素敵な、お話でした」
シオンはそっと手を伸ばし、船の内壁に触れた。
無機質な金属の冷たさ。けれどその奥には、三百年前にオルトゥージャの職人たちが込めた熱と、アルを守ろうとした民たちの愛が、確かに息づいている気がした。
ただの鉄の塊ではない。この船『キャリコ』そのものが、彼らの絆の証なのだ。
「貴方がたが、なぜこれほど強い信頼で結ばれているのか、少しだけ分かった気がします」
シオンが微笑むと、背後のソファから低い声が響いた。
「……昔話は終わったか」
振り返ると、フレデリックが体を起こし、気まずそうに頭をかいているところだった。
「あら、起きていらしたのですか?」
「今起きたとこだ。……ったく、人の過去を美談に脚色しやがって。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
『おや、おかしいですね? 『今起きた』はずなのに、内容をご存じとは』
アルの愉快そうなツッコミに、フレデリックは「チッ」と舌打ちをして視線を逸らした。
「うるさい。……おい、あとどれくらいで着く」
『照れ隠しですね。分かります』
「座標だ! 座標を聞いてんだよ!」
フレデリックの怒鳴り声に、シオンは思わず吹き出した。
不死身の剣士と、元神様のAI。悠久の時を生きる彼らの日常に、自分がいま混ざっていることが、不思議で、そして嬉しかった。
『目的地【アビスマーケット】までは、あと十日。今のペースなら予定通りです』
「十日か……。なら、丁度いい」
フレデリックは立ち上がり、その瞳が鋭い剣士のものに戻る。
「シオン。お前、少しはマシな動きができるようになったが、まだまだ実戦じゃ死ぬぞ」
「え……?」
「到着までの間、みっちりしごいてやる。アル、ニールにもらったおもちゃを使ってシオンを鍛える。レベルは……そうだな、『対人制圧・上級』だ」
『了解しました。……シオン様、お覚悟を。鬼教官の登場です』
ええっ、と悲鳴を上げるシオンの背中を、フレデリックが強引に押して部屋を出て行く。
賑やかになった船内を見守りながら、アルの思考回路には温かい感情データが蓄積されていた。
三百年の旅路で、これほど彼が生き生きとしているのは初めてかもしれない。シオンという存在が、凍り付いていた彼の時間を動かし始めている。
(……ですが)
アルはふと、自身のメモリの最深部、誰にもアクセス権を与えていない『ブラックボックス』領域に意識を向けた。
そこには、フレデリックにさえ話していない、三百年間の――『裏切りの記憶』が眠っている。
(マスターがその真実を知った時……果たして今と同じように笑ってくれるでしょうか)
モニターの明滅が、一瞬だけ不穏な色を帯びた。
キャリコは幾千の星の光を受けながら、漆黒の宇宙を静かに進んでいく。
次の舞台、欲望渦巻く闇市場アビスマーケットへと向かって。




