第三章:魂の洞窟
砂塵舞う荒野を、李玄耀はひとり歩いていた。
焼けつく陽と乾いた風。生も死も飲み込むような無辺の大地。
背負うものは何もない。
あるのは、奪われたという痛みだけだった。
「疲れた……」
足が止まり、膝が崩れ落ちる。
乾いた喉からは、言葉も出なかった。思考も、もはや朦朧としていた。
──誰のために? 何のために?
生きる意味さえ見失いかけていた、そのとき。
視界の奥に、ぽっかりと開いた黒い穴が写った。
「……洞窟?」
まるで彼を待っていたかのように、地の裂け目は静かに口を開いている。
無意識のうちに、玄耀の足はその闇に引き寄せられた。
洞窟の奥には、青白く揺れる不思議な光が満ちていた。
岩肌には見たこともない古代文字が刻まれ、空気はどこか緊張感を帯びている。
最奥に、ひとつの石の台座があった。
その上には、黒い鞘に収められた朽ちかけた剣が置かれていた。
──死んだ遺物ではない
玄耀は、無意識にその鞘に手を伸ばした。触れた瞬間、耳元に声が響く。
「ようやく来たか」
その声は、確かに彼の脳裏に響いた。
振り返ると、そこには白髪の老人がそこに立っていた。
衣は風にそよがず、身体は半ば透けている。
それでもその存在には、剣よりも鋭い威圧があった。
「名は龍蓬。……かつて、この《龍脈剣》を手に、幾万の命を斬り捨てた者だ」
その言葉に誇りはなく、寂しさと自嘲がにじんでいた。
「お前に問う。何のために生きる?」
玄耀は一瞬ためらったが、すぐに答えた。
「……生きて、全てを取り戻す。俺の剣で」
その言葉は、自らを奮い立たせるようだった。
龍蓬は目を細め、かすかに笑う。
「いい目だ。だが、“それ”は、かつて私も言ったことだ」
玄耀は目を見張った。
「あなたも……?」
龍蓬は静かにうなずいた。
「昔、私は“世界を変えるため”にこの剣を手にした。理想と正義を掲げ、剣を振るい、敵を滅ぼし、味方さえ切り捨てた。
だが──最後に残ったのは、廃墟と、俺を恐れる人々の眼差しだった」
その言葉が、玄耀の胸に重くのしかかる。
龍蓬は続ける。
「私は、剣を持ちすぎた。……世界を変えようとしすぎた。
だが、剣が映し出したのは、私の魂の暗部だけだった。自分の信念を貫こうとしたが、その裏で、どれだけ多くの命を踏み躙ったか……」
その言葉には、ただ深い悔恨が込められていた。
そして彼はゆっくりと宙を見上げた。
「この剣は、力を与える剣ではない。持つ者の“魂”を映し、試し、暴き、砕く。
私はそれに堪えられず、ついにはこの洞に自らを封じた。剣と共に、悔いの中で死ぬためにな」
龍脈剣の伝承が語り継がれる理由は、ただの刃ではないからだ。
その力は、持つ者の覚悟を問う。持ち主が己の道をどう選び、どれだけ犠牲を払い続ける覚悟があるのかを、試し続けるのだ。
そのため、伝説ではこの剣を手にした者は、必ずその「魂の試練」を迎え、その重みに耐えられぬ者は最終的にその力に溺れ、破滅すると言われている。
剣は、単なる武器ではない。力を持っていても、その力が何を為すのか──何のために振るうのか──それが、最も重要なのだと、龍蓬の言葉はしっかりと玄耀の心に刻まれた。
「……だからこそ、私は待っていた。
剣の力に溺れず、それでも選び続ける者を」
次の瞬間、洞窟の空間が歪み、闇の中から無数の幻影が立ち現れた。
父、母、兄、妹──李鈴蘭の幻。
「兄上、私、怖かった……どうして、あの日来てくれなかったの……?」
その声は、まるで刃のように鋭く玄耀の胸を貫いた。
さらに、幻影の中に民衆の声が混じる。
「李家は高潔を装っていたが、結局、我らを救ったか?」
「お前の剣が守ったのは誰だ? 自分か? 家名か?」
──玄耀自身の中にある「疑念」が、声となって彼を責め立てた。
「違う……違う、んだ……!」
彼は剣を抜く。その重みは、ただの鉄ではない。
彼の罪、無力、悔恨──そのすべてが込められているような重み。
幻影たちは倒しても倒しても現れた。
家族の亡霊、裏切りの記憶、血の幻、民の怒り──。
だが玄耀は、立ち続けた。
「俺は……それでも、生きて選びなおす」
「剣に問われるなら……応えるさ。何度でも!」
その言葉と共に、最も痛ましい幻影を斬り伏せたとき──
洞窟には静寂が戻った。
龍蓬はゆっくりとうなずき、言った。
「合格だ」
「この剣、《龍脈剣》は、お前の魂と結ばれた」
玄耀はその剣を握る。かつてよりも軽く、だが確かな重みがあった。
「剣とはな、ただの刃じゃない。持つ者の“生き様”そのものだ。
……生きて、選び続けろ。破壊ではなく、創り出す者として」
その言葉が、玄耀の中で新たな覚悟を呼び覚ます。
剣聖・龍蓬の姿が、青白い光の中で消えていく。
それは、ようやく救われたような微笑みだった。
──かつてすべてを失った男が、魂の剣を手にした。
新たな旅は、まだ始まったばかりだ。




