表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍脈の剣  作者: 白鳳


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/3

第二章:命の灯火

焼け焦げた李邸の石畳の上、玄耀は膝をついていた。

目の前には、血に染まった鈴蘭の髪紐が落ちていた。

ほんのわずかな香りさえも、今は土と煤に埋もれ、消えかけている。

「……全部、守れなかった」

その言葉を口にした瞬間、喉が裂けるような痛みが走った。

悔しさか、それとも怒りか──否、そんなものではない。

それは、言葉にできないほどの虚無感。

心が、まるで削り取られたように、空っぽになっていた。

でも、玄耀は剣を握っていた。

無意識のうちに、それだけを握りしめていた。

「いつでも、戦えるように──」

その本能だけで、彼は静かに立ち上がり、燃え盛る屋敷の奥へ足を踏み入れた。

焼け落ちる柱の下で、倒れた侍女の影が見えた。

彼に従い、命を捧げた高春の姿も消えた。

すべてが過去になっていく中で──

「──まだ、生きていてくれて、よかった」

その声は、炎の向こうから、確かに届いた。

玄耀が剣を構えると同時に、その気配を感じ取った。

すぐに顔を上げ、驚きとともに声を漏らす。

「……思穎?」

煙の中から現れた少女。

銀色の髪は煤に染まりながらも、どこか凛とした光を放っていた。

思穎──彼女は精霊を紡ぐ巫女であり、帝都直属の神官でもある。

神事で何度も顔を合わせてきた彼女は、ただの同士ではない。

志を同じくする、心の支えでもあった。

思穎の目には、玄耀の痛みがすべて映し出されているようだった。

彼女はかつて、神官として無数の命を預かり、過去の戦争で心を痛めていた。

だが、彼女はその痛みを抱えながらも、常に誰かを支え続けてきた。

彼女にとって、玄耀の存在は、ただの戦友や仲間ではなく、心の中で最も信頼できる相手だった。

それは、彼の剣を通じて、彼の心の奥深くに触れたからだ。

「急いで。ここはもう、時間がないわ」

思穎は彼の手を取ろうとした。

だが、玄耀はそれを振り払うように言った。

「……なぜ来た」

「逃げろ、思穎。俺はもう──」

「あなたを置いて、逃げられるわけないでしょう!」

その声は、まるで炎を突き破るように、玄耀の心を貫いた。

思穎の言葉が、玄耀の胸に響き渡る。

彼の心の奥底──今まで誰も触れられなかったその最も深い部分にまで、彼女の声は届いていた。

思穎の心の中でも、彼の痛みが呼び覚まされる。

彼女は、戦争で家族を失い、両親の無念を胸に抱えて生きてきた。

けれど、彼女の耐えがたい苦しみを、玄耀が分かち合ってくれたことで、彼女もまた立ち上がれたのだ。

それだけに、彼が今、すべてを諦めようとしていることが耐えられなかった。

「李家は滅びました。でも……あなたはまだ、生きている」

その言葉に、玄耀の胸が痛んだ。

「あなたの剣は、まだ何も終えていない」

「……終わったんだよ。すべて……俺の手で終わったんだ……!」

玄耀は呻くように吐き出した。

言葉にならぬ感情が、堰を切ったように溢れ出す。

「助けられなかった。家族も、民も。

俺の剣は、ただの飾りだった……。理想なんて、虚構だった……!」

目を閉じると、妹の泣き声が耳に響く。

厳格だった父の背中、母の温かな手、兄の信頼に満ちた眼差し。

全てが剣の影に消えた。

「俺は……生きている資格なんて──」

その言葉が続かない。

思穎は、そっと彼の胸に手を当てた。

そして、歌うように囁いた。

「では、あなたの痛みの中で、私は何度も祈ります。

誰よりも強く、弱かったあなたの心が、それでも生きようとする限り──

私は、あなたの隣にいます」

その言葉が、炎よりも温かく、彼の胸に染み込む。

玄耀の瞳から、一筋の涙がこぼれた。

それは、もはや止めようとしても止められなかった。

思穎の手が、静かに彼の手を握る。

「逃げるわけじゃない。……これは、“繋ぐ”ための撤退よ。

未来に、もう一度あなたが立ち上がるために──」

その言葉が、玄耀の心の中で、何かを呼び覚ました。

思穎の術によって、結界が張られる。

爆音とともに、屋敷の天井が崩れかける中、彼女は玄耀の手を強く握った。

そして、共に闇の抜け道へと飛び込んだ。

その瞬間、玄耀はほんの少し目を閉じた。

──これが、最後だと思っていた。

だがまだ、誰かが手を差し伸べてくれるなら──

「思穎……ありがとう」

地の底を走る密道を抜け、遠くに夜空の月が見えたとき──

玄耀の中で、確かに何かが変わり始めていた。

剣を握る手が、わずかに力を取り戻していた。

それでも、痛みは残る。

家族の死、帝国への憎しみ、己の無力。

それらは深く彼の中に沈んで、まだ出口を見つけられずにいる。

──そして彼は、荒野へと旅立った。

魂の底で、再び“何か”と向き合う日が来ることを、知らぬまま。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ