第一章:全てを失う日
春風が吹き、華やかな行列が行き交う天華帝国・京師。しかし、その香りには腐敗と陰謀の臭いが混じっていた。
豪華な宮殿が立ち並ぶ都の大路とは裏腹に、帝国の中枢では闇が広がり、民はその圧制と欲に喘いでいた。
その日、若き武官・李玄耀は、大路を真っ直ぐ歩いていた。
王族の血を引く李家の次男。十九にして高級武官へ昇進した才覚と、その剣技は帝国随一だ。
「李様!先程の訓練での技、凄いです! あの型、どうやったら──」
少年兵の一人が駆け寄ってくる。細身で槍を背負った、まだ半人前の高春という子だ。
「技は教えられるが、心は教えられん。自分で鍛えろ」
玄耀は口元を緩めたが、その瞳は鋭い。
民には英雄と讃えられ、兵たちには憧れられる存在。
理想と責務、そのすべてを背負った若武者の風格を漂わせている。
だがその瞳は、外からは見えないものを見つめていた。
帝国の支配層はすでに腐り果て、宮中には黒い影がはびこっていた。
若き玄耀は、日々戦場に出ることで、その腐敗が広がっていく様を目の当たりにしていた。
目の前の華やかな都も、その背後では弱者を圧迫し、権力者は取りつかれたように私欲を肥やすばかり。
「このままでいいのか……」
彼の心にあるのは、帝国を正すという一筋の願いだったが、次第にそれが無力に感じ始めていた。
どれだけ戦い、どれだけ忠義を尽くしても、腐敗した体制がその努力を無にしてしまうからだ。
そして、その腐敗は、ついに彼にまで迫ってきた。
その日の朝議で、帝王の側近にして裏で国を操る権臣が、高殿に響き渡るよう声高に叫んだ。
「李玄耀、謀反の罪により即刻捕縛せよ!」
証拠として掲げられたのは、捏造された密書──
「帝王暗殺の計画書」なるものが、玄耀の名で書かれていたというものだった。
「違う!これは罠だ!」
玄耀は必死に叫んだが、靖帝は何も言わず、ただ空虚な目で彼を見ていた。
老臣たちは沈黙し、味方であるはずの者たちさえも、彼から目を逸らす──すべては、仕組まれていた。
宮中ではすでに、官僚たちの腐敗が深く根を張っていたのだ。
そして、李家の力を恐れた権臣たちは、玄耀の剣技と名声を目障りに思い、排除しようと画策。何より恐れていたのは、玄耀の心に宿る「変革の意志」だった。
彼が権力を握れば、腐った体制が崩れ去ると危惧していたのだ。
その結果、李家は粛清されることとなった。
剛直な父、聡明な兄、優しい母、そして十五歳の妹、鈴蘭──家族全員が、闇に葬られた。
「兄上、今日もお身体に気をつけてくださいね」
その言葉が、妹と交わした最後の会話となった。
屋敷の焼け跡に残されていたのは、妹の髪を結っていた絹の髪紐だけ。
追放される直前、玄耀は一度だけ京師を振り返った。
かつてまばゆい光に覆われていた都は、黒く立ち込めた闇に包まれ、ぼやけて滲んで見えた。
「なぜ、俺だけ……」
剣も、名も、家も、未来も──すべてを奪われた男が、ただひとり生き残った。
その歩みが、やがて帝国の運命を変えることを、このとき誰も知らなかった。




