どの口がそれを仰るのですか?〜愛した女性(の予備)を捨てた元婚約者、皇帝陛下の御前で這いつくばる〜
帝都にある、冬でも花が咲き誇る温室。
私は、リュシアン陛下の腕の中にすっぽりと収まりながら、最新の魔力中和薬の資料を眺めていた。
「アイリス、あまり根を詰めてはいけないと言っただろう。……ほら、苺だ。甘いぞ」
皇帝陛下自ら、フォークで完熟の苺を私の口元へ運んでくださる。
かつて「氷の皇帝」と恐れられた面影はどこへやら、今の陛下は私を甘やかすことに命をかけている節がある。
そんな穏やかな時間を壊すように、近衛騎士が苦々しい顔で報告に現れた。
「……陛下、アイリス様。リンドール王国のカイル第一王子が、謁見を求めて国境付近まで押し掛けてきております。なりふり構わず『アイリスを出せ』と叫んでいるようでして」
陛下の黄金の瞳が、一瞬で凍りついた。
「――ふん。ゴミ掃除を忘れていたようだな。アイリス、どうする? 会いたくなければ、首だけ送り返してもいいが」
「……いえ、陛下。一度きっちり引導を渡しておかないと、また面倒なことになりますわ。お会いしましょう。……『ついで』に、彼の絶望した顔も拝みたいですし」
私は陛下の胸から離れ、冷ややかな笑みを浮かべた。
◆
謁見の間に現れたカイル王子は、かつての傲慢さが嘘のように薄汚れていた。
瘴気に当てられたのか、顔色は土気色で、服もボロボロだ。
「アイリス! ああ、アイリス……! 無事だったのだな!」
私を見つけるなり、カイルは縋り付くように駆け寄ろうとした。だが、陛下の冷徹な魔力が彼を床に叩き伏せる。
「……貴様、誰の許可を得て私のアイリスに近づこうとしている?」
リュシアン陛下の低く響く声。カイルは床を這いながら、必死に言葉を絞り出した。
「アイリス、戻ってきてくれ! ミレーヌは……あの女は偽物だった! 浄化もできず、今や国は呪いと借金で滅びかけている。君が、君がいればすべて元通りなんだ! 婚約破棄はなかったことにしよう。君を側妃として……いや、正妃として迎えてやる!」
私は呆れ果てて、深いため息をついた。
それよりも先に、隣に座るリュシアン陛下が、氷のような笑みを漏らした。
「……ほう。面白い冗談だ。カイル王子と言ったか。貴様は自分の発言の滑稽さに気づいていないのか?」
「何だと……っ! 私はアイリスのために、わざわざ頭を下げに来たんだぞ!」
「『迎えてやる』だと? 笑わせるな」
陛下は私の腰を抱き寄せ、カイルに見せつけるように私の指先に口づけを落とした。
「アイリスは今、我が帝国の至宝であり、私の最愛の婚約者だ。没落寸前の小国の王子ごときが、この帝国の母となる女性を『お下がり』のように扱う。それがどれほどの不敬か、その足りない頭で理解しろ」
「そ、それは……だが、彼女は元々我が国の聖女で……」
「貴様が『冷徹で聖女に相応しくない』と断じ、捨てた女だ。……アイリスがいなくなった途端に国が傾いたのは、彼女の有能さに貴様らが寄生していた証拠。自らの無能を棚に上げて、今さら『必要だ』などと……どの口で話すのだ?」
陛下の容赦ない正論が、カイルのプライドを粉々に砕いていく。
私は、這いつくばるカイルの前にゆっくりと歩み寄った。
「カイル様。……あの日、あなたがミレーヌと一緒に私を追い出した時、私は本当に嬉しかったのですよ」
「……え?」
「ようやく、あなたという『重荷』から解放されると思ったからです。なのでミレーヌには感謝していますわ。とんだ尊大……いえ粗大ゴミを引き取ってくださって」
カイルの顔が、絶望に染まる。
「アイリス……そんな、嘘だろう……? 君は僕を愛して……」
「いいえ。一度も。……陛下、この方はもう十分です。帝国の空気まで濁りそうですわ」
リュシアン陛下は満足げに頷き、騎士たちに合図を送った。
「連れて行け。二度とこの国の土を踏ませるな。……ああ、そうだ。リンドール王国には、今回の不敬の代償として、未返済の借権をすべて即時履行するよう通告しておけ。払えぬなら、領地で支払ってもらおうか」
「そんなっ、待ってくれ! アイリス! アイリス――ッ!!」
引きずられていく王子の叫び声が消えると、謁見の間には再び静寂が訪れた。
重苦しい空気を振り払うように、リュシアン陛下が後ろから私を抱きしめた。
「……終わったな。これで、もう君の邪魔をする者はいない」
「ええ。ありがとうございます、リュシアン様。おかげで胸がすっといたしましたわ」
「ならば、褒美を貰おうか。……今夜は、薬草の研究は休みだ。君を独り占めさせてもらう」
耳元で囁かれる熱い吐息。
捨てられたはずの場所から遠く離れて、私は今、世界で一番甘やかされる場所にいる。
――もう二度と、私を放さない、温かな腕の中。
(了)




