表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
更新率九十二パーセント ─武装する乙女─  作者: 真野真名


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/11

第三章 亀裂の街(前編)




 数日後。


 街は、突然の悲鳴で満たされた。


 昼下がり、商業地区の大型スクランブル交差点。

 HazardEye連動の街頭スピーカーが、一斉に警告音を鳴らした。


『注意。注意。害意レベル上昇——』


 上空を飛んでいた警備ドローンが、進路を急角度で変える。

 交差点の中央付近、何気なく立ち止まっていた一人の男性に、無数の赤い線が収束する。


「え?」


 男が振り向いた、その瞬間。


 ビルの壁面に埋め込まれた防衛ユニットが、複数箇所で作動した。

 短く乾いた音が、連鎖的に響く。


 男が崩れ落ちる。

 周囲の女性たちが悲鳴をあげ、同時に何人かが自分の許可証に手を伸ばした。


 その中に、一人の女性警備員がいた。

 紅林実倭くればやしみわ。二十七歳。真面目で、いつも過剰にルールを守ろうとすることで有名な警備員。


「待って、HazardEyeが——」


 彼女の許可証が、腰のホルダーの中で震えた。

 連動モード。AIの判定に基づき、自動的に撃発準備が行われる。


 目の前で倒れている男の害意スコアは、もう見えない。

 彼女の視界には、“撃たなかった場合のリスク”だけが、赤い文字で点滅していた。


 ——撃たなければ、また誰かが傷つくかもしれない。

 ——撃てば、少なくとも自分は責任を問われない。


 その二つの選択肢が、彼女の指を固くする。


「やめろ!」


 叫び声がどこからか飛んだ。


 交差点の角で、カメラを構えていた男だ。

 未奈川葉介は、偶然現場近くにいて、警告音を聞いた瞬間に反射的に録画ボタンを押していた。


 あの病院の廊下で聞いた機械音と、今鳴っているものが、似ている気がして。

 “見てはいけないもの”を、また見てしまう気がして。


「危ないから下がって!」


 誰かが叫ぶ。

 だが葉介は、その場から動けなかった。

 カメラの中で、紅林の手が震えながらトリガーにかかっていく。


 彼女の頬には、汗か涙か分からないものが伝っている。

 目は、大きく見開かれ、それでも何かを“信じようとする”ように固くなっている。


 ——私は、正しい。

 ——システムは、間違えない。

 ——間違えても、それは私のせいじゃない。


 その祈りにも似た思考が、彼女の指を動かしかけた、その直前。


 別の警備員が飛び込んできて、紅林の腕を押さえ込んだ。


「誤作動だ! 上空のスコアがバグってる!」


 周囲に警告が飛び交う。

 ドローンが一斉に移動し、交差点上空を遮断するようにホバリングを始めた。


 街頭スクリーンには、すぐさま特別ニュースが流れ始める。


『現在、HazardEyeシステムに軽微な不具合が発生しております。市民の皆様は落ち着いて、指示に従ってください——』


 “軽微な不具合”。


 交差点の中心で倒れている男の周りには、すでに救護ドローンが集まりつつある。

 彼の意識はあるのかどうか、遠目には分からない。


 紅林は、その場に膝をついていた。

 自分の震える手を見つめながら、何度も何度も小さく首を振っている。


 葉介は、カメラを握る手が震えているのを感じた。


 ファインダー越しに見える紅林の顔。

 引き金にかかる指。

 その先にいる、倒れた男。


 ——これを撮ることが、正しいのかどうか。


 わからない。

 でも、撮らなければ、この光景は"なかったこと"になる。


 あの日、俺が倒れたように。

 あの日、誰かが叫んだように。


 全部、ニュースの中では「軽微なトラブル」に変換される。


 それが、一番怖かった。




 ***




 同じ頃。


 東京帝国学院の裏手にある小さな中庭で、似たような騒ぎが起こっていた。


 清掃スタッフとして働く少年が、バケツを抱えて歩いていた。

 日野遼太。十七歳。

 大人と子供の境界線上の背丈で、どこか所在なさげな目をしている。


 中庭を横切っていた女子学生たちが、ふと足を止めた。

 日野の存在を視界の端で捉えた瞬間、彼女たちの肩に装着された簡易センサーが反応する。


『害意予測:中程度』


 音声ガイドが、淡々と告げる。


「またあの子じゃん……」


 ひそひそとした声が、風に紛れて飛ぶ。


「害意“中程度”って、なんか嫌じゃない? 何考えてるか分かんないって感じ」


「近寄らないほうがよくない?」


 日野は、その言葉を聞いていないふりをする。

 耳は確かに届いているが、心には届かないように、耳の奥に壁を作る。


 そのとき、職員用入口のドアが開き、一人の女性職員が出てきた。

 腰には、簡易型の武装許可証。

 彼女の端末も、日野の存在を認識して、軽く振動する。


『注意:周囲に害意中程度の男性を検知』


 画面に表示された文言を見て、職員の表情が強張る。


「ちょっと、そこの君」


 日野は立ち止まり、振り向いた。


「はい……?」


 職員の視線が、彼の持つバケツに落ちる。

 ただの清掃用の水と洗剤だ。

 だが、彼女の頭の中では、別のイメージが膨らみ始めていた。


 ニュース、教育ビデオ、犯罪統計。

 「油断していた隙に起こる事件」の映像が、脳裏で再生される。


「その中身、見せてもらえる?」


「えっと……ただの掃除用の——」


「近づかないで」


 職員が一歩下がると、許可証のインジケータがわずかに光度を増した。


 ——害意は、“感じた側”の恐怖にも影響される。


 そんな説明を、以前どこかで聞いたことがある。

 恐怖の強さが、そのままスコアに上乗せされるのだと。


 職員の手が、許可証のホルダーに伸びる。

 日野の目に、そちらの動きが映る。


「ちょ、ちょっと待ってください。本当に、掃除——」


 声が震える。それを、職員は“何かを誤魔化している”兆候と受け取った。


 未然防止。

 先手必勝。


 頭の中で、そんな言葉が、ニュースのテロップのように流れる。


「やめてください!」


 鋭い声が、二人の間に割って入った。


 駆け寄ってきたのは、音香だった。

 講義の合間の移動中、たまたま中庭を横切ろうとして、この場面を目撃した。


「彼、その……日野くんですよね。清掃スタッフの」


 職員が一瞬、意表を突かれたように瞬いた。


「橘花さん、危ないわよ。害意スコア、見てないの?」

「見ました。でも、“中程度”ってことは、“高くも低くもない”ってことですよね」


 音香の声は、意識して静かに保たれていた。


「それに、この学院で何ヶ月も掃除してるんです。もし危険なら、とっくに何か起きているはずです」


「でも——」


「先生の持ってる許可証のほうが、今はよっぽど危険に見えます」


 その一言に、職員の肩がびくりと揺れた。


 許可証のインジケータが、ゆっくりと光を弱めていく。

 日野は、その様子を呆然と見つめる。


「……大丈夫、ですか」


 音香は、日野のほうを向いた。

 彼の手は、バケツの取っ手を握りしめすぎて、白くなっている。


「は、はい。ありがとうございます」


 日野の声は小さいが、はっきりしていた。


「ごめんなさいね、ちょっと過敏になってたみたい」


 職員は、気まずそうに笑い、建物の中に戻っていった。

 扉が閉まる音が、やけに大きく響く。


 二人だけが、中庭に残された。


「あの……助けてくれて、ありがとうございました」


 日野は、深く頭を下げた。


「私も、似たようなことをされかけたことがあるから」


 自然と出た言葉に、自分で少し驚く。


「あなたは、何もしてなかった。していなかったのに、何かを“しているかもしれない”って扱われるのは——」


 音香は一度言葉を切り、空を見上げた。

 中庭の空は狭く、そこを小さなドローンが横切っていく。


「……息苦しいですよね」


 日野は、目を瞬いた。


「橘花さんって、優しいんですね」


「優しいわけじゃないです」

 音香は首を振った。

「ただ、怖いだけです」


「怖い……?」


「私も、あなたと同じ立場になるかもしれないから」


 日野は、目を見開いた。


「でも、橘花さんは"撃てる側"じゃないですか」


「今はね」

 音香は苦笑した。

「でも、ちょっとタイミングがずれてたら、私も"撃たれる側"だったかもしれない。境界線なんて、紙一枚の薄さなんです」


「……わからないです」


「わからなくていいです」

 音香は空を見上げた。

「ただ、あなたが何もしていないのに、"何かするかもしれない"って扱われるのは——」


 彼女は一度言葉を切った。


「間違ってると思うから。それだけです」


 日野は、その意味をすぐには理解できなかった。

 だが、彼女の表情から目を逸らすことができなかった。


 バケツの水面に、空の白と、二人の影が揺れている。

 そのさざなみが、一瞬だけ世界の亀裂のように見えた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ