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1話 タクシー運転手、谷岡



 1話 タクシー運転手、谷岡



 8月11日、09時10分。

 鳴間駅タクシー乗り場にて。



 肌を焼くような強烈な日差しが降り注ぎ、駅前を吹き抜ける風は涼しさの欠片も無い熱風だった。


 あちこちにサビが見える質素な屋根の下で、とめどなく流れる汗を拭きながら立つスーツ姿の二人の男の目の前に、一台のタクシーが停まった。

 助手席の窓が開き、前髪がM字に後退し始めているタクシーの運転手が、男二人に軽く手を振った。


「そこのお二人さん。もしかして、見抜みぬきさんじゃないかい?」


 二人のうち、華奢な身体つきの男が助手席へと歩み寄った。


「はい、そうです。見抜真みぬき まことです」


「やっぱりそうか。いやぁ、今日は本当に暑いでしょ。車内は、それはもうキンキンに冷えてるんで、早く乗ってくださいな」


 後ろのドアが開いたので、真は「よろしくお願いします」と言ってから、一緒にいたガタイの良い男に目配せをしてタクシーに乗り込んだ。




 車内は運転手の言う通り、キンキンに冷えていた。


 先程まで滝のように流れていた汗が一瞬で止まり「しばらく乗っていたら寒さすら感じそうだな」と真が考えていると、運転手は助手席の足元に手を伸ばした。


「おしぼりがあるんでね。どうぞ使ってください。使い終わったのは引っ掛けてあるビニール袋に入れといてくださいな」


 運転手は、袋に入ったおしぼりを真ともう一人に手渡した。


「ありがとうございます。タクシーでおしぼりをもらった事が無いのですが、この辺りではよくあるサービスなのですか?」


「ハッハッハ。さすがに他のお客さんにはここまでしませんよ。一美お嬢さんのお客様だからですよ、もちろん」


 運転手はシフトレバーを手荒に操作し、クラッチを雑に繋ぎながら発進した。

 真は、おしぼりで顔や首元を軽く拭いてから口を開いた。


「葛城一美さんとはお知り合いなのですか?」


「光栄な事にそうなんですよ。社内で葛城家の皆様の送迎を担当しているのはアッシだけですからね。嫌でも顔馴染みになるってもんですよ。ヘヘッ」


「お一人で担当を? この辺りでは、大きなタクシー会社ですよね? 何か理由でも?」


 ミラー越しに、含みのある笑みを浮かべた運転手と視線が合った。


「ここだけの話なんですがね。葛城家の長男坊の伸二様は、それはそれは無茶苦茶な要求をするんですよ。

 真夜中のトンでもない時間に県外から呼び出しておいてドタキャンしたり、運転が荒っぽいとか、車内が暑いだの寒いだのと怒って、料金にイチャモンつけたり。それに皆参っちゃいましてね。

 アッシはこういうテキトーな性格だから大丈夫なんですよ。ヘヘッ」


「それは大変ですね」


「いやいやアッシは全然。それよりも、今大変なのは一美お嬢さんですよ」


 運転手はゴホンとわざとらしい咳払いをし、他に誰が聞いているわけでも無いのに「これは一美お嬢さんが言っていたのではなく、しがないタクシードライバーの想像なんですがね。もしかしてお二人さん、”例の件を調べる探偵さん”じゃあないですか?」と、囁いた。


 真は、一呼吸置いてから「どうしてそう思ったのですか?」と訊ねた。


「一美お嬢さんは去年からアパレル関係の仕事をしてるんですがね。今の御時世、リモートワークとやらを使えば何処でも仕事が出来るって言ってたんですよ。デザインも書類の作成も打ち合わせも全て。凄い時代になったもんですよねぇ。


 実際、”半年ぐらいかなぁ。一美お嬢さんが丸っきりタクシーを使わない時期がありましてね”。


 寂しかったですよ。しばらくの間、文句ばかりの伸二様と、無口な花巻さんばっかり乗せてましたからね。

 まぁ、愚痴はさておき、仕事の関係者をわざわざ自宅に呼ぶとは考えにくいと思ったわけです。


 そして、今まさに世間を騒がせている葛城財閥の当主、歳三様が自殺したってニュースのせいで、マスコミの奴等が御屋敷だったり山の麓に張り込んでるんですが、そんな状況でお友達を呼ぶとは思えないんですよ。何を噂されるか分かったもんじゃないですしね。


 仕事関係でも友人関係でもない。それでいて、わざわざ自宅に呼ぶ必要のある人間。そんなの”探偵”さんしかいないと思うわけなんですが、どうですかね?」


 真は呆気にとられて数秒黙っていたが、小さく息を吐いてから「お見事です。私は見抜探偵事務所の所長です」と返事をした。


 真と運転手の話を黙って聞いていたガタイの良い男が「俺は助手の御堂護みどう まもるです」と自己紹介をした。


 運転手は意外そうに「おっとっと。冗談のつもりだったんですがね。ホンモノの探偵さんに拙い推理を披露するだなんて、失礼なことをしてしまいました」と笑った。




 山の麓に差し掛かると、県境でも無いのに、他県ナンバーの車がコンビニやファミレスに数多く停まっている光景が散見された。

 それを見た運転手が、後部座席に聞こえる程の舌打ちをした。


「アレもマスコミ。コッチもマスコミ。アイツら『葛城財閥の当主、葛城歳三は自殺した』だなんて、歳三様のことを知りもしないで好き勝手書きやがって」


「当主の葛城歳三さんともお知り合いなのですか?」


 真が訊ねると、運転手は「もちろん。回数は多くないですが、何度か乗せてますからね」と答えた。


「葛城歳三さんは、自殺するような人ではないということですか?」


「歳三様が自殺なんてするわけないですよ。あの方はそんなつまらない男じゃない。75歳とは思えないぐらいパワフルな人だったんですから。

 まぁ、血圧がどうとか、かかりつけ医に言われてたみたいですけど、そんなの年取りゃ誰だって同じでしょう?」


「なるほど」


 真の相槌に、運転手はニヤリと笑った。


「お? もしかして、アッシのお喋りが真実を紐解く重大なカギになったりするんですかね?」


「なるかもしれませんし、ならないかもしれません。ですが、何か知っている事があればお聞きしたいです」 


「ヘヘッ。ありますよ。”特大のネタ”が」


 タクシーはウィンカーを出しながら、ギリギリすれ違いが出来るぐらいの広さの、木々の影で昼間でも少し薄暗い山道へと進んだ。


 山道も舗装されているのだが、三日前の大雨の影響なのか、至る所に濡れた土や石が散乱し、小川のように絶えず水が流れている箇所もあった。


 ミラー越しに勿体ぶるような笑みを浮かべている運転手に、真は「その、”特大のネタ”とやらをお聞きしても良いですか?」と訊ねた。


「いやぁ、しょうがないですねぇ。何と言っても、一美お嬢さんがお呼びした探偵さんですからね。特別に全部お話しちゃいますよ。


 実はですね。”歳三様が亡くなった日、15時頃に鳴間駅近くから一人の女性を御屋敷まで送った”んですよ」


「一人の女性? 葛城一美さんですか?」


「いやぁ、違います。予約したのは歳三様でしてね。まぁ、いわゆる愛人ってヤツですよ。『駅の近くにある人通りの無い裏通りから乗せるように』と、頼まれましてね。あまり表じゃ言えない関係性ってわけですよ」


「愛人、ですか?」


「”歳三様には、麗華れいか様という名前の、若くて綺麗な奥様がいた”んですけどね。


 ”何年か前に行方不明”になったんですよ。


 麗華様の話は葛城家の皆様の前ではタブーなんで、アッシもそれ以上は知らないんですけどね。

 それで、さっきも言いましたけど、歳三様はパワフルな男ですからね。”まだまだ現役”だから週に一度。多い時は週に何度か屋敷に呼んでいるんですよ。若くて綺麗な女性を、ね」


「なるほど。葛城歳三さんが亡くなった日、葛城家以外の人が御屋敷にいたというわけですか。ちなみに、その女性の名前はご存じですか?」


「いやぁ、それがですね。


 ”ツバの深い帽子を被っていて顔が見えなかった”んですよ。


 アッシが何を話しても無視されたので、声も覚えていないのですが、”真っ赤なワンピース”を着ていて、”大きなバスケットを持った女性”ということは覚えてます。面目ない。ヘヘッ」


「大きなバスケット、ですか。何が入っていたかはご存知ですか?」


「蓋がしてあったので、中は見てません。多少の重みはあったので、空っぽでは無かったと思いますけどね」


「なるほど。次の質問です。その女性を送ったということは、当然迎えにも行ったはずですよね。それは何時頃ですか?」


 運転手は「待ってました」と言わんばかりの笑みを見せた。


「それがですねぇ。いつもなら『何時に来い』と歳三様から連絡があるのですが、それっきり連絡が無いんですよ。まぁ、亡くなっていたから当然と言えば当然なんですけどね。


 なので、”その女性を迎えに行ってない”んですよ」


「他の運転手が迎えに行った可能性は?」


「それは無いですよ。そりゃあ、アッシも他のお客さんを送り届けている最中に予約が入って、葛城家の方に行けない事はありますけどね。


 ”葛城家の皆様から予約の電話があれば、まずはアッシの所に連絡が来ることになってます”から。


 それが無かったということは、タクシーでは帰ってないというわけですよ」


「赤いワンピースの女性が、タクシーを呼んだかもしれないですよね。それだったら葛城家の予約では無いから、直接迎えに行っていることもあり得るかと」


「”呼び出した場所が葛城財閥の御屋敷ともなれば、誰が予約しようともアッシの所に一度連絡がきます”よ。

 帰りのタクシーを、一美お嬢さんじゃなくて探偵さんが予約の電話をしてもね。ヘヘッ」


 真は目を瞑り、深呼吸をした。


「なるほど。あの雨と風で山の上から歩いて帰るとも思えませんし、妙な話ですね」


「歳三様が亡くなったニュースを見た時に『あの女がもしや!?』と思って、すぐに交番に行ったんですよ。ところが、警察は『葛城歳三は自殺だから、女は関係無い』とか言い出して、アッシの話をロクに聞かずに追い返したんですよ。

 そりゃあ、歳三様が亡くなった事と赤いワンピースの女性は関係無いかもしれないですけどね。普通、話ぐらいは聞くもんですよねぇ」


「そうですね。その辺りは私の方でも調べてみます」


「ヘヘッ。アッシの話は役に立ちましたか?」


「はい。色々お話してくださりありがとうございます」


「おっと。このカーブを曲がったらすぐに御屋敷ですよ」




 運転手の忠告通り、ヘアピンカーブを曲がってしばらく進むと木々が急に無くなり、代わりに高さ5メートル以上ありそうな真っ赤な巨大な塀が現れた。


「これが山頂にある葛城屋敷ですよ。立派なもんですよねぇ。アッシも宝くじで一発当てたら、何処かの山のてっぺんにこんな御屋敷を建ててみたいもんですよ。まぁ、アッシのような庶民はアパートの一室でも何の問題もありませんけどね。ヘヘッ。

 来賓用の入口は向こうにあるので、そちらまで送りますよ」


 さらに少し進むと、塀と同じ高さの大きな門があった。

 運転手はタクシーから降りて、門の横にあるインターホンのボタンを押した。


「鳴間ニコニコタクシーの谷岡です。一美お嬢さんのお客様をお連れしました」


 インターホンに向かって話してから数秒後。


 ギギギと音をたてながら、巨大な門がゆっくりと開き始めた。

 運転手は「いやぁ暑い暑い」と言いながら、暑さから逃げるように運転席に飛び乗った。


「入口の前まで送りますよ。あともう少しでメーターが回りそうなんでね。メーター回ったほうが、小銭が少なくて済むんでウィンウィンってやつですよね。ヘヘッ」


「はい、よろしくお願いします」


 タクシーは門を潜り、屋敷の入口前で停車した。

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