エピローグ
エピローグ
8月13日、16時30分。
見抜探偵事務所にて。
真達は、一美を警察署まで送り、安井警部補に諸々の事情を電話で説明をした。
引き継ぎを終え、自分達の事務所に戻ってきた二人は、それぞれ自分の席に座っていた。
「なぁ、真」
背もたれに身体を預け、腕を組んで目を瞑っていた真は、御堂の声に目を開いた。
真は、背もたれに体重をかけるのをやめてから「なんだ?」と、返事をした。
「なんで、犯人は真に捜査を依頼したんだろうな。”命を奪うだけじゃ足りない”って、本心だったんだろうか?
わざわざ殺さなくても、『愛人関係について捜査して欲しい』って頼めば良かったのに」
「殺しを養護するつもりはないが、一美さんは、それだけ追い詰められていたんじゃないか?
追い詰められた人間が、正常な判断を下せるとは限らない」
「まぁ、そうだな」
「一美さんは、伸二さんの偽装工作に乗っかって、事件を迷宮入りさせることが出来た。
”でも、そうはしなかった”。
これはあくまで僕の推測だが、”事件を迷宮入りさせることに躊躇した”んじゃないかな。
迷宮入りしたら、歳三さんの悪行が世に広まらないからって理由もあるが、自分の犯した罪も世に広まらないことを意味する」
「ん? 犯した罪が世に広まらないのは、犯人にとっては良いことじゃないか?」
「そうは思わない悪人もいるだろうけど、死ぬまで秘密を抱えて生きるってのは、想像以上に辛い生き方だと思う。
二人を殺した直後は、彼女の言葉通り、後悔なんか無かったかもしれない。
だが、時間が経つに連れて、自分のしでかした事の大きさに気が付いたのだろう。
どんなに憎んでいたとしても、殺したのは赤の他人では無く、血の繋がった家族だったのだから」
「事件が解決したってのに、全然スッキリしないな」
「御堂。殺人事件を解決して『一段落ついた』と思うことはあっても、スッキリすることなんか無い」
「うぅん。そうかも、な」
噛み締めるように呟いた御堂の表情を見た真は、思い出したように「そういえば」と、話を切り出した。
「言うのが遅くなったが、御堂のおかげで真相に辿り着くことが出来た。ありがとう」
突然の感謝の言葉に、御堂は目を丸くした。
「え? 俺のおかげ? 水道業者の特定と、防犯カメラの映像チェックぐらいしか、役に立ってないだろ」
「そんなことはない。一番の活躍は、”インターホンの映像の異音に気が付いたこと”だ」
「あの『アアアア』って異音が、赤子の泣き声だった話か?」
「そうだ。御堂に言われるまで、僕は異音そのものにすら気が付かなかったからな。
”異音と赤いワンピースの女”には、何かしらの関係性があると仮定した時、あそこには赤いワンピースの女の他に誰かがいるかも知れないと思った。
そこから、”バスケットの中に赤子が居た可能性”に辿り着いたんだ。
そう考えれば、下水管の詰まりの原因が、”赤子を下水に流した”から、という可能性に辿り着く」
「そうだったのか。てっきり、犯人の一美が、”リモートワークを突然始めた”って所から推理したのかと思ってた」
「それも大きなピースであったことに変わりはない。
だが、”確信を持てた”だけで、確たる証拠が手元になかった以上、一種の賭けだった」
「賭け? どういう意味だよ」
「今回は、”一美さんが犯行を認めたから良かった”。
だが、もしも認めなかったとしたら、どうなると思う?」
御堂は「そんなの簡単だろ」と即答しそうになったが、真がわざわざ質問してきた意図を考え、開いた口を一度閉じて、数秒唸ってから、再度口を開いた。
「どうなるって言われても。犯人が認めなかったとしても、真の推理に矛盾は無いだろ?」
「確かに矛盾は無いかもしれない。だが、”確たる証拠”が手元に無い限り、それは仮説の一つに過ぎないんだ。
”一美さんが犯行を認めず、下水管から証拠になる赤子の骨が出てこなかった場合”、証拠不十分で事件は未解決だったかもしれない」
「マ、マジかよ」
「伸二さんのように、”真相を知ったうえで犯人を庇う人間がいた”のだから、その可能性はかなり高かった」
御堂が突然「あ、それで思い出したッ!」と、一際大きな声を上げると、驚いた真の身体が一瞬震えた。
「犯人を庇っていたんだから、アイツも”なんとか罪”で捕まるはずだよな?」
「”犯人隠避罪”のことか? まぁ、普通はそうなるはずだが、”今回はどうだろう”?」
「『どうだろう』って、なんだよ。嘘の証言をしたことは、しっかり記録が残ってるじゃないか」
「犯人隠避罪で伸二さんのことを逮捕するのなら、”事件を自殺で片付けようとした事実”を、警察が認めることになる。
そんなことが世に知れ渡ったら、犯人隠避罪どころの騒ぎじゃない。警察組織の信頼が地に落ちる」
「いやいや。アイツが警察組織に圧力をかけたから、自殺として処理されたんだろ?
警察組織の信頼が揺らぐ事は無いと思うけどなぁ」
「”圧力をかけた事は事実だろう”。だが、圧力をかけた証拠が無い。
それに、伸二さんが圧力をかけたのは、警察の中でも、”かなり上の人間”だろう。
音声データや書類が残っていると思うか?
圧力をかけるといっても、直接的な表現をしたと思うか?
どちらにしても、”警察組織が財閥の人間の思惑によって、捜査をねじ曲げた事実”を認めるとは思えない」
「認める認めないの話じゃないだろ。れっきとした事実じゃないか」
「繰り返しになるが、”事実だからこそ、絶対に広められない”んだ。
僕は、伸二さんの件について、警察は見逃すと思っている」
「そ、そんなのってありかよ!?」
「御堂。僕達は探偵だ。探偵ってのは、事件を解き明かすところまでが仕事だ。
その後の事は、それぞれの専門家に任せるしか無いんだよ。割り切るしか無い」
「な、納得がいかねぇ」
御堂の顔いっぱいに、やるせない気持ちが浮かんでいるのを見た真は、小さくため息をついた。
「”受け入れることと、納得することは少し違う”。だから、受け入れられない気持ちを捨てる必要はない。
だが、納得出来ないという気持ちが、足枷にならないようにな」
「急に難しい話をするな」
「すぐに分からなくても良い。何度も噛み締めて、自分なりの答えを見出してくれれば、それで良い」
お互いに口を閉じ、探偵事務所はシンと静まり返った。
稼働している冷房の音と、何処かで鳴いているツクツクボウシの声が、二人の間に流れていた。
8月15日、13時10分。
鳴間市内のとあるアパートにて。
床には、”ゴム”や空き缶やカップ麺の容器が散乱し、台所には、洗わずに放置されて出来た食器の山が築き上げられていた。
部屋の片隅には、ペットボトルをガムテープで固定して作った、”一時的に利用したベビーベッド”が、脱いだ服の山の下に埋もれていた。
カーテンは一日中閉め切られ、郵便ポストには溢れんばかりの封筒と催促状の束。
点けっぱなしになったテレビから流れる、芸能人や有名配信者が最近のニュースについて、自由に語り合う情報バラエティの音と光だけが、この部屋を外の世界と繋いでいた。
『次のニュースは、葛城財閥の血みどろの殺人事件について』
進行役の芸人が、フリップを指さした。
『財閥の当主の娘が、父と子を殺した悲惨な事件ですが、どう思いますか?』
『生まれて間もない子供が殺されただけでもショックなのに、子供をトイレに流しただなんて。信じられませんね』
『ですが、犯人は実の父の子を無理やり産まされたわけですよね?
酷い家庭内暴力があったわけで、犯人だけが悪いという話にはならないと思いますよ』
皆がウンウンと頷いている中、有名配信者が異議を申し立てるように手を挙げた。
『これは、私の独自の情報網で入手した話なんですけど、葛城歳三は自分の娘だけではなく、芸能人やアイドル、モデルにも手を出していたみたいですよ』
『要するに、”枕”していたってことですか? あくまで噂ですよね。だって、被害者が名乗り出ないんだから』
「何言ってるんですか? 名乗り出れるわけ無いでしょう。「還暦超えた爺さんと寝ました」だなんて、口が裂けても言えませんよ。
探せば色々いるじゃないですか。大して可愛いわけでも、演技がうまいわけでも、歌がうまいわけでもないのに、突然テレビでバズり始めた人達が」
『その発言は、彼女達の努力を馬鹿にする最低な発言ですよ』
『価値観が古いですね。”枕”したのが、女性だけとは限らないのでは?』
『ああ言えばこう言うのやめてもらっていいですか?』
『自分に都合が悪くなると』
『えぇ、ここで一旦CMです』
話の途中だったにも関わらず、進行役が一方的に告げると、すぐに洗剤のCMが流れ始めた。
「ククッ。アハハハハッ。バッカみたい」
散乱するゴミ山の主、葛城麗華の笑い声が、薄暗い部屋の中で響いた。
「葛城財閥の没落を祝って、乾杯ッ!」
麗華は近くに転がっていた、まだ少しだけ中身の残ったチューハイの缶を手に取り、高らかに掲げた。
缶の口に鼻を近づけ、ニオイに問題ないことを確認してから、残りを飲み干した。
「あぁあ。どうしてこうなっちゃったんだろう」
彼女の問いに、応える者はいなかった。
返事が無い事を初めから分かっていた麗華は、夕方からの出勤に向けて、二度寝の準備に入った。