12話 愛人、乃木つばめ
12話 愛人、乃木つばめ
8月12日、21時30分。
鳴間駅付近、カラオケ店の一室にて。
真は、待ち合わせ場所として指定された番号の部屋の扉を、ノックしてから開けた。
部屋の中は、これでもかというほどに冷房で冷え切っており、ジャンクフードと香水の混じったニオイが充満していた。
「やば。本当に来た」
ピンと小指を立たせた右手でマイクを握り、包帯の巻かれた左手は天を指さし、今流行っているアニメの主題歌を熱唱していた、肌の露出が多い女は、歌うのを止めた。
女は、値踏みするように真の全身を見つめた。
歌っていた女と向かい合う位置に座っていた、タンバリンを手に持った地味な格好の女は、演奏中止ボタンを押した。
「どうも。見抜探偵事務所の見抜真です」
部屋に入り、扉を閉めてから、真は自己紹介をした。
「どうもぉ。乃木つばめでぇす」
乃木が身体を揺らしながら敬礼すると、零れそうな胸元が大きく揺れた。
「アシスタントの秋葉です。此方にどうぞ」
秋葉は、扉から見て一番奥の椅子に座るように、真の事を案内し、自分達は扉に一番近い椅子に座り直した。
「何かあった場合、部屋から出られないと困るので」
「構いませんよ」
真は、部屋の一番奥にある椅子に座った。
「探偵って本当にいるんだぁ。アニメの世界の職業だと思ってた」と、乃木は食べかけの冷めたピザの欠片を頬張りながら言った。
「知らなくて済むのなら、それに越したことは無い職業ですよ」
「それで、アタシに話って何?」
「その前に一点だけ。男二人で押しかけたら怖い思いをさせてしまうと考え、本日は相方を事務所に残してきたのですが、彼も話に参加させたいのです。
今からの会話を、電話越しに彼に伝えても良いですか?」
「別に良いよぉ。ねぇ、秋葉」
「私は別に。ちなみに、相方というのは?」
「助手の御堂護という男です」
「カッコいい?」
「本人には言いませんけど、男前だと思っていますよ」
「ふぅん。じゃあ、ビデオ通話なら良いよ。イケメンなら見ておきたいし」
「ありがとうございます。彼にもそう伝えます」
真は、携帯電話を取り出し、御堂に繋いだ。
状況を簡単に説明してから、ビデオ通話を開始した。
『お、おい。結局、なんでビデオ通話なんだ?』
「ビデオ通話なら良い、という話になったんだ」
乃木が画面に映る御堂を見た途端、黄色い声を上げた。
「え!? なんで今日来てくれなかったの!? スッゴい良い身体してるじゃん」
『そうっすか? 一応、柔道やってたんで』
「えぇ!? 良いなぁ。筋肉触りたかったぁ。今から来てよ」
「彼には”時間のかかる調べ物をお願いしている”ので、それは難しいです」
「ちぇっ。つまんないのぉ」
乃木が身体を揺らしながら、御堂に向かってウィンクをすると、御堂は頬を染めて視線を逸らした。
真はわざとらしい咳払いを挟んでから「さて、アイスブレイクはこの辺にして、本題に入ってもいいですか?」と、全員の注目を集めた。
「単刀直入にお聞きします。乃木つばめさんは、葛城歳三さんと接点がありましたか? それも、あまり表で言えないような」
乃木の隣に座る秋葉が身体をビクッと震わせる一方、乃木は何でも無いかのように「あったよぉ」と呑気に返事をした。
「いつ頃からですか?」
「”三年前から”かな。というか、アタシがバズったのは、あの人のおかげだし」
「歳三さんのおかげ?」
「そうそう。『俺の愛人になれば、すぐに日本一のグラビアアイドルになれるぞ』って言われたの」
『財閥の当主がそんなことしてたのかよ』
「別に珍しいことじゃないよ。アタシだけじゃないし。ホラ、今話題のアイドルグループだとか、若手女優だって、大した実力も魅力も無いのに、やたら人気があるでしょ?」
『や、やめてくれ。夢を壊さないでくれ』
「”歳三さんは、色々な業界でも強い権力を持っていた”ということですね」
「あの人に気に入って貰えれば、何の努力もなしに日本一になれるけど、あの人エグいからなぁ」
秋葉は話を聞きたくないとでも主張するかのように、俯いた。
「何がエグいかっていうと、”あの人と寝る時は避妊しちゃ駄目”なの。全部ナマってわけ。
相手が未成年だろうが、結婚してようが関係なくね」
「人として問題がありますね」
真の反応に、乃木は笑いながら「でしょぉ?」と、返した。
「それにもっとヤバいのは、”デキちゃっても堕ろせない”んだよね。
あの人は中絶を絶対に許さないから。
アタシが知っている子は、お金目当てで関係を持ったみたいなんだけど、堕ろすの禁止って言われたから、階段から飛び降りて無理やり流産したみたいだよ」
「な、なるほど。すみません。想像以上の話に、言葉が出てきません」
『財閥の当主って事しか知らなかったけど、殺されても仕方がない奴だったんだな』
「だよねぇ。アタシは、病気で元々子供が産めない身体だったから、その点で悩んだことは無いんだけど。
あぁ、でも、アタシが捨てられたのはそのせいでもあるからなぁ」
「どういうことですか?」
「アタシが子供を産めないから捨てられたの。
抱かれてる時に、アタシが病気のことを言ったら、”子を産めない女に価値は無い”って言われて、それっきり呼ばれなくなったの。
オマケに、貰ってた仕事が突然一方的にキャンセルされちゃって。それはもう酷かったんだから」
ドンッ! と、激しい音が携帯電話越しに部屋に響いた。
突然の音に驚いた真達が、携帯電話に視線を向けると、息を荒くした御堂が拳を机に振り下ろしたようだった。
『聞いてたら腹が立ってしょうがねぇ。俺はそういうクズが大大大大ッ嫌いなんだよッ! 金や権力をチラつかせて若い女の子を騙し、興味が無くなったら、炎上させてサヨナラってか?』
怒りに我を忘れ、興奮気味になった御堂に対し、乃木は申し訳なさそうに「あちゃぁ」とボヤいた。
「いやぁ。怒ってくれるのは嬉しいんだけどねぇ。
炎上したのは、仕事がなくなって、暇を持て余しちゃったから、気前の良いオジサマと、″楽しいことしてお小遣い稼ぎ″をしてたところをパパラッチされたせいなの」
『そ、そうなんすね。なんか、一人で舞い上がっちゃって恥ずかしいなぁ』
一人突っ走って怒りを顕わにしたことに、今更恥ずかしくなったのか、御堂は真に助けを求めるアイコンタクトを送った。
「彼は他人の為に怒ることが出来る優しい人なのでね。温度差に驚かせてしまったかもしれませんが、いつものことなので」
「アタシのために怒ってくれるなんて、スゴク嬉しいから、全然オーケー」
乃木は、歯を見せてピースサインをした。
「話は変わりますが、乃木さんは歳三さんのことをどう思っていますか?」
「えぇ? うぅん、どうだろう。『コンニャロー!』って思ってたけど、なんか自殺しちゃったんでしょ? ”今となってはどうでも良い”かな。相手が生きてるなら無駄じゃないけど、死んだ人間の事でいつまでも怒ってるのって、時間の無駄じゃない?」
「なるほど」
「喉乾いた」と、乃木は突然言い出し、壁に設置されていた受話器を手に取って「コーラ三つ」と言って、受話器を戻した。
部屋の中にいる三人を見て、訝しむ様子を見せた店員だったが、注文したコーラをテーブルに置くと、すぐに部屋を出ていった。
「コーラ美味しいぃ。歌った後に沢山喋ったから、もう喉がカラカラだったんだよねぇ」
乃木は、グラスに入ったコーラをゴクゴクと音を立てながら飲んだ。
「飲みながらで構いませんので、質問を続けても良いですか?」
「どうぞぉ」
「”左手に包帯を巻いていますけど、怪我をされたのですか”?」
「え? あぁ、コレ?」
乃木は包帯の巻かれた手を掲げ、ゆっくりと、手を開いたり閉じたりした。
「何かあったのですか?」
「なんだったっけ? アタシ、子供の時から怪我ばっかりしてて、いちいち覚えてないんだよね」
「包帯を巻くような怪我でも覚えていないのですか?」
「そう。ウケるよね」
真が疑いの眼差しを乃木に向けると、秋葉は「えっと、その」と話に割り込んだ。
「つばめちゃん、”料理中に包丁で怪我”したみたいなんです」
その言葉を聞いた乃木は「あぁ! それそれ!」と大きな声を上げた。
「完ッ全に思い出した! 韓国ドラマを見ながら料理してたら、”包丁の刃が滑って手にザクッといっちゃった”んだよね」
『うわっ。痛そう』
「いや、マジで痛かったから。血がビュービュー出たし」
「怪我したのは、いつですか?」
「えぇっと。いつだっけ?」
乃木が秋葉に話を振ると「えぇっと。いつだったかな。確か、9日の午前に病院に行ったから、”8日の夜”だったと思います。8日の夜に、つばめちゃんから『包丁で手を切った。どうしたら良い?』と連絡があったので」と答えた。
「通話の履歴は残ってますか? 録音データがもしあれば、そちらも確認したいのですが」
「録音データはないですけど、履歴ぐらいなら」
秋葉は携帯電話を取り出し、しばらく操作をし、真に画面を見せつけた。
着信 乃木つばめ 8月8日21時17分。
通話時間 11分。
「なるほど。電話で乃木さんから『包丁で手を切った』と連絡があったわけですね。秋葉さんは、どのような返事をしたのですか?」
「消毒して、包帯を巻いて、明日の午前に病院に行くように伝えました」
「コレ。コレが行った病院のカード。初めて行ったから、カード作らされたのダルかった」
乃木が、レシートやカードでパンパンに膨らんだ財布から、病院の診察カードを取り出して、真に渡した。
「あぁ。コンビニの横にある病院ですね。知ってます」
真は、カードの裏表を軽く確認してから乃木に返そうとすると、財布の中を漁っていた乃木が、グチャグチャに折りたたまれた紙を取り出した。
「あ、レシートも出てきた」
折りたたまれた紙を広げると、その紙は処方箋だった。
診察カードと同じ病院から、消毒、包帯、抗生物質の錠剤が、8月9日9時30分付で出されていた。
「今までのお話と一致していますね」
「嘘つくわけ無いじゃん」
『言われるまで、忘れてたってのに』
御堂は、苦笑いを浮かべながら呟いた。
「ちなみに、21時過ぎに包丁で手を切ったとのことですが、それまでは何をしていたのですか?」
「何って。昼まで寝てて、起きたらご飯食べて、掃除機掛けて、韓ドラ見て。そんな感じ」
「一日中家にいたということですか?」
「そだよ。”仕事がないあんな雨の日に、わざわざ出かけるわけ無い”じゃん」
「なるほど」
その時、乃木は何かに気がついたように首を傾げた。
「確か、あの人が自殺したのも8日だよね? あれ? もしかしてアタシ疑われてる?」
「葛城歳三さんが亡くなった件について、色々な方から話を聞いて調べている最中なのです」
「色々な方から話を聞いてるって、その中にアタシも含まれてるってこと?」
「全てをお話するわけにはいきませんが、端的に言えばそういうことになります」
「財閥殺しの元グラビアアイドル、とかなんかウケるね。そっちにシフトした方が売れそうな気がしない?」
「売れません。しません」
「ちぇっ。まぁ、別にどっちだって良いけどさ」
乃木は、飲み干したグラスを手に取り、溶け始めて少し小さくなった氷を、グラスの中で円を描くように滑らせた。
「それで、話は終わり?」
「そうですね。確認したかったことは全てお聞きしました」
「”犯人探し”、頑張ってねぇ」
「はい。真相が解明できるよう、全力を尽くします」
「まぁ、アタシとしては、自殺だろうが他殺だろうが、どっちでも良いんだけどね。あの人が死んだことには変わりがないんだから」
そう語る乃木の顔は、どこにも焦点を合わせず、乾いた笑いを浮かべていた。